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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」
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Side Carol.「幸せの源」

※キャロル視点の三人称です。

 血族の後方から敵襲を(しら)せる声が届かなかったのは、ひとえに、前線でローランをいたぶる者たちの(はや)し声に()る。また、戦列の末端にいた血族たちの思い上がりも大いに影響していた。背後を取られるなど考えてもおらず、したがって振り向いたときには刃を身に受けていたのである。


 尋常(じんじょう)の手合いであれば、後方の血族だけで楽に対処出来ただろう。なにせ相手はたった二人。車椅子の女と、人間の(よそお)いをした獣人一体だけ。不意を突かれたかたちにはなるが、平伏させるのにさしたる労苦はない。そのはずだったが――この二人が尋常一様(いちよう)の強さではなかった。片や車椅子で高速移動して無駄なく致命傷を与え、片や見事な剣技でことごとく喉や心臓に一撃を与える。しかしいかなる強者といえども多勢に無勢だったのは確かである。末端の血族五十名があっという()に命を散らし、今も急速に死が広がっているのは二人の強さだけに由来していない。二人の知るところではないが、マドレーヌの言葉の数々が、血族たちの動きを鈍らせていたのだ。最期まで己の信じる幸せを()いた彼女と、イアゼルのもたらす洗脳を餌に戦っている自分との(あいだ)に少なからず相克(そうこく)があったのである。


 どよめきはようやく血族の前列――ローランを(はりつけ)にした者たちにも波及し、イアゼルも異常事態に気付いたようだった。ルシールとほぼ同時に。むろん、キャロルにはなにがなにやら分からない。


「新手だね。見てこよう」


 そう言って飛行魔術を使おうとしたイアゼルの腕を、キャロルが必死になって掴んだ。彼女としては、今もしゃぶり続けている小指が美味しくて、幸せで、一秒だって手放したくないのである。


 夢中になって至福にしがみつくキャロルを見下ろして、イアゼルは大笑した。このペットは面白い。これまで洗脳した誰よりも幸福への依存が強い。それだけに、イアゼルにとっても手放し難く思われた。


「ルシール。新手の確認をお願い。人数が少なければ座標をぼくに交信して。至福充溢(ユーフォリア)をかける。多勢なら……多幸の喇叭(カタルシス)の範囲を調整して至福充溢(ユーフォリア)を撒こう。うちの勢力も幸せになっちゃうかもだけど、そっちはすぐに解除すればいい」


「おおせの通りに」


 イアゼルの命令の直後、ルシールが姿を消した。転移魔術で、今や前線となった後方へ移動したのである。


 指示としては適切だったろう。イアゼルを知る者なら、至福充溢(ユーフォリア)がいかに強力な作用を持っているか存分に把握している。戦わずして勝利出来るなら、自軍への被害の面から見ても有益だ。敵が敵でなくなるのだから。マグオートのほぼすべての住民がそうであるように。ましてやイアゼルはマグオートへの滞在を決め込んでいる。万が一、ほかの貴族が制圧旗(せいあつき)のルールを破るという横暴を働いた場合を考えれば、無闇に総数を減らすのは得策ではなかった。彼にしてみればマグオートの住民や戦士、騎士たちさえも手駒として数えられる。


 それ以上に、イアゼルは個人的に至福充溢(ユーフォリア)での支配に固執している向きがあった。幸福を拒絶した者を異端視して耳を貸さないあたりにも、そうした心根(こころね)が表れている。


 幸せなひとだけが正常で、対話するだけの価値がある。イアゼルにとって幸せの定義は、彼の洗脳にかかるか(いな)かを示していた。幸福に侵食された者との対話が果たして対話と呼べるものなのか、イアゼルはただの一度も考えたことがない。誰かが適切な時機に彼の思想を正してやれば、こうはならなかったのかもしれないが、今や正道を説かれたところで響くものはなかった。ルシールだけは特別な存在であり、彼女が軌道修正を()いたのなら、イアゼルも少しは本気で考え直したかもしれない。が、あるはずもない未来を語っても(せん)ないことだ。ルシールはイアゼルを修正する気などないのだから。


 キャロルの頭が不意に押さえられ、小指が口元から離れた。思わず彼女は「あっ」と声を上げる。唾液が空中に糸を引いた。


「キャロル。少しだけ我慢してね。すぐに終わるから」


 中空(ちゅうくう)で彼の小指が消える。ルシールの展開した転移門(エトランジア)の先に、指先だけが転移したのである。転移先は侵入者の額だ。


至福充溢(ユーフォリア)。……至福充溢(ユーフォリア)


 二度詠唱したのは、ルシールが闖入者(ちんにゅうしゃ)二人の額に、順番に転移門(エトランジア)の出口を展開したためである。


 ややあって、イアゼルの小指が引き抜かれ、腕ごとだらりと身体の横に垂れる。キャロルはすかさずそれにしゃぶりついた。指先から、蜜のように幸福が漏れ出してとめどない。そんなイメージが彼女の頭にはあった。


 陶酔(とうすい)するキャロルの一方で、イアゼルはほんのりと眉間に皺を寄せた。今しもルシールから交信があったのである。『至福充溢(ユーフォリア)は効いておりません。新手は二人とも異常者です。こちらで部隊を指揮して排除に徹しますので、転移門(エトランジア)は解除いたしました。どうやら魔力が読めるようですので、これ以上、指での洗脳はリスクに見合っておりません。ご理解ください』と。


「なんで――なんで幸せになれないんだ」


 ぽつりとこぼすイアゼル様を、キャロルは慰めてやりたかった。抱きしめてやりたかった。でも小指の誘惑が強すぎて、なにもしてあげられない。けれど、それで充分だったらしい。イアゼル様は頭を撫でてくれて、「みんなきみくらい素直ならいいのに」と呟いたから。


 新手の二人に至福充溢(ユーフォリア)が無効だったのは当然だ。彼らは本当の幸福を知っている。それがどのようにして手に出来たのかも、道のりの険しさと合わせて身に沁みているのだ。そのような相手に、仮初(かりそめ)の幸福を押し付けたところで効力を発揮しないのは道理である。


 キャロルはイアゼル様の小指を舐めながら、ぼんやりと血族の軍勢のほうを眺めていた。半透明の防御魔術が展開され、敵方の進行を一定程度(はば)みつつ、幾人(いくにん)かの血族は飛行魔術で防御壁を越え、魔術による援護をしているようである。そのなかにはルシールも含まれていた。


 なんでだろう、とキャロルは思った。誰かは知らないけど、イアゼル様たちを襲いに来た。それはきっと人間を、マグオートを守るためで、でももうその必要なんてないのに。それに、幸せになれないなんて哀れだ。あえて幸せを拒絶するなら、もっとひどい。そんなのって、生まれてきた意味すら放棄するみたいなものじゃないの?


 でも、自分に幸せな瞬間がなかったわけじゃない。確かに存在した。それは瞬間瞬間のものでしかなくて、イアゼル様が与えてくれる幸せとは比較にならない。


 ならないのに――。


 半透明の防御魔術にヒビが入り、瓦解(がかい)した。その刹那(せつな)、宙に躍り上がった影がひとつ。車輪付きの椅子に座した姿が、真昼の光を反射しながら、磔になったローランの地点まで軌跡(きせき)(えが)き、彼に斬撃を浴びせた――ように錯覚したが、違った。椅子は斬撃ののちに空中で跳ね上がると、ローランを抱いてマグオートの人々の中心に降り立ったのである。十字架への斬撃は、彼の手足を縛った縄を切断するためのものだった。


 唖然(あぜん)恍惚(こうこつ)の入り混じった人々の視線を一身に受け、そのひとは、その女性は、その戦士は叫んだ。


「なにを(ほう)けている! 敵前で棒立ちになるなど言語道断! 目を覚ませ! 剣を取れ! この軟弱者(・・・)ども!!」


 相変わらず小指をしゃぶり続けていたキャロルだったが、意識はすべて、椅子に座した戦士へと(そそ)がれていた。かつて憧れた女戦士。死んだはずの彼女が――マーチが、今ここに存在する。見間違いではない。見間違えるわけがない。


 幸せがキャロルの脳に鉄槌のごとく打ち下ろされた。それはイアゼルの(ほどこ)した至福充溢(ユーフォリア)に由来していない。彼女に叱咤されたことが、これまでどれだけ幸福だったか、そして今もまた叱咤を受けている状況がどれだけ幸せか、はっきりと自覚したのだ。


「みんな、そいつは異常者だ。取り囲んで殺せ」


 イアゼルの一声で、マグオートの人々の瞳に殺意が宿る。異常者は幸福の邪魔者。そう確信しているからだろう。この場でキャロルだけは、相反(あいはん)する意志を(いだ)いている。


 キャロルは昔も今も、ずっと臆病だった。そんな臆病者にも、人生に何度かは勇気を奮い立たせる機会は訪れる。往々(おうおう)にして失敗するが、それでも一生に一度くらいは成功するだろう。


「せいぜい味方に殺されるといい。異常者の末路なんてそんなものだ。幸福になれないひとになんの価値がぁあああああああああああ!!!」


 イアゼルの絶叫が(ほとばし)り、マグオートの人々の凶刃が動きを止めた。誰の目にも今や困惑が浮かんでいる。この瞬間、全員が至福充溢(ユーフォリア)による洗脳から()き放たれたのだ。至福充溢(ユーフォリア)の源であるイアゼルの左の小指――それをキャロルが渾身の力で噛み千切ったことによって。


 これがキャロルの人生における成功だったと言えよう。そして、成功はこの一度に限ったものではない。


 彼女は即座に抜いた剣でイアゼルの腰紐を切断し、洗脳魔術を拡散する貴品(ギフト)――多幸の喇叭(カタルシス)を奪い取り、町の中心の方角へと、腕の壊れるほどの力で投擲(とうてき)した。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。



・『キャロル』→マグオートの戦士。気だるげな女性。運河を越えるために砂漠の廃墟の掘削事業に従事していた。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『不滅のローラン』→紫の長髪の優男。騎士団ナンバー6。剣と盾で戦うスタイル。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』にて


・『マドレーヌ』→炎の魔術を得意とする、『救世隊』の魔術師。性別は男性だが、女性の格好をし、女性の言葉を使う。シンクレールに惚れていたが、彼に敗北。テレジアの死によって、彼女の教義を伝える旅に出た。現在はマグオートに滞在。詳しくは『317.「マドレーヌ」』にて


・『悦楽卿イアゼル』→黒の血族で、ラガニアの侯爵。洗脳魔術の使い手。詳しくは『幕間「落人の賭け」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて


・『飛行魔術』→肉体に浮力と推進力を与える魔術。制御には高度な技術を要する。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて


・『転移魔術』→物体を一定距離、移動させる魔術。術者の能力によって距離や精度は変化するものの、おおむね数メートルから数百メートル程度。人間を移動させるのは困難だが、不可能ではない。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて


・『マグオート』→文化的、経済的に成熟した街。王都から流れてきた富豪が多く住む。トムとマーチの故郷。別名『銀嶺膝下(ぎんりょうしっか)』。ラガニアの辺境である地下都市ヘイズと、転送の魔道具によって接続されている。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて


・『制圧旗(せいあつき)』→旗状の魔道具。血族に配されたグレキランスの地図と連動しており、旗が刺された地点が地図にマークされる。制圧旗は通常の手段では破壊出来ず、各軍の指揮官が死亡した場合に消滅する。その際、地図のマークは髑髏に変化する。諸侯同士による獲物の横取りを防ぐために開発された。血族の部隊長クラスがそれぞれ所有しており、旗を突き立てる仕草を行うことで出現し、効力を発揮する。詳しくは『幕間「落人の賭け」』にて


・『マーチ』→ローレンスの館の使用人。彼に作ってもらった車椅子型の魔道具『偉大且つ華麗なる(ダブルグレート・)有翼輪(グリフォイール)』に乗って家事全般をこなす。度を越えて生真面目かつ不器用なので、よく空回りする。ローレンスにはマーちゃんと呼ばれているが、当のマーチは認めていない。もともとは王都の西方に位置する町、マグオートで戦士をしていたが、足を負傷したことにより追放の憂き目にあった。詳しくは『485.「マーちゃん」』にて


・『洗脳魔術』→魔術の分類のひとつ。読んで字のごとく、対象を洗脳するための魔術


・『貴品(ギフト)』→血族たちの作り出した魔具。詳しくは『911.「貴品」』にて

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