Side Laurids.「西門の予期せぬ待ち人」
※ラウリス視点の三人称です。
グレキランス地方に足を踏み入れて十日目の夜。もうそんなに経ったのかという気と、まだそれしか経過していないのかという両方の感慨をラウリスは抱いた。
グレキランスの西門から数キロの地点で、剣を腰に、盾を背に、彼は口を真一文字に結んで最前線に立っている。周囲では急速に魔物が出現しつつあった。一挙に出現する膨大な気配には、どうにも慣れない。彼は胃の奥底からせり上がってくる吐き気をなんとか抑えた。
周囲に列をなす同胞たちはじっと押し黙っている。自軍の兵士はこんなに静かなものなのかと、ラウリスははじめて思い知った。
これまでの道中でラウリスはずっと空中離宮で移動していたため、自分が率いることとなった勢力についてろくに知らない。否、知ろうとしなかったというのが正確だろう。実父であるヴラドが自分になにを期待して部隊長の座を与えたのかさっぱり分からない。もっと適切な人材はいくらでもいるだろうに、と繰り返し頭で唱えたものだ。それこそ、妹のルナのほうがよほど相応しい。
同じ最前線に立ちながらこちらを一瞥もしないルナからは、相変わらず兄への軽蔑の情が透けている。
後方の中空を見やっても空中離宮の姿はもうない。部隊の者の収納魔術で仕舞われたのだ。
不意に肩に手が置かれ、ラウリスの身体は反射的に震えた。
「ようやく初陣だな、ラウリス隊長殿下。楽しみか?」
嫌味ったらしい笑みを浮かべるスーツ姿の長身の男――ジーザスを見上げ、ラウリスは反発よりも劣等感を覚えた。
「きみは気楽そうだな、ジーザス」
「俺はいつだって気楽だ。ラウリス隊長閣下の重責には同情するよ」
「……仮にきみが隊長だったとしたら、重責なんて感じないだろ」
ラウリスの語尾が弱々しく消える。
恨みがましい言葉は、相手の耳にしっかり届いたらしい。
「俺だってそれなりに責任感は持ってる。ラウリス坊や。気分の軽さと責任の重さは同居出来るんだぜ。俺は常に気楽で、なおかつ仕事を忘れない。現に、例の人型兵器は沈黙してる」
この男の言葉にはひとつも信用を置けない。どんな物事であれ、平気で嘘をついて居直るような性質だ。少なくともラウリスはジーザスという男をそのように断定していた。
とはいえ、ジーザスの言葉に偽りはない。白銀猟兵は例外なく沈黙している。連中が起動する百メートル圏内に接近しても棒立ちになったままだ。白銀猟兵を発見するたび、ジーザスが片手を向ける。それで終わりだ。甲と爪の部分が金属で覆われた黒手袋。彼の身に着けたその品が嫌でも目に入る。
ジーザスが身をかがめ、ラウリスの耳元に口を寄せた。「怯える必要なんかねえよ、ラウリス。大丈夫、お前の手は汚れない。お前は魔物に命令を下せばそれでいいんだ」
先程までのからかう口調とは打って変わって、ジーザスの言葉には慰めが込もっていた。
きっと演技だろう。そうは思っていても、実際に慰められている自分がいる。腹立たしいのに、そう感じられない自分がなにより嫌だった。
「戦う気もないのに戦場に立つのは罪」
そう口にしたのはルナである。こちらを見もせず、じっと前方を見やっていた。独り言にしてはあまりに明瞭な声である。彼女が自分と違って果断な性格なのはラウリスも知っていた。
自分が隊長に選ばれた理由は、実のところ察しがついている。目を背けているだけで。
長男候補。
死を約束されたその立場に、栄光なんて微塵も感じられない。
「魔物が出揃ったぜ、ラウリス隊長陛下。進軍開始だ」
ジーザスに促されて声を張る。「進軍開始」と。
それを合図に、魔物に囲まれた血族の軍勢は一斉に行進をはじめた。グレキランスの西門へと一直線に。
人間の勢力に対し、ラウリスはさして怯えを感じてはいなかった。それでも動悸がするのは、この戦争の先に待っている己の死と、父であるヴラドが自分に求めるだけの働きが出来るのかという重圧ゆえである。第一部隊は第二や第三と比べて、ヴラド直属の部下が多くを占めていた。監視されていると感じてしまうのは自然だろう。そしてなにより、もっと直接的な目もある。
部隊の後方に侍る蝙蝠の魔物。その視界に自分たちは余さず捉えられているのだ。
西門まで間もなく一キロといった地点で、ラウリスはじっと考え込んでいた。敵方の勢力のもっとも厄介な代物が砲台であることは、夜会卿の本隊から共有されている。それゆえ、まずは砲台をどうにかしなければならない。
「ジーザス。本当に大丈夫なのか?」
ラウリスの問いかけに、ジーザスは「なにが」と試すように返す。
「砲台のことだよ」
「ああ、それね。安心しろよラウリス隊長様。俺が全部なんとかしてやる」
「……嘘じゃないよな?」
「心配性だな。信用してくれていい。俺は正直者だ」
そう言われると余計心配になってくる。
歩を進めつつ、一定の速度で先行する魔物たちの背を見ながら、ラウリスはふと奇妙な雰囲気を感じた。
すでに魔物たちはグレキランスの壁から一キロ――つまりは砲台の認識圏内に入っている。射程圏は五百メートルと聞いているが、あらかじめ疑義のある情報であることも聞きおよんでいた。砲台は一キロ時点で猛威を振るうとの見立てである。しかし、それらしい攻撃はひとつも訪れなかった。
「へえ」とジーザスが呟いたのは、五百メートル付近に至ってからである。
さすがにラウリスも異常を視認した。砲台らしき物体がことごとくなにかに拘束されている。五百メートルを割った魔物に照準を合わせようと抵抗しているようだが、どうやら上手くいっていない。加えて、西門に配置された白銀猟兵も同様に拘束されている様子だった。
なにやら前方で叫び声がする。魔物のそれではない。甲高く、哀訴を含んだ声だった。
「ラウリス、魔物の制止命令を」
「全軍停止!!」
ジーザスの声は有無を言わせぬもので、ラウリスはほとんどなにも考えず彼の言う通りに命令を下していた。しかしながら、それに対する悔しさの感情よりも、現状への疑問が勝っている。
魔物の間を通り抜けて前方へ歩むジーザスを、ラウリスが追った。配下の者やルナも同様に最前線へ出ようとしている。
やがて開けた視界の先に、異常な光景が待っていた。
いくつもの矢に身体を射抜かれた男が跪いていたのである。そして彼の後方では、何本もの巨樹が兵舎らしき建造物を貫いてそびえていた。木々の先端部分は球状になっている。よくよく見ると、砲台の動きを阻止しているのも樹木だった。
先行した血族の誰かかと思ったが、そうではない。配下の者が携えた松明型の魔道具に照らされた男の肌は、人間の色をしていた。
男の顔が持ち上がる。卑屈な笑みが蕩けるように広がった。
「ご機嫌麗しゅう、血族の皆様。見ての通り、グレキランスの西門は僕が制圧しました。貴方がたが一滴の血も流さないように」
ざわめきが広がる。冷静沈着な戦士もこれには驚くだろう。
「お前、名前は?」とジーザスが淡々と問いかけた。
すると男は嬉々としてジーザスを見上げ、恭しく胸に手を添えた。身に受けた矢が滴らせる血など意に介さぬように。
「マオと申します」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ラウリス』→夜会卿の長男候補。戦争において表向き、夜会卿の第一部隊長を任じている。気弱でネガティブな性格。妹のルナに気後れしている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『空中離宮』→移動用のテント。内部で複数名の魔術師が飛行魔術を用いて維持している。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。不死の力を持つ。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』にて
・『ルナ』→夜会卿の長女候補。戦争において夜会卿の第一部隊の副隊長を任じている。父であるヴラドへの愛着が強く、兄のラウリスを軽蔑している。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『ジーザス』→勇者一行のひとりであり、ヨハンの兄。夜会卿に仕えている。黒の血族と人間のハーフ。戦争において夜会卿第一部隊に所属。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『白銀猟兵』→人を模した、ずんぐりとした物体。オブライエンの量産している兵器。指令を送ればその通りに行動をすることが出来る。動きは機敏で、硬度は高い。破壊時に自爆する。詳細は『幕間.「白銀空間~潜入~」』『幕間.「白銀空間~白銀猟兵と一問一答~」』『幕間.「白銀空間~魔具制御局~」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『魔道具』→魔術を施した道具。魔術師であっても使用出来る。永久魔力灯などがそれにあたる。詳しくは『118.「恋は盲目」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『マオ』→騎士団ナンバー8の青年。樹木の魔術師。神童の異名をほしいままにしていたが、シフォンにかつて敗北したことで自尊心を叩き折られ、今は序列を維持するだけの卑屈な騎士に成り下がっている。そんな彼が『宿木』の蔑称で呼ばれるようになったことに、さして抵抗を感じてすらいない。戦争においてイフェイオンの司令官に任命されたが裏切った。クロエたちに捕縛され王都へと移送されたが、途中で逃走。詳しくは『幕間「或る少女の足跡」』『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』にて




