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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」
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Side Carol.「嘆く時間を勝ち取るために」

※キャロル視点の三人称です。

 キャロルの果たした役割は絶大だった。イアゼルの小指を食い千切ったことによる洗脳の解除。そして多幸の喇叭(カタルシス)を遠投したことによる、別の指での洗脳魔術の拡散阻止。いずれもここまでの彼女の態度からは――もっと言えばこれまでの彼女の人生からは考えられないほどの蛮勇と言っていい。キャロルを奮い起こさせたのは、(まぎ)れもなくマーチの存在である。死んだと思っていた、憧れの女戦士。それが蘇ったかのごとく目の前に現れて活を入れた。かつてキャロルにとって本物の幸福の瞬間を与えてくれたその言葉が、再び響き渡ったのだ。要するに、彼女の勇気の源はふたつ。なにが幸福かをはっきり悟ったこと。そして、叱咤には適切な行為で応えねばならなかったことだ。


「キャロル! キャロル!! なにを馬鹿なことを!!」


 イアゼルは叫びながら、キャロルの吐き出した小指を回収し、自分の指にくっつけようとしていたが、断面がズタズタな状態である。仮に(なめ)らかであったとしても、再び魔力の流れを繋ぐには適切な処置が必要だった。やがて諦めたのか、彼は自分の指を胸ポケットに不承不承(ふしょうぶしょう)しまい込む。


 キャロルには第三の蛮勇も可能ではあった。すなわち、イアゼル当人に刃を向けることである。が、もう勇気は尽きてしまった。マーチが鼓舞したとしても行為には至らなかったろう。なにしろイアゼルは恩人でもある。たとえ仮初(かりそめ)であろうとも、苦しみに満ちた状態から解放してくれたのだから。


「ああぁ……」

「なんてことだ」

「最低だ最低だ最低だ」


 あちこちで声が漏れ聞こえる。いくつもの言葉は、いずれもマグオートの住民や戦士、騎士の嘆きだった。当然だ。キャロルがそうであるように、洗脳中の記憶は消えない。幸福感だけが消失して、あとに残るのは洗脳中の自分のおこないへの悔悟(かいご)か、再び幸福を求める依存かだ。ローランを私刑にかけようとした事実がある以上、ほとんどが前者だろう。


「嘆くな腑抜(ふぬ)けども! 自分が戦場にいると理解しろ! 戦士のみならず住民も同じだ! まずは武器を取って戦え! そののち、懺悔するといい。時間はたっぷりある。(いな)、時間を確保するのは貴様らの努力次第だ! 嘆くのが正しいのなら、生きて、そのための時間を掴み取れ!」


 (げき)を飛ばすマーチの腕から、ローランがよろめきつつも両の足で立った。そして瀕死とは思えないほどの気迫で叫ぶ。


「彼女の言う通りです! 私たちに必要なのは目前の危機を退けること! もし後悔があるのなら、私に従って敵を討ちなさい! この町を救うのです!」


 中天に差しかかった陽射しが大地に等しく降り(そそ)いでいる。それなのに、この二人の姿は一層輝いて見えた。キャロルにはもちろんのこと、おそらくはほかのすべての人々にとっても。


「キャロル。きみを(ゆる)すよ」


 イアゼルの声ののち、キャロルは額になにかの感触を覚えた。二人から顔を()らすと、かがみ込んだイアゼルが指を押し当てている。左の指だ。いずれかの洗脳が(ほどこ)された指。それがバイターを死に追いやった親指だということに気付いたが、遅かった。


万象赦免(トーテンタンツ)


 直後、キャロルのなかに幸福が溢れた。至福充溢(ユーフォリア)のそれとは違う。その幸せは強烈な指向性を持っていた。一切から赦された感覚。もう苦悩はどこにもなく、解放されていい。いや、解放されるべきだと思えてやまない。涙がとめどなく流れ、キャロルは握った剣の切っ先を自分の首にあてがった。


 あとひと押しの力で、この世のすべての苦しみから解放される。恐怖はない。代わりに幸せがある。これは正当な行為で、誰からも非難される(いわ)れはないのだ。


 でも、駄目だ。


 死ねない。


 死ぬ勇気が、持てない。


 キャロルが脱力して剣を手放すや否や、側頭に痛みと衝撃が訪れた。イアゼルに足蹴(あしげ)にされたのである。


「まったく、きみは本当に臆病だ。自分で自分を(あや)める絶好の機会にさえ臆病なんだから、どうしようもない」言い捨てて、イアゼルの身体がふわりと浮き上がる。「まずは多幸の喇叭(カタルシス)の回収だ。虚空領域(メランコリア)でも拡散させて、みんなをもう一度幸福にしてあげなきゃならない」


 イアゼルを止めようと手を伸ばしたが、キャロルの指先は(くう)を切った。イアゼルの姿がみるみるうちに離れていく。彼を止めなければと思うが、追いつく手段はなくて――。


両輪空域軌道(ピアチェーレ)!」


 銀の閃光がイアゼルの行く手を阻んだ。マーチの座した車輪付きの椅子が空を駆け、イアゼルへと斬撃を繰り出す。彼はなんとか回避したものの、邪魔者の登場を予期していなかったのか、金髪の先端が斬られ、はらはらと舞った。


「次から次へと、ぼくの邪魔ばかりして――」


「キャロル!」


 イアゼルを遮った呼びかけに、キャロルは天を(あお)いだ。椅子の上で剣と盾をかまえた女戦士は、威厳をいささかも失わない笑みを投げる。


「よくやった! 貴女はローランの部隊に合流し、血族と戦え! これで仕事が終わりだと思うな! 我々はまだ危機の途上にいる!」


「はい!」


 地に落ちた剣を拾い、涙を(ぬぐ)う。嬉しかった。生きててくれてありがとうと叫びたい。でも、それは全部終わってからの話だ。大好きな先輩にアドバイスをもらって従わないなんて、後輩失格だ。


