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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」
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幕間.「東のメルキュール、南のレンブラント」

 窪地の町イフェイオン。その(ふち)でひとりの兵士が、王都方面を眺めて呆然としていた。このところずっと、自分を見失っている感覚がある。導き手がいれば違っただろうが、今のこの地には精神的支柱が欠けていた。町の司令官を任じていたマオが裏切り、カールは寝たきりの状態にある。あの誠実な血族――ユランも戻ってこない。


 今日で何日目だろう、と男は数えた。グレキランスに血族が入ったと(しら)されてから、十日目の朝。本当なら兵士を鼓舞(こぶ)して東門へ向かうべきなのだと分かっている。だが、とてもじゃないがそんな気になれなかった。


 数日前のちょうど昼どきのことを思い出す。


 イフェイオンに訪れたひとりの血族の姿は、忘れようにも忘れられない。淡いブルーのドレスを()した女性。片手には金色の錫杖(しゃくじょう)。グレーの長髪をうなじあたりで()った髪型。顔に刻まれたいくつかの皺や、小さな口、つんと尖った鼻。歩調も所作(しょさ)も整っており、いかにも貴族令嬢――いや、貴族のご婦人といった姿だった。決して目を開かなかったことと、絶えず小鳥の鳴き声のような音を口から出していた点を除けば、そう奇妙なものではない。むろん、紫の肌というだけで警戒するに余りあるが。


『ご機嫌よう、イフェイオンの皆様』甘ったるい蜜のような声で、彼女は居並ぶ兵士に呼びかけた。『わたくし、メルキュールと申します。この地はユラン公爵の占領下にあると聞いておりましたが、彼はいないのですね』


『だとしたら、どうする』と兵士のひとりが言う。


『いいえ、なにもいたしません。ただ、貴方がたもこちらに危害を加えないでいただきたいだけです。わたくしの軍は目と鼻の先に待機しておりますから』


 現に、多くの血族がイフェイオンから一キロも離れていない場所で野営していた。昨晩魔物がイフェイオンを襲わなかったのはメルキュールの仕業(しわざ)だと考えた者は多いだろう。兵士のなかには魔物の気配が読める者がおり、膨大(ぼうだい)な数の気配を感じたと言っていた。しかし一体もその姿を目にしなかったのだ。


『立ち話もなんですし、どこかで腰を落ち着けてお話しませんか? それと、宿屋をお借りしてもよろしいかしら? もちろん、お代はお支払いいたします』


 誰ひとり異論を唱えなかった。もしかすると彼女はユランと同じく平和主義者なのかもしれない。ただ、それ以上に()る予感を皆が覚えたのだ。


 彼女の意に(そむ)き、刃を突き立てようものなら、切っ先が肉に到達する前にイフェイオンの全員が死滅すると。


 彼女は町長を(まじ)えて歓談したのち、しばし宿屋で眠ったようだった。過分なまでの金貨を支払い、その晩には宿屋を出ていったのである。


 メルキュールは特別な話などほとんどしなかったように思う。天気やら作物やらの話ばかり。


 夜闇に消えていく彼女ら血族の戦列を見送った者は、総じて奇妙な感覚に囚われた。血族の兵士はほとんど裸に近い格好をしている。それだけでも奇妙だが、(こと)に気がかりだったのは、魔物の気配は異様なほど濃いのに、姿がない点だ。どこにも。一体たりとも。


 かくしてイフェイオンの兵士らは機会を(いっ)したのである。彼女と敵対する機会をだ。行き先は告げられなかったが、王都の東門を目指していることだろう。今頃は門の付近に到着したはずだ。


 朝の陽射しのなか、兵士はただひたすらに祈りを捧げた。


 どうか、誰の血も流れないように。


 そんな願いは空虚であると自覚している。夜を行く彼女の周囲には、血に飢えた、未知の魔物の気配が充溢(じゅういつ)していたのだから。





 グレキランス南門からおよそ三キロの地点にある丘陵(きゅうりょう)地帯で、夜会卿第三部隊は行進を止めた。折良(おりよ)く付近に林があったので、そこを休息地と(さだ)め、めいめいが野営の準備に取りかかる。


 そんななか、部隊長のレンブラントは丘の上からグレキランスの方角を眺めていた。隣には、カジノの支配人ナターリアの姿もある。


 朝靄の先にグレキランスの壁らしきものが見えるものの、壁上に設置されているらしい砲台も、人間の兵士の姿もここからでは分からない。むろん、レンブラントには、だが。


「どう? ナターリアちゃん」


概算(がいさん)ですが、兵数五千。手薄ですね。砲台は二メートル間隔で均等に配置されています。壁上の援護部隊は数えるほど。本隊から交信のあった通り、砲台は自動で攻撃する代物でしょう」


「五千か。こっちの五倍だねぇ。でも、寄せ集めじゃないかな。たぶん」


「ええ。わたくしの見る限りでは物の数に入りません。壁上の砲台が主戦力と言って差し(つか)えないかと。ただ……」


 まばたきもせず南門の方角を凝視する彼女を、レンブラントは横目で眺めた。彼女が言い(よど)むのは珍しい。いつだってきっぱりした物言いをする。判断も早い。そして正確だ。


 昨日の朝もそうだった。前線基地を目指して先行していたはずの別働隊に()れ違ったのである。彼らとこちらの勢力が視線を()わしたのは、そう長い時間ではない。ほんの一瞥(いちべつ)と言ってもいい。お互い、声をかけることはしなかった。合流はむろんのこと、些細(ささい)な接触でもヴラドが愉快に思わないのは知っている。昼なお消えぬ蝙蝠(こうもり)の目がグレキランス一帯に張りめぐらされており、再会未満の一場(いちじょう)もヴラドの視界に届いたことだろう。


 前線基地へと歩みかけた兵士に、レンブラントは口を開いた。それを封じるように、ナターリアは野営のことやら南門までの行軍速度のことやらを話したのである。


 前線基地へ向かった部下たちは、きっと死ぬとレンブラントは推断(すいだん)していた。簒奪卿(さんだつきょう)と人間が都合良く相討ちするなんて考えられない。途轍(とてつ)もなく厄介な敵が(ひそ)んでいるとみるのが妥当だ。そして部下たちもそれを悟っていたのだろう。本来ならばもっとずっと先行していたはずの彼らに追いつくなどありえない。死出(しで)の道を一歩一歩、噛み締めるように進んだわけだ。彼らに言葉ひとつかけてやれない自分の立場と、そうなってしまった軽率とに慙愧(ざんき)の念が()えない。


 とはいえ、ローレンスの館への接触自体は後悔してはいなかった。ヴラドへの捧げ物をさっさと入手してしまおうという目的は叶わなかったが、会うべき者に会った実感がある。館を保護する運びとなったのも喜ばしい。ひとが一生で背負う悲劇の量は少ないに越したことはないのだから。


 イアゼル侯爵によるマグオート制圧と、その後の死についても本隊からの交信で知っている。エーテルワースとマーチは、おそらく乗り越えたのだろう。同胞(どうほう)の死を歓迎する趣味はないが、イアゼルよりも二人のほうがレンブラントにとって好ましい。


 ひとしきり南門を観察したのち、ナターリアは首を横に振った。


「正体不明の魔術師がひとり。死霊術で蘇った遺体がひとつ。特殊なのはそれだけです」


「ナターリアちゃんでも見抜けない魔術師がいるなんて、おじちゃんびっくりだよ」


「わたくしも万能ではありませんので。あとは、壁上の弓兵で二種類の魔具を所持している者がいます。こちらは大して脅威では――」


 猛烈な風切り音ののち、レンブラントは額に突き刺さる寸前の矢を掴み取った。矢は推進力を失うと同時に霧散していく。


「腕はいいけど、確かに脅威じゃないねえ。このまま(まと)になるのもつまらないし、林に引っ込もう」


 レンブラントが(きびす)を返すと、ナターリアもそれに(なら)った。


 正体不明の魔術師とやらが気になる。魔物の軍勢と自分、そしてナターリアを相手にどこまでやれるのか。ヴラドに献上するかどうかは、実力を見極めてからだ。


 レンブラントは林に向かって歩みつつ、大きな欠伸(あくび)をした。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。



・『イフェイオン』→窪地の底に広がる豊かな町。王都に近く、特産品の『和音(わおん)ブドウ』を交易の材としている。『毒食(どくじき)の魔女』によって魔物の被害から逃れているものの、住民一同、彼女を快く思っていない。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』にて


・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて


・『マオ』→騎士団ナンバー8の青年。樹木の魔術師。神童の異名をほしいままにしていたが、シフォンにかつて敗北したことで自尊心を叩き折られ、今は序列を維持するだけの卑屈な騎士に成り下がっている。そんな彼が『宿木』の蔑称で呼ばれるようになったことに、さして抵抗を感じてすらいない。戦争においてイフェイオンの司令官に任命されたが裏切った。クロエたちに捕縛され王都へと移送されたが、途中で逃走。詳しくは『幕間「或る少女の足跡」』『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』にて


・『カール』→クロエたちが王に謁見した際に、同席した真偽師(トラスター)。王都随一の実力者だが、メフィストの嘘を見抜くことが出来なかった。謁見中の事件により、王都追放の処分を下された。詳しくは『263.「玉座と鎧」』『幕間.「王都グレキランス ~追放処分~」』にて


・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『鳴禽卿(めいきんきょう)メルキュール』→夜会卿の第二部隊長。黒の血族で、ラガニアの伯爵。スィーリーの領主だったが、簒奪卿シャンティの侵略により、やむなく夜会卿ヴラドの所有地で暮らしている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて


・『赤竜卿(せきりゅうきょう)ユラン』→黒の血族で、ラガニアの公爵。自称、ウルトラ・ドラゴン卿。情熱的で正義感の強い青年だがセンスは壊滅的。代々ドラゴンを使役するとされているが実際に目にしたものはおらず、虚言卿や嘘つき公爵と囁かれているが本人は意に介していない。実態は使役というより、ドラゴンと一体化している。肌はドラゴンのそれと同等の堅固さを持つ。身体状況により形状が変化する貴品(ギフト)貴人の礼装(ミランドラ)』を所持。グレキランスがラガニアの領地であると認めさせるために単身で戦争に参加した。王城にてヨハンに説得され、オブライエン討伐部隊に加わることに。ゾラやニコルとは友人関係にある。詳しくは『幕間「ウルトラ・ドラゴン卿」』『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』にて


・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。不死の力を持つ。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』にて


・『レンブラント』→黒の血族。戦争における夜会卿の第三部隊長。身体強化魔術のエキスパート。見た目は四十代のおじさんだが、血族としては高齢。夜会卿の領地アスターでカジノのオーナーなどをしている。本業は革命屋であり、夜会卿の転覆を狙っているが、同時に夜会卿に拝跪してもいる。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて


・『ナターリア』→黒の血族。大きな目とハキハキした口調が特徴の、血族の女性。夜会卿の領地アスターでカジノの支配人をしている。カジノの秩序を乱すような詐欺まがいの魔術は一切通用しない。人生で一度もイカサマをしたことがないことを自負している。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて


・『前線基地』→王都北東の山脈にほど近い場所の山岳地帯に作った、戦争における要衝。血族の侵入経路と王都を直線上に結ぶ位置にあるため、全滅は必至であり、足止めの役割がある。総隊長としてシンクレールが配備されている。簒奪卿シャンティおよびシフォンの襲撃によりほぼ壊滅した。詳しくは『第四章 第二話「幻の森」』『第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」』にて


・『簒奪卿(さんだつきょう)シャンティ』→黒の血族で、ラガニアの子爵。過剰な装飾と肉体改造を施した、傲慢で残虐な女性。同族の土地へと侵略を繰り返す様から、簒奪卿の異名がつけられた。固有の異能である液体操作を持つが、有機物に限っては相手の意識がなければ操れないという制約がある。加えて、スライムを使役する。リクの腹違いの姉。戦争において前線基地を襲撃したが、シフォンの裏切りにより全軍壊滅。現在はシンクレールと行動をともにしている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」』にて


・『ローレンス』→ルイーザの幼馴染。水魔術や変装魔術、果ては魔道具の作製など、魔術的な才能に溢れた青年。能天気な性格。愛称はローリー。詳しくは『第二章 第六話「魔女の館~①流星の夜に~」』にて


・『エーテルワース』→『魔女っ娘ルゥ』に閉じ込められたキツネ顔の男。口調や格好は貴族風だが、人の匂いをすぐに嗅ぐ程度には無遠慮。剣術を得意としており、強烈な居合抜きを使う。冒険家である『命知らずのトム』とともに各地をめぐった過去を持つ。詳しくは『494.「キツネの刃」』『Side. Etelwerth「記憶は火花に映えて」』にて


・『マーチ』→ローレンスの館の使用人。彼に作ってもらった車椅子型の魔道具『偉大且つ華麗なる(ダブルグレート・)有翼輪(グリフォイール)』に乗って家事全般をこなす。度を越えて生真面目かつ不器用なので、よく空回りする。ローレンスにはマーちゃんと呼ばれているが、当のマーチは認めていない。もともとは王都の西方に位置する町、マグオートで戦士をしていたが、足を負傷したことにより追放の憂き目にあった。詳しくは『485.「マーちゃん」』にて


・『悦楽卿イアゼル』→黒の血族で、ラガニアの侯爵。洗脳魔術の使い手。気分屋で子供っぽい性格。乳母のルシールに依存している。ベアトリス男爵の異父兄弟。左手の五指に別種の洗脳魔術の魔紋を彫り込んでおり、洗脳魔術に必須となる手続きを無視して対象に洗脳を施すことが可能。また、魔術を拡散する貴品(ギフト)多幸の喇叭(カタルシス)』で、各種洗脳魔術を拡散出来る。戦争に参加した理由は、マグオートから流刑地に入り、実母に再会するため。マグオートで敗北し、逃走先の廃墟ルピナスでフェルナンデスに討たれた。詳しくは『幕間「落人の賭け」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて


・『マグオート』→文化的、経済的に成熟した街。王都から流れてきた富豪が多く住む。トムとマーチの故郷。別名『銀嶺膝下(ぎんりょうしっか)』。ラガニアの辺境である地下都市ヘイズと、転送の魔道具によって接続されている。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて


・『死霊術』→死体を動かす魔術。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』『間章「亡国懺悔録」』参照


・『魔具』→魔術を施した武具のこと。体内の魔力が干渉するため魔術師は使用出来ないとされているが、ニコルは例外的に魔術と魔具の両方を使用出来る。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて

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