131.「ネクスト・ターゲット」
痛みを抱えながら辿り着いたのは、市民街区にしては豪奢な邸宅だった。シックな二階建ての邸は整った芝生に囲まれている。
「さて」とヨハンは呟いて、邸と隣家の間にある路地を指さした。「行きましょう」
さすがに堂々と入っていくわけにはいかないらしい。それもそうだ。
路地に入ると邸の裏口を五度続けてノックした。それから一拍置いて三度ノックする。
戸が薄く開かれ、レジスタンスの男がわたしたちの姿を確認すると素早く手招きした。「入れ」
薄暗い廊下を抜けると、随分と広い居間に出た。踏み心地の良い絨毯。壁に掛かった弦楽器。暖炉と揺り椅子。加工のされたテーブルは滑らかな触感で、椅子も同じ仕立てだった。
レジスタンスの男は感慨なくその部屋を通り抜け、向かい側にぽっかりと開いた廊下の前で立ち止まった。さっさと来い、ということだろう。
ランプの灯った廊下を少し歩くと、レジスタンスの男は階段を下っていった。全員地下に潜伏しているのだろう。地上に比べると安全とはいえ、地下の空気は嫌というほど経験している。
「まあまあ、そう気を落とさないでください。地下といっても、ここはエレガントですから」
まるで心を読んだかのようにヨハンが言う。
辿り着いた地下の広間は、ドレンテ邸の広間と大差なかった。強いていえば、壁沿いに皮張りのソファがいくつか並んでいる程度の違いだ。
広間の長テーブルには既に数人のレジスタンスや盗賊たちがいた。その中には、ドレンテやレオネル、更にトラスもいた。その他のメンバーは別室で休んでいるのだろう。
「クロエ!!」と叫んでトラスが駆け寄った。「お前、大変な怪我じゃねえか! 大丈夫なのか!?」
「平気よ。子兎に引っかかれただけ」と笑ってみせるとトラスは振り向いてレオネルに呼びかけた。すると、老魔術師は頷いてこちらに歩み寄った。
「簡単な治癒を施します」とレオネルは言う。それから彼の指先からわたしの身体へと魔力が注がれた。なんだかくすぐったい。
それは本当にごく些細な治療だった。浅い傷口が塞がった程度のものである。
そもそも治癒魔術自体が非常に高等な魔術だ。これだけでも充分過ぎるくらいレオネルは熟達している。世の治癒魔術師は目に見えて恢復を実感出来るほどの治癒を施すことなど出来ず、その多くが詐欺師扱いされていた。それもそのはずで、魔術に無知な人間ほど劇的な効力を期待するものだ。実際は止血や痛み止め程度の治癒魔術が一般的である。傷が塞がる、というのはそれだけで尊敬に値する。
「さあ、アリスお嬢さんも」とレオネルが言った直後、彼の後ろからドレンテが現れた。その瞳はぶるぶると震えている。唇は蒼褪め、薄く開かれていた。
「アリス」と消え入りそうな声でドレンテは呟いた。そんな彼を見て、アリスは口を尖らせる。
「なぜそんな無茶を……傷が……」
ドレンテがよろよろとアリスに寄る。彼の手がアリスの肩に触れようとした刹那、彼女は身を引いて魔銃を構えた。銃口は彼の額に向けられている。
「こんな傷、大したことないさ。いい加減子離れしな」
彼女の言葉にドレンテは一切怯まなかった。それどころか、却って落ち着きを取り戻したかのように顔が引き締まる。
「手当てする。こっちに来なさい」
「寄ると撃つよ」
「お前が」と切り出して、ドレンテはぎゅっと目を瞑った。「お前が傷だらけだと、母さんが哀しむ」
魔銃を構えた腕が脱力し、アリスは舌打ちをした。「……卑怯」
それから「ひとりで治療するから、道具を貸して」と呟いた。
なんだ。アリスも案外素直じゃないか。それとも、親子の情というやつだろうか。ランプの橙色がアリスの顔をぼんやりと照らしていた。
湯を浴び、レジスタンスたちが用意してくれた代わりの服に着替えた。質素なシャツと軽いズボン。それまで着ていた服は湯揉みして血を洗い流し、特別に与えられた自室に干しておいた。功労者、という理由で邸内の部屋をもらうのはどうにも気が引けたが、好意に甘えることにした。
せっかくマルメロで買った服が切り傷だらけになってしまった事実にはどうも耐え難いものがある。落胆するわたしに、邸の主人であるレジスタンスの男は裁縫道具と服の色に合った当て布をくれた。お蔭様で気分は上々である。
夜が更けると、地下の広間で会議が始まった。次の作戦行動を決める重要な場である。無論、わたしとヨハンも参加していた。アリスは治療のため、ケロくんは原因不明の体調不良――おそらくは仮病――のために欠席である。
「まずはご報告を」とヨハンが口火を切る。
空気が張り詰め、秘密めいた雰囲気が強くなる。
「無事等質転送器の破壊は果たしました。住民の心もこれで解放されたわけです。その証拠に、市民街区を歩く我々に住民は誰ひとり警備兵を呼びませんでしたよ」
ドレンテは口元に手を当てて、怪訝な顔をした。「信じられません。……しかし、無事辿りつけたということは事実なのでしょう」
「その通りです。そして、素晴らしい副産物もあります……お嬢さん、戦果を話してあげてください」
唐突に話を振られたのでびっくりした。しかしながら、言うべきことは決まっている。
「時計塔で『黒兎』と遭遇しましたが、アリスと共闘して討ち倒しました」
ざわめきが沸き立つ。レジスタンスたちは一様に驚愕の表情で顔を見合わせていた。ドレンテやレオネルでさえ、驚きを隠していない。
「それは……事実なのでしょうね?」とドレンテは恐る恐る訊ねる。
頷いて「事実です。『黒兎』は最期、アリスが時計塔から叩き落としました」と答えた。
ざわめきが大きくなる。「アリスが?」「やるじゃねえか」「ただの跳ねっ返りじゃなかったんだな」「さすがドレンテさんの娘だ」
ヨハンは咳払いをして、注目を集めた。ざわめきがやみ、彼は人さし指を立てる。「ひとつ、アリスさんから伝言があります」
いつの間に伝言なんて預かったんだ、と呆れてしまう。本当にヨハンは知らないうちに動いて様々な情報を掴んでいる。油断ならない。
「アリスさん曰く『黒兎』は死んでいないようです。時計塔からの落下地点を探し、血の跡まで辿ったそうなんですが、どこにも『黒兎』はいなかったらしいです。死体が勝手に動き回ることはありませんので、彼は生きていると考えるのが妥当でしょう」
アリスの執念に、どうにも困惑してしまった。そこまで徹底的にやるのが彼女の流儀なのだろう。共感出来ないわたしは、やはり甘いのだろうか。
「すると……『黒兎』を経由して騎士団に我々の存在が把握されている恐れがあるのですか?」
ドレンテは神経質に指を組み合わせた。
「規模やメンバーは把握されていないはずですが、抵抗勢力が現れたことは知られているでしょうね。とはいえ、予期していたことです。時計塔に侵入した以上、遅かれ早かれ察知されるものですから」
割れたステンドグラスや破壊した等質転送器を隠すことなんて出来ない。既に後戻りの出来ない道を進んでいるのだ。レジスタンスも、わたしも。
「ならば、次の動きを早急に決める必要がありますね。予定通りなら議事堂を破壊し、政治的な拠点を奪うはずでしたね?」
そんなプランがあったのか。しかし、議事堂になんの意味があるのだろう。
ヨハンは首を振って否定した。「いえ、予定の変更が必要です。現状、議事堂よりも遥かに重要な場所があります」
「それは、どこですか?」
ヨハンは、すっ、と真剣な眼差しを一同に向けた。
「魔術師養成施設を謳う彼らの重要拠点……『アカデミー』です」
息を呑んだ。わたしはすぐにでも、そこへ乗り込む必要がある。
ノックスとシェリー。二人の幸せのために。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ドレンテ』→ハルキゲニアの元領主。レジスタンスのリーダー。詳しくは『107.「トラスという男」』にて
・『レオネル』→かつてハルキゲニアを魔物から守っていた魔術師。レジスタンスのメンバー。詳しくは『104.「ハルキゲニア今昔物語」』にて
・『トラス』→レジスタンスのメンバー。髭面で筋肉質。豪快な性格。詳しくは『107.「トラスという男」』にて
・『魔銃』→魔砲の一種。魔術師の使用出来る魔具。アリスが所有。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』にて
・『等質転送器』→拡声器型の魔道具。声を均等に届ける道具。詳しくは『118.「恋は盲目」』にて
・『アカデミー』→魔術師養成機関とされる場所。詳しくは『54.「晩餐~夢にまで見た料理~」』にて
・『ノックス』→クロエとともに旅をした少年。『アカデミー』に引き取られた。
・『シェリー』→ハイペリカムで保護された少女。詳しくは『94.「灰色の片翼」』にて