 地上では盾をかまえた騎士を前線に、後方で弓兵が次々と矢を放っている。両翼に張り出した盾兵が前線を押し上げ、窪みとなった中央部で騎士や戦士が剣を振るっていた。キャロルはなんの迷いもなく中央の勢力へと加わる。気が付くと、両隣にはセグロとアグロの姿があった。二人と瞳を交わし合ったのは一瞬だけだ。しかしそれで充分である。彼らもイアゼルの洗脳を受け、解放され、今は本来の敵へと猛進している。それ以上の事実など、今は必要ない。幼児のようにイアゼルの指をしゃぶっていた先ほどまでの自分が二人の目に入っていたらと思うと気恥ずかしさはあったが、それは今日の夕食時にでも問いただそう。もし二人がなにも知らなかったなら、全部こっちから言ってやる。自分がどれだけ臆病で軟弱で情けないか。たぶん二人はよく分かっているだろうけど、ようやくそれを自分自身の口から言えるような気がした。


 ローランは今、住民の入り混じった兵力の末端部分でひたすら指示を送っている。もはや前線で引っ張っていける身体ではない。その指示の的確さだけが頼りだったが、今のところ(ほころ)びはないどころか、優勢とさえ言えた。


 血族の前列が次々と討たれたのは、なにもローランの指揮だけが理由ではない。血族は完全に混乱状態にあった。約束されていたはずの幸福――至福充溢(ユーフォリア)が消失し、戦意が否応(いやおう)なく低下したのもあるだろう。そこにきて、皆が思い浮かべてやまない言葉と姿があったのだ。イアゼルの幸福を(かたく)なに否定した、桃色の髪の魔術師。今は亡き彼女の声で、戦場において考えるべきではない思考に否応なくリソースを()かれていたのである。真の幸福とはなにか。イアゼルに依拠(いきょ)しない幸せとはなんなのか。ただでさえ胸に(わだかま)っていた切実な自問が、至福充溢(ユーフォリア)喪失の一事によって一気に前景化したのである。


 大勢(たいせい)は決したとは言えないまでも、俄然(がぜん)有利な状況である。血族の末端ではただひとりの獣人――エーテルワースが武を振るっていた。空中からの攻撃が可能な血族を引き付けていたとも言える。それもまた、前線の兵たちに有利に働いたのは間違いない。


 総勢千名を誇るイアゼルの部隊は、マグオートに到着するまでに白銀猟兵(ホワイトゴーレム)の対処で百ほどの勢力を失い、マドレーヌによって三百が灰燼(かいじん)()した。そうして残った六百はマーチとエーテルワースの不意打ち、そして回帰したマグオートの人々による攻撃で急速に目減りしている。


 マグオートが真の安寧(あんねい)を取り戻すまで、あと一歩だった。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。



・『キャロル』→マグオートの戦士。気だるげな女性。運河を越えるために砂漠の廃墟の掘削事業に従事していた。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて


・『悦楽卿イアゼル』→黒の血族で、ラガニアの侯爵。洗脳魔術の使い手。詳しくは『幕間「落人の賭け」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて


・『洗脳魔術』→魔術の分類のひとつ。読んで字のごとく、対象を洗脳するための魔術


・『マーチ』→ローレンスの館の使用人。彼に作ってもらった車椅子型の魔道具『偉大且つ華麗なる(ダブルグレート・)有翼輪(グリフォイール)』に乗って家事全般をこなす。度を越えて生真面目かつ不器用なので、よく空回りする。ローレンスにはマーちゃんと呼ばれているが、当のマーチは認めていない。もともとは王都の西方に位置する町、マグオートで戦士をしていたが、足を負傷したことにより追放の憂き目にあった。詳しくは『485.「マーちゃん」』にて


・『マグオート』→文化的、経済的に成熟した街。王都から流れてきた富豪が多く住む。トムとマーチの故郷。別名『銀嶺膝下(ぎんりょうしっか)』。ラガニアの辺境である地下都市ヘイズと、転送の魔道具によって接続されている。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて


・『不滅のローラン』→紫の長髪の優男。騎士団ナンバー6。剣と盾で戦うスタイル。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『エーテルワース』→『魔女っ娘ルゥ』に閉じ込められたキツネ顔の男。口調や格好は貴族風だが、人の匂いをすぐに嗅ぐ程度には無遠慮。剣術を得意としており、強烈な居合抜きを使う。冒険家である『命知らずのトム』とともに各地をめぐった過去を持つ。詳しくは『494.「キツネの刃」』『Side. Etelwerth「記憶は火花に映えて」』にて


・『白銀猟兵(ホワイトゴーレム)』→人を模した、ずんぐりとした物体。オブライエンの量産している兵器。指令を送ればその通りに行動をすることが出来る。動きは機敏で、硬度は高い。破壊時に自爆する。詳細は『幕間.「白銀空間~潜入~」』『幕間.「白銀空間~白銀猟兵と一問一答~」』『幕間.「白銀空間~魔具制御局~」』にて


・『マドレーヌ』→炎の魔術を得意とする、『救世隊』の魔術師。性別は男性だが、女性の格好をし、女性の言葉を使う。シンクレールに惚れていたが、彼に敗北。テレジアの死によって、彼女の教義を伝える旅に出た。現在はマグオートに滞在。詳しくは『317.「マドレーヌ」』にて

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