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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第一章 第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」
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143.「ザクセンの理想郷」

 広間を見回すと、子供たちの瞳に色が戻っているのが分かった。それぞれ(おび)えや恐れの色を浮かべている。しかし、誰ひとりとして動く者はいなかった。


 おそらくは先ほどの魔術の影響だろう。


「もう大丈夫よ。魔術を()いてあげて」


 ヨハンに呼びかけると、彼は「あー……」と困り顔を見せた。


「あの魔術は解除出来ないんですよ。時間が経つのを待つしかないですね」


 それはそれで問題だ。魔術によって窮地(きゅうち)を切り抜けたはいいものの、それによって足止めを食うのか。


 わたしはビクターに会う必要があるので構わないが、セシルは真逆の感情を抱いているのだ。あの尋常でない怯え方を見てもなお引き留めるのは非情としかいえない。


 レオネルが、今にも倒れそうにふらつくセシルの手を取ってわたしの(そば)まで来た。彼女は明らかに具合の悪そうな顔をしている。心因性(しんいんせい)の不調だろうか。


「ヨハン。先ほどの魔術は実に見事でした。いやはや……麻痺波(レームング・ヴェレ)とは考えましたな」


「あれなら状況を突破出来ると思ったのでね」とヨハンはあっけらかんと答えた。


 わたしは思わず「なるほど」と呟いていた。確かに、麻痺波(レームング・ヴェレ)はベストな選択だ。


 麻痺波(レームング・ヴェレ)は、広範囲に麻痺魔術を拡散する魔術である。対象範囲の生物全てを痺れさせる、というほど上等な魔術ではない。拡散によって効力は格段に下がってしまうので、魔物相手に使えるものではなかった。人間もせいぜい瞬間的な痛みを感じる程度である。ただ、子供となれば話は別だ。微弱な麻痺魔術であっても身体の自由を奪うことは出来る。


 なかなか使いどころのない魔術だけに、先ほどの状況で麻痺波(レームング・ヴェレ)に思い(いた)り、なおかつスムーズに使用出来るとは……。


 本当に油断ならない男だ。頭の回路がどうなっているのか知りたいくらいである。


「……一体あなたはどれだけの魔術を使えるのよ」


 ヨハンは肩を(すく)めて見せる。「攻撃に向かないようなのは大体使えるんじゃないですかね」


 ため息をつきたくなるくらい雑な答え。とはいえ彼に救われたのは事実である。


「あ、あのぅ……」


 控えめに片手を上げたセシルは、痛ましいほど青白い顔をしていた。


「勝手なことを言うようで申し訳ないんですが……もう一秒だってここにいたくありません……。ビクターが、ビクターが来るかもしれないと思うと……」


 切実な口調だった。見る限り、セシルは精神的な限界に達しているようだった。目は泳ぎ、身体はもじもじと落ち着きなく、今にも泣き出しそうな目をしている――現に先ほど泣いたわけだが。


 ヨハンとレオネルを交互に見つめた。少なくとも彼女をレジスタンスのアジトに送るためには誰かがついていてやらなければならない。


 適任は、やはりヨハンだろう。警戒心もあり、窮地(きゅうち)を突破する発想力も申し分ない。レオネルの防御魔術も卓越したものがあったが、やはり、安全に送り届けるのならヨハンで決まりだろう。


「セシルを潜伏先まで送ってくれるかしら? ……わたしはここに残ってビクターと話をするつもりよ。ノックスとシェリーがどこへ行ったのか知る必要があるわ」


 少し考えて、ヨハンは返した。「子供たちはどうするつもりです?」


 彼ら全員を脱出させるためには、来たとき同様、天の階段(ステラ・ステップ)が必要になる。決して軽い負担ではない。


「それは……レオネルさん、頼めますか?」


 言葉に詰まってレオネルへ(たず)ねると、彼は周囲の子供たちを見回して決心したように一度頷いた。「(うけたまわ)りました。やむを得ない状況ですからな……最善を尽くします」


「なら決まりね。早速――」


 言いかけて振り向き――サーベルを振るった。同時にレオネルの魔球も同じ方向へと飛ぶ。


 気を失っていたはずのザクセンが素早く起き上がり、近くの子供へ向かって駆けたのだ。


 サーベルは奴の肉を裂き、魔球は身体を打った。鋭い悲鳴が上がる――が、その声はやがて高笑いに変わっていった。


 ザクセンは床を転がるように子供を抱きかかえ、その背にナイフを突きつけた。


「ハ、ハ……ハハ……ハハハハハハハハ! 油断したな! 私の勝ちだ!」


 充分阻止可能な距離にいたはずだ。そして、動きを察知してベストなタイミングで斬撃を放ったはずだった。現に刃は奴の足に食い込み、肉を裂いた。加えて、レオネルの魔球もまともに受けたのである。いくら防御魔術専門の魔術師が放った攻撃といえども、直撃すれば無事ではいられない――本来は。


