幕間.「南門の弓兵」
王都南門の壁上で、弓兵のジンは暁の光を眺めていた。今朝は靄が濃いようで、光は空を薄く濁った灰色に染めている。
暁。
それは彼が『最果て』――ハルキゲニア地方で所属するグループの由来でもある。アカツキ盗賊団。頭領の『親爺』が孤児を集めて結成した、あまり社会的とは言えない組織。しかしながら縁者を失った孤児の多くは食い扶持を持たず、誰かの親切心を期待することも出来ない。夜毎の魔物の襲撃に手いっぱいで細々と暮らしている地域では、孤児の面倒を見ようとする余裕さえなかった。一部の富裕層を除き、皆が当たり前のように貧しい。貧者の極北にいる孤児の側でも事情を知っているがために、食うために盗むのは至極真っ当な生存戦略だった。
とはいえ、社会から捨て置かれた者たちが、寄り集まって別の社会を形成するのは滅多にない。誰も信用していない子供が、互いの収穫物さえ奪い合う子供が、自力で生きていかねばならぬ境遇を悟った子供が、どうして結束出来るというのか。
ジンもはじめから『親爺』を信用していたわけではない。『親爺』に誘われてアカツキ盗賊団に入った当初は、もっぱら食料や金品を持ち逃げするつもりでいた。日を追うごとに計画が延期になっていったのは、誰もが同じ立場で、それなのに他者に分け与えることを知っていたからだろう。正確には、『親爺』に教わったと言うべきか。
盗賊団の面々の温かさに触れるうちにジンの反抗心は薄くなり、やがては消え去った。代わりに、強い連帯で結ばれた心が生まれたのだ。
アカツキ盗賊団の副団長ジンがグレキランスまで遥々足を運んだのは、なにも団長のミイナが決定したからでもないし、『親爺』が連れ去られたからでもない。もちろんそれらは要素のひとつではあるものの、一番の理由は恩義だ。
クロエに救われた者として、クロエの守りたいもののために動く。団員からは冷静な男と評されるジンは、その実、論理よりも温情を優先させるきらいがあった。
「副団長さん」不意に声をかけられたので振り返ると、そこには自分と同じく弓兵を任された男が砲台にもたれて、疲れた笑みを送っていた。「あんたを探してたんだ。こっちに来てくれ」
男に呼ばれて付いていった先は、南門の真上だった。壁の一角に縄梯子がかけられている。地上からの指示があった場合のみ降ろされる梯子だ。その付近で、唇をツンと尖らせた女性がいささかも恥じた様子なく、蹲踞の姿勢で待っていた。待ちくたびれた雰囲気も不機嫌さもない。佇まいが不真面目なだけで、表情も目付きも真剣そのものである。
「お疲れっす」と女性はそのままの姿勢で深々と頭を下げた。
見知らぬ人物である。梯子を昇ってきたのだろう。すると、地上の兵士に違いない。
ジンはなんとなく、この女性に親近感を覚えた。自分の言葉遣いに似ているからだ。
「俺を探してるって聞いたんスけど、なにか用事ッスか?」
そう問うと、女性は重々しく頷いた。そして口早に「重要な用件で来たの」と言って立ち上がる。
急に言葉遣いが変わったので、ジンはなんだか肩透かしを食った気になった。
女性は彼の返事を待たず、腕時計に一瞬目を落とし、門から真っ直ぐ南の方角を指差す。
「私の指してる方角に矢を放って。全力で。あの小さな丘のあたり。合図するから」
彼女の言葉に含まれた焦りは、指示をまっとうしようとするためだろう。しかし、ジンには意味が分からなかった。
「丘って……だいぶ離れてるッスけど。ぼんやりとしか見えないし、なんのために撃つんスか?」
「ゴッドくんの指示なの。意味は私も分からない。分からなくていいの。ゴッドくんは絶対だから。早く構えて。もうすぐ時間になる」
ジンは渋々矢筒から一本きりの矢を取り出し、弓を引いた。彼の持つ矢筒は常に一本しか矢がない。『親爺』謹製の魔具で、標的に命中するか推進力が止まった時点で矢筒に瞬間移動する代物である。そして、弓も魔具だ。威力と射程を底上げしてくれる。ただし精度は保証されない。あくまでも自分の目で見える範囲のものしか命中させられないのは道理だ。
騎士団ナンバー9、ゴッド。この南門の指揮官だが、ほとんど顔を合わせていない。壁上と地上ではさして交流がないのだから自然なことだ。色付きの眼鏡をかけたガラの悪い男、という印象に留まっている。
女性はゴッドを随分と信頼しているらしく、疑問ひとつ持たずに命令だけ携えてやってきたわけだ。時計と弓とを交互に忙しなく見る彼女には、この命令をなんとしてでも成功させなければという意志がありありと感じられる。
血族が門から五キロ圏内に入っているという情報はすでに共有されていた。だからおそらくこの命令も、血族への宣戦布告に違いない。敵に命中するかどうかは二の次で、矢を放つ行為自体に意義があるのだろう。
そんな具合に、ジンは己を納得させた。
「あと五秒。四、三、二、一、撃て!」
タイミングに狂いはなかった。方角もおおむね合っているだろう。ただ、果たして矢が丘に到達したかどうかもジンには怪しかった。矢だろうとなんだろうと、飛行物は大気の影響を受ける。照準を絞っても敵に命中しないなんてのはよくある話だ。現にジンは、夜間の魔物討伐において、五百メートルよりほんの少し先の獲物に命中させられなかったことが何度かあり、決まって落胆した。大抵は上手く当たる。それでも当たらないときはある。五百メートルでその精度なのだから、丘までとなると、仮に血族が棒立ちになっていたとしても絶対に命中しないだろう。
やがて矢筒に矢が戻った。女性は満足したのか、何度か頷くとジンの肩を叩いて「ありがと」と労う。そしてあっという間に梯子を降りていってしまった。
それから三十分ほどしてから、南門の全部隊に休息命令が出された。夜まで血族が訪れる危険はないので、今のうちに充分な睡眠と食事を摂っておくように、と。
どうやら宣戦布告というより、敵の出方を見るための一発だったらしい。それにしては雑な指示だったし、血族に矢が認識されたかどうかも怪しいが。
ともかくも、ジンは登る朝陽に背を向けて、壁上に設置された休憩所へと足を運んだ。日中に敵が迫る懸念は拭えなかったものの、やはり攻めてくるなら夜間だろうと思う。魔物の軍勢を率いているのだから、それを使わないわけがない。
早々に食事を済まし、空いていた二段ベッドに横になる。閉じた目の裏で様々な景色が映えた。今宵はじまる戦闘の模様。壁内で『親爺』を探しているであろうミイナの顔。クロエの後ろ姿。今はハルと名乗っている、元アカツキ盗賊団のメンバーであるアイシャのメイド服。ゴッドの日焼けした肌。
何人が次の朝を迎えられるだろうか。そのなかに自分は含まれているだろうか。
死力を尽くして戦うつもりでいても、どうしても消えてくれない自問がジンの眠りを妨げ続けた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ジン』→アカツキ盗賊団の副団長。主にミイナの暴走を止める役目を負っている。弓の名手。矢と矢筒がセットになった魔具と、射程距離増加の魔術の施された弓の魔具を持つ。詳しくは『20.「警戒、そして盗賊達の胃袋へ」』にて
・『最果て』→グレキランスの南方に広がる巨大な岩山の先に広がる土地。正式名称はハルキゲニア地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『ハルキゲニア』→『最果て』地方の北端に位置する都市。昔から魔術が盛んだった。別名、魔術都市。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア」』にて
・『アカツキ盗賊団』→孤児ばかりを集めた盗賊団。タソガレ盗賊団とは縄張りをめぐって敵対関係にあった。詳しくは『第二話「アカツキ盗賊団」』にて
・『親爺』→アカツキ盗賊団の元頭領。彼が製造した武器がクロエの所有するサーベル。詳しくは『40.「黄昏と暁の狭間で」』にて
・『ミイナ』→アカツキ盗賊団のリーダー。詳しくは『第二話「アカツキ盗賊団」』にて
・『ゴッド』→実名不明の浅黒い男。騎士団ナンバー9。多くの舎弟を従えている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』にて
・『魔具』→魔術を施した武具のこと。体内の魔力が干渉するため魔術師は使用出来ないとされているが、ニコルは例外的に魔術と魔具の両方を使用出来る。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『矢と矢筒の魔具』→ジンの所有する魔具。転移魔術を施してあり、放たれた矢は自動的に矢筒に戻る。詳しくは『30.「メリー・バッド・タクティクス」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『ハル』→ネロの死霊術によって蘇った少女。メイド人形を演じている。元々はアカツキ盗賊団に所属。生前の名前はアイシャ。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照




