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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」
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幕間.「徒花の蹉跌① ~不幸の原因~」

 天蓋付きのベッドから降り、夜着に袖を通すと、重たい疲労を感じた。


 暖炉の炎に照らされた寝室は、四方の壁も床も天井も、木材を模した濃い茶色の塗料で染められている。ベッドを中心にした毛足の長い絨毯は赤黒く、きらびやかな調度品に囲まれて陰鬱な対照を()していた。薪が()ぜ、火が揺らぎ、天蓋の支柱の影が不安定に身震いする。この時期、石造りの邸はどこもかしこも寒い。暖炉が焚かれていても底冷えする。夜は(こと)に。


 薄手の夜着の上にガウンを羽織り、羊毛の靴下と短靴を履き終えると、彼女は我知らず吐息を漏らしていた。このままなにも言わずに寝室を出るのが暗黙の決め事とされている。ただ、なんとはなしに振り向くと、いまだ裸のままベッドの一角に座り込む老いた背中があった。()せた金色の短髪が揺れ、野太い腕がサイドテーブルに伸びると、酒瓶を(あお)る。老いてなお壮健な肉体をしばし眺めていたが、やがて彼女は(きびす)を返し、なるべく音を立てぬよう、そっと扉を開けた。


 廊下に出ると足を止めることなく、領主の寝室よりも遥かに手狭な小部屋へと戻り、短靴を脱ぎ去ると、簡素なベッドにゆっくりと身を横たえた。ランプ型の永久魔力灯に照らされた灰色の天井を見上げる。常時十数名の侍女を抱えるこの邸では、誰もがこのような牢獄じみた部屋で寝起きしていた。彼女も一介の侍女に過ぎず、特別なものなどなにもなかった。それでも、これから特別になる可能性がある。彼女は下腹部に手を添え、慎重な手付きで撫でた。宿ったかもしれない命を(うしな)うまいと育むように。


 今を去ること五十年前の冬の晩。百歳になったばかりの彼女は、血族が通常そうであるように、老いの欠片もない瑞々(みずみず)しい若さを保っていた。精神にもどこか少女めいた野心がある。心の或る部分は肉体とともに成熟するのかもしれない。彼女は好例だろう。


 のちにマグオートを襲撃することとなる女性――ルシールは、十月十日(とつきとおか)先の未来を夢想した。




 海に面した扇状地(せんじょうち)の一角の街、フラティリア。なだらかな石階段が、石灰岩の白い家々の()()に、海へと続いていく。港や塩田を(よう)す土地である。外面は小綺麗だったが、決して豊かとは言えない。海は始終荒れ狂い、不漁は当たり前。採れる塩は低品質で量も少ない。そんなフラティリアの領主アルブル侯爵は実務家(・・・)として知られていた。直轄地(ちょっかつち)であるフラティリアを支えるために多くの領地から上納品を得る手腕に()けていたのだ。


 そして女嫌いとしても知られている。なるほど、数々の縁談を断り妻を(めと)らず、領地経営者との腹の探り合いに明け暮れるさまは傍目(はため)にはそのように映るだろう。実態は違う。彼は侍女全員と一定周期で関係を持ち、子宝に恵まれた者を妻とする心積もりだったのである。侍女は皆、そうしたアルブルの心算を(わきま)えていた。老境に至るまでただのひとりも(はら)ませられなかった事実は、侍女の(あいだ)胡乱(うろん)な噂話に発展するのも無理からぬことではあったが、夜伽(よとぎ)は習慣化している。侯爵閣下の妻になる栄誉を暗に求める侍女たちは、アルブル様には深刻な故障があると噂しながらも、決して同衾(どうきん)を断ることなどなかった。


 一年前に侍女として()し抱えられたルシールもまた、子を為そうとする意志は同じである。




 ルシールはアルブル侯爵の所有する一領地で、魔術師の家に育った。兄弟姉妹は十を超える大家族である。幼い頃より両親から魔術の手解(てほど)きを受け、数年間は首都ラガニアの魔術学校に在籍し、故郷を離れて宿舎で過ごした。ルシールひとりが特別だったわけではなく、兄も姉も弟も妹も似たような子供時代を過ごしたのは、ひとえに彼女の生家が裕福だった点に尽きる。


 二十歳になった彼女が郷里に帰ったのは、自分もまたその地で平穏で豊かな家庭を築きたいと願ったからだ。兄や姉のように、首都ラガニアや、その他の有力な土地で魔術研究や魔道具開発に就く道は選ばなかった。才能を惜しむ声を振り切り、一路故郷を目指したのである。両親になんの連絡もしなかったのは、突然帰ってびっくりさせてやろうという悪戯心からである。しかし、驚いたのは彼女のほうだった。


 帰郷したルシールが驚愕したのは、町の変わりようである。膨大な農地のことごとくが荒れ果て、人々の朗らかさに拭い去れない影が差していた。それも当然のことで、彼女の故郷は数年間におよぶ不作に(あえ)いでいたのである。農業を産業の基盤としていた土地において、深刻な打撃が続いていたのだ。ルシールはそんなこと、まるで知らなかった。両親からの手紙はいつでも健康と平和を告げるものだったから。当の両親が身銭を切って近隣の町村から食物を買い入れ、なおかつフラティリアへの上納の一部も負担していたなど夢にも思わない。


