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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」
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幕間.「徒花の蹉跌⑧ ~庭師ヨームと絵本の秘密~」

「いないいなーい……ばぁっ!」


「ぇはぁ! んきゃぁ!」


 生後二ヶ月のイアゼルを相手に、ルシールは母乳を与え、あやし、こうして他愛もなく遊んだりもした。まだ言語を()していない喃語(なんご)をこの時期から発しはじめている成長ぶりは喜ばしい限りである。夜泣きや(しも)の処理にも辟易(へきえき)することはなかった。必要な苦労と割り切っていたからだ。


 こうした育児と、アルブルから受ける領地教育を両立させられたのは、彼女だけの力ではない。庭師ヨームの助けも大いにあった。彼女が本邸に出向いている間は、もっぱらヨームが赤ん坊の世話をしたのである。もちろんルシールから願い出たことではあったが。愛想のない小男で、人好きのする顔ではないうえ、身体は筋肉質。侯爵の邸の庭師をしていなければどこぞのならず者といった風情(ふぜい)だったが、案外面倒見がよかった。ルシール不在の間に不如意(ふにょい)を仕出かしたことは一度もない。


 庭師というのは建前上の立場で、ヨームは実質、邸内に足を踏み入れないだけで執事のような存在だった。ときに邸の番兵を()ね、日参する商人から日用品やら食料を買い入れ、邸を(おとな)賓客(ひんきゃく)を邸宅まで案内し、主にアルブルの用向きのために馬車を手配する。庭木の剪定(せんてい)やら土いじりは、あくまでも仕事のほんの一部に過ぎない。


「ばぁ!」


「きゃあっ!」


 イアゼルにかまっていると、玄関口が開く音がした。そしてひと言の断りもなくリビングをうろつき、食器の音を鳴らす。ヨームがルシールの食事を持ってきたのだ。番小屋で調理したであろう献立は、匂いからするに鶏肉かなにかの香草焼きだろう。


「いつもありがとうございます、ヨームさん」


 ルシールが振り向いて口にすると、ヨームは小さく頷いただけで、あとは無言のうちに去っていった。機嫌を損ねているわけではない。彼はいつもこんな態度なのだ。


 ルシールは幼いイアゼルを喜ばすのに、なんの苦労もしなかった。顔を隠して、ばあ! っとやるだけで彼は何度だって笑う。魔術で宙に泡を浮かべて見せれば、飽きることなく目を輝かす。騙すのは得意なのだ。子供も大人も。




 それから七ヶ月ほど経って、レベッカの出産が知らされた。領地教育のために書斎を訪れた際、当のアルブルが告げたのである。その頃にはイアゼルは喃語を卒業し、一語どころか二語の文で言葉を発するようになっていた。


「産まれたのは男児だ。一週間以内には公表する。レベッカを正妻とする旨も(あわ)せて。……お前がどう振る舞うべきか分かっているか?」


 試すような口調と表情はアルブルの常態だ。こちらを侮るような見下す目付きも。


「わたくしはイアゼル様と離れにおります。大人しい子ですから、きっと誰もなにも気付かないでしょう」


 正妻の存在と同時に第一子の誕生が知らされる。この鬱屈した港町もちょっとしたお祝いムードになるだろう。領地の町村からは多くの人々が押し寄せる。遠方の貴族も幾人(いくにん)かは足を運ぶはず。実は産まれたのが長男ではなく次男であるなどと、誰も思わないだろう。


 想定通りだ。すべて。


 今は離れでヨームにあやされている、二語文を習得したイアゼルは、まだ産まれていないことになるのだ。表面的には。レベッカの第二子としてイアゼルが公表されるのは一年後あたりになるだろう。


「ルシール。お前は(さか)しいな。他人の腹のうちを読むのに()けている」


 アルブルの言葉に、ルシールは困惑を三割ほどブレンドした笑みを返す。


 その日はそれ以降、レベッカについての話題は出なかった。イアゼルの成長について(たず)ねてこないのはいつもの通りである。アルブルにとってはイアゼルの育ち具合など興味がないのだろう。生きてさえいれば。レベッカが産んだばかりの子が万が一亡くなった際の保険というわけだ。血を分けた跡継ぎが存在する点にのみ、イアゼルの価値を認めていると言ってもいい。


 そんなアルブルを薄情だなどと感じたことは一度もない。ルシールとしては彼がイアゼルを放置すればする分だけ、己に()すると考えていたのだから。


 本邸の裏に戻ると、珍しくヨームが離れの扉を開けて顔を見せた。イアゼルの姿はない。ヨームにお()りを頼んだあと、ルシールへと子供を引き継ぐ際には必ず手渡しされるのが習慣だった。なにか問題でも発生したのだろうかと彼女が(いぶか)り、早足になったのも当然である。


 ヨームは扉を閉め、眉間に皺を寄せた。自然、ルシールの顔も険しくなる。


「イアゼル様になにかあったのですか?」


「……坊ちゃんが絵本を壊しました」


「ああ、そう」


 ルシールはほっと安堵の息をついた。絵本というと何冊か思い当たる。ヨームに頼んで取り寄せた品だ。絵本の一冊や二冊、(たわむ)れに破いたところでなにも問題はない。


「直すように言われましたが、力およばず……。坊ちゃんを泣かせてしまいまして」


 ヨームの手先の器用さを知っているだけに、直せないのが()に落ちない。ただ、まあ、何につけ如才(じょさい)なく振る舞ってきたヨームとしては、絵本の修繕が叶わずイアゼルを泣かせてしまったのが手落ちだと考えているらしい。


「お気になさらず。いつも親切にしていただいているのですから、こんなことで気落ちなさらないでください」


「出ていくよう言われました」


「イアゼル様が?」


「ええ」


「それは……とんだ失礼を」


 自分の意に沿わない結果になったからヨームを追い払ったのなら、さすがに看過(かんか)出来ない。イアゼルが癇癪(かんしゃく)持ちに育ってしまうのは、のちの領地との折衝(せっしょう)において支障が出る可能性がある。


 ところが事態はそうではないらしい。


「いいえ。坊ちゃんは自分で絵本を直そうとしてまして。締め出されたのは、このヨームが余計な手出しばかりしてしまうからです。それで坊ちゃんの機嫌を損ねてしまいました」


「あら……。この間、一緒に百合を植えたときはあんなに打ち()けていたのに。子供ってよく分からないですね」


 先日ヨームを(まじ)えて離れの一角に百合の苗を植えたのだが、そのときのイアゼルはご機嫌だった。ヨームの名を呼び、彼の腕にまとわりついて、ぶら下がったりしていたのを思い出す。ヨームもヨームで興が乗ったのか、まるで筋肉を誇示するかのように宙ぶらりんのイアゼルを片腕で上下してみせたのを覚えている。


 ヨームは面目なさの表明なのか、これまた珍しく一礼をして去っていった。


 さて、とルシールは扉に手をかける。絵本を壊した挙げ句にヨームを追い払ったとなれば、さすがに叱らねば。


 扉を開けると、永久魔力灯の下、イアゼルが黙々となにかの作業をしていた。柵の取り払われたベビーベッドの上で、ムッと口を結んで手を動かしている。リビングから寝室へ入ったところでルシールは自然と足を止めた。彼がなにをしているのかはっきりと理解したからである。そして、絵本がヨームの手に()えなかったのも頷けた。


 魔術絵本。ページを開けば景色がスクリーンとなって飛び出る仕掛けの、他愛もない品物である。とはいえ魔道具のひとつだ。ヨームが修繕するのは土台無理な話だろう。いかなる些細(ささい)な品であれ、魔術のノウハウと魔道具自体の機構に精通していなければ修繕など出来ない。


 ルシールは自分用のベッドに腰かけ、彼女のことなど視界に入っていないように作業を続けるイアゼルに見入っていた。


 あの魔術絵本は彼のお気に入りだ。『どうなってるの?』と何度()かれたことか。


 まず間違いなく、イアゼルは絵本の仕組み自体を知るために、あえて破壊したのだ。この子は展開された魔術に魅入られるばかりではなく、その根底にあるものを知ろうとしたのだろう。


 彼の身に溢れる魔力はアルブルの遺伝ではない。ロゼッタ由来(ゆらい)のものだ。彼女が才覚さえあれば、そして恵まれた生まれであれば、魔術師としてひと(かど)の人物になったであろうことは、侍女時代に気付いていた。あの愚鈍さだから、教育されたところでモノに出来たかは怪しいが。


「イアゼル様。絵本の仕組みをちゃんと(・・・・)教えて差し上げましょうか? それとも、それを直すだけでよろしいでしょうか?」


 ルシールがそう投げかけてようやく、イアゼルは顔を上げた。丸い瞳が真っ直ぐにこちらを射ている。


 彼が「おしえて!」と確かに言葉にしたとき、ルシールは心からの笑みを浮かべた。自然に。無意識に。それがいかに毒々しい表情だったか、当人は知らない。


「お教えしましょう。魔術について。魔道具について。わたくしの知る限りすべてを」

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。



・『悦楽卿イアゼル』→黒の血族で、ラガニアの侯爵。洗脳魔術の使い手。詳しくは『幕間「落人の賭け」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて


・『永久魔力灯』→魔力を施した灯り。光度や色調は籠められた魔力に依存する。魔道具。詳しくは『38.「隠し部屋と親爺」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『魔道具』→魔術を施した道具。魔術師であっても使用出来る。永久魔力灯などがそれにあたる。詳しくは『118.「恋は盲目」』『間章「亡国懺悔録」』にて

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