140.「眠りの広間」
敗北感を抑え、レオネルに視線を移した。彼は安堵の表情を浮かべている。
「あまり落ち込まないでください。『帽子屋』と対等に戦っただけでもお嬢さんは充分に実力があります」
諭すような声。余計に気落ちしてしまう。
「レオネルさん……さっきは助かりました。局所魔壁は高度な魔術だと聞いているけど、それを一瞬で出せるなんて……凄いですね」
防御魔術の一種――局所魔壁。魔力を任意の場所で凝固させ、物理的な壁として機能させる魔術。厚みは術者の能力に依存するものの、魔力を特定の位置に集中し凝固させるというプロセスは自体はシンプルである。反面、発生までにそれなりの時間を要するのが一般的だ。
レオネルの局所魔壁の厚みは申し分なく、発生までのタイムロスも殆どなかった。
「儂は防御魔術専門ですからな。造作ないです」
レオネルはこだわりなく返した。
すると、局所魔壁を含めて様々な防御魔術に精通しているのだろう。彼が辿ってきた遥か長い時間のなかで何度も防御魔術が繰り返されたのであれば、一瞬で局所魔壁を創り出せるのも決して不思議ではない。
防御魔術に長けている、ということは魔力の集中及び凝固を得意としているのだろう。ベストなタイミングで天の階段を使用出来たのも頷ける。
「その代わり攻撃魔術は脆弱でして……魔球程度しか使えません。それも『帽子屋』には簡単に消滅させられてしまいました」
じっくりと見たわけではなかったが、レオネルの魔球は『白兎』のそれよりも速度も威力も劣っているように思えた。その分、防御魔術に偏っているということだろう。
そんな老魔術師が何年もかけて熟達していった防御魔術を『帽子屋』は砕いたのである。それも、単なるレイピアで。つくづく嫌になる。
「いえ、本当に助かりました。……『帽子屋』は何者なんでしょうね」
純粋な疑問だった。女王が騎士団結成のために『最果て』の方々で猛者を集めたというのなら、やはり彼も『最果て』の人間なのだろうか。
「さあ、儂には分かりません」
どうやらレオネルも出自は知らないようだ。
『帽子屋』の最後に残した言葉が引っかかる。彼はわたしをグレキランスの人間かと訊いた。そして、女王の判断を仰ぐ必要がある、と。
女王がグレキランスからの追放者なら、同じ立場の者かもしれないと判断したのかもしれない。ゆえに、攻撃を中断して去ったのだろう。
いずれにせよ、その事実に助けられたわけだ。
今後『帽子屋』と刃を交えることがあるとすれば、今回のような中断はありえない。
ともあれ、いつまでも去った敵についてぐるぐると考えても仕方がなかった。
「行きましょう。本来の目的を達成するために」
頷きを返したレオネルとともに、広間へと続く扉に向かう。
鉄扉に手をかけてゆっくりと開いていく。細く間延びした悲鳴のような音を立てて扉は開かれた。エントランスで戦闘した以上、もはや音のことを気にする必要はない。
扉の先は薄暗い廊下が続き、突き当りにまたしても鉄扉が見えた。
レオネルと頷き合い、進んでいく。突き当りの鉄扉に触れ、深呼吸をした。
この扉の先に子供たちがいる。彼らのなかにノックスやシェリーがいるよう祈った。彼らの不幸はここで終わりにしなければならない。
ハイペリカムを去る前日――彼らと別れる前の晩、二人分の温もりを左右に感じながら眠ったことを思い出した。あのときの幸福感も同様に。
全部終わらせてやる。悪趣味な運命を叩き壊すんだ。
扉の先には、目を伏せたくなるような光景が広がっていた。等間隔に並んだ小型ベッド――毛布もシーツもなく、寝台のみ――に子供たちが横たわっていた。誰もが薄緑色のぺらぺらとしたワンピースを身に着けている。
そして、むせ返るような強烈な魔物の気配……。
気が付くと早足になっていた。寝台をひとつひとつ覗き込み、目的の子供を探す。
ノックス、シェリー、ノックス、シェリー……。
子供たちは一様にぐっすりと眠っていた。誰ひとり目を覚まさない。怖くなってそっと手首に触れたが、脈はあった。深く眠り込んでいるだけだろう。
ひとつ、またひとつとベッドを見て回る。心臓が張り裂けんばかりに鼓動していた。
最後のベッドを見つめて、無意識に崩れ落ちそうになった。どこにもいない……。
「おりませんでしたか?」とレオネルは遠慮がちに訊ねる。
頷くと、痛ましい沈黙が広がった。広間にいないとなると、行き先を知っているのはビクターと呼ばれる施設の管理者のみ。セシルの話ではそうだった。広間の先にも扉があったが、その先に子供がいるとも思えない。
「……ビクターに会わなきゃ」
気が付くと呟きが漏れていた。
ハルキゲニアの防御壁を造り上げた職人。そいつに会う必要がある。いかに危険人物であろうと口を割らせなければならない。
「そうでしょうな。セシルさんの話では、子供がどこへ行ったのか知っているのは彼だけですから。しかし……」
