幕間.「北門の狙撃手」
王都北門が朝陽に照らされる頃、壁上に配置された少女――白兎こと魔術師ルカは地平の先をじっと見つめていた。朝靄で不確かではあるものの、蠢く敵軍がかろうじて視認出来る。地上の一角が黒くわだかまっている程度ではあるが、夜明け前、王城に配された交信魔術師ケロくんの声で、各人に敵軍接近の報が伝えられたのだ。ゆえに見間違えることはない。
目前に迫った敵について周囲の弓兵や魔術師たちが会話を交わすのを意に介さず、白兎は折り畳みの小さな木製椅子に腰かけた。白銀色の滑らかな砲台に挟まれた、フリルだらけの白いドレス姿の少女。いかにもアンバランスな構図である。しかも、その少女は自らの身長以上の長銃を手にしているというのだから、物騒さはさらに際立っていた。
囁き声は、遥か地上からも重奏となって耳に入ってくる。北門に配置された人員はせいぜい一万だったが、夜明け前の交信によって、続々と門のほうへと戦力が結集しつつあった。王都をぐるりと守護する兵士たちは、門を固めるよう指示されたのである。むろん、ケロくんの交信で。
曰く、血族は各門から五キロ圏内に隊伍を組んでいるため、門以外の壁にリソースを割く必要はないとのこと。ハルキゲニアからの助っ人であるケロくんが卓越した交信魔術を持つのは白兎も知っていたが、腑には落ちない。王城に居ながら王都周辺数キロに渡る血族の勢力を正確に見抜く力を持っているという話は聞いたことがなかった。ただ、疑問として頭に定着することもない。普段から無口なせいか、白兎は内面においてもどこか疎いところがあった。特に、ひとの気持ちはよく分からない。双子の弟の感情さえ不明瞭だ。
白兎がハルキゲニア随一の魔球使いと知るや否や、長銃型の魔砲を授けた騎士団長ゼールの気持ちも分からない。壁上でしばしば甘いものを届けに来ては嬉しそうに去っていく女兵士たちも、事あるごとに話しかけてくる男兵士たちも、謎な存在だった。なぜだか『白ちゃん』と呼ばれているのも不思議。最低限の言葉や反応しか示さないのに、彼ら彼女らは不満げな様子など一切見せなかった。
自分よりも遥かに年下の少女が同じ戦場にいる――それも遠方からわざわざ駆けつけた――となれば、ちやほやされるのは自然だろう。殊に容姿も衣装もおよそ戦地に似つかわしくない人形めいたものとなれば、一層可愛がられる。そこに或る種の欲求があるのも奇妙なことではない。自分より小さいものを愛でるとき、多くのひとは癒やしを感じる。癒やしの内実は現実逃避で構成されており、戦地の兵士にとっては不安を幾ばくかでも和らげたいものだ。どれほど覚悟を持とうとも、不安のない者はいない。そのような心の機微など、もちろん白兎の理解のおよぶところではなかった。よく分からないひとたち。それが彼女の抱いた総評である。
とはいえ、例外もいる。
堂々とした足取りが、こちらへと近付いているのを白兎は聞き取っていた。振り返らずとも相手が誰かは分かっている。
「ルカ。疲れてないか?」
話しかけられて、ようやく白兎は振り返った。うねった長い赤毛に、快活な表情。大柄なその女性は、「大丈夫」と呟いた白兎に丸パンと干し肉を突き出した。いつものように受け取る。少し椅子をずらす。白兎の隣に女性が片膝を立てて座る。そうして二人で朝食を摂る。壁上に配置されて数日後に出来上がったルーティーンが、今朝も繰り返されていた。
女性の名前ははじめて会ったときに聞かされた。キリエというらしい。弓の魔具使いで、騎士団所属と言っていた。魔具といっても、射程と威力を増やすだけの簡単な品物だと明るく自虐していたのも覚えている。
キリエはどこか、ほかの兵士とは違うように白兎には思えた。
まず、こちらのことを『白ちゃん』とも『白兎』とも呼ばない。名前で呼ぶ。
次に、甘いものを渡してきたり、過剰に気遣ったりしない。
そして、別れ際だけ『じゃあな、相棒』と言う。キリエが白兎を相棒と呼ぶのは、そのタイミングだけ。
キリエは特別強いわけではない。白兎の見る限り、壁上で矢を放つ彼女は、魔具を持たない弓兵よりは格上でも一般の魔術師とは同等の実力だった。力量では白兎のほうが遥か高みにいる。それでもどうしてか、キリエといるときは対等だと感じた。自分よりもひと回り以上年上なのに。
「いよいよだな」
パンを頬張りながら言うキリエに、白兎は首を傾げた。「なにが」
「血族だよ」とキリエは笑う。そして急に真顔になった。「あれだけ接近してるんだ。今夜あたり、一戦交えることになる」
「そう」
白兎の淡白な返事をキリエが誤解することはなかった。ほかの者は白兎が現実を見ていないだとか、冷淡だとか、状況を理解出来ずにここまで来たとか囁いている。それらすべて間違いであることを、キリエは察していた。付き合いが浅くとも、感情表現に乏しい者の意思を汲み取るのに彼女は慣れていたのだ。キリエの妹と弟がそうだったから。どちらも王都襲撃の日に亡くなってしまったが。
もちろん、キリエの理解度も、その過去も、白兎はちっとも知らない。
キリエが、本当は地上部隊で雄々しく戦って死にたいと願っていたことも。ゼールに頭を下げても聞き入れてもらえなかったことも。
白兎は地上に次々と参集する靴音を聞きながら、このぶんなら夜には二万人くらいになるかもしれないとぼんやり考えた。
「ルカ。長銃のスコープで敵の様子を教えてくれないか」
漠然とした提案だったが、白兎は長銃を構えた。取り付けられたスコープを覗くには、自然と銃口を敵方に向けるかたちになる。
地平の先で蠢く者たちへと照準を合わせていく。はじめは俯瞰して全体を見据えた。血族はどうやらいくつかのグループに分かれて固まって休息しているらしい。野営用と思しきテントがあちこちに設置してあった。それらの周囲にはいずれも血族が群れている。
北門にもっとも近い場所に、血族が二人立っていた。まだ漠然としか見えないが、徐々に二人へ焦点を絞って拡大していく。
「血族が二人、監視してる」
「監視? こっからあっちまで五キロくらいあるじゃないか」
「四キロ」
「四キロだって、肉眼で監視なんて無理だろ?」
「門の方角を見てるだけだと思う」
「大雑把に動きを把握しようってことか」
納得したキリエをよそに、白兎は二人の姿をほぼ等身大に捉えた。片方は背の小さい女性で、短めの髪が一房、ぴょこんと半月型に頭頂から伸びている。黄土色の半袖のジャケットに、短いズボン。剽軽な表情を作ってもうひとりの血族になにかを言っては笑っている様子。まるで遠足にでも来た風情である。
もう片方は手足のひょろ長い男で、骨ばった顔をしていた。高い鼻と鋭い目が猛禽類を思わせる。こちらも上半身は半袖で、しかし下はタイトなズボンで足首まで覆っていた。隣の女性と比較すると、ふざけた雰囲気はいささかもない。落ち着き払っている。
白兎は二人の顔を拡大し、まず女性を捉え――。
「……訂正。あっちは私の姿まで見えてる」
そう呟く白兎は、口調に比して、内心で驚きに包まれていた。
血族の女性をズームした瞬間、相手は目を合わせたのだ。そして舌を出して中指を立てたのである。
「なんだそれ。視力がいいってレベルじゃないだろ」と言って、キリエが舌打ちした。
女性の顔が揺れた。隣の男に軽く頭を小突かれたのである。ズームされた視界のなかに、女性と入れ替わって男の顔が映る。白兎は、逆にこちらが覗き込まれているように錯覚した。
男は無表情に人差し指を向けた。明確に、白兎へと。
それ以上はなにもなかった。白兎はスコープから目を離し、長銃を下ろしたのである。
「どうした、ルカ」
白兎の顔は、きっと呆然としていたことだろう。こんな経験ははじめてなのだから。
「宣戦布告された」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『白兎』→ハルキゲニアの元騎士。魔術師。本名はルカ。『黒兎』の双子の姉。ハルとミイナによって撃破された。以降は『黒兎』とともにハルキゲニアの夜間防衛をしている。詳しくは『112.「ツイン・ラビット」』『164.「ふりふり」』『Side Alice.「卑劣の街のアリス」』『幕間.「それからの奇蹟~ある日のハルキゲニア~」』にて
・『ケロくん』→ハルキゲニアで魔術の講師をしているカエル頭の魔術師。正式名称はケラケルケイン・ケロケイン。本名はアーヴィン。詳細は『第三話「軛を越えて~②カエル男と廃墟の魔女~」』『幕間.「ハルキゲニア~時計塔最上階~」』参照
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『ハルキゲニア』→『最果て』地方の北端に位置する都市。昔から魔術が盛んだった。別名、魔術都市。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア」』にて
・『魔球』→魔力球、魔力弾、魔力塊とも呼ぶ。初歩的な攻撃魔術
・『ゼール』→騎士団長。王都の騎士を統括する存在。双剣の魔具使い。実はシフォンの養父。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』『第九話「王都グレキランス」』『幕間.「王都グレキランス~騎士の役割~」』にて
・『魔具』→魔術を施した武具のこと。体内の魔力が干渉するため魔術師は使用出来ないとされているが、ニコルは例外的に魔術と魔具の両方を使用出来る。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて




