Side Jin.「覗き屋アストラル」
※ジン視点の三人称です。
ハンチング帽の血族――アストラルを前に、ジンは弓を引き絞ったまま呼吸を落ち着かせるよう己に強いた。王都の壁を登攀しながら、砲撃以外のあらゆる攻撃を回避してみせた反射神経は侮れない。双方の間に一メートル程度の距離しかないとはいえ、単に射っても命中しないとみるべきだろう。
「いい兵器だね」軽い口調でアストラルは言った。そして両手を広げる。「砲台同士は攻撃を受けても壊れない」
アストラルの言はジンの目にも明白な事実であった。これまで砲台同士が撃ち合う事態などなかったが、血族が壁上にいる今、砲口はすべてアストラルへと向き、五秒間隔で紫の閃光が放たれ続けている。間近な砲台は隣の砲台の背を攻撃していることになるが、崩壊の予兆はない。
「でも欠陥もある。こいつらは一番近くの敵にしか反応しない。そりゃそうだ。普通、直撃すれば無事ではいられないもんね。一番近くの敵を狙い続ける仕組みは妥当だと思うけど、オレみたいな例外相手だと逆効果だ」
これもまた事実だ。ある日当然出現したこの兵器は、アストラルのように攻撃の効かない相手では無力。ましてや壁上に登られたとあれば、地上の敵は一切攻撃出来ない木偶である。
「で、壁の上の兵士はお兄さんだけ? まさか、そんなわけないか。逃げ出したんだね」
ニヤニヤと笑いを浮かべるアストラルだが、言葉に反して口調にはさほど邪気が感じられない。煽っているのではなく、人間側の動きを確かめている雰囲気があった。
だからこそ口を開くわけにはいかず、ジンは無言を貫き通す。弓を引いたまま。
「まあ、真っ当な判断だと思うよ」アストラルは肩を竦めた。「壁の上にいたんじゃ、オレに狩られるだけだもの。それに、オレを狙った砲撃に巻き込まれる可能性だって高い」
そうだろうな、と思う。アストラルの攻撃能力は未知なので判断がつかないが、少なくとも敵に放った光線が味方を灰燼にする懸念はあった。
こいつが登攀をはじめた段階で、南門のリーダーであるゴッドは即座に判断を下したのだろう。そして交信魔術師を経由して撤退指示を送った。そう捉えるのが適切に思える。アストラルの目的が壁上兵器の無力化を目的としているとみてのことだろう。実際、彼が単独で壁内に侵入するケースはなさそうだった。壁を離れてしまえば、砲台は血族や魔物を標的にしはじめる。グレキランス外壁においてもっとも厄介な兵器が砲台なのは自明だ。それを封殺するために割く人員がひとりでいいのなら、ベストと言っていい。
「それにしてもいい眺めだね。人間も血族も魔物もよく見える」
アストラルはくるりと背を向けて、そう発する。
ジンは言葉の終わり際に、つがえた矢を放っていた。敵の心臓めがけて。距離的にも速度的にも、容易に回避出来るものではない。射たれると事前に知っていなければ不可能とさえ思える。ましてや相手は背を向けているのだ。
しかし、矢がアストラルを射抜くことはなかった。彼は素早く身をかがめて回避したのである。
アストラルはそのまま絶壁に腰かけて短い笑いを漏らした。
「残念だけど、お兄さんの武器は魔術が籠もった道具だろ? オレ、魔力には敏感なんだよね。弓も矢も魔力を帯びてるから、発射されたらすぐ分かる。で、分かってれば避けられるさ。大体はね。運動神経いいから」
仮に射たれても、とアストラルは続ける。
「オレが死ぬことはない。お兄さんは異能って分かるかい? オレたち血族だけが持つ特別な力って言えばいいかな。もちろん、異能持ちなんて滅多にいないけど。で、オレはその数少ないひとりってわけ。その名も『幽体投射』。分身を作る力さ。致命傷を受ければ消えるけど、本体は無事。しかも分身は見ての通り魔術的な干渉を一切受けない」
アストラルの言葉が真実かどうかはさておき、筋は通っていた。砲台の攻撃は純粋な魔術なのだろう。それゆえ、ここにいる分身はなんの影響も受けないわけだ。矢を避けたのは、魔術が施されていても物体だからか。
分身が異能であることもそれらしく思える。単純に分身を作り出す魔術――二重歩行者には、この砲台は反応しないはずだ。魔術が敵のものか味方のものか判別出来るわけもない。砲台が魔術に反応していたら、壁上の魔術師はひとり残らず死滅していただろう。したがってアストラルの分身の異能は、血族である彼自身に限りなく近いものと考えられる。それゆえ砲台が反応し、こうして無力化されているのだ。
加えて、魔力察知とやらも真実に違いない。でなければあれほど見事なタイミングで回避出来るはずがなかった。
放った矢が地上のどこかで制止したのだろう、やがて音もなく矢筒に帰還する。
地上では二人の血族を先頭に、魔物と血族の軍勢がやや離れて迫っていた。人間側も応戦の構えではあるが、今のところまだ衝突に至っていない。最前線に数名の人間が待ちかまえている。夜目にもうるさい首飾りから、そこにゴッドがいるのが分かった。そして、同じく最前線にメイド服らしきものも見え、ジンは思わず奥歯を噛み締めた。
アイシャ――ハルも接敵しつつある。それもこれも、砲台が封殺されているからだ。
自分がなんとかしなければならない。
ジンは空いた手で拳を握り、深呼吸をした。
自分になにが出来るのか。矢は避けられる。ましてや相手がその気になれば、砲台の射線を利用してこちらを消し炭にするのも可能だろう。今のところアストラルがそのような手段を取ろうとしないのは、慢心なのかなんなのか定かではない。侮っているのなら、それを利用するほかないだろう。
「俺を殺さないんスか?」
ジンは座り込んだアストラルの背に近付きつつ問いかけた。むろん、砲台の餌食にならないところで足を止める。
相手は依然として振り向きもしない。壁外に足を投げ出して地上の様子を眺めているようだ。
「殺さないよ。自慢じゃないけど、オレは誰も殺したことないからね。能力を使っても分身の姿を偽ったり出来ないから、殺し屋は向いてないんだ。それに、ガラじゃない。ああ、でも、何度か捕まってるよ」
「……そりゃ、なんでなんスか」
「オレはアスターで『覗き屋』って呼ばれてんだ。そうそう、アスターってのはオレが住んでる街のことね。デカい街だよ、グレキランスよりも。それに栄えてる。貧富の差も激しい。オレは貧しい側ね。食うためには多少非合法なこともしなきゃならねえのさ。視覚を共有して、クライアントに色んな情報を盗み見せたり、女の裸を見せたりとかね」
やっていることはともかくとして、日々生きていくため悪事に手を染めねばならない境遇はジンにも共感出来た。だとしても、相手が敵であることには変わりない。
「なんでまた戦争に? 金でも貰ったんスか?」
「いや、頼まれただけさ。この部隊のトップ――夜会卿第三部隊長のレンブラントさんには色々借りがあるからね。逮捕されたときにも口利きしてくれたし、仕事も斡旋してくれた。第三部隊の構成員は大体そんな連中じゃねえかな。レンブラントさんはオレたち貧者の味方なんだよ」
「その、レンブラントってひとのことを詳しく聞きたいッスね。情報収集じゃないんで、警戒しなくていいっスよ。そっちが殺さないなら俺も手出ししないんで、要は暇潰しみたいなものっス」
「ハハハ。確かに、殺し合うより会話するほうが気楽でいいや。レンブラントさんは――」
紫の閃光が放たれ、アストラルの身体を通過した直後、ジンは矢を放った。無防備なその背中へ。
彼は軽業のように片手だけで逆立ちして回避する。
「まったく、油断も隙も――」
アストラルの声が消え、その目が丸く見開かれる。その瞳には、拳を引いて飛びかかるジンの姿が映っていた。
砲台の攻撃間隔は五秒。その間にアストラルに接近し、突き落とせばいい。先ほどアストラルは、致命傷を受ければ分身が消えると言った。この高さから落ちれば無事では済まない。まず間違いなく死亡する。本体は五体満足でも、分身が消失した時点で敵勢力への一斉掃射がおこなわれるはずだ。
とはいえ、アストラルと道連れになるつもりもない。彼を壁外に突き飛ばして、自分は壁上に回帰する。ジンはそのような算段で飛びかかったのだが――。
指先が、逆立ちしたアストラルの身体をするりと通過した。ジンの身体は壁外へと前のめりになり、否応なく落下の軌道を描く。
半身を翻すと、異常な光景があった。アストラルが宙返りし、そのまま空中で腹這いになってこちらを見つめているのだ。まるで重力などないかのように。その顔にはニヤニヤとした笑み。
矢筒へと帰還した矢を放つ。一直線の軌跡はアストラルの額を通過した。
「結構上手かったっしょ? オレの演技」
風音に混じって、そんな声が聴こえた。
そうか、と今さらながら気付く。彼は魔術的な干渉を受けないと同時に、物理的な干渉も一切受けないのだと。地面を駆けたのも壁を登攀したのも矢を避けたのも、全部演技だったわけだ。今みたいに浮遊して移動するくらい造作もないのが、彼の真価に違いない。物理的な干渉を受けないなら、壁だって擦り抜けられるだろう。どうりで『覗き屋』と呼ばれるわけだ。
まあ、今さら悔やんでも遅いが。
壁外の状況は緊迫していて、誰も落下には気付いていないだろう。そもそも、誰も助けられないはずだ。下手に受け止めようとすれば大怪我か、あるいは巻き込まれて死ぬ。
騙されて死ぬのは気分が悪いものの、平気で悪事を働いてきた過去を思えば贅沢は言えない。
アカツキ盗賊団の団長――ミイナは無事だろうかと想いを馳せる。『親爺』は見つかっただろうか。
そして前線にいるアイシャのことも想い、視線をそちらに向けると――。
「来るな、アイシャ!」
猛スピードで落下地点へと駆けるメイド服姿があった。
彼女は一度死んだ身で、死霊術により無類の身体能力を得ている。とはいえ肉体は肉体だ。身体を受け止めても死なないだろうが、腕に損傷を負う可能性は大いにある。
視界が滲んだ。涙なのか、意識が朦朧としているのか分からない。ただ、彼女が自分のせいで傷付くのは耐えがたかった。
地上が近付くにつれ、アイシャが間に合わないと分かり、むしろ安堵を覚えたのは不思議だ。今から死ぬというのに。
必死の形相でこちらへと駆ける彼女に笑顔を送る。たぶん、人生でもかなり上等な部類に入る笑顔じゃなかろうか。
しかし、結果的にジンが死ぬことはなかった。
地上に近付くにつれ、どうしてか落下速度も風音も緩やかになっていったのである。最後には身体が浮き上がるような感覚があり、いつの間にかアイシャの腕のなかに自分が収まっていた。
なにが起きたのか、ジンにはまるで分からなかった。アイシャもきっとそうだろう。顔にはホッと弛緩した口元と、不審げな目付きとが混ざっている。
「良かった……」
アイシャがそう呟いたとき、ジンは自分の両目を片手で覆った。
泣いているのも、泣いている理由も、彼女に悟られたくなかったから。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ジン』→アカツキ盗賊団の副団長。主にミイナの暴走を止める役目を負っている。弓の名手。矢と矢筒がセットになった魔具と、射程距離増加の魔術の施された弓の魔具を持つ。詳しくは『20.「警戒、そして盗賊達の胃袋へ」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『ゴッド』→実名不明の浅黒い男。騎士団ナンバー9。多くの舎弟を従えている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『二重歩行者』→ヨハンの得意とする分身の魔術。影に入り込んで移動することが可能。詳しくは『12.「二重歩行者」』にて
・『ハル』→ネロの死霊術によって蘇った少女。メイド人形を演じている。元々はアカツキ盗賊団に所属。生前の名前はアイシャ。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照
・『アスター』→夜会卿ヴラドの統べる街。グレキランスよりも広く、発展している。金貨に代わる貨幣制度として、ドラクル紙幣が使用されている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて
・『レンブラント』→黒の血族。戦争における夜会卿の第三部隊長。身体強化魔術のエキスパート。見た目は四十代のおじさんだが、血族としては高齢。夜会卿の領地アスターでカジノのオーナーなどをしている。本業は革命屋であり、夜会卿の転覆を狙っているが、同時に夜会卿に拝跪してもいる。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。不死の力を持つ。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』にて
・『アカツキ盗賊団』→孤児ばかりを集めた盗賊団。タソガレ盗賊団とは縄張りをめぐって敵対関係にあった。詳しくは『第二話「アカツキ盗賊団」』にて
・『ミイナ』→アカツキ盗賊団のリーダー。詳しくは『第二話「アカツキ盗賊団」』にて
・『親爺』→アカツキ盗賊団の元頭領。彼が製造した武器がクロエの所有するサーベル。詳しくは『40.「黄昏と暁の狭間で」』にて
・『死霊術』→死体を動かす魔術。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』『間章「亡国懺悔録」』参照