「こんなことになってるのに、なんで知らせてくれなかったの!?」町の惨状を目の当たりにしたルシールが、父母にそう叫んだのも自然な感情だった。「お兄様にもお姉様にも(しら)せていないだなんて……もし分かっていたら、いくらでも援助してくれたわ! きっとよ!」


 実際、各地に留学し、すでに一定の地位に昇り詰めた兄弟姉妹は支援を惜しまなかったことだろう。父母が危機を報せてくれたなら。


 父は黙しており、母だけがルシールを(なだ)めた。


「あなたたちには心配をかけたくなかったの。分かって頂戴」


「理解出来ない! なんでこんな……」


 かつては豪華絢爛だった邸の調度品は、多くが失われていた。おおかた換金したのだろう。庭師に手入れさせていた庭園も、すっかり見る影もない。


 一方で、昔と変わらぬ豊かさを誇示している邸があるのを知っている。帰郷の折、実際に目にしたのだ。荒れ果てた町の中心に佇むその邸宅は、さながら周囲の養分を吸収して(つや)めく毒々しい果実に似ていた。


「町長は一銭も払ってないんでしょ!? 違う? みんなが苦しんでるのに、あの家だけは――」


「ルシール。町長様の悪口を言ってはいけません。それに、わたくしたちはまだ豊かなほうなのよ。豊かな分、町のためになることをしなくてはなりません。大丈夫。まだ貯えはあるもの」


 母の言葉に、ルシールは絶句してしまった。もっとも豊かな者が犠牲にならねばならないとしたら、町長こそが筆頭である。確かに我が家にはまだ貯蓄があるようだが、これ以上不作が続くようなら、それも消え果てるだろう。


 溜飲は下がらなかったが、これ以上口論しても虚しいだけと悟り、ルシールは帰郷したその日の晩、味の薄いスープを飲んで眠りに就いた。この地をどうにかする算段は明日から真剣に考えるつもりで。


 きっとなんとかなる。この頃のルシールは無根拠な自信を持っていた。魔術学校で秀才と(うた)われた過去を引きずっていた向きがある。


 結論から言うと、彼女にはなにひとつ救えなかった。救うための計画を立てる時間すら与えられなかった。


 帰郷の翌朝、町の警備兵がルシールの家を訪問したのである。町長を伴って。そして町の窮状(きゅうじょう)を淡々と並べ立て、これまでの奉仕などなかったかのごとく、財産の没収を告げたのだ。その場に両親がいなかったなら、ルシールは平気で町長を殴り付けたことだろう。財産没収などなんの正当性もない、お前の(ふところ)の金で町の人々を食わせるべきだと叫んだことだろう。


 彼女の両親は陰鬱な表情で、しかし諾々(だくだく)と没収を受け入れた。かくして彼女の家は零落したのである。ただ、伝手(つて)はある。あるはずだった。


 不幸は続くもので、財産没収からほとんど()を置かず、各地に散った兄弟姉妹の訃報(ふほう)が次々に届いた。夜間防衛中の戦死。辻馬車による事故死。無法者による殺害……。


 父も母もほとんど喋らなくなった。そしてほどなく寝床から起き上がることすらなくなって、食事もろくに()らず絶命した。自殺によく似た無気力な死だ。


 ひとり生家に(とど)まり夜間防衛で糊口(ここう)(しの)いでいたルシールは、翌年の豊作を冷笑した。次も、その次の年も実りは続く。彼女の心はすっかり凍てついてしまった。燃え上っていた怒りはすっかり消え果て、(おき)すらない。残ったのは孤独な日々だけ。


 ある日町長の息子とその嫁、そして孫が楽しそうに畦道(あぜみち)を笑いながら歩いているのを見かけて、ルシールはふと悟った。


 地位さえあれば、不幸は訪れなかった。あの飢饉(ききん)も耐えきれた。兄弟姉妹も死なずに済んだ。今でも両親は健在だった。自分はかつての家庭を再現するように、幸福な結婚をして、幸福な家庭を持ち、たくさんの子宝に恵まれた。


 きっと、そうだ。


 ルシールは自分のなかに芽吹いた確信が狂気と差異のないものであるとは、一向に気が付かなかった。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。



・『永久魔力灯』→魔力を施した灯り。光度や色調は籠められた魔力に依存する。魔道具。詳しくは『38.「隠し部屋と親爺」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『マグオート』→文化的、経済的に成熟した街。王都から流れてきた富豪が多く住む。トムとマーチの故郷。別名『銀嶺膝下(ぎんりょうしっか)』。ラガニアの辺境である地下都市ヘイズと、転送の魔道具によって接続されている。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて


・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より


・『魔道具』→魔術を施した道具。魔術師であっても使用出来る。永久魔力灯などがそれにあたる。詳しくは『118.「恋は盲目」』『間章「亡国懺悔録」』にて

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