1013.「初老と少年と指輪」
不夜城へと向かう道中、見知った顔を見かけた。槍を背負い、身体のあちこちに包帯を巻いた少年と、彼を支えて歩く初老の紳士。前者は元騎士見習いのロットで、後者は元真偽師のジークムントである。
振り返ったジークムントがわたしに会釈をする。
「ご機嫌いかがですか、クロエさん」
彼につられてロットも足を止めて振り返った。
無視して先に進むことも出来る。例の無駄なコミュニケーションとやらも、ジークムント相手には無意味だから。それでも立ち止まったのは、気になる代物を見出したからだ。ロットが所持している槍が魔具であるのは知っている。今は亡きシーモアの遺品だ。それとは別種の魔力が彼のズボンのポケットに視えた。小さいが、質のいい魔力。槍とは別の魔具だろう。
ジークムントに笑みを向ける。
「ええ、元気いっぱいよ。見ての通り、いつもの感情豊かなわたしでしょ?」
彼が怪訝な顔をしたのも無理はない。全部嘘だと見抜いたことだろう。
別にわたしの変調はバレてもいい。それで問題が起こることもなかろう。嘘を言わずに済ますよりは、初手で真実と逆の事柄をぶつけてしまえば、あとのやり取りはスムーズにいくはずだ。感情がないことを知って、遠ざけるような人格ではないと思う、ジークムントは。
案の定、彼は「それはなにより」と返した。声にも顔にも多少の鬱気があるのは仕方ない。
ロットは「お久しぶりです」と頭を下げた。彼と会うのはトリクシィによる煙宿襲撃の夜以来だ。戦前は方々を飛び回っていたし、血族がグレキランス一帯に入ってからはほとんど不夜城の頂上にいたので、顔を合わす機会はなかった。トリクシィ襲撃のときにはぶっきらぼうな言葉遣いだったのに、今は敬語になっているのは、わたしが王都の裏切り者ではないと広く知られたからだろう。まあ、尊重されようとされまいと、どちらでもかまわないけれど。
「久しぶり、ロット。あなたも勇敢に戦ったみたいね。傷は大丈夫?」
「まだ痛みますけど、平気です」
「そう。魔物にやられたの?」
「いえ、血族と戦ったときの傷で――」
それからロットは、昨晩の戦闘について語ってくれた。といっても、元騎士見習いたちとジークムントの総勢でルドラの長女ラニに立ち向かったという、ごく手短な説明だが。
自然とわたしと彼らは歩度を同じくして大通りを行きつつ、会話した。
「随分手強かったんじゃない?」
「はい。俺だけじゃ絶対に勝てませんでした。それに――」
「それに?」
ロットは隣のジークムントを見上げ、下唇を噛む。そんな彼を励ますように、初老の紳士は片手を背に添えていた。
「それに、水蜜香……あれがなきゃ、立ち向かう勇気すら持てませんでした」
水蜜香という単語を口にした瞬間、ロットの身体が震えた。目がぐらぐらと揺れている。足取りも不安定になった。それを、ジークムントがしっかりと支えている。
それから彼は、堰を切ったように自分とラニのたどった顛末を早口で捲し立てた。彼女を倒すつもりであえて拝跪し、特別に檻から抜け出せたにもかかわらず、恐怖に負けて身体が動かなかったこと。不夜城のバーで水蜜香を吸引して、恍惚のうちに俄に勇気を取り戻してラニを突き落としたこと。およそ半日ほど忘我状態にあったが、不夜城膝下で彼女と再び相まみえたこと。そのときには水蜜香の第二の症状のおかげで、本来以上の動きで戦闘出来たとのことである。ただ、それでもおよばなかった。元騎士見習いの仲間たちとジークムントが加勢してもなお。
「俺たちは力を合わせて、ラニの鏡の魔術を打ち破ろうとしたんです。実際、あと一歩のところまで追い詰めました。でも、決着をつけたのは俺たちじゃありません」
曰く、マヤが乱入し、ラニを一方的に嬲ったんだとか。マヤとアリスがともに行動していたあたり、裏切るよう仕向けられたのだろう。もっとも、裏切るだけの理由があったこともジークムントが捕捉した。異常なまでの姉妹の確執。
「どうあれ、大変だったわね。本当にお疲れ様」
ジークムントはわたしが喋るたび、長いまばたきをする。偽りの言葉を真横で耳にし続けるのは苦々しいものだろう。知ったことではないが。
それにしても、鏡の魔術か。見たことも聞いたこともない。魔具で実現している以上は魔術の一種であるのは確かだ。魔術を独自に発展させたモグリの職人による品かもしれない。しかも、聞く限りかなり応用性に優れた一級品。
「ポケットにあるのは、その指輪の魔具?」
わたしの問いかけにロットは目を丸くした。そしてさっとポケットを守るように押さえる。
「そうです」
「大事な戦利品ね」
ロットは頷き、下唇を噛んだ。
わたしが気にしているのはひとつだ。どうすればその魔具を自分のものに出来るか。ここにヨハンがいれば上手く交渉出来ただろうが、生憎彼はいない。
正直なところ、サーベルひとつでも充分ではある。とはいえ、今後対峙する敵がどのような戦法を取ってくるかは未知だ。わたしのサーベルは基本的には攻撃面に特化しており、防御は心許ない。保険として第二の魔具を持っておくのもありだろう。
どう説得しようかと考えているうちに、ジークムントが口を開いた。
「これからラニのところへ行くのですが、貴女も来ますか?」
「ええ、ぜひ。でも、なんの用事?」
「ロットたっての希望です」
その理由がロットの口から語られる前に、二人は足を止めた。すでに目と鼻の先に不夜城がある。二人は不夜城膝下のごつごつと建て増しされた石造りの建造物へと向かっていった。
いくつもの廊下を曲がり、三階の一室にわたしたちは居る。一見すると応接室のような場所で、いくつかのソファや椅子が、唐草模様の薄い絨毯の上に配されていた。ジークムントとロットはソファに腰かけ、わたしは二人の背後に立っている。さながら護衛のように。
そうするだけの理由はある。なにしろ、この部屋には五人ほど鎧姿の屈強な血族がおり、ここまでの道中で何人も彼らの姿を見かけた。ラニへの面会を望み、一旦この応接室に通されたのである。危害を加えられるおそれはまったくないものの、ここにいる血族は一様に威圧的な態度だった。おそらくラニの側近なのだろう。
一般の血族とは別に、ルドラや彼の実子は特別に不夜城付近の滞在を許されている。この建造物は丸々一棟、ラニとその手下の住居になっているらしい。
やがて応接室の扉が開かれ、ラニが姿を現した。面会するかどうかは彼女の意向次第と聞いていたのだが、会う気になったらしい。
彼女は振り返ったわたしたちを睨んだものの、すぐ真顔になって、弱々しい足取りで向かいのソファに腰を下ろした。音もなく座り、べったりと背をもたれている。頑なに目を逸らし、憂鬱な顔をしていた。口が震えながら開きかけては、真一文字になるのを繰り返している。きらびやかな服飾に似合わず、陰鬱な雰囲気を湛えていた。
ジークムントが咳払いをひとつして口火を切る。
「まずは、唐突な訪問に対応してくれて感謝する。先般承知の通り、この町ではもはや人間と血族は争うことなく、対等な立場にある。遺恨は消えないにしても。ゆえに、腹を割って話そう。といっても、対話するのは吾輩ではなく、貴女とロットだが。対等な立場ゆえ、先に明かしておくと、吾輩は虚実を見抜く魔術を使える。お互いの言葉の真偽を誠実に判定すると誓おう。嘘があれば、失礼ながら即座に口を挟ませてもらう」
ジークムントの判定自体を担保するものはなにもない。彼自身が嘘をつけば判定もなにもないのだ。元真偽師としての矜持など、相手が斟酌するわけもない。
ラニはジークムントを気怠げに眺めてから、やがてロットへと視線を移した。
「なんの用?」
掠れた震え声。本来の彼女の声は知らないが、おそらく自然体ではないだろう。ロットの話を聞く限り、彼女は度外れに高慢なサディストだ。
彼女の変調の理由もすでに聞きおよんでいる。魔術に焦がれ、しかし魔術を扱えなかった彼女にとって唯一の宝物が指輪の魔具なのだ。それを失ったからこそ、覇気の一切を失っているに違いない。
ロットは彼女を真っ直ぐ見やり、息を吸った。
「不夜城を登ってるとき、躓きそうになった俺を支えたのを覚えてるか?」
「え? ええ、なんとなく」
「なんで支えたんだ? 俺が転んだら巻き込まれると思ったから?」
ロットの問いに、ラニはしばし黙考したのち、かぶりを振った。
「覚えてないわ。咄嗟だったもの」
返事を聞いたロットが、隣のジークムントを見やる。初老の紳士は浅く頷いて口を結んだままである。つまり真実というわけだ。
「お前は本当にひどい奴だと思う」ロットは落ち着いた口調で語る。「他人をなんとも思ってない。平気で残酷なことをするし、最低だ」
でも、と言ってロットはポケットに手を入れた。
握り込んだ拳をラニへと突き出し、手のひらを見せる。
「でも、俺はひどいやつにはなりたくない。大事な物を奪ったままでいるなんて気分が悪いから。もう誰も傷付けたりしないって約束してくれ。そしたら――」
この指輪は返す。
ロットの手のひらに乗った、瞳をモチーフにした銀の指輪がきらめいた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『不夜城』→『煙宿』の中心にそびえる塔のこと。富裕層や要人が住まう。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』にて
・『ロット』→騎士団に入ったばかりで、実践経験を持たない少年。入団早々、騎士団員すべての追放が決まったことに強い憤りを感じている。自覚していないが、防御魔術の才能がある。トリクシィによる『煙宿』襲撃で、シーモアに救われた。現在、シーモアの使用していた槍の魔具『蒼天閃槍』を所持している。詳しくは『幕間.「王都グレキランス ~一縷~」』『第二章 第七話「追放騎士」』にて
・『真偽師』→魔術を用いて虚実を見抜く専門家。王都の自治を担う重要な役職。王への謁見前には必ず真偽師から真偽の判定をもらわねばならない。ある事件により、真偽師の重要度は地に落ちた。詳しくは『6.「魔術師(仮)」』『261.「真偽判定」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ジークムント』→初老の真偽師。王への謁見前に、クロエを真偽判定にかけた。謁見中の事件により、王都追放の処分を下された。詳しくは『261.「真偽判定」』『幕間.「王都グレキランス ~追放処分~」』にて
・『五月雨のシーモア』→騎士団ナンバー5の男。槍の魔具使い。魔術師であるが、同時に魔具使いでもある。普段は魔力を身体の奥に隠しておき、魔具の暴発を防いでいる。トリクシィに敗北し、死亡した。詳しくは『366.「落下流水」』『幕間.「王都グレキランス ~騎士と真偽師~」』『第二章 第七話「追放騎士」』にて
・『魔具』→魔術を施した武具のこと。体内の魔力が干渉するため魔術師は使用出来ないとされているが、ニコルは例外的に魔術と魔具の両方を使用出来る。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『落涙のトリクシィ』→騎士団ナンバー3の女性。涙を流しながら敵を蹂躙する。見習い騎士に圧力をかけて精神的にボロボロにすることから、「見習い殺し」の異名も持つ。傘の魔具「深窓令嬢」の使い手。王都を裏切ったクロエとシンクレールを討ち取ったことになっている。大量の魔物による王都襲撃以降、生死不明。詳しくは『92.「水中の風花」』『250.「見習い殺し」』『幕間.「王位継承」』にて
・『煙宿』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。ゆえに人探しはご法度。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」「煙宿~②不夜城~」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『縫合伯爵ルドラ』→黒の血族で、ラガニアの伯爵。領地に金鉱を有する老翁。夜会卿主催のオークションの常連であり、彼とは表向き親密な関係。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて
・『水蜜香』→微睡草と呼ばれる、麻痺毒を持つ植物を刻んで干したもの。燻した煙を吸引することで、酩酊状態に誘う。中毒性が強く、量を誤れば廃人となる場合も。『煙宿』で生産された水蜜香が、王都の歓楽街に密輸されている。詳しくは『393.「甘き煙の宿場町」』にて
・『マヤ』→縫合伯爵ルドラの次女。ルドラの指示で夜会卿に捧げられたが、兄であるアビシェクのみが殺害され、彼女は生かされた。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。実は防御魔術のエキスパート。王都の歓楽街取締役のルカーニアと永続的な雇用関係を結んだ。ラガニア随一の魔術師ヘルメスに弟子入り。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』『Side Alice.「ならず者と負け戦」』にて




