139.「本物の強者」
即席とはいえレオネルの魔術による援護を借りたにもかかわらず、ダメージを負ったのはこちらだった。魔球は複製帽子ひとつに対応され、天の階段を使用した不意打ちも実を結ばなかった。
強敵――そう言い切ってもいいかもしれない。魔具の扱いも剣術も卓越している。王都の騎士と比較してもなんら遜色ないだろう。
だからといって膝を折っていい理由にはならない。
意識を研ぎ澄ます。『帽子屋』よりも狡猾で強靭な魔物も今まで討伐してきたはずだ。それが人間に置き換わっただけじゃないのか。
サーベルを構え直し、腰を落とした。『帽子屋』の複製帽子は消えている。今なら有利に戦えるはずだ。
「まだ折れないのか……」
言って、『帽子屋』は薄っすらと微笑んだ。珍しくしぶとい敵。きっとそんなふうに映っているのだろう。その評価を覆してやりたい。
「折れないわ。あなたを折るまでは」
『帽子屋』は、ふっ、と儚げに笑った。まるで大言壮語を吐く子供に対して浮かべるような、そんな微笑。
怒りを鎮め、集中力を今一度高める。小うるさい帽子が消えた今が最大のチャンスだ。
息を止め、疾駆する。その勢いのままサーベルを引いた。『帽子屋』はこちらの接近速度に合わせるように即座にレイピアを引く。
そして同時に斬撃を放った。
――重い剣戟音が響き渡る。『帽子屋』のレイピアに押され、わたしの勢いは見事に殺された。
二撃目は袈裟切り、三撃目は横薙ぎ、と攻撃を繰り出すも全てレイピアに弾かれる。
『帽子屋』は相変わらず左手に奇術帽を持ったまま、半身で斬撃を放っていた。
斬撃速度を上げる。それにつれて火花が次々と散り、耳を貫くような金属音は狂ったリズムで鳴り響く。
『帽子屋』は奇術帽を使用していない。魔具でもなんでもないただのレイピアでこちらの攻撃に全て対応している。速度も威力も申し分ない。
奇術帽は半身になった彼の身体に隠れてよく見えなかったが、この状況で複製を作るのはさすがに困難だろう。一旦はレイピアのみに集中しても良さそうだ。
一瞬でも集中を緩めたら格好の餌食。剣戟は緊迫を極めていた。
不意に、レイピアとサーベルの間で魔力が弾けた。レオネルの魔球である。『帽子屋』はわたしの斬撃に対処しながらもレオネルの魔球を切り裂いているのだ。そんな余裕を隠し持っていたとすると、彼はまだ本気で戦ってはいないのかもしれない。
底が見えない。素直にそう感じた。
一瞬の気の緩み――だったかもしれない。『帽子屋』の底知れなさに背筋が寒くなったその刹那、僅かに速度が落ちたサーベルの間を縫うように彼は倒れ込んだ。
否、倒れ込むようにこちらの懐に潜り込んだのである。
わたしの目は、彼の背後から現れたものに奪われた。複製帽子が宙に浮いて――と思うや否や、それは八つに分かれて接近する。ひとつの帽子を複製したのではなく、背後に八つ分のコピーを作り上げたのだ。おそらくは、先ほどの剣戟の間に。『帽子屋』はあくまでも冷静に、次の一手のために土台を固めていたのであろう。
ともあれ、彼のしたたかさに感心している余裕はなかった。八つの複製帽子はわたしから一メートル程度の距離を置いてそれぞれ宙に静止する。次になにが来るのか、嫌でも想像がついた。
前傾した『帽子屋』の手元で奇術帽にレイピアが挿入されるのが見える。
集中しろ――最大限に。
八方から同時に襲うレイピアを一瞬で弾くのは不可能だ。サーベルで対応出来る分は捌き、受けざるを得ない分は身を捩って軽傷で済ます――はずだった。
腹に重い痛みが走り、思考が飛ぶ。『帽子屋』の膝がわたしの腹を容赦なく打ったのである。
すぐに意識を取り戻して先ほどのプランをなぞろうとしたが、一瞬の空白は状況を一変させていた。レイピアは重傷を免れない位置まで接近していたのである。
咄嗟に身を捻り、サーベルを振るう。焼けるような鋭い痛みが身体を襲った。
その直後、レイピアが消える――。
