141.「ハルキゲニアの笛吹き男」
彼の顔を見て、一瞬のうちに怒りが沸騰した。ノックスとシェリーを『アカデミー』に連れ込んだ男――ザクセン。『アカデミー』が魔術師養成機関でないと知りながら幼子を定期的にハルキゲニアへと招き入れた二枚舌。
胸が痛んだ。無論『黒兎』戦の傷のせいではない。
ザクセンの嘘を見抜けなかった自分の愚かさが呪わしい。
「おや、お久しぶりですね。あのときはどうも」
素っ気なく返すその顔を殴り飛ばしてやりたい衝動に駆られる。気が付くと拳を握り、全身に力が籠っていた。
サーベルを抜き去る。
「ザクセン……『アカデミー』は魔術師を育てる施設じゃなかったの?」
無意味な問答と知りながら、訊かずにはいられなかった。
ザクセンは苦笑を浮かべて頭を掻く。「騙すようなかたちになって申し訳ない。しかし、こちらにも事情がありましてね」
事情があろうとなかろうと、そんなものは問題にならない。
「ここでなにが行われているの?」
務めて冷静に言ったつもりだったが、耳に返ってきた自分の声は随分尖っていた。怒りが抑え切れていないのだろう。
「それはあなたがたが知るべきではありません。ひとつ言えるのは、未来への布石を打っているということでしょうか」
未来への布石。
その言葉の意味について説明する気はないようだった。こちらとしても強いて追及しようとも思わない。きっとおぞましく、そして身勝手な考えに違いないのだから。
「あなたたちの下らない考えに子供たちを巻き込まないで」
「おや、子供を提供したのはそちらでしょう? 我々がどう使おうと本来関知すべき事柄ではありませんよ」
やはり、無意味な問答だ。聞けば聞くほど腹が立つだけ。ザクセンの思惑がどうであれ、『アカデミー』に関与している以上敵でしかない。
「気を付けて下さい……。彼はハルキゲニアの騎士です……」
セシルは恐る恐るといった口調で言った。『ユートピア号』の馭者であっても騎士と呼ばれているわけか。すると、事前にセシルが伝えた常駐の騎士というのはザクセンのことなのだろう。
本来『ユートピア号』と共に『最果て』各地を回っているはずの彼がここにいるということは、一旦子供の招集はストップしているのだろうか。それとも、レジスタンスの動きを察知してザクセンを『アカデミー』に留めたのか。
いずれにせよ、打ち倒すべき存在には変わりない。
ザクセンの指が、その首から下がった紐――否、そこに括られた笛に触れる。
彼が笛を吹くと、箱を漁っていた子供たちが横一列に隊列を組んだ。その手にはナイフが握られている。
「魔笛ハーメルン。私の魔具の名です。どうですか? 素晴らしい能力でしょう?」
その言葉の直後、ザクセンの周囲に四人だけ残し、あとの子供が一斉にこちらへ向かって駆け出した。その目は虚ろで、到底意志があるとは思えない。
頭の血管が切れそうだった。ザクセンは魔具の力を使って子供を操り、自分の代わりに戦わせようというのだ。子供たちに拒絶する力はなく、操り人形のように望まない行為をするのみ。
外道め。
「子供は絶対に傷付けないで!」と叫ぶと、ヨハンとレオネルは真剣な表情で頷いた。セシルだけはきょろきょろと辺りを見回して額に汗を浮かべている。
「セシルは頑張って逃げて!」
「は、はい」
襲い来る子供を避けるようにわたしたちは散らばった。幼い子供とはいえ手にはナイフが握られている。それは決して飾りではなく、現にわたし目がけて振り下ろされた。
回避しても、その先には子供が待ち受けている。決して傷付けてはいけない相手から刃を振るわれるのは精神的にも肉体的にも負担が大きかった。
レオネルは半円形の防御魔術で子供の接近を退けている。あくまで傷付けず、自分の身だけを守る賢い戦法だ。
その一方で、わたしとヨハンは逃げつつもザクセンへ接近するチャンスを探っていた。
しかしその機会はなかなか訪れない。元々広間にいた子供の人数が多いのだ。したがって避けるべき刃の数も多くなる。前進出来るほどの隙はなく、広間を大きく横に回りつつ逃げることしか出来なかった。
「卑怯者!」
叫ぶと、ザクセンは高笑いを上げた。そして「本来、戦いとは卑怯なものですよ?」と平然と言ってのける。
歪み切っている。
ある程度のリスクを覚悟して、ザクセンを睨む。もはや怒りは、痛みや傷を許容するほど高まっていた。とてもじゃないが冷静でいられない。サーベルを持つ手には力が入り、一秒でも早く奴の顔を蹴り飛ばしたかった。
太腿にナイフを振りかざした子供を避け、寝台に足をかけた。そして、思い切り力を込めて跳び上がる。
ザクセンの顔から、ふっ、と余裕が消えた。
寝台から寝台へと飛び移り、迫り来る刃を回避する。そしてザクセンに最も近い寝台を足場にして、更に大きく跳び上がった。着地点はザクセンと、それを取り巻く四人の子供の目の前。
と、ザクセンは素早く笛を唇に挟んだ。
――刹那、低い音色が広間に響き渡る。
着地すると、わたしは一歩も動けなくなった。ザクセンは顔を僅かに引きつらせながらも笑みを浮かべている。
「それ以上近寄らないでください」
子供の動きを操れるということは、いかなる卑劣な戦法も可能になるということである。理解はしていたが、実際に目にすると煮えたくるほどの怒りを覚えた。
子供たちは動きを止めて、自らの首筋にナイフを突き立てていたのだ。
「それ以上近寄るか、あるいは私に危害が加われば彼らは一斉に自害します。単なる脅しかどうか、試してみますか?」
「卑怯者……!!」
「褒め言葉としか感じませんね。さあ、武器を置いて手を頭の上で組んで下さい」
従わざるを得ない。ザクセンにとって子供は武器であると同時に人質でもあるのだ。これほど悪意に満ちた戦略を取るなら、命令を無視した場合にどのような行動に出るかも大方予想がつく。たとえば、数人の子供だけ喉を裂き、他の人質はそのまま利用するような醜悪極まりない脅しだって平然とやるだろう。
サーベルを床に置き、ゆっくりと両手を頭の上で組んだ。
ザクセンは満足そうに微笑む。
「凄い表情をしていますね。まるで獣だ」
それはそうだろう。憎しみの一切を彼に注いでいるのだから。
「他のかたも動かないで下さいね。特にそこのご老人は魔術を解いて、お嬢さんと同様に手を頭の後ろで組んで下さい」
振り向くと、ヨハンもレオネルも、そしてセシルも同じ姿勢を取っていた。これで子供に余計な危害が加えられることはないだろうが、絶望的な状況には変わりない。
「さて……これで暴力的な解決方法は取らなくて済むというものです」
「あなたがこれまでやってきたことは暴力的じゃないの? 子供を無理やり操って、意志に関わらず刃を振るわせるというのは」
ザクセンの目がわたしを見下すように歪む。口角はいかにも邪悪に釣り上がり、やけに白い歯が覗いた。
「必要な手段です。子供に凶器を握らせるような状況を作ったのはあなたたちですよ? 我々の施設に無断で入り込み、あまつさえ大事な子供をどうこうしようなんて……」
本気でそう思っているのなら狂っている。とうに分かっていたことだったが、ザクセンという人間になにを言い返しても、その歪みに吸い込まれてしまう。残るのは灼熱のごとき怒りのみ。
悔しさに身を焼かれるようだったが、一歩たりとも動くことが出来なかった。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ノックス』→クロエとともに旅をした少年。本来は『アカデミー』に引き取られたはずだったが、現在行方不明。
・『シェリー』→ハイペリカムで保護された少女。クロエによって『アカデミー』に引き渡された。詳しくは『94.「灰色の片翼」』、『98.「グッド・バイ」』にて
・『アカデミー』→魔術師養成機関とされる場所。詳しくは『54.「晩餐~夢にまで見た料理~」』『121.「もしも運命があるのなら」』にて
・『ザクセン』→ハルキゲニアからの使者。笛の魔具を所有。詳しくは『98.「グッド・バイ」』にて
・『黒兎』→ナイフを複製する魔具『魔力写刀』の使い手。残忍な性格。詳しくは『127.「魔力写刀」』にて
・『ユートピア号』→子供を乗せてハルキゲニアへ向かう馬車。詳しくは『54.「晩餐~夢にまで見た料理~」』にて
・『最果て』→グレキランス(王都)の南方に広がる巨大な岩山の先に広がる地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『レオネル』→かつてハルキゲニアを魔物から守っていた魔術師。レジスタンスのメンバー。詳しくは『104.「ハルキゲニア今昔物語」』にて




