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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」
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Side Madeleine.「幸いの在り処」

※マドレーヌ視点の三人称です。

 イアゼルとキャロルが町長の邸へと()った頃、マドレーヌは苦々しい思いで騎士や戦士たちの相手をしていた。ローランとたった二人で、本来味方であるはずの人間たちの狂信的な刃を退けねばならない状況に、彼女は苛立ちを(かか)え、ともすれば憤怒を爆発させてしまいたい衝動に駆られてもいた。


 もとよりマドレーヌは激情的な性格である。男として生まれながら女性を標榜(ひょうぼう)し、男に恋をする道のりのなかで(はぐく)まれ、定着した性質と言っていい。生来(せいらい)の気丈さに加えて、周囲の無理解や罵倒へ(さら)されるごとに、彼女は(かえ)って自分の生き方を強固にしていった。心無い言葉の数々にいちいち感情を表出させて食ってかかるのは、孤立無援な自我を保つための武装でもあった。故郷の村が魔物によって滅ぼされ、行き場を失った彼女を受け入れたキュラスでも、そのような誹謗中傷が影で囁かれていたのを知っている。ただしそれは、テレジアがニコルと旅に出る前の話だ。


 マドレーヌが魔術師としての腕を買われ、その地で『救世隊』と呼ばれる自警団で活躍するようになってから、徐々に陰口は減っていったものの、消えはしなかった。完全に消滅したのは、キュラスが一度壊滅させられ、教祖であるテレジアが戻ってからのことである。テレジアが連れてきた新たな移住者たち――夜は魔物として、昼は人間として過ごす彼らは、マドレーヌの()り方を決して否定しなかった。至極当然のことのように受け入れられたものだから、むしろ彼女のほうが面食らったほどだ。


 忌々しい戦闘を繰り広げながらも、マドレーヌの回想は止まない。炎の魔術で生成した槍で戦士たちの剣を跳ね返しながらも、追憶はとめどなかった。それはイアゼルの洗脳魔術によるものではなく、彼女自身の自然な思考の導きである。


 尊崇(そんすう)の念を(いだ)き、(おそ)れ多くも実の姉のように(した)っていた教祖テレジア。彼女が血族と化したことを受け入れられなかった自分の器の小ささを、何度悔悟(かいご)したか分からない。クロエによって討たれた教祖様は、キュラスの人々に最期の言葉を届け、この世を去った。遺言。教義。思想。どう捉えても良いものだったが、教祖様は血族化しても慈愛の姿勢を決して崩すことがなかったのだ。


 ――皆さんの前に敵となる者が現れたとしても、まずは愛しなさい。

 ――それでもどうにもならなければ、逃げなさい。どこまでも、どこまでも。

 ――逃げることも出来なければ、そのときは、一生かけて(あがな)うつもりで剣を取りなさい。


 この、最期の教えには、皆が神の子であることや、清らかで愛に満ちた生涯を送らねばならないことも含められていた。


 テレジアなきキュラスを去り、各地を巡って教えを()く旅を自らに()いたのは、マドレーヌ自身の後悔も多いに影響している。魔物。他種族。血族。人間。それらを同列に見做(みな)せるようになったのも、最期の言葉がきっかけだ。教祖様はどのような在り方であっても教祖様だったと突きつけられたからこそ、(しゅ)(くびき)がいかに矮小(わいしょう)であるかを知ったのである。


 テレジアの葬列に参加するのを自身に許さなかったマドレーヌが、偉大な慈母の死を受け入れられたかというと、そうではない。彼女が逝去(せいきょ)してから数ヶ月しか()っていない事実は、さして重いものではなかった。きっと生涯、教祖様の面影を追い続けながら、巡教の旅を不器用に続けるしかないのだ。


 もう会えない。そう思っていたからこそ、イアゼルの(ほどこ)した洗脳のひとつは、マドレーヌにとって最大の贈り物だった。


 イアゼル扱った四種類の洗脳魔術。そのうちのひとつ、追想自鳴琴(メモワール)。むろん、名も知らぬ魔術である。ただ、それがどのようなものなのかはすぐに分かった。イアゼルの中指が額に触れ、魔力が流れ出した瞬間、すべてが暗転して――。




 瞼の裏に穏やかな光を感じた。優しい橙色が闇を(りょう)している。


 ハッとして目を開けると、質素な木枠に区切られたガラス窓から夕陽が射していた。窓枠には黄色い多弁の花が()けられていて、元気に背伸びしている。今朝活けたばかりのカタバミだ。夜間防衛のあとに見つけたそれを(たわむ)れに手折(たお)って、教祖様に見咎められて――。


 カタバミのすぐそばで、色素の薄い髪が蜜色に染まっていた。そのひとの手元では緩やかな運指で裁縫針が動いている。不器用ゆえではない。一針一針に丹精を籠めているのだ。その気になればものの数分で終わらせられるであろう作業を、時の歩みを味わうかのように数十分も費やしている。伏せた目元は長い睫毛(まつげ)に縁取られ、口元には柔らかい微笑。


『教祖様! ごめんなさい、眠ってしまって……』


 慌てて頭を下げ、自分も裁縫に取りかかる。農作業で破れた住民の服はまだまだ多い。


 教祖様はこちらに視線を送ると、笑みを強くした。


『いいえ。謝らないでください、マドレーヌさん。むしろ、手伝っていただいて感謝しております。服の修繕を申し出たのはわたくしですから、マドレーヌさんは無理せず休んでくださってかまいません』


 慰めるような口調は、いつもの通りだ。


『い、いえ! 教祖様に手作業をさせるだなんて……全部アタシがやるべきなんです』


『優しいお方ですね、マドレーヌさんは』


 なんて言いながら、教祖様は手を止めない。丁寧に服を直していく。


 一週間。ふとそんな単語が頭に浮かび、景色が(にじ)んだ。


『あら……』と少し目を丸くして、教祖様が修道衣からハンカチを取り出し、あろうことかマドレーヌの目元にあてがった。


 涙が止まらない。畏敬(いけい)を覚えつつも、教祖様からハンカチを奪い去って自分で涙を(ぬぐ)うこともしたくない。


 裁縫の一幕は、本当にあった出来事だ。自分のなかに保管されていた、たぶん一番幸せな思い出のひとつ。教祖様と二人でいるときは大抵同じくらい幸せだったから、この場面が選ばれた理由にさしたるものはないのだろう。でも、この落涙は違う。思い出のなかには存在しない。だって、本当なら泣く理由もないのだから。


 教祖様は事情を(たず)ねることなく、ただただマドレーヌの涙を拭いてくれた。


 息を吐くと、それが声を伴って、嗚咽(おえつ)みたいに震えてしまう。


 ――また会えた。もう会えないはずの、大切なひとに。


 自分の涙の正体を、マドレーヌは定かならぬものと感じ、また、その正体を探る気にもなれなかった。一週間後にクロエたちがキュラスにやってきて、日を置いて教祖様が亡くなるのを知っているからかもしれない。シンクレールへの叶わぬ恋を思い出したからかもしれない。あるいは、戦争と教祖様を結びつけてしまったからかもしれない。


『辛く苦しいときは』


 教祖様の目が憂いのカーブを(えが)いた。それでも優しさが減退しないのは、このひとの稀有(けう)な特徴だろう。


『清く正しいことを()すのです』


 ハンカチはもうすっかり濡れそぼってしまっている。教祖様はおもむろにニ枚目のハンカチを取り出して、同じように涙を拭いてくれた。


『神様はいつでも見ておられます』


 ハンカチの動きに加えて、頭を撫でる細指の感触があった。


 教祖様に撫でていただけるなんて、畏れ多い。とても。


『教祖様』


 教祖様は手を止めて、マドレーヌの言葉を待った。喉の奥で言葉が震えて、けれども声に出したときには弱々しい響きにはならなかった。


『幸せって、なんでしょう』


『……どこにでもあって、どこにもないものです。貴女が(さいわ)いを感じるとき、気付くとき、それが幸いだと知るのです』


『神様が幸せを与えてくれるのでしょうか』


『いいえ。神様はこんなにも素敵な世界をお創りになって、わたくしたちを愛してはくださりますが、誰がなにを思いどう感じるかはお決めになられませんでした。ですから、幸いも、喜びも、愛しさも、自分で見つけるしかありません。でも、そう難しいことではありませんよ。世界はあまりにも豊かですから』


 教祖様は言葉を切り、今朝マドレーヌが手折ったカタバミを見やる。教祖様の目には、射し込む夕陽も、カタバミの花弁も、小さな針ひとつさえ、神の手になる世界の片鱗(へんりん)と映っているに違いない。


 マドレーヌはやおら立ち上がった。涙はもう乾いている。


『教祖様。アタシは、一生かけても贖えない罪を犯すかもしれません。それでも――それでも、教祖様と一緒に過ごした、長くて短い時間のすべてを、幸せな思い出だと感じています』


 言って、教会の小部屋の出口へと足を向ける。扉を開いて振り返ると、寂しげな、それでいて芯のある優しい微笑がそこにある。


『マドレーヌさん。貴女はひとりではありませんからね。ひとは決して孤独にはなりません。なれないのです。お分かりですね?』


『はい』


 記憶の面影は、自分をひとりきりになんてしてくれない。


『それでは……行ってまいります』


『行ってらっしゃい、マドレーヌさん。――いつか大樹の(もと)で』


 自分にその資格はない。それは言葉にせず、名残惜しさを振り切って扉を閉めた。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。



・『マドレーヌ』→炎の魔術を得意とする、『救世隊』の魔術師。性別は男性だが、女性の格好をし、女性の言葉を使う。シンクレールに惚れていたが、彼に敗北。テレジアの死によって、彼女の教義を伝える旅に出た。現在はマグオートに滞在。詳しくは『317.「マドレーヌ」』にて


・『悦楽卿イアゼル』→黒の血族で、ラガニアの侯爵。洗脳魔術の使い手。詳しくは『幕間「落人の賭け」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて


・『キャロル』→マグオートの戦士。気だるげな女性。運河を越えるために砂漠の廃墟の掘削事業に従事していた。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて


・『不滅のローラン』→紫の長髪の優男。騎士団ナンバー6。剣と盾で戦うスタイル。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』にて


・『キュラス』→山頂の街。牧歌的。魔物に滅ぼされていない末端の街であるがゆえに、『フロントライン』と呼ばれる。勇者一行のひとり、テレジアの故郷。一度魔物に滅ぼされている。詳しくは『第二章 第三話「フロントライン」』にて


・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。魔王の血を受けており、死後、『黒の血族』として第二の生命を得たが、クロエに討伐された。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』『第二章 第三話「フロントライン~①頂の街の聖女~」』にて


・『救世隊』→キュラスの宗教団体の幹部のこと。街の夜間防衛を担う存在


・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者だが、実は魔王と手を組んでいる。黒の血族だけの世界を作り上げることが目的。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。詳しくは『875.「勇者の描く世界」』にて


・『洗脳魔術』→魔術の分類のひとつ。読んで字のごとく、対象を洗脳するための魔術


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『シンクレール』→王立騎士団の元ナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて

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