またしても悪寒が背を這い上り、眼下に視線を注ぐと、奇術帽を鞘のごとく引いた『帽子屋』の姿が映った。
それは思考を置き去る速度の斬撃だった。刃は一瞬の閃きを見せる。
同時に、レオネルの声が響いた。「局所魔壁!」
すると、意外なことが起こった。目の前が分厚いガラス越しに見るように滲んだのだ。それは透明度の高い、壁状の防御魔術だった。
レオネルが即座に拵えた防御壁――それは一瞬にして砕け散った。ただ、成果はあったといえる。防御のためにサーベルを構える程度の時間は作れたのだから。
またも閃光が目を覆い、鋭い音と重い衝撃に襲われる。
わたしは丁度レオネルの目の前まで吹き飛ばされ、なんとか踏みとどまった。
肩口や太腿、脇腹とうなじ。それぞれが鋭く痛む。複製帽子によって受けた傷から血が流れ出すのを感じた。
流血するのはどうも嫌な感覚である。本来身の内に流れているはずのものが外へと零れ出ている事実が気分を悪くさせるのだ。
『帽子屋』は追撃の気配を見せなかった。ただこちらを見つめているばかりである。
複製帽子なしの接近戦で傷ひとつ与えられず、逆に敵の策に面食らって対処が遅れた結果、わたしが血を流すことになった。
ふがいない、と簡単に思うことは出来なかった。『帽子屋』の戦闘技術に及ばなかったのである。
身体のあちこちに入った余計な力を抜き、冷静さを取り戻す。まだ戦闘は終わっていない。
が、『帽子屋』は一向に複製帽子を出現させる様子を見せなかった。それどころか、興味深そうな目付きでこちらを見つめている。
やがて彼は口を開いた。「先ほどの言葉は訂正する……。『白兎』に後れを取ったからといって、お前は弱者ではない……」
続けて彼は問う。「お前は……何者だ……?」
「王立騎士団ナンバー4、華のクロエよ」
集中を取り戻し、足に力を籠める。戦闘技術は見せてもらった。そう何度もやられるわけにはいかない。
『帽子屋』へ向かって駆けた瞬間、彼は大きく後ろに跳んで距離を取った。扉の前まで後退している。
思わず足を止め、不揃いな色彩の瞳を見つめた。
「王立騎士団……すると、グレキランスの人間か……?」
「そうよ」とサーベルを構えたまま答える。いつ攻撃が繰り出されるか分からない。
しかし、『帽子屋』の戦意は明らかに減退した。
「そうか……グレキランスか……」そう呟いて続ける。「女王の判断を仰ぐ必要があるな……」
彼は表の扉を開け放った。
「また会おう……。生きていれば……」
呆気に取られて動くことが出来なかった。けたたましい音を立てて扉が閉ざされると、ほとんど無意識に深い息が漏れ出る。
「追う必要はないでしょう。見逃してもらえただけ幸福と考えるべきです」
背後でレオネルの落ち着いた声が聴こえた。
少し、情けない気分だ。『帽子屋』の追跡は最優先事項ではなかったが、敵を逃がし、同時に自分が助かったのは事実である。あのまま突っ込んで勝てる相手とも思えない。
認めたくないことだが、引き分けではなくわたしの敗北だろう。『白兎』に続いて、『帽子屋』にも負けたことになる。
奥歯を噛み締めて、悔しさを堪えた。レオネルの助力を持ってしても勝利の可能性を見出すことが出来ず、更にはレオネルの防御魔術――局所魔壁によって致命傷を防ぐのがせいぜい……。
「そうですね……あのままじゃきっと勝てなかった」
再戦するときがあるならば、根本的に変わる必要があるだろう。自分自身の本気を引き出す必要が。
エントランスに降りた静寂が傷に沁みた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『レオネル』→かつてハルキゲニアを魔物から守っていた魔術師。レジスタンスのメンバー。詳しくは『104.「ハルキゲニア今昔物語」』にて
・『天の階段』→空中に透明な足場を作る魔術。初出は『112.「ツイン・ラビット」』
・『白兎』→ハルキゲニアの騎士。魔術師。詳しくは『112.「ツイン・ラビット」』にて




