1017.「頂の縫合宮殿」
エントランス。翼状の階段。三方に伸びた廊下。わたしは入って正面の廊下を進みながら、無駄ばかりだと思った。ここにいる血族の気配はひとつだけ。なのにこの規模は過剰だ。それに床も壁も天井も雑多な建材を継ぎ接ぎしたものなので、豪勢なのはかたちだけ。
虚栄心。この小宮殿そのものが造り手の性格をありありと反映している。
やがて両開きの扉に到達すると、躊躇なく開け放った。
空席ばかりの長テーブルに座した二人の顔が、まっすぐこちらを向いている。片や渋面のルドラ。片や不敵な笑みを浮かべるヨハン。
「ノックも出来んのか、貴様は」
不平そうに言うルドラは、しかし瞳を輝かせている。甚だどうでもいいことだが、まだわたしを狙っているのだろう。もはや不可能と分かっていても見つめずにはいられないわけだ。隙あらば手を握ってくるかもしれない。まあ、別段かまわないけれど。
「これはこれは、お嬢さん」
近寄ると、ヨハンの笑みには多少ばつの悪そうなものが混じっていた。そしてわたしの身体を頭から爪先まで素早く視線で撫でる。
わたしがナルシスの外套を借りている経緯は知っているだろう。わたしの視界は半分彼に提供しているのだから。
ヨハンは上座のルドラにもっとも近い席に座っている。わたしはなんとなく彼の隣に腰を下ろした。
「察しがついているでしょうが、ここはルドラさんがご自身で造った宮殿です。不夜城内への血族の出入りは基本的に出来ませんので、閣下の糸の力で頂上まで昇って居をかまえたらしいです」
「不夜城への出入りは契約に含まれてなかったけど」
「ポールさんの指図ですよ。ルドラさんが頂上で寝起きするのを許したのも彼の判断です」
なるほど。ヴィハーンを隔離しておくためか。ほかの血族と接触して、やっぱりラガニアに帰るなんて話になれば困るだろう。せっかく手に入れた便利な手下をみすみす逃がすわけもない。
とは思うものの、自分の考えに感情が通っていないのは重々承知している。ヴィハーン側から露払いを頼まれた可能性もあろう。ひどく依存している様子だったから。人間と昵懇にしている姿を見られたくないと思うのは不自然ではない。
「みすぼらしい家だろう。宮殿と呼ぶには程遠い」とルドラは自嘲する。「儂の領地の宮殿とは比較にもならん。興味があるなら招待するが、どうだ?」
ルドラの皺だらけの丸顔を眺めた。衣服は上下ともに青地で、金銀の刺繍が服のひだに沿うように曲線的に描かれている。首飾りやら指輪、腕輪の類はどれも一級品に違いない。様々な宝石に彩られたルドラは、そうした財宝の数々で己の権勢を誇示しているつもりなのだろうけど、醜い老いを却って際立たせているとは思わないのだろうか。
「気が向いたら行くかもね」
顔を斜に向けて口の端を持ち上げる。金持ちの年長者の家に招待された経験はないが、断り文句も所作もこんな感じだと思う。
ルドラは大袈裟に「いつでもよい!」と声を張り上げて喜色満面になった。断られたと思っていないのか、それともわたしのコミュニケーションがまた失敗したのか。まあ、どちらでもかまわない。
敵相手に円滑なコミュニケーションとやらを試みる必要性は皆無だが、もうルドラは敵ではないのだ。かといって味方でもないけれど。微妙な立場の相手に自然体のわたしで接するのをヨハンが良しとするかは分からないが、表面上、感情があるように取り繕ってみた。
ヨハンはわたしに頷きを送ると、ルドラへ顔を向けた。
「さて、話の続きをしましょう。クロエお嬢さんがいてもかまわないでしょう?」
「かまわんが、貴様の提案は断ったばかりだ。話は終わっている」
「いいえ、終わっていません。そもそも貴方は断れる立場にいませんよ。こうして煙宿での自由と安全が保証されていても、実態は捕虜です」
なんの話だろう。普段ならどうでもいいから聞き流すけれど、相手は血族の貴族だ。今後の戦場での身の振り方についての話なら、わたしも把握しておきたい。
「ルドラさん、でいいかしら? ヨハンになにを吹き込まれたの?」
眉尻を下げて、心持ち身を乗り出してみる。ヨハンに聞いてもはぐらかされるかもしれない以上、聞くべき相手はひとり。
「メフィストは儂に新たな契約を迫りおった。戦後、儂を奴隷にする一方的な契約だ!」
「まあ、ひどい! ひとの心がちっとも分からないのね、ヨハンって。ほかになにか言われた? やっぱり戦争に人間側として参加してほしいとか」
「いや、戦時中の話は一切ない」
なんだ。じゃあ興味がない。わたしが身を引くのを見て、ルドラが慌てて手を伸ばしたが、彼の動揺はもちろん関心の埒外である。
「誤解しないでいただきたいのですが」とヨハンが溜め息混じりに言う。「私が要求したのは、貴方がラガニアに帰還したのち、私の要望をひとつ叶えるという内容です。奴隷にするつもりはありません。それに契約である以上、こちらも相応の対価をお渡しすると申し上げたじゃないですか」
「なにが相応の対価だ!」ルドラの口から唾が飛び、わたしの顔にかかった。「儂の貴品と金品に手出ししないことが対価になると本気で思っているのなら、貴様は盗人同然。会話する価値もない」
「ですから、貴方は捕虜です。身の安全は保証しても、身に着けているものはなにからなにまで我々の勝利報酬ですよ。それに手出しをしないと誓うのだから、貴方としては望ましいでしょうなあ。それとも、貴品もご大層な宝物も貴方にとっては無価値とでも?」
「そんなわけなかろう! 横暴だと言っているのだ! それに、要求をひとつ聞くというのも怪しい。なにをさせるつもりなのか分からん。そんな正体不明な契約に応じる馬鹿がどこにいる」
なんとなく状況が見えてきた。動機は不明だが、ヨハンはルドラを一度だけ支配する権利を得ようとしている。しかも戦後に。
