Side Carol.「最初に石を投げたのは」
※キャロル視点の三人称です。
マグオートの墓地は人々がひしめき合っていた。これほど賑わう墓地というのも滅多にないが、そこに喧騒はない。誰も口を開くことなく、銀山に隠れつつある茜色の陽を受けて、冬枯れた木々のように立ち尽くしていた。墓前で瞑目する、座した女戦士――マーチを誰もが見守っている。彼女の隣では獣人がぼんやりと空を見上げ、二人から一歩下がったところで町長のラクローが気まずそうに俯いていた。それらすべてを見渡せる場所に、キャロルは立っている。
壁外でラクローがマーチに水を向けようとした矢先、当のマーチが先を制して、死者の埋葬を願い出たのだ。マグオートの墓地で弔える人数ではなく、壁内の一角に巨大な穴を掘って埋めることとなった。人々が総出で働き、ようやく埋葬を終えたのは夕暮れ時である。それに、穴はひとつきりではなかった。血族の亡骸も同じように壁内に埋葬したのである。放置しておくわけにもいかないのは道理だったが、キャロルはそればかりが理由ではないと知っていた。厳密には、町の多くの人々が同じ想いだったことだろう。反対意見などひとつも出ないどころか、人々は率先して敵の亡骸を丁重に扱った。町の者ではない騎士たちは当惑顔だったが、それも当然のことである。マグオートと血族とは文字通り地下深いところで繋がっているのだから。
今、キャロルたちが立っているのは戦死者を埋葬した場所ではなく、町の墓地である。ひと仕事終えるや否や、マーチがほとんど無言でそこへ向かったので、ぞろぞろとついていった結果が、この静かなる賑わいである。
マーチが手を合わせる先にあるのが、彼女の父の墓だということがキャロルには分かっていた。その隣に彼女自身の墓があることも。
やがてマーチが顔を上げた。そして器用に車輪を操って町長と正対する。
そんな彼女に対し、ラクローは厳かに跪いた。
「マーチ。私は貴女に――」
「私はマーチではない。おそらく、マーチによく似た顔なのだろう」
そんなことあるわけがない。ほかの住民ならまだしも、キャロルは見間違えるはずがなかった。隣の獣人も目を丸くしている。
町長はしばし口ごもっていたが、やがておずおずと言った。
「……マーチではない貴女に言うのは筋違いかもしれないが、私は彼女にとてもひどいことをしてしまった。私はあろうことか――」
「町長。貴方はなにも間違っていない。町を守るために必要なことをしたのだろうと、マーチは思うだろう。おそらく。だから、もしマーチがここにいるのなら、きっとこう言う。貴方は謝ってはいけない。胸を張って、これからも町の平和に努めてほしいと」
二人の間になにがあったのか、キャロルは知らなかった。水晶竜相手に深手を負ったマーチを、当時のラクローが手を尽くして治療しようとしたことも。足の機能が戻る見込みがないと分かり、すなわち再び戦士として戦えないと知るや否や、監禁馬車を用立てて僻地に捨てようとしたことも。それが実質的な処刑にほかならなかったことも。
こうして生きているマーチを見て、キャロルはあえてなんの想像も働かせなかった。町長とマーチにしか知り得ないことを空想したとしても、誤解にしかならない。誤解は思い込みになり、思い込みは暗黙裡の事実になってしまう。むろん、自分の内心でだが。キャロルはそのような誤りの跋扈を、マーチ相手には許さなかった。生きている。それだけをしっかり見つめればいい。
長らく沈黙が場を支配していたが、やがて町長が深く頭を下げた。
「なにか困ったことがあれば、遠慮なく言ってくれ。貴方は英雄だ。水晶――いや、マグオートを守るために血族と戦ってくれた英雄なのだから」
「それを言うなら、皆が英雄だ。騎士団の男が戦線を維持したと聞いている。命を散らして多くの敵を討った魔術師がいたとも聞いている。キャロルの活躍は先ほど皆も耳にしたばかりだろう。誰もが勇敢に戦った。それぞれが英雄だ。死者も生者も」
この場にローランの姿はない。死者の埋葬の前に気絶して、今は騎士が看病している。当然だ。誰よりも重症を負ったのだから。そんな彼が意識を失う前に口にしたのは、ひとつの願いである。この地に散った魔術師――マドレーヌの碑を作ってくれと。町長はそれを誓い、間もなくローランは気を失った。
「この」と言葉を続けて、マーチは獣人の手を軽く叩いた。「エーテルワースも後方で厄介な血族の引き付け役を担ってくれた。彼も立派な英雄だ」
皆の視線が一斉に獣人へと向いた。そのなかには、今さらながら怯えが入り混じっていたことだろう。蔑視に近い表情もあったはずだ。
キャロルはエーテルワースをまじまじと見て、自分はなんて迂闊だったのだろうと悟った。彼女は今この瞬間、獣人の正体に気付いたのである。
知った瞬間には、キャロルは地面に膝を突いていた。崩れ落ちたような具合だが、少し事情が違う。彼女は座を正し、エーテルワースを見上げながら、地に手を突いた。当の彼は気詰まりな表情で目を逸らしたが。
そんなことおかまいなしに、キャロルは声を張った。この場の誰ひとりとして聞き逃すことがないように。
「この方はトムの友人で、亡きトムを故郷に連れ帰った獣人です!」
稀代の冒険家『命知らずのトム』。他種族の間を渡り歩いたその男の出身地がマグオートだった。彼の晩年を友として一緒に過ごし、彼の亡骸を故郷に届けたことをキャロルは知っている。なにせ、遺体を抱えて町に入る姿をこの目で見たのだから。人々の間では、トムは家族に看取られたとされているが、真実は違う。
あちこちで疑問の声が上がったが、キャロルはそれらを強く否定した。妻と息子に看取られたなど大嘘だと。どこかの誰かが触れ回った繰り言だと。
どこかの誰かさんは、呆気なくそれを認めた。
「キャロルの言う通り。トムの奥さんも息子も、彼の死に目にゃ会えなかったよ。そこの獣人くんが後生大事に死体を運んできてくれたってのが真相だ。デマの出所は俺。トムの編集者をしてたマーティンだ。お久しぶり」
墓地の一角に植わった木にもたれて、長身の男がへらへらと言い放った。その顔には悪びれたところがひとつもない。
エーテルワースはマーティンを睨み、牙を覗かせた。それを宥めるように、隣のマーチが彼の腕を取ってさすっている。
「エーテルワース。貴方はあの男を殺しに来たわけじゃないだろう? 町を守るために来た。そうだろう?」
マーチの言葉を契機に、獣人の殺気がみるみる収まっていった。
やがて溜め息をつくように、ぽつりとこぼす。小さな声だったが、この静けさだ。墓地の皆の耳に届いたことだろう。
「そうだ。吾輩は友の愛した故郷を守るために来た」
その言葉に、キャロルはひどく胸を痛めた。そして胸の痛みの命じるままに、地面に額をつける。
「ごめんなさい」
エーテルワースが今、どんな顔をしているか分からない。
「トムをこの町に届けてくれた貴方に……一番最初に石を投げたのは、私です」
許されるかどうかは問題ではなくて、キャロルはそれを言わずに済ますつもりはなかった。潔さや勇ましさが去らないうちに、ちゃんと言葉にしないといけない。ちゃんと態度に示さねばならない。自分がどれだけ臆病かなんて、自分が一番知っている。エーテルワースに石を投げた理由もそれだ。獣人が怖かった。早くいなくなってほしかった。トムの偉業は知っているのに、他種族がどうしても受け入れられなかった。
窮地を救ってもらったところで、拒否感はいずれ心に去来するだろう。けれど今は、エーテルワースを否定する気なんてとてもない。むしろ許しを乞う立場だ。
「顔を上げてくれ。頼むから」
エーテルワースの声が降ってきて、キャロルはゆるゆると身を起こす。彼の顔は奇妙な具合に歪んでいた。気詰まりなようにも、不快なようにも、不思議と照れているようにも映る。エーテルワースは咳払いをひとつして続けた。
「吾輩は謝罪を受けに来たわけではない。マーチが言った通り、この地を守るために来ただけだ」
すかさずマーチが「私はマーチではない! マーチによく似た者だ!」と訂正する。彼女の微妙にズレた言葉のおかげか、墓地に少しばかりの和やかさが広がった。
だからだろう、この機を逃すまいとラクローが提案する。
「どうだろうか。二人とも、この町に暮らすというのは。お二人だけの力ではないにせよ、この地を救うための要になってくれたのは間違いないのだから。誰も否定はせん。否定はさせん。獣人だろうと、足が悪かろうと。……どうだろうか?」
二人はほんの数秒だけ目を合わせて、ほとんど同時に苦笑いをした。
「それは謹んで辞退させていただく。我々には帰る場所があるのだから」と答えたのはマーチである。しかし、次の言葉は随分と恥ずかしげにこぼされた。「だが……戦争が終わるまで帰れない身で……それまでマグオートを守って戦う代わりに……なんだ……その……食事をもらいたい」
ラクローは二人それぞれに頷きを返し、笑みを浮かべた。負い目の消えない笑みだったが、充分に柔らかい。
「食事も、宿も、着替えも、湯浴みも、なんなりと。戦争が終わったあとも、貴方がたが望むなら、いつでもマグオートは歓迎します」
◆
夜半、魔物の出る少しばかり前の時間、マーチとエーテルワースは壁外へと歩んでいた。今のところ二人のほかに誰の姿もない。路地を選んだのだから当然と言えば当然である。
「あれで良かったのか?」
そう問うたのは獣人のほうだ。マーチはぼんやりした顔で中空を眺めている。いつもは生真面目な顔で間が抜けた一面を見せるのが彼女の常だが、この表情は珍しい。
やがてマーチは首を横に振った。
「町長は正しい。それは確かだ。故障した英雄が居座り続ければ士気に響く。とはいえ……それを許す自分と、許せない自分がいる。どちらの自分も本物だから、厄介だ。抱え続けるしかないんだろう。それは貴方も同じじゃないのか? エーテルワース」
「まあ、そうかもしれん。そちらと事情は違うが、こう、もやもやするな」
「最後まで謝らなかったな、あのマーティンとかいう守銭奴は」
「そういう男なのだろう。別に憎くは思わない。もう過ぎたことだ。しかし、もやもやはする」
「そのもやもやも自分自身だ。失ってはいけないのだろうな」
「そうなのだな。きっと。――おや、あれは昼間の……」
門前に立つ女性を発見し、エーテルワースは思わず足を止めかけた。それも一瞬のことで、すぐに歩調を取り戻す。
その女性は真っ赤に泣き腫らした目でにっこり笑い、それから深々とお辞儀をした。腰には短剣。彼女も夜間防衛に参加するらしい。彼女の後ろに控える男二人もそうだろう。
マーチは得意気に口角を上げ、小さく囁いた。エーテルワースにしか聞こえないくらいの声で。
「キャロルだ。戦士時代の、私の大事な後輩」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『キャロル』→マグオートの戦士。気だるげな女性。運河を越えるために砂漠の廃墟の掘削事業に従事していた。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて
・『マグオート』→文化的、経済的に成熟した街。王都から流れてきた富豪が多く住む。トムとマーチの故郷。別名『銀嶺膝下』。ラガニアの辺境である地下都市ヘイズと、転送の魔道具によって接続されている。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて
・『マーチ』→ローレンスの館の使用人。彼に作ってもらった車椅子型の魔道具『偉大且つ華麗なる有翼輪』に乗って家事全般をこなす。度を越えて生真面目かつ不器用なので、よく空回りする。ローレンスにはマーちゃんと呼ばれているが、当のマーチは認めていない。もともとは王都の西方に位置する町、マグオートで戦士をしていたが、足を負傷したことにより追放の憂き目にあった。詳しくは『485.「マーちゃん」』にて
・『ラクロー』→マグオートの現町長。邸の地下にヘイズと接続した転送魔道具がある。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『水晶竜』→水晶に覆われた身体と退化した翼を有する大型魔物。滅多に出現しない。詳しくは『幕間.「西方の女戦士」』にて
・『監禁馬車』→対象者を目的地まで強制的に運ぶ馬車。通称『動く檻』。初出は『幕間.「ハルキゲニア~時計塔最上階~」』
・『不滅のローラン』→紫の長髪の優男。騎士団ナンバー6。剣と盾で戦うスタイル。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』にて
・『マドレーヌ』→炎の魔術を得意とする、『救世隊』の魔術師。性別は男性だが、女性の格好をし、女性の言葉を使う。シンクレールに惚れていたが、彼に敗北。テレジアの死によって、彼女の教義を伝える旅に出た。現在はマグオートに滞在。詳しくは『317.「マドレーヌ」』にて
・『エーテルワース』→『魔女っ娘ルゥ』に閉じ込められたキツネ顔の男。口調や格好は貴族風だが、人の匂いをすぐに嗅ぐ程度には無遠慮。剣術を得意としており、強烈な居合抜きを使う。冒険家である『命知らずのトム』とともに各地をめぐった過去を持つ。詳しくは『494.「キツネの刃」』『Side. Etelwerth「記憶は火花に映えて」』にて
・『命知らずのトム』→他種族の生態を記した数多くの書物を残した冒険家。獣人に片足を切られ、それが原因で亡くなった。エーテルワースの友人。詳しくは『436.「邸の半馬人」』にて
・『マーティン』→トムの執筆した作品の出版を担当していた男。功利主義