 ザクセンの肉体は酷く傷ついていた。特に足には深い切り傷を負っている。普通の相手なら一歩たりとも歩みを継続出来なくなるほどの深手だった。


 にもかかわらず、ザクセンは動きを止めなかったのだ。


 執念。


 先ほど息の根を止められなかった自分の甘さが呪わしい。


「動くんじゃない! いいか! 動くな! そう、それでいい……。たとえ魔具を破壊されても私は戦えるのですよ。全く、間抜けな連中で助かった」


 ザクセンは息を荒げて口走る。


「ヨハン……と言いましたね。もう一度妙な魔術でも使ってみますか? もしかしたら私の動きを奪えるかもしれない。ただし、賭けに負けたら子供の命は消え去りますが」


 ヨハンは舌打ちをし、顔を(ゆが)めた。「そんな博打(ばくち)はしません」


「ハハハ! なら、武器を置いて博士の帰還を待つんですね。一匹たりとも逃がしませんよ。騎士として、私は役目を(まっと)うするのです」


 ザクセンの瞳が狂気的な輝きを()びる。


 彼を心の底から軽蔑した。


「騎士は……あなたが言うようなものじゃないわ」


「知った口を()かないで頂けますか? あなたはただの反逆者なんですから」


 自分が王都の騎士であることを彼に告げようかとも思ったが、やめた。そんなことをしたってなんの意味もない。


 ザクセンは興奮したように続ける。


「あなたがたには想像すら出来ないでしょうね、我々の目指すところは。……いいですか? 博士は凡人には考えの及ばない偉大な理想をお持ちなのですよ。その(いしずえ)となれるなら、私はなんだってやります。この命を投げ打つことさえ(いと)わない! 我々は――」


 彼の絶叫が、広間に(こだま)する。


「我々は――人類を理想郷(ユートピア)に導くのです!!」


 ……馬鹿げている。どれだけ偉大な思想があろうと、目の前の子供を人質にしていい理由にはならない。魂の(けが)れ。そうとしか考えられなかった。


 ザクセンは救い(がた)く濁っている。その目も、その言葉も、その思考も、勿論――その行為も。


 怒りはどこまでも沸騰して止めどない。煮えたぎる感情は行き場をなくしてわたしの内側で渦巻いていた。


「凄まじい顔をしていますね……。しかし……しかし、しかし、しかし!! あなたに私を傷つけることなど出来ないのですよ! 子供ひとり犠牲に出来ないような甘えた使命感しか持たないあなたにはね!!」


「ザクセン……」(ほとん)ど無意識にわたしは言葉を返していた。「幼い命を盾にしていい使命なんて、どこにもない」


 嘲笑が広間に響き渡る。奴の(あざけ)りを買うと理解していても言わずにはいられなかったのだ。


「アハハハハハハ! 本物だ! いやはや、参りました。あなたは本物の間抜けだ」


「それで構わないわ」


 子供の命を天秤にかけるくらいなら、わたしは間抜けで構わない。


「アハハハハ――ハハ、ハ……」


 ザクセンの高笑いがフェードアウトしていく。決してわたしの耳がおかしくなったわけではない。それまでいかにも愉快そうに歪んでいたザクセンの目は、なぜかぶるぶると震えていた。


 目の前に(かすみ)がかかる。一瞬、目が滲んだのかと思ったが違った。いつの間にか辺りには霧が立ち込めていた。


 ザクセンは目を見開いて上空を(あお)ぎ、絞るような叫びを上げた。「は、博士! なぜ!! 博士!! 理想郷(ユートピア)はまだ――」


 刹那、ザクセンは首筋から血潮(ちしお)を噴き上げた。絶望に囚われた表情で。


 自分の呼吸が乱れるのが分かった。きっとヨハンもレオネルも、セシルも同じだったに違いない。


 ザクセンは子供――(いな)子供だったもの(・・・・・・・)に首筋を噛み砕かれたのである。


 その子の爪はみるみるうちに鋭く伸び、身体は不安定に痙攣(けいれん)しながら人間の大人程度のサイズまで変異し――こちらを向いたその顔には、凶悪な牙が覗いていた。


 その姿は今まで何度も目にしてきた。世界に溢れる魔物の中で、最もありふれた存在。


 グールそのものだった。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。


・『ザクセン』→ハルキゲニアからの使者。笛の魔具を所有。詳しくは『98.「グッド・バイ」』にて

・『レオネル』→かつてハルキゲニアを魔物から守っていた魔術師。レジスタンスのメンバー。詳しくは『104.「ハルキゲニア今昔物語」』にて

・『ノックス』→クロエとともに旅をした少年。本来は『アカデミー』に引き取られたはずだったが、現在行方不明。

・『シェリー』→ハイペリカムで保護された少女。クロエによって『アカデミー』に引き渡された。ノックスと同様に、現在行方不明。詳しくは『94.「灰色の片翼」』、『98.「グッド・バイ」』にて

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