138.「剣戟」
『帽子屋』はいかにも涼しげな表情で奇術帽に挿し込まれたレイピアを構えた。
その余裕たっぷりな仮面を剥がしてやりたい――いや、駄目だ。好奇心や怒りに主導権を譲り渡して勝てる相手とは思えない。先ほどの斬撃で、まだ『帽子屋』が本力でないことは理解出来た。サーベルを受け流しつつ、有効な箇所に適切なタイミングで放たれた刺突には余裕が感じられたのだ。
こちらも、あくまで冷静にレイピアの軌道を見極めて対処する必要がある。
そのためには――。
レオネルを見つめ、素早く言葉を投げた。彼は『帽子屋』を視界に収めたまま短く頷く。
即席の作戦会議。少しでも有利に立ち回らなければ。
「相談は終わったか……?」
「お蔭様で、じっくりと作戦を立てられたわ」
「あの短時間……二言三言で……?」
『帽子屋』はカクン、と首を傾げる。冗談の通じない奴だ。
「あなたを倒すくらいなら、これで充分よ」
彼の眉がぴくりと微動する。
「そうか……」と呟き、レイピアを構えて半身になって心持ち腰を落とした。「やってみろ……」
複製帽子が蛇行しながらこちらへ飛ぶ。
ぐっ、と足に力を溜めて、一気に『帽子屋』目指して駆けた。それに反応し、複製帽子が行く手を塞ぐ。帽子の内部から伸びる刃が鋭く輝いた。
呼吸を整える。息のリズムを一定にするよう意識した。あとは、視野を広く保ってサーベルの動きを制御すればいい。
刺突の動きに合わせて、最低限の動きでサーベルを振る。
鋭い金属音は開戦合図のように、エントランスに甲高く響いた。
武器がぶつかり合うたびに光が散り、剣戟音が鳴る。それらは徐々に速度を増していった。
複製帽子の挙動に合わせてサーベルを振り、また、相手のレイピアはこちらが斬撃速度を上げるのを抑えるごとく緩急をつけて攻撃を繰り出し、受け流し、捌いている。
金属音は雨のようにエントランスに降り注ぎ、散った火花は絶えず目を焼いた。
そろそろだ――そう思った瞬間、剣戟の合間から魔球三発の軌道が見えた。
作戦その一。レオネルによる『帽子屋』本体の襲撃。
「小細工だ……」
『帽子屋』はいかにも落胆したように呟いて魔球をそれぞれ回避した。その間もレイピアの動きは一切緩まない。多少なりとも攻撃が鈍くなることを期待したが、やはり望み薄だったか。
次の魔球が目の端に見えた瞬間、複製帽子のひとつがわたしから離れて魔球を切り裂くのが見えた。おそらく、帽子をひとつ割かなければならない種類の魔球をレオネルが撃ったということだろう。たとえば、追尾の魔球など。
斬撃が一本分減ったこの状況なら、と思ったが、それを補うように目の前の複製帽子は攻撃の手を速めた。倍以上の速度で攻撃が繰り出される。
剣戟の嵐と、迫り来る魔球の無力化。その両方をこなしながらも『帽子屋』は涼しい顔をしている。
このままでは埒が明かない。
斬撃の動きとサーベルの制御に意識を注ぎつつ集中力を高めた。目と右腕の神経を尖らせる。
『帽子屋』の攻撃が若干緩くなったように見えたのは集中のためだろう。
不意に複製帽子が上空高くに移動し、そこから伸びるレイピアも消えた。『帽子屋』が奇術帽からレイピアを抜いたのだ。
好機と見て足に力を入れた瞬間、『帽子屋』は奇術帽を再び左右に振った。新たに二つ、複製帽子が現れる。そして間断なく奇術帽にレイピアを挿入した。
三つの帽子がわたしの疾駆を遮る。
神経を研ぎ澄まし、増えた斬撃をサーベルで受け止める。
複製帽子のひとつは相変わらずレオネルの魔球を無力化し続けているようだ。
複製を増やしたことによって『帽子屋』の負担は確実に大きくなったはずである。にもかかわらず、繰り出される斬撃はそれまで通り冷静さを感じさせる的確なものだった。『帽子屋』本人も平気な顔でレイピアの柄を振っている。
まだ限界ではないのだろう。これ以上に複製を増やすことや、あるいは特殊な攻撃を放つことも出来るのかもしれない。
