Side Carol.「持たざる騎士の栄光」
※キャロル視点の三人称です。
空中の戦闘がキャロルの認知の外にあったのと同様に、地上での趨勢は、空中のイアゼルの意識の埒外である。目の前の車椅子の女戦士――マーチをどうにかして、多幸の喇叭を回収する。それですべて逆転出来る公算だった。しかしながら、マーチはことごとくイアゼルの進路を塞ぎ、刃を振るって後退を余儀なくさせる。彼としては忌々しい限りである。キャロルのような臆病者に小指を噛み切られたことも、多幸の喇叭を遠投されたことも、苛立ちを駆ってやまない。
全部、とイアゼルは内心で思った。全部異常者のせいだ。誰もが幸福になれば、このような事態は起き得なかった。それが事実であるだけに、歯痒いものがある。なぜこうも人心はままならないのか。なぜはみ出し者が生まれてしまうのか。なぜひとは不幸を甘受するのか。イアゼルにはそれが一向に分からない。分からないから、洗脳魔術という方法を信奉するしかなかったとも言える。
マーチの攻撃を回避しつつ、イアゼルが残った四本の指で洗脳を試みたのは、ごく自然で妥当な戦略だったろう。彼女さえ無力化してしまえば、あとは時間の問題なのだから。
マーチの剣を踊るように回避し、左の薬指を額に押し付ける。
「空望成就」
望む未来があるのなら、誰しもそれに埋没する。が、マーチの剣は依然として振るわれた。彼女にとって理想と現実にギャップはない。
次に額に触れたのは中指である。
「追想自鳴琴」
大切な想い出があるのなら、それに浸っていたいと感じるのが当たり前だ。むろん、マーチにも幸福な過去はある。父と過ごした年月がそれにあたるだろう。しかしそれは現在と地続きだ。したがって、過去と現在は不可分であり、特定の記憶に埋没することを彼女の精神は許さない。
次は人差し指。
「虚空領域」
脱力は幸せを伴う。それを強制的に惹起するこの洗脳は、もとよりマーチと相反するものだ。ゆえになんの効力も持っていない。
最後に、親指。
「万象赦免」
究極の幸福とは苦役からの解放――すなわち死である。それを強要するのがこの洗脳だったが、マーチは現実を苦役などと思ったことはない。痛みも苦しみも哀しみも辛さも、在るべくして在る。ゆえに、自死などもってのほかだった。
これら数々の洗脳魔術は、エーテルワースになら効いたかもしれない。特に幸福過ぎる想い出を持つ彼に追想自鳴琴や空望成就は覿面だったろう。しかし相手はマーチである。彼女には、イアゼルの手持ちの洗脳はいずれも効果を為さなかった。
「異常者め、異常者め、異常者め!!」
「異常なのは貴様だ!」
マーチの剣がイアゼルの額際を掠った。薄皮一枚にも満たない接触で、血の一滴も溢れない。飛行魔術の精度において、イアゼルは卓越していた。少なくとも、マーチの剣戟を回避しおおせる程度には。とはいえ、彼女を突破して貴品を回収に行けないのも事実であり、その意味では拮抗していると言えるだろう。
各種洗脳魔術。そして飛行魔術。それだけがイアゼルの得手だった。自由自在に操れるという意味において。ほかに引き出しがないわけではない。
少年時代に、彼は自分の住む街を焼き尽くした。むろん、魔術でだ。
イアゼルの右手が天へと掲げられる。その瞳には、諦念に似た色が浮かんでいた。
「幸せになれない奴なんて、消えてしまえ。――再誕の太陽」
降り注いでいた陽光が、一瞬にして橙色の西陽に似た光に変わった。否、太陽を領する巨大な火球がイアゼルの掲げた手の上に顕現したのである。禍々しく波打つそれは、怖気を誘うに余りあるものだった。特に、魔術に心得のある者なら、ひと目でその尋常でない魔力の密度を理解し、戦慄したことだろう。ろくに予備動作もなく出力された点からも異常と言って差し支えない。良くも悪くも、その魔術はイアゼル自身の感情にあまりに依存していた。
マーチはマグオート出身なだけあって、魔術に関して精通してはいない。ローレンスのもとで使用人をするようになっても、その方面の知識は己には不要と断じていた。ゆえに、鈍かった。イアゼルの狂気的な魔術を仰ぎ見ても『大きいな』や『熱そうだ』と感じたのみである。見たままの感想だ。
「消えてなくなれ、異常者」
イアゼルの手の動きにつれて、火球が連動する。高熱の塊は彼女の頭上間近まで迫っていた。
後退するにも回避出来る大きさではない。下降したなら地上の人々に被害がおよぶ。上昇するのは火中に飛び込む愚だ。しかしマーチは、筋の通った愚なら理があると考えている。ゆえに剣を引き、イアゼルへの前進を選び取った。刃が到達する前に身が焼かれると知りながら。
マーチの視界が橙一色に染まり、全身が焼ける痛みに襲われた。まともに目も開けられない。肺を守るために呼吸は止めていた。
そのような空中での疾駆が何秒続いたことだろう。イアゼルはマーチが灰になると確信していた。余裕の笑みさえ浮かべたものである。
ところで、マグオートに来てから彼の判断や読みが正しかったことなど一度だってあったろうか。流刑地には行けず、バイターを殺めたせいで戦力を欠き、ローランを血族任せにして後方の異変に気付けず、キャロルに許した小指は噛み切られた。
灼熱の疑似太陽から飛び出したマーチを目にして、イアゼルはぎょっとした。左手の盾で前面の熱を多少なりとも抑え、猛進した彼女の剣が振り下ろされる。
イアゼルが咄嗟に右腕を引いたのは、反射的な動作だった。右手が彼女の攻撃圏内にあったからである。逆に言えば、右手を引けば刃は届かない。
事実、マーチの剣は空振りし、その身は空転した。イアゼルは若干の笑みをこぼしたが、油断するにはあまりにも早い。
空中で一回転したマーチは慣性のまま前進し、回転した分の力を乗せて、左手の盾でイアゼルの脳天を打ったのである。彼が地上へと一直線に叩きつけられたのは妥当な結果だった。しかし、まだ命を奪うには足りない。たかが脳への打撃ごときで血族は死にはしないのだ。そしてこのときのイアゼルは意識さえ失っていなかった。
土煙のなかで、金髪の長身が立ち上がる。両足で地を踏みしめ、少しばかりぼんやりする頭で、彼は思った。
もう一度。
もう一度、再誕の太陽を。
今、マーチは空中に留まったままである。再度同じ魔術を地上から天へと行使したなら、その身が塵も残さず消えるのは必定。イアゼルの勝利である。邪魔者を排除したのち、多幸の喇叭を回収すれば万事解決。血族の勢力は減ったかもしれないが、多幸の喇叭にかからないような異常者は、ローランのように人間の凶刃で追い詰めればいい。今度はそこに血族の加勢も許せば、労せずして決着はつく。
イアゼルはそのように読んでいた。実際、彼の推測は間違っていない。マグオートで演じた数々の失策に比べれば、的を射た判断と言えよう。しかしながら、彼の失態は彼自身の読みの精度にのみ依存するものだったろうか。油断や傲りはあれど、その多くは偶然の所産だったはずだ。この場合もそうである。
キャロルは後方の轟音を耳にして、咄嗟に振り向いた。土煙が立っている。その位置がどのあたりであるか、おおよそ把握していた。もっとも近い場所に誰がいるのかも。
恍惚と手を掲げたイアゼルの前に、土煙を裂いて突っ込んだのは、不滅の二つ名を持つ瀕死の騎士である。
非力で、精神に弱さを抱え、序列の六番手に見合わない過小な実力を持つ男――ローランの刃は、マグオートを襲撃した血族の大将の胸を深く袈裟斬りにした。
宙を舞う黒い血液と、崩れ落ちる血族。
持たざる騎士が為した、これまでの人生で最大の功績だった。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『キャロル』→マグオートの戦士。気だるげな女性。運河を越えるために砂漠の廃墟の掘削事業に従事していた。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて
・『悦楽卿イアゼル』→黒の血族で、ラガニアの侯爵。洗脳魔術の使い手。詳しくは『幕間「落人の賭け」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『マーチ』→ローレンスの館の使用人。彼に作ってもらった車椅子型の魔道具『偉大且つ華麗なる有翼輪』に乗って家事全般をこなす。度を越えて生真面目かつ不器用なので、よく空回りする。ローレンスにはマーちゃんと呼ばれているが、当のマーチは認めていない。もともとは王都の西方に位置する町、マグオートで戦士をしていたが、足を負傷したことにより追放の憂き目にあった。詳しくは『485.「マーちゃん」』にて
・『洗脳魔術』→魔術の分類のひとつ。読んで字のごとく、対象を洗脳するための魔術
・『エーテルワース』→『魔女っ娘ルゥ』に閉じ込められたキツネ顔の男。口調や格好は貴族風だが、人の匂いをすぐに嗅ぐ程度には無遠慮。剣術を得意としており、強烈な居合抜きを使う。冒険家である『命知らずのトム』とともに各地をめぐった過去を持つ。詳しくは『494.「キツネの刃」』『Side. Etelwerth「記憶は火花に映えて」』にて
・『貴品』→血族たちの作り出した魔具。詳しくは『911.「貴品」』にて
・『飛行魔術』→肉体に浮力と推進力を与える魔術。制御には高度な技術を要する。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『マグオート』→文化的、経済的に成熟した街。王都から流れてきた富豪が多く住む。トムとマーチの故郷。別名『銀嶺膝下』。ラガニアの辺境である地下都市ヘイズと、転送の魔道具によって接続されている。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて
・『ローレンス』→ルイーザの幼馴染。水魔術や変装魔術、果ては魔道具の作製など、魔術的な才能に溢れた青年。能天気な性格。愛称はローリー。詳しくは『第二章 第六話「魔女の館~①流星の夜に~」』にて
・『不滅のローラン』→紫の長髪の優男。騎士団ナンバー6。剣と盾で戦うスタイル。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて




