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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第一章 第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」
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144.「魔物以上の怪物」

 先ほどまでの子供は、もはや影もかたちもなかった。代わりに目の前に立っているのはグールである。


 ――思考が止まる。あまりにも常軌を逸した光景だった。


 グールはよろよろとわたしに近寄ってくる。呼吸をするのも苦しかった。子供がグールになり(・・・・・・・・・)、ザクセンを噛み殺した。そしてわたしへと不安定な歩みを進めている。


 どうしてこんなことになっているのか、一体どうすればいいのか、まるきり分からない。はっきりしているのは、今、あってはならないことが起きているということだけ……。


「お嬢さん!」と叫びが聴こえて、ヨハンが目の前に飛び出した。そしてグールにナイフを向ける。


「駄目……」


「なにが駄目なんです!?」


「だって、子供は……」


 ヨハンはわたしが言い終わらないうちにグールを裂いた。最前まで子供だったその身体は、力を失って床に倒れた。ヨハンは確実に仕留めるべく、その喉を裂く。


 本来、グールは死ねば蒸発するはずである。しかし目の前に倒れたそれは消える気配をまるで見せなかった。


「グールじゃない……。だって、消えないもの……。子供なんじゃ……」


 ヨハンはわたしの肩を掴んで、無理矢理振り向かせた。


「今、目の前にいるのは魔物です。いいですか? 自責(じせき)の念に駆られるのは後にしてください」


 全く気がつかなかったが、広間はグールで溢れかえっていた。先ほどまで麻痺波(レームング・ヴェレ)の影響で身を起こすことも出来なかった子供たちは、どうしてか(・・・・・)ひとりもいなかった。


「目を覚ましてください。この量のグールは私とレオネルさんだけじゃ少々厄介です。お嬢さんの力が必要です」


「子供は――」


「クロエ!!」


 彼はわたしの肩を掴んだまま叫んだ。脱力しそうになるわたしの身体を支えているみたいに。


「哀しみも怒りも、後回しにしてください。崩れ落ちるのも後です。今は――魔物を倒すんですよ。……こんなこと、私だって言いたくないんです」


 それだけ言うと、ヨハンは一歩前に歩み出てグールと対峙した。レオネルも苦悶の表情を浮かべて魔球を放っている。セシルはしゃがみ込んで耳を塞ぎ、目をぎゅっと(つむ)っていた。


 腕に力が入らない。気を抜くと倒れてしまいそうだ。視界が落ち着かず、到底集中など出来る状態ではない。


 けれど、戦わなければならないときがある。感情に蓋をしてでも。


 ヨハンの隣でサーベルを構える。一瞬見えた彼の口元は、きつく結ばれていた。


 それからわたしは、無心で刃を振るった。一体、二体、と切り伏せていく。普段なら蒸発するはずの肉体は、いつまで経っても消えようとしなかった。それはつまり、純粋なグールではないということを意味しているのだろう……きっと。


 サーベルを振るうたび、力が抜けそうになった。胸が張り裂けそうに痛む。それでも柄を握り直し、足を踏み出した。


「あああああああああああああ!!」


 自分の絶叫が、まるで他人の叫びに聴こえた。苦しみの渦の中にいる自分と、それを冷めた目付きで眺めている自分。


 飛ぶ血潮も、おぞましい手応えも、グールが身に(まと)った薄緑色のワンピースの切れ端も、一歩引いて眺めている。グールの死体はどんどん増えていき、やがて広間を満たした。


 一体の魔物さえいなくなると、膝から崩れ落ちた。見開いた目からは涙が伝って止めどない。全身が震え、呼吸は不揃いだった。


 全身の震えと、途方もない罪悪感が胸を覆っている。


 誰もなにも言わなかった。互いを励ます声さえない。


 不意に、ぱちん、と手を叩く音がした。それは徐々に増え、音も大きくなっていく。


 ぱちん、ぱちん、ぱちん、ぱち、ぱち、ぱちぱちぱちぱち。


 音の方向――エントランスへと続く開け放たれた扉の先を睨むと、ぼんやりと白い姿が近付いて来るのが分かった。


 やがて白衣の男が姿を現した。彼はいかにも感動に()えないといった表情で拍手している。痩せ型、丸眼鏡、のっぺりと印象の薄い顔、ぼさぼさの黒い短髪……。


 見覚えのある姿だった。マルメロの賑やかな通りに現れた異様な魔物の気配。その白衣の男は、マルメロで目にした男そのものだった。あのとき彼の手にしていたアタッシュケースから感じた、ごく微弱な魔物の気配はよく覚えている。


 ひきつるようなセシルの声が漏れる。「ビクター……」


「ごきげんよう、セシル嬢」と白衣の男――ビクターは平静な口調で返した。


 そうか。こいつが。


 こいつがノックスとシェリーの行方を知り、そして子供のグール化なんて、考えることさえ寒気のする悪趣味を仕掛けた張本人か。


 一歩踏み出すと、進路を塞ぐようにヨハンが前に出た。どうして邪魔をするのか理解が出来ない。すぐそこに、徹底的に叩きのめしてやらなきゃならない敵がいるのに。


「どいて」


「お嬢さん……今は(おさ)えてください。私たちは奴と話す必要があります。……分かりますね?」


 そう言って振り向いたヨハンは、鬼気迫る表情をしていた。目付きは鋭く、顔面の皮膚は張り詰めている。必死で怒りを押し殺し、論理に(かじ)を握らせているのだ。


 わたしはそこまで大人にはなれない。けれど――ほんの少しの間だけ足を止めるくらいなら、なんとか出来る。


 ヨハンは短く頷き、ビクターに向き直った。「はじめまして、ビクター。反吐(へど)以下の最低な歓待(かんたい)をありがとう」


「ごきげんよう、侵入者。サプライズを気に入っていただけたようでなによりだ」


 どんな邪悪な()(ごと)が交わされようと、口を挟むまい。今でさえ、憤怒を抑えるので精一杯なのだから。


 ふとレオネルを見ると、彼はセシルの盾になるかのように、彼女の前に出てビクターを睨んでいる。それまでの柔らかな印象とは全く異なっていた。何年も抱えてきたであろう怒りや憎しみがその瞳の一点に(こも)っている。明確過ぎるほどの殺意。


 彼の後ろで、セシルは不揃いで不安定な荒い呼吸を繰り返していた。目を見開き、がちがちと歯を鳴らしている。


 誰もがそれぞれ別々の感情を抑えこんでいるのだろう。そしてそれらは一様(いちよう)に激しい感情であるに違いない。


「ビクター。……いくつか質問してもいいでしょうか?」ヨハンは冷えた口調で投げかけた。


「三つなら許そう」


「……まずひとつ。あなたがハルキゲニアでおこなったことについてです。魔具及び魔道具の製造、都市防衛システムの確立、そしてこの広間で起きた悪趣味な顛末(てんまつ)。……これら全てがあなたの仕業ですね?」


「いかにも!」とビクターは叫び、わたしたちを順番に見つめて拍手した。「ぜひとも感想を聞きたいものだ! 私の実験はどうだったかな?」


 狂気的な口調。ザクセン同様、救い(がた)い人間であることは間違いない。


 拍手に混じって、ヨハンの舌打ちが聴こえた。


「君たちは私の子供たちを殺したんだろう? どうだった? 特に、刃物を持っているお二方に聞きたい! 彼らの肌は人間の斬り心地だったろうか? それともグールの?」


 歯を食い縛り、耐える。


 怒りに囚われるな。目的を見失うな。ノックスとシェリーのためだ。きっとヨハンは正しい情報を引き出してくれる。


「そんな判断がつくほど、私たちは冷静に刃を突き立てはしませんでした」


 ビクターはいかにも落胆した調子で肩を(すく)め、首を横に振った。


「残念……良い体験談を聞けると思ったんだがね。まあ、いい」


 この男には、わたしたちと同じ赤い血が流れているのだろうか。


 ビクターの表現した通りだとすると、子供のグール化は彼にとって『実験』なのだろう。一体なんのためにそんな醜悪極まりない『実験』をしなければならないのか、さっぱり理解出来ない。だが、いかなる理由があろうともビクターの行為は正当化出来るはずがなかった。


 思うに、正しいとか間違ってるとか、倫理(りんり)だとか道徳だとか、人間性や道理の到底(およ)ばない遥か堕落(だらく)した場所に奴の魂は存在する。腐った泥土(でいど)よりも(けが)らわしい。


 ビクターの見た目は人間だが、きっと、魔物以上の怪物だ。

◆改稿

・2017/10/31 誤字脱字修正。

・2018/05/14 レオネル→レオネルさん


◆参照

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。


・『ザクセン』→ハルキゲニアからの使者。笛の魔具を所有。詳しくは『98.「グッド・バイ」』にて

・『レオネル』→かつてハルキゲニアを魔物から守っていた魔術師。レジスタンスのメンバー。詳しくは『104.「ハルキゲニア今昔物語」』にて

・『異様な魔物の気配』→詳しくは『47.「マルメロ・ショッピングストリート」』にて

・『ノックス』→クロエとともに旅をした少年。本来は『アカデミー』に引き取られたはずだったが、現在行方不明。

・『シェリー』→ハイペリカムで保護された少女。クロエによって『アカデミー』に引き渡された。ノックスと同様に、現在行方不明。詳しくは『94.「灰色の片翼」』、『98.「グッド・バイ」』にて

・『魔道具』→魔術を施した道具。魔術師であっても使用出来る。永久魔力灯などがそれにあたる。詳しくは『118.「恋は盲目」』にて

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