彼を本気にさせたいわけではなかったが、これ以上その態度を続けられるとさすがのわたしも腹が立つ。こちらのサーベルの軌道をリードするように繰り出される攻撃にも嫌気が差していた。そろそろ、次の段階に移るべきだろう。
サイドステップを踏み、レイピアの動きを散らす。右に、左に、瞬時に身を移した。先読みされぬよう、不規則な動きで。
レイピアはわたしについてきていたが、それでもいくらか対処が遅れている。完全に呼吸を合わせて攻撃出来ているわけではないようだ。
帽子のひとつを標的に、わたしはひと息で前進した。そして、その複製帽子目がけてサーベルを振り下ろす。
重い金属音が響き、わたしの一撃は帽子から伸びるレイピアに受け流された。
なんとか複製のひとつでも切り裂くことが出来ればと思ったのだが、そう易々と攻撃させてはくれないらしい。
更に集中力を高め、ステップを絶えず繰り出した。パターン化されないように注意を払いながら。
先ほど同様に、帽子のひとつに狙いを定めて接近しても刃が届くことはなかった。帽子が後退するか、レイピアで流されるかのどちらかである。
ともあれ受け流すということは、受け止めることが出来ないと言っているようなものである。重い一撃を繰り出せば、複製帽子ごとレイピアを砕くことが出来るかもしれない。
呼吸を意識して、サイドステップを繰り返す。作戦の実行のため深く、長く、息を吸った。
そして、わたしは跳び上がる。
格好の標的と判断したのか、三つの帽子それぞれが同時に刺突を放った。跳び上がったままだったなら、まず間違いなく串刺しだったろう。サーベルでも弾ききれなかったかもしれない。
わたしは宙を踏んで更に跳び上がり、刺突を回避した。そのまま宙を駆け、『帽子屋』の真上で回転しつつサーベルを引く。
作戦その二。天の階段による不意打ち。
援護のために帽子を戻しても、もはや間に合わないだろう。感心したように目を見開いた彼の顔が落下地点に見えた。回避するにも、サーベルの有効射程圏を抜けることは出来ない。そのぐらいの距離に彼はいる。
このまま振り下ろせば『帽子屋』に致命傷を与えることが出来るだろう。
一瞬、迷いが生じた。
人間相手に剣を振るうことの意味が、暗雲となって胸を曇らせたのだ。
――考えるな。ノックスを救出するためには、騎士道に足を取られている暇はない。魔物にしか剣を振るって来なかったからといって、今『帽子屋』を斬ることは間違いではないのだ。
迷いを振り切って、剣を振り下ろした――刹那、『帽子屋』は身を低くし、奇術帽に手をかける。
こちらを見据える彼の瞳が、凍りつくような冷たさを帯びた。
ぞくり、と悪寒が背を覆う。
直後――耳をつんざく金属音と閃光。わたしの目に映るのは、急速に流れるエントランスの天井だった。背後を向くと、堅牢な石の床が迫っている。
咄嗟に受け身を取ると、腕が鈍く痛んだ。
身を起こし、『帽子屋』を凝視する。
彼の左手には奇術帽。右手には刀身を露わにしたレイピアが握られていた。
周囲に存在した四つの複製帽子は、いつの間にか消えている。おそらく、彼がレイピアを引き抜いた瞬間、奇術帽の能力も解除したのだろう。
奇術帽に割いていた分の意識や集中力をレイピアに乗せ、更には奇術帽を鞘代わりに、居合の要領で斬りつけたのだ。
その細い刀身にもかかわらず、サーベルごとわたしは吹き飛ばされたのである。一瞬の寒気を感じ取り、サーベルで素早く防御の構えを取らなければ今頃致命傷を負っていたかもしれない。
「咄嗟に防いだか……。悪くない反応だ……」
独り呟く『帽子屋』の目は、なぜだか生き生きと輝いていた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『レオネル』→かつてハルキゲニアを魔物から守っていた魔術師。レジスタンスのメンバー。詳しくは『104.「ハルキゲニア今昔物語」』にて
・『天の階段』→空中に透明な足場を作る魔術。初出は『112.「ツイン・ラビット」』。




