Side Madeleine.「永遠の終わりはすぐそこに」
※マドレーヌ視点の三人称です。
マドレーヌは別段、バイターという男に憎さも嫌悪感も持っていなかった。ただただ言葉が通らないだけだ。抱擁さえも拒絶と攻撃に結びついた。愛するとは、なにかを媒介して心を通じ合わせることを意味しているように彼女には思える。今のところバイターは、心に至る通路が閉ざされているか、あったとしても随分狭いように感じてならない。自分の言葉が届いているか否かは究極のところ分からないものだが、敵が敵のままでいる以上、刃を交わすのはやむを得ないことでもあった。
そしてこれは、守る戦いでもある。ローランはもちろんのこと、マグオートの人々を危険から遠ざけるために。思えば、教祖様もそうだった。クロエたち襲撃者に対して幾度も言葉を尽くし、それでも殺し合いになったのは、大事なものを守るため――つまりはキュラスの人々の命を守るためにほかならない。
「魔術換装」
魔力がマドレーヌの周囲を渦巻き、やがて真紅の鎧を形成した。触れるものを拒む灼熱の鎧。一瞬で魔術を展開したマドレーヌに対し、バイターは舌なめずりしている。先ほど、蛇と化した身を焼いたことへの怒りは表出していない。どう獲物を殺そうかと愉しんでいる気配がある。
マドレーヌは、自分の行為と教祖様のそれを同一視するつもりなどなかった。ここまでの過程においても自分の不器用さを痛感している。バイターを、ひいては血族たちの心を開かせることが出来なかった自分を棚上げにして、守るための戦いを教祖様のそれと同じなんて嘯くのは論外だ。
バイターの身が、十数メートルもの跳躍を見せた。彼自身の身体能力の産物ではないだろう。裾から一瞬大蛇が覗き、地を打ったのがその証左だ。蛇の膂力を駆使したのである。
バイターは空中で裾と両袖をマドレーヌに向けた。その意図は察している。単に距離を取るだけなら、わざわざ宙へ躍り出る必要なんてない。
てっきりまた蛇の頭が伸びるものと思っていたが、違った。触手めいた無数の蛇の尾部が、マドレーヌの周囲を埋め尽くすように直線的に迫る。回避は難しいだろう。通常なら。
マドレーヌの身体はすでに、地面から少し浮いていた。両手足に展開されている赤い車輪がバイターの目に映っているだろうか。
火炎の天輪。かつてシンクレールとの戦闘で使用した魔術である。両足の車輪で加速と減速をおこない、両手の車輪で方向を制御する、そんな魔術。その程度だった――あのときは。今は違う。
蛇の尾をことごとく回避し、一瞬でバイターと同じ高度まで達したマドレーヌを、彼は束の間だけ捉えた。が、すぐにマドレーヌの姿を見失う。もはや彼の目では追えなくなったのである。上下左右、自在に空を駆ける者をいつまでも追い続けられるものではない。地上にいるならまだしも。
「アンタが白旗を振ったら、いつでも攻撃を止めるから」
声は届いたろう。なにせ、彼の背後で囁いたのだから。
直後、マドレーヌは拳を振るった。背に、腹に、胸に、腕に、脇に、太腿に。車輪を駆動させ、めくるめく展開される殴打に、バイターはほとんど為すすべがないようだった。
しかし、それは面食らっただけのことだろう。
バイターの身を這うように、蛇の尾が彼を幾重にも包み込み、灰色の鱗に覆われた球体が形成された。地上に突き立った何本もの尾が、彼の身を宙に留めている。
そんな簡単にはいかないか、とマドレーヌはひとりごちる。手を抜いたつもりはないけれど、拳程度じゃバイターを怯ませることすら出来やしない。
球体と化したバイターは防御態勢に見えるが、決してそうではないことくらいマドレーヌは見抜いていた。彼は本気になったのだろう。ようやく、と言ってもいいかもしれない。
球体からいくつもの尾が、まるで刺突のように繰り出されては、球体へと戻っていく。それらはいずれもマドレーヌを狙っていた。
「バイター、聞こえてる?」
危うげに回避しつつ、呼びかける。
「聞こえねーよ、馬ぁ鹿!」
よかった、ちゃんと声は届いているらしい。こちらの口と相手の耳。それがしっかり開いてさえすれば、機会は失われない。説得のための。
「遠隔発火」
指先から炎の塊を射出する。さして速度はないその魔術は、あっという間にバイターの展開した尾によって掻き消された――かのように見えた。その魔術は触れたものに固着する。そして、任意のタイミングで発火させることが出来る。
球体が火炎に包まれたのは、尾が引っ込んですぐのことだった。
球体の内部で悲鳴が轟く。高温で焼かれるのはさぞ苦しいだろう。
「や、やめてくれ! もう降参だ!」
バイターの声が響き渡り、火が消える。マドレーヌが魔術を解除したのだ。
直後、彼女の鎧の側面が砕かれ、脇腹を焼けるような痛みが駆けた。魔術解除とほとんど同時に蛇の尾が突き出され、回避動作に出たものの、一歩遅れたかたちである。
空中で距離を取り、バイターを睨む。例の球体は焦げ跡ひとつなかった。
「お前は甘ったれの馬鹿だ。敵の言葉に翻弄されるなんて、戦場では三流以下だな」
高所から見下すような物言いである。バイターの顔を見てみたかった。どんな顔でそれを口にしているのか。嫌味ではなく、本当に炎が効いていないのかどうか確かめたかったのだ。少しでも疲弊した顔を浮かべていたなら、容赦が必要だと思ったのである。身を抉られてなお、マドレーヌは相手の命を心配していた。死者に届かせる声は持っていないから。
「甘くて結構よ。それがアタシの選んだ生き方だから」
「そりゃあ、ろくでもない生き方だな。反吐が出る」
球体から次々と放たれる尾の刺突を宙で立体的に回避しつつ、マドレーヌは我が身に施した魔術製の鎧を解除した。尾による攻撃で砕かれてしまう程度の鎧を維持する必要はない。鎧のお陰で敵の攻撃がいささかなりとも弱まったのならまだしも、一瞬の刺突はこちらの防御を容易く突破したのだ。
バイターの背後に回り込んでも、尾の攻撃はとめどない。よくよく球体を見れば分かることだが、要所要所に蛇の頭部が配されている。バイターは蛇の目を通じて、こちらの動きを補足しているのだろう。
間断なく繰り出される尾の攻撃は、距離を置いてようやく避けられる代物だった。ゆえに、接近戦はマドレーヌの選択肢にはない。負ったばかりの傷の痛みで動きに鈍さがあるのも自覚している。遠からず二撃目を受けるだろう。
「騙し討ちはいいけど、本当に危なくなったらちゃんと降参するのよ」
「はあ? そんな未来は永遠に来ねえよ、異常者め」
永遠に来ないと思ってるものほど案外すぐ後ろに迫ってるものなのに、とマドレーヌは自戒を籠めて独白した。教祖様がこの世からいなくなる未来を決して思い描けなかった自分は、愚かだ。哀しいなんて言葉では言い尽くせない愚か者。
「魔術換装」
空中を駆けるマドレーヌの身から、魔力が渦を巻いて流れ出る。魔術換装は魔術製の武装を施す魔術であり、鎧しか形成出来ないわけではない。
魔力はマドレーヌの右腕を包み込み、やがて細長い筒として顕現した。筒は先端に向かうほど細まっていき、末端には親指ほどの穴が空いている。
「また新しい玩具か? くだらねえ魔術で俺を倒せるなんて――」
「火炎の弾丸」
その魔術は、本来であれば大した力を持たない。単に炎の塊を放つだけのものだ。ルシールの防御で簡単に対応されてしまうくらい弱い。ただ、速さだけはある。魔術換装で生成した筒の内部で、回転量、魔力の密度、そして速度をさらに上昇させたなら、どうなるか。
バイターの途切れた言葉の直後、悲鳴が天を覆う。蛇を巻きつけた球体を貫通し、バイターの脇腹が射抜かれ、黒い血液が迸った。
永遠なんて呆気ないほど簡単に終わりが来るものだと、彼も分かってくれただろうか。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『マドレーヌ』→炎の魔術を得意とする、『救世隊』の魔術師。性別は男性だが、女性の格好をし、女性の言葉を使う。シンクレールに惚れていたが、彼に敗北。テレジアの死によって、彼女の教義を伝える旅に出た。現在はマグオートに滞在。詳しくは『317.「マドレーヌ」』にて
・『不滅のローラン』→紫の長髪の優男。騎士団ナンバー6。剣と盾で戦うスタイル。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』にて
・『魔術換装』→魔力製の武装を施す魔術。形態や効能は術者によって様々。詳しくは『Side Sinclair.「感情彷徨」』にて
・『マグオート』→文化的、経済的に成熟した街。王都から流れてきた富豪が多く住む。トムとマーチの故郷。別名『銀嶺膝下』。ラガニアの辺境である地下都市ヘイズと、転送の魔道具によって接続されている。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。魔王の血を受けており、死後、『黒の血族』として第二の生命を得たが、クロエに討伐された。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』『第二章 第三話「フロントライン~①頂の街の聖女~」』にて
・『キュラス』→山頂の街。牧歌的。魔物に滅ぼされていない末端の街であるがゆえに、『フロントライン』と呼ばれる。勇者一行のひとり、テレジアの故郷。一度魔物に滅ぼされている。詳しくは『第二章 第三話「フロントライン」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『シンクレール』→王立騎士団の元ナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて




