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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」
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Side Laurent.「私の物語」

※ローラン視点の三人称です。

 暗闇が薄く明けていく。瞼を通過した光が眼球を刺激する。不安定な(きし)みと揺れも、ほぼ同時に意識に入り込んだ。目を開けようとしたところで、頬の一点に柔らかい感触が訪れる。


「また悪戯(いたずら)ですか、シフォンさん」


 目を閉じたまま華奢(きゃしゃ)な指先を捕まえて、思わず笑いが溢れた。ほっそりと目を開けて隣を見ると、シフォンが心持ち唇を尖らせている。


「だって、起きないから」


 起きないから暇に任せてひとの頬をつつく。そんな癖が彼女にあるなんて、旅に出るまで知らなかった。騎士団ナンバー2、嵐のシフォン。常に無表情で、誰とも口を()かず、しかし無類の剣術を持つ。自分よりもひと回り以上年下の彼女のことを『少女』だと認識したのは、旅に出てからのことだ。表現が薄いだけで、この子は年齢相応の感情を(かか)えている。これまではそれを(あら)わにする相手がいなかったのだろう。自分に対しては段々と打ち()けてくれるようになって、小さな我儘(わがまま)や、今みたいな邪気のない悪戯をされることがしばしばあった。いずれもローランは快く思っている。


 馬車が不定期に揺れるのは、比較的手の行き届いていない街道を進んでいるからだろう。(ほろ)の隙間から見える大地は青々とした緑が広がっていて、曙光(しょこう)が射している。いかにも平和な景色だ。


 シフォンの奥で腕組みをした豪傑(ごうけつ)――『王の盾』スヴェルが、兜も脱がずに「あまり浮かれるな」と釘を刺した。


 スヴェルは旅の(あいだ)ずっと堅物のままだった。近衛兵隊長としての自覚の強さゆえか。『油断するな』が口癖で、何度耳にしたことか。それが今は『浮かれるな』に変わっている。


 たった二人の仲間をまじまじと見つめて、ローランは『終わったんだ』と内心で呟いた。もうじき旅の終わりが迫っている。それを晴れ晴れしいとも、名残惜しいとも感じている自分に奇妙なものを覚えた。


 勇者として王都を出立したローラン一行は、夜毎の戦闘を乗り切り、中立地帯を突破し、ラガニアに入った。そして夜会卿の()べる街を攻略し、夜会卿の討伐を果たした。それからは一路ラガニア城を目指すなかで何体もの血族を倒し、やがてはラガニア城の魔王を討ち取るに至ったのである。まだ魔物や血族の残党はいるものの、ひとまずは勇者としての面目躍如(めんもくやくじょ)といったところ。かくして帰路についたわけだ。


「これで『英傑の(わだち)』に正しい終わりを与えられます。イワンの物語が最高のフィナーレを迎える」


 ローランの独り言に、シフォンもスヴェルもそれぞれのやり方で微笑した。旅の間、何度も口にしたことだったから、彼らも心得ているのだろう。ローランの道行きが一冊の小説に(たん)を発しており、正しい結末へと導くための意志を隠すことがなかったのだから。


『英傑の(わだち)』はきっと凱旋の場面か、王への謁見(えっけん)で終わるだろう。それで、書かれなかったイワンの物語は締めくくられる。


 やがて馬車が止まると、遠くで歓声が響いた。


「英雄さんがた、到着ですよ」と馭者(ぎょしゃ)が呼びかける。


 馬車を降りるとそこは王都の門前で、開かれた扉の先には大道の左右で住民たちが声を限りに叫んでいる。どの表情も喜びに染まっていた。娘たちは道に花を撒き、こんなときでも商魂たくましい商人は露天で惣菜を売っている。


 晴れやかな気分で門前へと足を進めたところで、ローランは動きを止めた。やや遅れて、シフォンとスヴェルが振り返る。


「どうしたの?」


「どうした?」


 怪訝(けげん)そうな、でもあまり心配はしていないような二人の声。


 涙が出そうな気分だ。でも、涙腺は乾いている。今の自分がどれだけ後ろ髪引かれる表情をしているか考えると、どうにも情けなくなった。


「二人は先に行ってくれ」


「ローランよ、なにを言っている。これは勇者の凱旋だ。主人公がいなければ成り立たん」


「ローラン、早く行こう」


 華奢な手と、甲冑に覆われた手。それぞれがローランへと差し出された。この手を取れば、自分は(まぎ)れもなく英雄としての凱旋を果たすだろう。


「仕事を思い出したのです」それを口にするのは、ひどく勇気のいることだった。「忘れてはいけない、大事な仕事を」


 そんなローランを、シフォンがきょとんとした顔で見上げている。


「それって凱旋よりも大切?」


「ええ。凱旋よりも大切な仕事です。なによりこれは――」


 言いたくないな、でも言わなければならない。


「これは、私の物語ではありません」


 シフォンは小さく頷いて「そう」と呟く。スヴェルは委細(いさい)を心得たような風情で「ならば責務を果たすといい」なんて口にした。


 ありがとうございます、私の理想に付き合ってくれて。


 決して口には出さず、ローランは(きびす)を返した。




 口内の錆臭(さびくさ)い味。身体のあちこちに感じる痛みの数々。そして疲労。現実へと回帰したローランは、数メートル先のイアゼルを睨んだ。相手はというと、興醒(きょうざ)めた表情で首を横に振った。


「ずっと理想郷にいればいいのに。空望成就(パラソムニア)。良かっただろう?」


 自分の思い(えが)く理想の世界。それに閉じ込めてしまう洗脳が空望成就(パラソムニア)なのだということは、身をもって知った。どれだけ充実したものだったかも把握している。


「私は」言って、足に力を溜める。腿や膝に痛みが走ったが、かまっていられない。「私の物語を歩むしかないのです。それが栄光に程遠いものであっても」


 空想は(うるわ)しい。いつまでもそこに埋没していたいと思わせるだけの誘惑がある。しかしそれは自分の人生ではないのだ。自分の物語ではないのだ。


『英傑の(わだち)』の続きを目指すのは諦めた。イワンの継承者である資格も捨てた。それでも残るものはあったのだ。騎士として王都の敵を排除するという意志。夢を諦めてなお続いていく人生のよすがは、すでに手にしている。折れない心がその証明だ。


 イアゼルへと跳躍したローランの軌道は、ちょうど剣の切っ先が敵に届く範囲にあった。痛みを振り切り、体内に残った力を絞り、夢想を払った渾身の一撃。


 しかし、剣は振り下ろされることなく終わった。


 ローランは跳躍の途中で透明な防御魔術に激突し、倒れたのである。


「きみは本当に弱いね。どうしようもなく弱い。なのに強情なんだから救えないよ。少し期待したんだけど、やっぱりきみは異常者だ」


 倒れたローランに、嘲笑混じりのイアゼルの声が飛ぶ。が、それは「あ」という声に続いた。


 それから、ローランを悠々と飛び越えて、イアゼルの身が後方へと着地する。ローランはなんとかその方向に首を(ひね)るので精一杯だった。


 着地したイアゼルは、今しも起き上がったローブの男――バイターを見下ろしている。イアゼルの隣には当然のようにルシールが立っていた。転移魔術だろう。


「おはようバイター。マドレーヌに負けたんだってね」


 バイターはまだどこか痛むのか、頭を(かか)えて(うつむ)いた。


「ああ、そうか。そうだ、負けたのか……俺は……あいつに」


「いいよ。気にしてない。勇敢なきみに免じて、ご褒美をあげよう。少しの間だけど、至福充溢(ユーフォリア)で幸せにしてあげる」


「……それは、ラガニアに帰還してからで」


「別に、今幸せになったって差し(つか)えないじゃないか。なに、一時的だよ。幸せになりたいんだろう? きみは誰よりも幸福を望んでいた。そうじゃないかい?」


 バイターは頭痛が治まらないといった具合に頭を押さえたまま、イアゼルを見上げて苦悶に近い顔の歪みを見せた。


「そう、俺は幸せになりたかった……愛されたかった……すべての憂いを無くしたかった……」


「なら、絶好の機会じゃないか。どうして拒絶するんだい?」


「拒絶なんて……。でも、少し考えさせてください。俺はきっと混乱してるんだ。あの、マドレーヌとかいう奴のせいで」


 それからは一瞬のことだった。イアゼルの目から光が()せ、親指がバイターに触れる。ルシールが(とが)めるようにイアゼルの名を叫ぶ。そして――。


万象赦免(トーテンタンツ)


 イアゼルが唱えると同時に、バイターは膝を折った。彼の両目から涙が(ほとばし)る。


嗚呼(ああ)、俺は、俺は、(ゆる)されたんだ。一切から解放される。ようやく終わらせられる」


 恍惚(こうこつ)とした声とともに、彼の(そで)から一匹の蛇が伸びた。それはバイターの首をきつく締め、やがて首の骨が折れるまとまった音が、真昼の大地に響き渡った。


 バイターの亡骸を見下ろして、イアゼルは冷徹な声で言い放つ。


「きみは生きるという苦役(くえき)から解放された。ご苦労様、バイター。最期に幸せになれて良かったね」


 それから血族の軍勢を見やると、なんでもないことのように手を払って命じた。


「ローランの始末は任せるよ。ぼくはもう、彼になんの興味もない」

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。



・『不滅のローラン』→紫の長髪の優男。騎士団ナンバー6。剣と盾で戦うスタイル。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』にて


・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。戦争において簒奪卿の部隊に配属されたが裏切り、血族も人間も殺戮した。自分の感情も思考も持たず、ニコルに従っている。前線基地にてクロエに敗北し、彼女の命ずるまま、現在はシンクレールに従っている。風の魔術の籠もった貴品(ギフト)『シュトロム』を使用。実は騎士団長ゼールの養子。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』『幕間「或る少女の足跡」』『幕間「前線基地の明くる日に」』にて


・『スヴェル』→ニコルと共に旅をしたメンバー。王の側近であり、近衛兵の指揮官。『王の盾』の異名をとる戦士。魔王討伐に旅立った者のうち、唯一魔王に刃を向けた。その結果死亡し、その後、魂を『映し人形』に詰め込まれた。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『王城』~」』『582.「誰よりも真摯な守護者」』にて


・『近衛兵(このえへい)』→グレキランスの王城および王を守護する兵隊


・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて


・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。不死の力を持つ。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』にて


・『中立地帯』→別名『毒色(どくいろ)原野(げんや)


・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『悦楽卿イアゼル』→黒の血族で、ラガニアの侯爵。洗脳魔術の使い手。詳しくは『幕間「落人の賭け」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて


・『転移魔術』→物体を一定距離、移動させる魔術。術者の能力によって距離や精度は変化するものの、おおむね数メートルから数百メートル程度。人間を移動させるのは困難だが、不可能ではない。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて


・『マドレーヌ』→炎の魔術を得意とする、『救世隊』の魔術師。性別は男性だが、女性の格好をし、女性の言葉を使う。シンクレールに惚れていたが、彼に敗北。テレジアの死によって、彼女の教義を伝える旅に出た。現在はマグオートに滞在。詳しくは『317.「マドレーヌ」』にて

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