レオネルは口籠って、目を伏せた。彼の反応は良く理解出来る。ここでなにがおこなわれているのかは知らないが、きっと正しいことじゃない。それを指揮している男がまともな神経を持ち合わせているとは思えなかった。
「どれだけの危険があっても構わない。わたしはビクターに会う」
レオネルは同情するように眉尻を下げて頷いた。この老魔術師にはわたしの気持ちが伝わっているのだろう。覚悟のほども同様に。
不意にエントランス側の扉から二つの人影が現れた。ヨハンとセシルである。
ヨハンはつかつかとこちらに寄ると、焦りを隠さず「ノックスとシェリーはいましたか?」と訊ねた。なんだかんだ彼も気にしていたのだろう。
そんな彼に、首を振って否定する。
「そうですか……」
ヨハンは苦々しい表情でエントランスの方角を睨む。「ビクターとやらを締め上げる必要がありますね」
不穏当な言葉だったが、完全に同意見だった。「ええ」
「び、ビクターに……?」とセシルは怯えたような声を出す。「その前に施設を抜け出しちゃ駄目ですか……?」
相当恐れている様子だ。一体なにがあればこんなにも怯えられるのだろうか。
「まずはここにいる子供を連れてアジトまで戻りましょう。どの道ビクターは今夜戻って来ないんでしょう?」
ヨハンが訊ねると、セシルは勢いよく頷いた。
命を天秤にかけるつもりはなかった。ノックスとシェリーはなによりも重要だったが、だからといって目の前で横たわる子供たちを放置して進むことは出来ない。
「とりあえず起こしましょう」
ヨハンの言葉を皮切りに、わたしたちはそれぞれ別の寝台に駆け寄った。
「ねえ、起きて」と呼びかけ、少し揺さぶる。しかし子供は一向に起き上がる気配を見せなかった。頬をぺちぺちと優しく叩いてもなんら反応がない。
思わず振り向いてセシルを見つめる。彼女もわたしと同様に、呼びかけたり揺すったりしていた。
「セシル。おかしいわ。全然起きない」
「クロエさん……私もなんで起きないのか全然……。どうして……」
演技には聴こえなかった。どうやらセシルも昏睡の理由を知らないらしい。ヨハンもレオネルも子供を起こすことが出来ないようだった。
――!
不意に、鋭い音がした。笛のような、そんな音。
直後、子供たちが一斉に身を起こした。思わず身を引くと、彼らは寝台から飛び降りて広間の先――エントランスとは逆方向の扉へと向かっていった。
呆気に取られて見つめていると、扉がゆっくりと開き、大きな箱を抱えた男が現れた。
男が箱を床に置くと、子供たちは一斉に箱へと手を伸ばす。
「やれやれ、まいりましたね。『アカデミー』に侵入者とは……」
呟いたその男には見覚えがあった。仕立ての良いスーツを纏った青年。その首元に下がった笛の魔具。ハイペリカムでノックスとシェリーと別れた際の情景が蘇る。
――ハルキゲニアは素敵な場所です。『アカデミー』だって素晴らしい施設ですから、どうぞご安心を――。
その男は、ハイペリカムで確かにそう言ったはずだ。
ハルキゲニアからの使者であり『ユートピア号』の馭者。甘言を操り、子供たちを『アカデミー』へと引きずり込んだ笛の魔具使い。
前後を忘れ、その名を叫んだ。
「ザクセン!!」
◆改稿
・2018/05/14 ルビの追加。
◆参照
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『レオネル』→かつてハルキゲニアを魔物から守っていた魔術師。レジスタンスのメンバー。詳しくは『104.「ハルキゲニア今昔物語」』にて
・『帽子屋』→ハルキゲニアの騎士団長。魔力察知能力に長けている。シルクハットの魔具『奇術帽』で戦う。詳しくは『137.「帽子屋の奇術帽」』にて
・『天の階段』→空中に透明な足場を作る魔術。初出は『112.「ツイン・ラビット」』
・『魔球』→魔力球、魔力弾、魔力塊とも呼ぶ。初歩的な攻撃魔術。
・『白兎』→ハルキゲニアの騎士。魔術師。詳しくは『112.「ツイン・ラビット」』にて
・『最果て』→グレキランス(王都)の南方に広がる巨大な岩山の先に広がる地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『ノックス』→クロエとともに旅をした少年。本来は『アカデミー』に引き取られたはずだったが、現在行方不明。
・『シェリー』→ハイペリカムで保護された少女。クロエによって『アカデミー』に引き渡された。詳しくは『94.「灰色の片翼」』、『98.「グッド・バイ」』にて
・『ハイペリカム』→ハルキゲニアの手前に位置する村。第三話「軛を越えて~③英雄志望者と生贄少女~」の舞台
・『アカデミー』→魔術師養成機関とされる場所。詳しくは『54.「晩餐~夢にまで見た料理~」』『121.「もしも運命があるのなら」』にて
・『ザクセン』→ハルキゲニアからの使者。笛の魔具を所有する。詳しくは『98.「グッド・バイ」』にて




