Side Laurent.「英傑の轍」
※ローラン視点の三人称です。
「ルシール、ルシール。ルシール……」
「落ち着きましたか? どうぞ、お水を」
「いや、ルシール。それよりも、ルシール、状況を、ルシール……」
「はい。桃色の髪の異常者が我々に攻撃を仕掛けたのです。おおせの通り防御に専念いたしましたが、想像以上に厄介な手合いでした。我々に攻撃の意志がないのをいいことに、甘言を弄して懐に食い入ってきたのです」
ルシールの流暢な虚言も、それを率直に受け取ったイアゼルの応答も、ローランの意識には入らなかった。過酷を強いる現実と、否応なしに浮かんでくる過去の追想とで手一杯だったのだ。
学徒時代のローラン少年は、それからも魔具の使用を試みては、ことごとく成果を挙げられずにいた。周囲の生徒が低級の魔具であれば易々と扱えるようになるのを眺めることもなく、講師の憐れみの眼差しも視界に入れず、黙々と鍛錬に励む日々。家柄のために大っぴらな悪罵こそなかったものの、陰口はときおり耳に入った。そのたびに歯を食いしばって涙を堪えたものである。多感な年頃というのもあるが、ローランは精神面においても決して強くはなかった。
そんな彼を救ったのは、やはり本だ。王立図書館に通い詰めて、もっぱら冒険譚や英雄譚を耽読した。
襲いくる魔物の脅威から町を守った名もなき剣士。
貴人の護衛者として危険極まりない行路を歩み抜いた男。
魔物の上位種である黒の血族と一騎打ちを演じて見事に撃破を果たした辺境の戦士。
それら書物は事実の集成から架空の物語まで様々である。しかしどれも一貫していた。悪しざまに言えば、ステレオタイプな人物造型で、話の筋も似通っている。主人公はいつだって体格に優れ、勇敢な精神を持った男で、危機を退けた先には幸福な結末が待っていた。ローラン少年は飽くことなく典型的な物語にのめり込んだ。閉館時刻まで図書館に居続けた日もざらにある。自邸で書物をひもとくことがなかったのは、両親の目を気にしてのことだった。魔具訓練校での成績の悪さに頭を悩ましている父母に、このうえ余計な心労をかけるわけにはいかないと、ささやかながら配慮したのだ。
じかに口にはしないものの、近衛兵になることを親が望んでいるのは察していた。近衛兵の偉大さは散々説かれたものだから。しかしローランは、毛ほども惹かれなかった。王城を警護する立場よりも、前線で魔物を討ち果たす姿に勇敢さを感じたからである。名誉の有無など些細な問題だった。
『ローラン様。どうか悪く思わないでください。非常に心苦しいことですが、貴方様は近衛兵になれません。本校としては成績を鑑みまして、推挙するわけにはいかないとの結論に至りました』
講師からそう聞かされたのは三年次のことだ。もとより近衛兵を目指していないローランにとって、そのような宣告は意味を持たなかった。ただ、自分が他人より劣っている事実に――そんなの分かっているはずなのに――少しばかり傷付いただけである。
一方で両親の反応は過敏だった。特に近衛兵の令嬢として育った母は半狂乱になって、それを父が宥める有り様である。はじめから近衛兵になるつもりはなかったとはいえ、自分の無能のせいで両親の心を乱したことに罪悪感を覚えた。
家庭でも魔具訓練校でも一度ならず、退学して別の道を、という話が出たが、ローランは頑なに拒否した。
なぜか。
卒業して騎士になろうと思っていたのだ。
これもまた本の影響である。昨年出版された英雄譚『英傑の轍』に衝撃を受けたのだ。貴族の生まれを持ち、しかし才はなく、騎士団の門を叩き実地で剣技を練磨した末、主人公イワンは旅に出る。魔王討伐の旅だ。騎士団の推挙のもと王の許しを得て、数人の仲間とともに過酷な旅路へと踏み出した彼は、やがて中立地帯を越えてラガニアの地に到達する。それが第一巻の大筋だ。ローランは第二巻を心待ちにしていたのだが、ついぞ先が書かれることもなく、売れ行きも悪かったようで、間もなく絶版となってしまった。
物語には然るべき結末がなければならない。ローランは『英傑の轍』に愛憎の念を覚え、いつしか、自分が物語の主人公になると決めたのである。自ら筆を執るのではなく、己の人生を捧げて物語に終止符を打つのだと。出自や境遇が似通っていたのも大いに手伝っていたことだろう。この頃から、ローランは誰に対しても敬語を使うようになった。敵にさえ紳士的な言葉遣いをする今日のローランは、『英傑の轍』の主人公イワンの模倣である。
かくしてローラン少年は騎士を経て勇者になる道のりを選んだのだ。
卒業後の進路に関して、両親と紛糾が生じたのは言うまでもない。ヒステリーを起こして絶叫する母親と、冷厳に拒絶を突きつける父親。死なせたくないのだと切々と説かれた日もあれば、貴族の恥だと叱咤された日もある。それでもローランは意志を曲げることなく、卒業後なかば離縁のようなかたちで家を出て、騎士団の門を叩くこととなったのだ。
そんな一本気な少年が、望む未来を手に出来たろうか。
否である。
騎士団の訓練生の間で、ローランは公然と劣等生扱いされた。学校では両親の権益がおよんでいたが、騎士団はそのような場所ではない。貴族だろうと貧民だろうと、その門を潜ったものは等しく騎士であり、純粋な能力で評価される。家柄程度の忖度など入り込む余地はない。
魔具を使えないだけでも大きなハンデであるのに、ローランは相変わらず体力面で圧倒的に劣るものがあった。見習い騎士の指導員から毎日のように怒鳴られたものである。
『貴様に才能はない! 犬死にしたくなくば、荷物をまとめて家に帰れ!』
『その程度の剣技でよく卒業出来たな、軟弱者!』
『貴様が前線に出たら死ぬ。良くて、死ぬ。悪ければ他の騎士を巻き添えにして死ぬ。分かってるか? 分不相応な勇敢さは迷惑なだけだ』
おおかた、そのような痛罵だ。ローランはそれらを浴びるたびに、歯を食いしばり、自分が『英傑の轍』の跡継ぎだと、勇者イワンの後継者だと強く言い聞かせた。そうでなければ泣いてしまいそうだったから。
自由時間を割いてまで剣術の基礎や体力作りに励むローランに、同情的な声も少なからずあったのだが、彼の心には残らなかった。核心を突く叱咤よりも、見当違いな優しさのほうが却って毒になることを知っていたわけではない。不思議と意識に定着しなかっただけだ。他人の優しさよりも、自分の弱さという喫緊の問題をどうにかするので必死になっていたからかもしれない。
ただ、その男の言葉は優しさでも罵倒でもなくて、だからこそローランの芯を危うい場面で支えるに至ったのだろう。
暮れ方の訓練場で、ローランははじめてそのひとに出会った。飽きもせず剣を振るう彼に歩み寄ったそのひとは、鷹の意匠の施された鎧をまとい、双剣を両の腰に帯びた騎士である。
『名は?』
『ローランです』
『そうか。ローラン』
そのひとはローランを真っ直ぐに見つめて言った。
『力や技術ばかりが騎士の本分ではない。王都を守るためにもっとも大切なものはなにか。心だ。決して折れることのない意志だ。騎士は心で戦うと思っていい。潔白で強靭な心が、我々に剣を振るう力を授けてくれる』
不思議な眼差しだった。期待でも憐憫でも、ましてや激励でもない、そんな瞳。あえて表現するなら、なにか重大なものを託す目だ。
男は多忙とみえて、それからすぐに去ってしまったが、言葉は残った。ローランの心の深い場所に。
その一場が、のちに騎士団長となるゼールとの邂逅であった。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『不滅のローラン』→紫の長髪の優男。騎士団ナンバー6。剣と盾で戦うスタイル。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』にて
・『悦楽卿イアゼル』→黒の血族で、ラガニアの侯爵。洗脳魔術の使い手。詳しくは『幕間「落人の賭け」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『魔具』→魔術を施した武具のこと。体内の魔力が干渉するため魔術師は使用出来ないとされているが、ニコルは例外的に魔術と魔具の両方を使用出来る。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『王立図書館』→王都グレキランスにある図書館。クロエが好んで通っていた場所。詳しくは『203.「王立図書館」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『魔具訓練校』→魔術的な才能のない子供を鍛えるための学校。卒業生のほとんどは騎士や内地の兵士になる
・『近衛兵』→グレキランスの王城および王を守護する兵隊
・『中立地帯』→別名『毒色原野』
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ゼール』→騎士団長。王都の騎士を統括する存在。双剣の魔具使い。実はシフォンの養父。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』『第九話「王都グレキランス」』『幕間.「王都グレキランス~騎士の役割~」』にて




