142.「最低な悪夢だろうとも」
ザクセンは悠々と子供の頭を撫でる。撫でられた子の目は虚ろで、なんの反応もなかった。
「私は子供が好きではないんです。勝手に騒いで、勝手に動いて……全く嫌になってしまう。けれど、この魔具のお蔭で随分と可愛く思えるようになりました」
わたしたちは沈黙を守っていた。返答するだけ徒労である。
「魔笛ハーメルン……博士は素晴らしい魔具を授けて下さいました。あなたたちのような甘い幻想に足を取られている敵を相手にするには絶好の道具です」
明確な煽りは意識しないようにしながら、他の要素だけを取り出す。「博士?」
「ビクターをご存知ないのですか?」
その問いに答える気はなかった。
彼の言葉通りだと、ビクターはザクセンに魔具を提供したのだろう。都市を覆う防御壁を造り上げるくらいの職人なら、洗脳魔術の籠った魔具製造だって簡単にこなしてしまうかもしれない。
ハルキゲニアで目にした魔具や魔道具を思い出す。防御壁、等質転送器、市民街区の噴水、永久魔力灯。『黒兎』の魔力写刀、『帽子屋』の奇術帽、そしてザクセンの魔笛ハーメルン。その全てが魔力の出力や制御も含め、適度に整っていた。『親爺』の製造した魔具の粗い魔力と比較すると、明らかにコーティングされている。
考えたくないことではあったが、ビクターはコーティング技術を持っているのだろう。本来は工房でしか使用出来ない秘匿された技術を習得しているのだ。
女王とともに『鏡の森』で発見されたとすると、ビクターも追放者と見て間違いない。なんとなく彼の追放理由が想像出来た。
魔具の密造。大方そんなところだろう。
「だんまりですか。まあ、いいでしょう。あなたがたには博士が帰還するまで大人しくしてもらいます」
エントランスへの扉付近から、絶望に喘ぐ「あ、あ、嫌……」という声がした。
ザクセンは好奇の目をそちらのほう――セシルへと向ける。
「セシルさん……裏切りはご法度ですよ。なにぶん、秘密の多い仕事ですからね……。しかるべき罰を受けてもらいましょう。きっと博士は飛び切り素敵なサプライズをしてくれると思いますよ。愉しみですね」
「嫌……やだ……」
セシルの荒い呼吸が広間に反響する。その涙声には、本心からの恐怖が宿っていた。理由は分からないが、セシルをビクターに引き渡すわけにはいかない。もしそいつがザクセン以上に卑劣で醜悪な性格をしているのなら、どんな目に遭うか分からないから。
セシルの啜り泣きに、ザクセンはうっとりと目を細めた。まるで優美な音楽でも聴くかのように。
これほどの悪党なら、ハイペリカムでノックスとシェリーと別れる際、ヨハンが虚言を見抜けなかった理由も頷ける。こいつは本心から『アカデミー』を素晴らしい施設だと思い込み、その心酔ゆえ、嘘は真実に近い音色で響いたのだろう。
「ザクセン」
ヨハンの静かな声が啜り泣きを裂いた。
ザクセンはニッコリと笑顔を浮かべて首を傾げる。「なにかご用でしょうか?」
「あなたは後悔する。そう遠くない未来に」
いい話し相手を見つけた、とでも言うようにザクセンはニヤついた。「どうしてそう言い切れます? 私は私自身のおこないを心の底から正しいと思っていますよ。後悔なんてありえない」
「ビクターにとってあなたはどれだけの価値がありますか? 捨て駒でしかない」とヨハンは吐き捨てるように発した。
ぴくり、とザクセンのこめかみが震える。
「……それは博士にしか分からないことです。それに、私は有能に働いている。捨て駒と見るのは結構ですが、所詮ただの遠吠えです」
押し殺すような笑いが広間に響く。くつくつと、愉快そうに。ヨハンの邪悪な笑いだ。「素っ裸で縛りあげられて広間に放置された間抜けをビクターがどう評価するでしょうね」
「ふん……随分と豊かな妄想ですね。まるでこの状況をなんとか出来るとでも思っているみたいだ。やはり、遠吠えにしか聴こえませんね。それとも、子供を犠牲にするつもりですか?」
「私はそこまで悪党ではないですよ」
ヨハンの返答に、ザクセンは不機嫌そうに舌打ちをする。「なら、所詮妄想ですね」
「……試してみるか? ザクセン」
ぞっとするほど低い声色。
背後のヨハンを一瞥し、どくん、と心臓が高鳴るのを覚えた。彼の身体の中心に魔力が集まっていくのが見えたのだ。
その魔力は煌々と輝きを増し、そして弾けた――。
魔力の波は広間全体へ伝播していく。それがわたしの身体を通り抜ける際に、僅かな痛みを感じた。
ザクセンの身体にも痛みが走ったと見えて、短い呻きが上がった。そして彼は目を見開いて叫ぶ。「なにをした!?」
わたしのすぐ隣を通り抜ける風を感じた。その刹那――ザクセンへと一直線に駆けるヨハンが見えた。
呆気に取られてしまって、なんの反応も出来ない。ヨハンは子供が危険にさらされるリスクを承知で駆けた?
いや、違う。擦れ違った彼の横顔には、悪意に満ちた微笑がこびりついていた。勝利を確信したときの態度――。
直後、ザクセンの笛が鳴り響く。「首を掻き切れ!!」
――しかし、惨劇は訪れなかった。それどころか、子供だちは脱力したようにその場にへたり込んだ。
「お前、なにを――」と言いかけたザクセンの前には、既にヨハンが迫っている。
ヨハンは軽く跳び上がり、ザクセンの顔目がけて痛烈な蹴りを放った。呆気に取られたザクセンの防御は、当然のことながら間に合わない。
――鈍い音が響き渡る。
ザクセンは数メートル転げ、鼻を押さえてヨハンを見上げた。
「まだ気分は晴れませんねぇ。どうも一発じゃ足りないようだ」
いかにも悪党じみた口調で呟いたヨハンを全力で称賛したい気分だ。ヨハンの魔術によって窮状は一変したのである。
サーベルを拾い上げ、ザクセンへと歩み寄る。
先ほどの魔術について考えるのは後回しだ。今は徹底的に叩きのめしてやらないと気が済まない。
鼻血を流してよろよろと立ち上がろうとするザクセンの脇腹を、ヨハンは蹴りつけた。彼はごろごろと転がり、苦し気に喘ぐ。当然の報いだ。
地を這うように逃げまどうその首筋にサーベルを当てた。短い悲鳴を上げて、彼の動きが止まる。
「どうかしら? 恐い?」訊くと、ザクセンは震える瞳でこちらを見上げた。
憎たらしい。立場が変われば恐怖に怯える小心者……。「あなたが言ったように、わたしは甘くて優しい女の子よ。――でも、あなただけは許さない」
サーベルを振り上げ、たっぷりと恐怖を与えてから、首筋へ振り下ろした。
ぱっ、と赤い血が舞って、ザクセンが白目を剥く。
「……臆病者」
呟いて、床に落ちた魔笛ハーメルンを拾い上げた。
笛に括られた首紐を切っただけで簡単に気絶するなんて……。おまけとして、ちょっぴり首の皮を切ったけれども。
魔具を見つめると、やはり見事なコーティングがなされていた。適切な魔力量が維持されている。
笛を放り投げ、サーベルを引いた。どれだけ便利な魔具であろうと、こんな物存在させておいてたまるか。
一閃。
固い手応えののち、笛が砕け、膨大な魔力が空中に散っていくのが見えた。
「ありがとう……お蔭で助かったわ」
言うと、ヨハンは肩を竦めて見せた。「なに、私も我慢の限界だっただけです」
そう返して自分の足をさする彼に、心から感謝した。これで子供を解放することが出来る。少なくとも、この広間でザクセンの下品な操作にかけられた子供たちは。
最低な悪夢だろうと、いつかは終わりが来る。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ザクセン』→ハルキゲニアからの使者。笛の魔具を所有。詳しくは『98.「グッド・バイ」』にて
・『等質転送器』→拡声器型の魔道具。声を均等に届ける道具。詳しくは『118.「恋は盲目」』にて
・『永久魔力灯』→魔力を施した灯り。光度や色温度は籠められた魔力に依存する。魔道具。詳しくは『38.「隠し部屋と親爺」』参照
・『黒兎』→ナイフを複製する魔具『魔力写刀』の使い手。残忍な性格。詳しくは『127.「魔力写刀」』にて
・『帽子屋』→ハルキゲニアの騎士団長。魔力察知能力に長けている。シルクハットの魔具『奇術帽』で戦う。詳しくは『137.「帽子屋の奇術帽」』にて
・『親爺』→アカツキ盗賊団の元頭領。彼が製造した武器がクロエの所有するサーベル。詳しくは『40.「黄昏と暁の狭間で」』にて
・『コーティング』→魔具の出力を整えるための技術。王都では魔具工房のみで継承されている門外不出の技術とされている。詳しくは『26.「アカツキの見る世界」』にて
・『鏡の森』→ハルキゲニアの北に位置する海峡を渡った先の森。初出は『104.「ハルキゲニア今昔物語」』
・『ハイペリカム』→ハルキゲニアの手前に位置する村。第三話「軛を越えて~③英雄志望者と生贄少女~」の舞台
・『ノックス』→クロエとともに旅をした少年。本来は『アカデミー』に引き取られたはずだったが、現在行方不明。
・『シェリー』→ハイペリカムで保護された少女。クロエによって『アカデミー』に引き渡された。ノックスと同様に、現在行方不明。詳しくは『94.「灰色の片翼」』、『98.「グッド・バイ」』にて
・『アカデミー』→魔術師養成機関とされる場所。詳しくは『54.「晩餐~夢にまで見た料理~」』『121.「もしも運命があるのなら」』にて




