表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」
1497/1501

幕間.「徒花の蹉跌⑤ ~月は悪魔のごとく笑む~」

 吹き抜けになったエントランスは左右に翼のごとき階段を(よう)しており、それぞれが邸の東西の二階へと通じていた。そのうち侯爵の寝室は東にあたる。アルブルが姿を現し、東翼の階段をゆっくりと降りてきたのは、ルシールが到着して間もなくのことである。


「この騒ぎはなんだ。奥の間の二人がどうしてここにいる」


 不快感を隠すことなくアルブルは言い放った。不快の要因は安眠を邪魔立てされただけではない。決して愉快とは言えない事件が発生しているのは、エントランスを見下ろしてすぐに察したはずだ。


 彼に答えたのは侍女頭である。


「アルブル様。お休みのところ、誠に申し訳ございません。……ロゼッタが脱走を図りまして、今取り押さえたところでございます」


 問題が発生したときに説明すべき者は、立場の上においても、その冷静さにおいても、侍女頭をおいてほかにいない。ここに侍女全員が(つど)っているあたり、レベッカの計略は侍女頭にも通じている。仮に侍女頭がなにも知らず、偶然騒動の現場に居合わせたのだとしても、ルシールは一向にかまわなかった。


「脱走? 暇乞(いとまご)いが叶わなかったから強硬策に出たか。いかにも馬鹿者の考えそうなことだ」


 アルブルの嘲笑に侍女頭が口を開きかけたが、意外なことに、先に声を上げたのはロゼッタだった。


「違います! わ、わ、わたしは、アルブル様の、奥方になんて、なりたくなくて、その……。子供と、一緒に、誰も知らない場所で、平和に……」


 譫言(うわごと)のような声のさなか、彼女はずっと自分の腹を撫でていた。アルブルが姿を見せた時点で、侍女はロゼッタの拘束を()いている。ひとえに、彼女自身の抵抗力が弱まったためだ。ロゼッタはアルブルには逆らえない。言葉では反逆を示しても、気弱さが彼女自身を束縛しているようなものだった。


 子供という言葉を耳にして、アルブルが眉を吊り上げた。「(はら)んだのか?」


「想像妊娠です」と発したのはルシールである。「結果が伴わなくとも、一度は妊娠したわたくしが保証します。アルブル様。ロゼッタは妊娠しておりません。そう思い込んでいるだけでしょう」


 折良(おりよ)く、ルシールの額から垂れた血液がエントランスに(したた)った。ルシールはアルブルの不審げな視線を真正面から受け止め、言葉を続ける。


「ロゼッタはわたくしが何度()いても耳を貸しませんでした。妊娠しているとばかり思い込んで、それで脱走を企てたのでしょう。わたくしはご覧の通り(・・・・・)、花瓶で殴られ、奥の間を抜け出す彼女を止めることが出来ませんでした。いかに魔術師といえども、不意を突かれては無力ですから」


「しかし、奥の間と本館は施錠してあるはずだ」


 当然の疑問がアルブルから発せられ、待ってましたと言わんばかりにレベッカが声を張り上げる。


「きっと扉を壊したのです! ロゼッタは気が狂っていて、無茶苦茶な力で扉を破壊したんですよ! ねえ、ルシール! そうでしょう!?」


 同意を求められ、ルシールは思わず苦笑しそうになったが、()いて押さえつけた。代わりに目を丸くして首を(かし)げてみせる。


「いいえ。扉は無事ですよ。おおかた、ロゼッタが侍女の誰かに手引きしてもらったのでしょう。それが何者かは分かりません。この逃走劇に何人が(から)んでいるのかも、わたくしには推測すら出来ません」


 侍女たちの幾人(いくにん)かが射殺すような眼差しを浮かべたのを確認し、ルシールはその愚かさに呆れてしまった。自分が犯人のひとりですと言っているようなものじゃないか。そのなかにレベッカの瞳も含まれているのだから救いがたい。もとより救うつもりなどないが。


「すると侍女は皆、信を置くに(あたい)しないと。そう言いたいのか? ルシールよ」


 いくらか軟化したアルブルの言葉に、ルシールは首を横に振った。


「わたくしめは信頼について判断する立場におりません」


 ただ、と付け加える。


「完全に潔白な者がいるとすれば、それはわたくし以外にいないのは明白です」


 もはや侍女の全員が――ロゼッタのような間抜けは例外として――気付いたはずだ。自分たちが騙されていたことに。たったひとり信頼を得るために、ロゼッタに脱走を教唆(きょうさ)し、侍女全員を犠牲にしたのだと。脱走を願い出たのはロゼッタ当人だが、ルシールには渡りに船だった。この程度の計画であれば半日もあれば遺漏(いろう)なく立案し、実行に移せる。侍女になるまでの七十五年間は伊達(だて)ではない。


 駄目押しにと、ルシールはアルブルを真剣な顔で見つめた。この男は(こび)を好かない。だから願いを口にするならば、真面目一辺倒(いっぺんとう)で対するのが一番だ。


「アルブル様。(さき)の死産の件は、深くお詫び申し上げます。ですが、これでわたくしは証明しました。わたくしには器としての才覚がございます。次は決して失敗いたしません。アルブル様のお望み通り、壮健な子を産んでみせます」


 少しばかり挑みかかるような言葉選びをしたのも計算のうちだ。領地経営者との綱引きを、さながらゲームのごとく愉快に思っているのを知っていたから。これも一種のゲームだと思って乗ってくれれば幸い。というより、この男の性格上、きっと乗るだろうと確信していた。一連の言葉が迂遠(うえん)な挑発であることは見抜いているはず。挑発と知って無視出来るほど鷹揚(おうよう)ならば、ロゼッタを犯すこともなかったろう。


 アルブルはしばし黙したのち、一同を見やり、最後にロゼッタを見据えた。


「ロゼッタ。貴様の願いを叶えてやる。()が伴侶にはしない。そして、子を産ませよう。孕んでいるのだろう? 無事産むといい」


 そして侍女らを睨みつけ、語調を変えることなく続けた。


「これが想像妊娠ならば、貴様ら侍女は不問とする。些事(さじ)だ。しかし、万が一ということもあろう。ロゼッタの介助をせよ。彼女に尽くせ。そして無事産んだなら、誰よりもロゼッタに奉仕した者を我が妻とし、名目上、その子の母とする。もし死産になろうものなら、侍女全員の首を切るものと思え。なに、代わりなどいくらでもいるからな」


 ルシールは我知らず、青褪(あおざ)めていた。


 舵取(かじと)りは間違っていなかったはず。なのにどうして、こんなことになる?


 ロゼッタの声が飛んだが、ルシールには心底どうでもよかった。


「母親はわたしです! わたしの子です!」


「分かっている。あくまで名目だ。産まれた子の実質的な母はお前だ、ロゼッタ。いずれ侯爵位を継いでもらうゆえ、いくらか教育をせねばならんが、お前も同席すればよかろう。お前ら母子は俺の庇護(ひご)のもと、安穏(あんのん)に暮せば良い」


「あ、え……」


「それで良かろう?」


「……はい」


 ロゼッタの消え入りそうな返事を最後に、侍女たちは慌ただしく彼女を奥の間へ連れていった。なにせ侍女たちは窮地(きゅうち)から一転し、正妻の立場を得るまたとない機会に恵まれたのだ。ルシール(にく)しの感情はあれど、優先すべきはロゼッタへの奉仕である。


 完全に出遅れたかたちになったが、ルシールも侍女のあとを追おうと(きびす)を返しかけた。そのとき腕を掴まれたのである。アルブルに。


 冬枯れの風に似た、老いた吐息が耳にかかる。


「お前が()()いたのだろう? ルシール」


「……なんのことでしょう」


「侍女一同を騙し、ロゼッタを騙し、ただひとり俺の信頼を得ようとした。一興ではあったが、残念だったな。俺はお前のような手合いを妻に迎えるつもりは一切ない。ロゼッタには近寄らせん。大人しく邸の掃除をしていろ」


 それを最後に、アルブルは去っていった。奥の間のほうへと。おおかた、ルシールへの警告を流布(るふ)するためであろう。


 ルシールは固く閉じた玄関扉を眺めた。上部が細いガラス張りになっており、月光がエントランスに曲線となって落ちている。まるで夜に跋扈(ばっこ)する悪魔の笑みのような具合だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