「そんな契約をするくらいなら」と口を挟んだ。「もっといい契約があるわ。マヤと同じように、あなたたちも人間側として戦ってもらう。勝ったあかつきには、わたしをラガニアへ連れて行っていいわよ」
我ながら悪くない提案だろう。ルドラの執着心を刺激したのは、その顔に浮かんだ葛藤を見れば分かる。そして自分の身を差し出すのは、わたしにとってもメリットが大きい。戦時中にニコルを討ち、戦後に魔王を討伐する目的に適っているのだから。
だからヨハンが「それは無しですね」とあっさり切り捨てたのが腑に落ちない。
「ルドラの軍勢がいれば有利に立ち回れる。ニコルと対峙出来る可能性も増す」
「ニコル……?」とルドラが首を傾げた。
「今王都に向かってる血族の軍勢のなかにいるんじゃないの」
「いや、儂は彼の姿を目にしていない」
「最後に見たのはいつ?」
「ラガニア城での決起会が最後だったな。以後、儂らが一丸となって毒色原野を踏破する際にもその姿はなかった」
すると、血族の軍勢とは別個に動いているのか。しかし、どこで?
「戦争には参加してるのよね?」
「参戦すると言っておった。が、どこにいるのかは分からん」
ルドラの言葉と、シフォンから聞き出した情報に矛盾はない。確かに彼は戦場にいるのだ。居所が知れないというだけで。
ルドラは名残惜しそうにわたしを見つめ、深く息を吐いた。
「なんにせよ、クロエ。お前の提案にも乗れん。儂はこれ以上、ヴラド氏への裏切りを重ねるわけにはいかんのだ。マヤがお前らの勢力に加わるのも当然ながら本意ではない。ヴラド氏の目に入らぬうちに死んでくれれば……」
わたしを手に入れる以上に、ルドラは夜会卿との関係を優先しているらしい。散々迷った挙げ句の言葉だったが、翻すような気配はなかった。
現在王都に向かっている軍勢にニコルがいないとなれば、どこで出現するか。王都襲撃のタイミングで助力するとみるのが妥当か。彼の転移魔術ならば、どこにいても即座に王都まで移動出来るだろう。すると、結局のところわたしの行動は変わらない。王都を襲撃する血族の大軍勢に突っ込んでいくだけ。
わたし個人の交渉は決裂したわけだが、ヨハンは人差し指を立てて口を開いた。
「では、こんな契約はいかがでしょう。貴方が夜会卿に弓を引くことなく、しかしほぼ確実にお嬢さんを入手出来る契約です」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『縫合伯爵ルドラ』→黒の血族で、ラガニアの伯爵。領地に金鉱を有する老翁。夜会卿主催のオークションの常連であり、彼とは表向き親密な関係。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて
・『ナルシス』→王都の騎士団に所属している交信魔術師。自信家で演技口調。しかし交信魔術の腕前は送受信ともに優秀。また、元真偽師。観察眼と魔力察知にも長けている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『不夜城』→『煙宿』の中心にそびえる塔のこと。富裕層や要人が住まう。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より
・『煙宿』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。ゆえに人探しはご法度。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」「煙宿~②不夜城~」』にて
・『貴品』→血族たちの作り出した魔具。詳しくは『911.「貴品」』にて
・『マヤ』→縫合伯爵ルドラの次女。ルドラの指示で夜会卿に捧げられたが、兄であるアビシェクのみが殺害され、彼女は生かされた。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者だが、実は魔王と手を組んでいる。黒の血族だけの世界を作り上げることが目的。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。詳しくは『875.「勇者の描く世界」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『毒色原野』→人も血族も住まない荒廃した土地。グレキランスの人間は『中立地帯』と呼んでいる。夜会卿の統べる都市とキュラスとの中間に広がった荒野を指す。常に濃い靄に覆われており、毒霧が発生しているとの噂がある。霧は一定周期で晴れる。詳しくは『616.「高貴なる姫君」』にて
・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。戦争において簒奪卿の部隊に配属されたが裏切り、血族も人間も殺戮した。自分の感情も思考も持たず、ニコルに従っている。前線基地にてクロエに敗北し、彼女の命ずるまま、現在はシンクレールに従っている。風の魔術の籠もった貴品『シュトロム』を使用。実は騎士団長ゼールの養子。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』『幕間「或る少女の足跡」』『幕間「前線基地の明くる日に」』にて
・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。不死の力を持つ。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』にて
・『転移魔術』→物体を一定距離、移動させる魔術。術者の能力によって距離や精度は変化するものの、おおむね数メートルから数百メートル程度。人間を移動させるのは困難だが、不可能ではない。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて




