1011.「同じ姿の別人」
白色の永久魔力灯に照らされた空間は、樟脳の匂いが漂っていた。そう狭くもない一室なのに、衣装が列を成しているせいで実際以上に圧迫感がある。壁際の大振りな作業台には型紙やら鋏が乗っていて、壁にはいくつもの引き出しが備え付けられていた。反物が山と積まれたエリアもある。
この場所は針屋の一角で、ココの衣装部屋兼作業部屋だ。そこでわたしは、素っ裸になって両腕を水平に伸ばしている。ココはわたしの周囲を忙しなく動き回り、様々な部位に紐状の器具を当てたり巻き付けたりしながら目を輝かせていた。
名無亭での食事を終えて、ココに衣装の製作を依頼したところ、快諾してくれたのはなによりである。最悪、ありあわせの適当な服でも良かったけれど、どうせなら彼女に見繕ってくれたほうがいい。魔術製の衣服の専門家と言ってもいいのだから。
わたしが依頼したのは『燃えない服』だ。その程度ならば既存の衣装に手を加えれば半日で仕上がるとココは言っていたのだが、こうして採寸しているのは彼女のプライドゆえだろう。動きやすければなんでもいい。デザインも気にしない。そう口にしたわたしに、ココはお冠だった。
『とびきり動きやすくて、邪魔にならなくて、最高にオシャレな服ならいいでしょ!』と挑みかかるように詰め寄られたものだ。オシャレかどうかはどうでも良かったが、瞳を燃やすココに、これ以上なにも言うまいと頷いたのである。
かくして針屋へと赴いたのだが、ナルシスとスピネルはともかくとして、そこにハリッシュまで付いてきた。なんでも、ザッヘルに謝罪とお礼を言いたいのだと。
『針屋』と看板の出ている家屋は相変わらず迷路のような造りだったが、以前のような静けさはなかった。始終どこかでひとの声が絶えない。針姐に墨の魔術を施されている者もいれば、血族に寝床を提供してもいるんだとか。いつの間にそんなことが決まったのかは定かではない。おおかたポールが根回ししたのだろう。人間の兵士たちだけであれば不夜城で賄いきれるが、血族たちの部屋まで用意するとなると物理的にスペースが不足しているようで、煙宿中の家屋がほぼ総動員されることになった運びである。魔物の被害を受けた家も多いため、部屋数の余りがちな針屋にも白羽の矢が立ったわけだ。
今頃ナルシスとスピネルは針屋の二階で睡眠を摂っていることだろう。人間や血族も同様だ。煙宿制圧から今に至るまで一睡もしていない者も多いと、名無亭で名も知らぬ女性の血族が教えてくれた。ココも寝不足らしく、針屋への道中では欠伸をしていたものの、今は真剣そのものの様子で採寸に励んでいるあたり、職人の胆力を感じさせる。
ふと、ハリッシュのことを思い浮かべる。針屋に入ってすぐ、ココはわたしたちを伴って彼を香の焚かれた一室に導いた。薄い寝具に横たわったザッヘルは深く寝入っているらしく、わたしたちが室内に入っても起きる気配がなかった。右腕は包帯でぐるぐる巻きにされ、添え木で固定されている。激しく損傷したのは疑いようがない。ハリッシュは彼の寝床のそばに端座し、起きるのを待つ旨を告げた。彫像のごとく動かない四本腕の血族を残して、わたしたちは一室をあとにしたのである。
仮にザッヘルが起きたとしても、コミュニケーションの手段がないのは聞きおよんでいる。ハリッシュは文盲で、ザッヘルは啞だ。針姐が様子を見に来れば、仲介役にはなってくれるだろう。ただ、声や文字だけが言葉ではない。ある種の仕草や表情、身振りも言葉と見做していい。ヨハンの扱う手話がそうだったように。
「はい、採寸終わり! あとは生地だけど、こっちで選んじゃうからね」
ココは額の汗を拭い、満面の笑みを浮かべた。
「ええ、お願い。それまでは替えの服を着てるから」
無事だった布袋から、以前ココに貰った黒いブラウスとスカートを身に着ける。少し前までのわたしは、この服に随分とはしゃいでいたっけ。今は少しも心が弾まなかった。当然のごとく。
「明日の朝までには出来上がるから、出発前にまたこの部屋に寄ること。いい? 忘れたらココちゃんぷんすかだよ!」
「大丈夫、忘れない」
今わたしの着ている服と違って、ココが作ろうとしているのは魔道具だ。その存在を忘れ去るなんてあり得ない。たった一日で完成するのかという疑問はあれど、それはココの腕次第だろう。完成しなければ諦めるほかない。
ふと思い立って、言葉を繕った。
「ココ。あなたも眠いんじゃない? 無理しなくても大丈夫だから」
以前のわたしなら、彼女の負担を気遣ったはずだ。
極力以前と同じようなコミュニケーションを取るというヨハンとの約束は忘れていない。
「平気平気」とココは歯を見せてピースサインをする。それから、少しだけ顔が陰ったように見えた。「今のお嬢にぴったりな服を仕上げてみせるから」
「それじゃ、お願いね」
そう言い残して、さっさと踵を返す。
今の言葉で分かったけど、ココはおそらく、わたしが決定的に変化したことを悟っている。いつの時点で気付いたのかは不明だが、それでもココの態度にはなんの変化もないあたり、ほかの人々とは性質が異なるのだろう。とはいえ、内心がっかりしているはずだ。今のわたしは、ココと知り合って仲良くなったときのわたしとは違う。顔かたちだけ同じの、まったくの別人。それを同一視するなんて無理は話だし、同じに扱ってほしいなんて思っていない。もはや周囲の物事の大部分は、どうであろうと興味がないのだから。
わたしの背にココの声が追い縋って、少し足が止まった。
「お嬢がどんなお嬢でも、親友だからね」
「ありがとう。嬉しい」
たぶん、わたしの返事は間違ってなかったはずだ。思ってもいないことだとしても。
ナルシスとスピネル、そしてわたしのあてがわれた部屋は、以前針屋に逗留したときと同じ部屋である。窓があり、大通りを見渡せる部屋。隅っこでスピネルが丸くなって眠っており、その隣ではナルシスが薄い寝具を敷いて静かに目を閉じている。部屋に入っても返事がなかったあたり、彼も寝ているのだろう。
暇になったので窓を開け、なんとなしに通りを見下ろす。
兵士が煙宿を発つのは明日の朝と決まっている。わたしはそれよりやや遅れて、スピネルの翼でヨハンやナルシスとともに出発する。現在、血族がグレキランスに侵攻して九日目の昼だ。ルドラ以外の血族の部隊が煙宿を過ぎてグレキランスを目指したのが七日目の夜。今夜には、敵方はグレキランスの鼻先まで到達するというのがヨハンの読みだ。そして攻勢をかけるのが翌日の晩という計算。
この町からグレキランスまでは、徒歩でも半日で行ける。血族は魔物を伴って行軍しており、進めるのは魔物の時間から夜明けまでのおおむね六時間強。計算としては間違っていないだろう。
煙宿から出兵するのは無事な人員だけと決まっている。本来ならカシミールやレオンが筆頭だったが、生憎二人とも連れて行くわけにはいかないくらいの負傷だ。元騎士見習いたちも同様である。それでも三千以上の人員が敵方の背後を取れるのは大きい。
どうせならルドラたち血族もまとめて離反者として連れていけばいいのにと思う。キュクロプスの背中に籠かなにかを取り付けて走らせれば、一気に距離を縮められるし勢力も申し分ない。それでもヨハンが良しとしなかった。マヤの参戦さえ渋っていた向きもある。なにか考えでもあるのだろうが、そのあたりはあとで問い詰めよう。普段ならヨハンの好きにさせておくところだが、敵の中心的な軍勢が相手とあってはわたしも無視出来ない。そこにニコルがいる可能性も高くなるから。
ナルシスとスピネルはまだ眠っている。二人と一緒に行動するよう命じられているものの、別段遵守する必要もなかろう。
こうして暇を持て余すのも無駄だ。やっぱりヨハンを探そう。
簡単な書き置きを残して、わたしは針屋を出た。ヨハンの本体がいるとしたら不夜城だろうと思ってそちらに足を向けたところで、声が飛ぶ。「おい!」とぞんざいな声が。
見ると、いかにも気弱そうな顔のくせに、恵まれた体型の女性が、血族の男の腕に絡みついている。
血族のほうは見覚えがあった。契約の場にいた、棍の魔具を手にしていた男。衣服は着替えたらしく、血の痕はない。
ルドラ軍の主要人物については、契約後にヨハンが問わず語りに教えてくれた。
女に絡みつかれて目を血走らせている男は、ルドラの長子クマールである。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『永久魔力灯』→魔力を施した灯り。光度や色調は籠められた魔力に依存する。魔道具。詳しくは『38.「隠し部屋と親爺」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『ココ』→『煙宿』にある針治療の店『針屋』に居候する女性。気さくで明るく、演技が達者。魔術の才能があり、得意の裁縫と組み合わせ、魔力を織り込んだ衣服を作る。魔力の糸を断つのも結ぶのもお手の物。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』『450.「復路の梟」』にて
・『針屋』→『針姐』が『煙宿』で営む針治療の店。刺青を彫り込む仕事も請け負っている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』にて
・『名無亭』→『煙宿』に存在する、銅貨一枚で一食分を提供する激安食堂。詳しくは『397.「名無しの朝餉 ~ようこそ『煙宿』へ~」』にて
・『スピネル』→二度目の『霊山』来訪で出会った、薄黄色の鱗の竜人。臆病で、長いものに巻かれる性格。クロエが無理やり『霊山』に押し入ったことにより、門番をしていた彼も裁きを受ける手はずになっていた。クロエが竜人の族長となったことで無罪放免となり、それから彼女を「至高の星」と呼んで心酔し、自ら下僕関係を望んだ。「至高の星」とは、竜人を含めた世界全部を良くする存在なんだとか。詳しくは『第四章 第二話「幻の森」』にて
・『ナルシス』→王都の騎士団に所属している交信魔術師。自信家で演技口調。しかし交信魔術の腕前は送受信ともに優秀。また、元真偽師。観察眼と魔力察知にも長けている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『ザッヘル』→『針姐』の旦那。身体能力を強化する墨を身体に彫り込んでいる。被虐嗜好。喋ることが出来ないので、筆談でコミュニケーションを取る。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』にて
・『針姐』→『煙宿』で針治療の店を営む、本名不詳の女性。派手な着物姿。語尾の上がる独特の喋り方をする。ザッヘルの妻。食後に、煙管で水蜜香を一服するのが好き。魔力を込めた墨を彫り込み、対象に強化魔術を付与することが出来る。ただし、墨は能力の使用や時間経過に応じて肉を蝕む。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』にて
・『ポール』→『煙宿』の創始者。水蜜香の中毒者であり、娘を溺愛していた。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~②不夜城~」』にて
・『不夜城』→『煙宿』の中心にそびえる塔のこと。富裕層や要人が住まう。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『煙宿』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。ゆえに人探しはご法度。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」「煙宿~②不夜城~」』にて
・『魔道具』→魔術を施した道具。魔術師であっても使用出来る。永久魔力灯などがそれにあたる。詳しくは『118.「恋は盲目」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『縫合伯爵ルドラ』→黒の血族で、ラガニアの伯爵。領地に金鉱を有する老翁。夜会卿主催のオークションの常連であり、彼とは表向き親密な関係。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて
・『レオン』→ビスクの婚約者。人形術を得意とする魔術師。独り言が多く、コミュニケーションに難がある。カシミールの弟であり、マダムの息子。三人とも血の繋がりはない。『黒の血族』のオークションでマダムに落札された。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~②不夜城~」』にて
・『カシミール』→マダムの養子であり、レオンの兄。血の繋がりはない。粗暴な性格だが、料理の話になると打ち解ける。人形術により自身の肉体を強化する技を得意とする。現在は『煙宿』で料理人をしている。詳しくは『第二章 第五話「ミニチュア・ガーデン」』にて
・『キュクロプス』→巨人の魔物。『51.「災厄の巨人」』に登場
・『マヤ』→縫合伯爵ルドラの次女。ルドラの指示で夜会卿に捧げられたが、兄であるアビシェクのみが殺害され、彼女は生かされた。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者だが、実は魔王と手を組んでいる。黒の血族だけの世界を作り上げることが目的。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。詳しくは『875.「勇者の描く世界」』にて
・『魔具』→魔術を施した武具のこと。体内の魔力が干渉するため魔術師は使用出来ないとされているが、ニコルは例外的に魔術と魔具の両方を使用出来る。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて




