Side Madeleine.「沈黙の魔術師ルシール」
※マドレーヌ視点の三人称です。
円筒形の防御魔術のなか、初老の血族――ルシールの攻撃は苛烈さを増していくように見える。が、攻撃を捌く当のマドレーヌはというと、まったく別の印象を抱いていた。
試している。
どうもこの血族は、こちらに致命傷を与えるつもりはなく、よって命を奪う気もないらしい。こちらがギリギリ対処出来るか出来ないかの攻撃ばかりだ。魔術の種類もひとつきり。指先から放射する魔力による光線のみ。
ルシールの攻撃を回避しつつ、マドレーヌも反撃を試みていた。数える程度だが。炎を纏った魔力の塊を放つ魔術――火炎の弾丸しか使用していないものの、どれも直撃する前に相手の防御魔術に阻まれている。
「そんな乱射してたんじゃ、魔力が保たないんじゃないの?」
軽口を叩きつつ、光線を踊るように回避する。これにもルシールはなんの応答も返さない。厳粛な女教師のような、そんな表情が崩れることもなかった。
マドレーヌが口にしたのは皮肉でもなんでもなく事実だ。魔力は有限であり、したがって個人に行使可能な魔術も限られる。しかしながら、ルシールの魔力に枯渇の気配すら見られないのもまた事実だった。おそらく、彼女としてはごく低級の魔術を扱っているに過ぎないのだろう。乱発しようとも問題ない程度には消費の少ない魔術を。
どれだけ言葉を尽くそうとも聞く耳を持たず、防御魔術のせいで距離を置くことも出来ない。敵が本気でないことも、幸運なのかどうか定かではない。
「アタシはアンタらと対話したいだけなのよ。殺し合いなんて望んでない。お互いが幸せになれるよう、折り合いをつけたいだけ。もちろん、イアゼルみたいな押し付けがましい幸せなんかじゃなくて。……ルシール。アンタだって分かるわよね? 無理やり幸福だと思わせるのが本当の幸せじゃないことくらい」
自分よりも年嵩の相手に説教するなんて、とマドレーヌは自嘲する。これまでも年長者に教えを説く機会はあったものの、受け入れてくれたことなんて数えるほどだ。それも、相手が胸襟を開いてくれた場合に限る。もっぱら救いを求めているようなタイプにしか声は届かなかった。大抵は戯言として一顧だにされない。巡教の旅で散々味わった経験である。それでも繰り返してしまうのは、巡教者としての人生を選んだからだ。血族に囲まれていようと、攻撃に晒されていようと、自分で選んだ生き方を変えるつもりなんてマドレーヌにはない。
「清らかに、正しく、慎ましく生きてさえいれば、誰しも幸せに気付けるわ。よしんば幸福を自覚できなくても、神の子であると知ってさえいれば、折に触れて愛を感じられるのよ。感じた愛を別の誰かに分かち合うことも出来る。とんでもない不幸を抱えていても、清らかな心を保っていれば、その生は満ち足りたものとなる。イアゼルだって例外じゃない」
言い切って間もなく、マドレーヌの額は大きく弾かれた。殴られたような痛みが駆け、少しばかりよろめく。ルシールが別種の魔術を展開したらしい。感知の難しい程度に隠蔽した魔球といったところか。痛みはあれど、気絶には程遠い。精密に制御された攻撃であることは明白だった。どうやらルシールはちゃんとこちらの言葉を聞いていて、今しも反発の意を示したらしい。鉄面皮の奥には動揺や苛立ちがあるのかもしれなかった。
マドレーヌを叱咤するような、視えざる魔術はその一度きりだった。あとは分かりやすい光線の魔術ばかり継続している。
教祖様なら、とどうしても考えてしまう。自分よりももっと上手に、もっと心に届く表現で、伝えるべき言葉を相手の器に合わせて投じたことだろう。巡教者を名乗りながらも、自分は不器用さの塊だ。教祖様のような慈愛を表出させることも出来ず、相手の心を包みこんでやることも出来ない。
同時にこうも思う。
自分には自分にしか出来ないやり方がある。それが正しいかはさておき、言葉も振る舞いも、決して模倣ではない自分だけのもので表現するしかないのだ。
「火炎の円陣」
光線の回避動作のなかで、地面に片手を突く。魔力が伝播してルシールを囲み――隙間なく火柱が立った。
火柱は徐々にルシールへと収縮していく。このままなら焼き殺されるだろうが、防御魔術で身を固めるだろうとマドレーヌは読んでいた。なにしろ、マドレーヌを隔離した防御魔術自体が火柱と同じく円筒形なのだから。
炎の接近で肌や衣服が焼けることはない。そのように調節してある。火柱にじかに触れてはじめて火傷を負う。そのような魔術。
こうした魔術の出力や制御は、一朝一夕で身につけたものではない。巡教の旅で魔物と相対す場面で、なんとか言葉を届けるために躍起になって魔術を制御したおかげで習熟されたものだ。通常ならば火柱に囲まれた時点で息も苦しいだろうが、そうならない程度の調整なら今では楽に出来る。
相手が防御を張れば、自然と攻撃の手も止まるだろう。強引なやり方ではあるが、より対話に近くはなる。そのような算段だったが――。
火柱はルシールの数センチ先まで迫っていた。彼女が防御を張る気配など一切ない。一センチ、また一センチと距離を狭めていく。
「解除!」
咄嗟の叫びとともに炎の魔術をかき消した。霧散した火柱の先で、ルシールが冷たい眼差しで見下ろしている。
なぜ相手が防御しなかったのか、理解出来ない。
火柱から解放されたのに攻撃を再開しないのも意味が分からない。
マドレーヌは内心で唖然としていたが、表情は固く引き締めていた。動揺を気取られぬように、というより、必要な言葉を届けるには今しかないと思ったのだ。ゆえに大きく息を吸って口を開きかけたのだが、先を制したのはこれまで無言を貫いていたルシールのほうだった。
「バイターさん。おりますか?」
ルシールはマドレーヌに背を向け、血族たちのほうを向き直っていた。いつの間にか円筒形の防御魔術は半分だけ解除されている。戦士たちに面する側だけ維持され、血族に面する側は消えていた。
やがて血族の間から、ぼさぼさの頭をした小男が歩み出た。背丈はルシールよりも頭ひとつ低い。切れ長の目に、瞳孔がやけに縦長だった。装いも妙である。一枚布の深緑の上着を纏い、袖は手指を隠す長さ。裾も靴の下半部が見える程度には長い。
バイターと呼ばれた男はルシールのそばまで来ると、いかにも不機嫌そうに彼女を見上げた。呼びつけられることが不愉快なのか、はたまたこの状況そのものが不快なのか。
ルシールはゆらりと指先をマドレーヌに向けた。魔術を放つためではない。標的を示すためだ。
「あの者を始末してください。イアゼル様の命に背くことになりますが、やむを得ません」
その言葉に、バイターは鼻で笑った。そして、随分と低い声が流れる。
「ルシール婆さんじゃ手に負えないって?」
「わたくしは万が一にも死ぬわけにはいきません。もしもイアゼル様が取り乱したら、貴方がたの無事も保証出来ませんから」
「はいはい……」
マドレーヌが歯噛みしてやり取りを窺っていたのは、なにも自分の言葉が遮られたためではない。『始末』と聞いてバイターの様子が一変したからだ。気怠げな雰囲気を装っているものの、嗜虐性を隠せていない。
マドレーヌの見立てが正しかったことは、次のひと言で証明された。
「それじゃ、こいつは喰っちまっていいってわけだ」
バイターの口から覗く牙と、先端が二股に分かれた舌は、蛇を思わせた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『マドレーヌ』→炎の魔術を得意とする、『救世隊』の魔術師。性別は男性だが、女性の格好をし、女性の言葉を使う。シンクレールに惚れていたが、彼に敗北。テレジアの死によって、彼女の教義を伝える旅に出た。現在はマグオートに滞在。詳しくは『317.「マドレーヌ」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『悦楽卿イアゼル』→黒の血族で、ラガニアの侯爵。洗脳魔術の使い手。詳しくは『幕間「落人の賭け」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『魔球』→魔力球、魔力弾、魔力塊とも呼ぶ。初歩的な攻撃魔術。
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。魔王の血を受けており、死後、『黒の血族』として第二の生命を得たが、クロエに討伐された。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』『第二章 第三話「フロントライン~①頂の街の聖女~」』にて




