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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」
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Side Carol.「ママ」

※キャロル視点の三人称です。

 ヘイズの名こそ知らずとも、ラガニアの流刑地がマグオートと通じていることを知っていた。むろん、流刑地の長がベアトリスであることも認知している。


 イアゼルが平然と言い放ったことで、ラクローはなにもかも白状する気になったのだろう、此度(こたび)の戦争におけるベアトリスの役割や竜人との結託のことまで洗いざらい吐き出した。ヘイズやベアトリスのことは把握していても、キャロルの耳に戦地における役割などの詳細は入っていない。ベアトリスが夜会卿の背後を取ろうとしているなど、まったくの初耳だった。


 すべてを話し終えると、ラクローは重荷を下ろした作業夫のように長く深い息を吐いた。全身脱力して、ソファに身体を沈み込ませている。もとより老人ではあるが、より一層老いた印象をキャロルは受けた。ともあれ、その顔は満足気な恍惚(こうこつ)(たた)えていたが。


「ベアトリスの裏切りねえ」


 イアゼルの浮かべる薄笑いさえ、キャロルには心地良い。まだ見ぬ彼の表情を目にするたびに、心の深いところから喜びが溢れてくる。


 ラクローは身体を前に乗り出して、媚びるような眼差しでイアゼルを見つめた。


「ベアトリスを退治しに行ってしまわれますか……? 失礼ながら、イアゼル様にはマグオートに(とど)まっていただきたいのです」


「それはなぜ?」


「貴方は幸福の使者です。危険な目に()ってほしくないと思うのは自然なことかと……」


 同じ気持ちだ、とキャロルは思った。自分と町長は幸せの紐帯(ちゅうたい)で結ばれている。おそらくはマグオートにいるすべての人々も、その頑丈な糸で繋がっていることだろう。異常者を除いて。


 イアゼルは右手をひらひらと宙に踊らせた。


「ぼくはマグオートに留まるよ。ベアトリスの秘密も握り潰す。きみたちが口外しなければなんの問題もないし。ベアトリスだって、べらべらとマグオートのことを喋ったりはしないだろうから。まあ、よく知らない奴だけど」


「「良かった!」」


 ラクローとキャロルの声が重なり、二人は目を合わせて笑みを交換した。先ほどのキャロルの告発などなかったかのように。だからこそ彼女は一層、幸福の尊さを感じた。幸せであれば、ほんの少し前の嫌な出来事も笑って許し合えるんだ。なんて素晴らしいんだろう。イアゼル様の()いた通り、誰もが幸せであれば、世界はあまりにも平和だ。だって、すべてのことがあらかじめ(ゆる)されているんだから!


 会話に区切りを与えるためだろう、イアゼルが柏手(かしわで)を打った。


「それじゃ、邸の地下の転移道具を動かしてくれないかい? ぼくはね、そのためにマグオートまで来たんだ。流刑地の地下に行きたいんだよ。どうしてもね。なに、侵略するわけじゃない。会いたいひとがいるだけなんだ」


 誰だろう。イアゼル様が会いたいだなんて。


 キャロルが不思議に思ったのも無理はない。そもそも流刑地はラガニアに()るものの、ヘイズは流刑者による秘匿(ひとく)された都市である。たとえ血族であろうと、おいそれと訪れることなど出来ない。わざわざマグオートを経由してまでその地への訪問に(こだわ)るとなると、それなりの理由があると考えるのが適切だろう。


 会わせてあげて、とキャロルは切に願った。彼の望みは自分の望みでもある。幸福の使者が幸福を得られないなんて(すじ)が通らない。


 が、ラクローは一転して沈鬱な面持(おもも)ちになった。


「転移道具は動かせません。ベアトリスの裏切りが決まって()もなく、ヘイズ側から遮蔽(しゃへい)されたのです。あらかじめそうなることは伝えられておりましたが……いつ行き来が再開するのかも定かではありません。すべて、ヘイズ側の心ひとつでしょう」


 日光が雲に隠れ、応接間が影に覆われる。やや(うつむ)いたイアゼルの目がひどく物憂(ものう)げだったのを、キャロルは盗み見てしまった。


 幸せなのに胸が痛い。幸福であるということは、誰かの哀しみに共感する力を奪ったりはしないのだと生まれてはじめて悟った。なにしろ幸福とは程遠い生活を送ってきた彼女である。喜びはあれど、幸せと呼べる時間は一瞬で過ぎてしまうものだった。旨い物を食べたとき、憂いなく眠りにつく間際(まぎわ)、あるいは女戦士に叱られたとき。一瞬で過ぎゆく幸せは、幸せだと自覚する間も与えてくれない。あとから振り返って、幸せだったんだな、と思ったりするのがこれまでの人生だった。


「ママ」


 その声は、確かにイアゼルのものだった。やや俯いた横顔を、緩やかに波打つ金髪が隠している。


 イアゼル様が会いたがっていたのは、お母様なんだ。そして彼女はヘイズにいる。なんでなのかは分からないけれど、涙が出そうなくらい共感してしまう。同時に、イアゼル様を守ってあげなければなんて思ってしまったのは、キャロルの母性ゆえだろうか。だとしたらそれも、生まれてはじめて知る性質だったろう。


 ラクローは何度も頭を下げて謝ったが、イアゼルはまるで反応しなかった。糸の切れた操り人形みたいに、俯き、両腕をだらりとソファに垂らしたきり、まったく動かない。


 不意に、小声でイアゼルが呟いた。はじめは小さすぎて分からなかったが、やがて繰り返される言葉がひとつの名前を()していることに気がついた。


「ルシール」


 イアゼルは何度も何度も、その名を口にした。確か、とキャロルは思い出す。イアゼル様の部隊にいた使用人風の女性だ、と。


 声は俄雨(にわかあめ)のように高まり、繰り返される。耳障(みみざわ)りではないものの、どうすればいいのだろうとキャロルは戸惑った。そして衝動的に腰を持ち上げ、不敬は百も承知で彼の頭を抱きしめたのである。それでも連呼は止まらなかったものの、次第に頻度(ひんど)も声の大きさも収まっていき、やがて沈黙した。


 しばしの時間を置いて、イアゼルがやんわりとキャロルを引き剥がした。


「ありがとう、キャロル。きみはとびきり幸せで、臆病で、だからかな、優しいみたいだ」


 語に皮肉めいた響きがあったのをキャロルはまったく気付かずに、ただただ嬉しく思ってしまった。失礼を承知で行動した甲斐(かい)があった、と。


「とにかく、ぼくはマグオートに留まるよ。開通したらすぐにぼくに知らせておくれ、ラクロー」


「ありがとうございます……! その折には、一刻も置かずお知らせいたします!」


「うん、お願いね。それじゃ、もう行くよ」


 イアゼルは立ち上がると、さっさと応接間を出てしまった。キャロルが慌てて追いかけ、ラクローも見送りに続く。


 用意した紅茶も菓子も、イアゼルはまったく手を付けなかった。




 おそらくは門前へと向かうべく庭を出ようとしたイアゼルの隣を、キャロルはまたもや歩いていた。少し得意気な気持ちになっている。イアゼル様を抱きしめて、慰めてあげて、褒められたからだ。イアゼル様の言葉を拝受(はいじゅ)するだけで充分な報酬だったが、それでもちょっぴり物足りなさを感じてしまったのは彼女の我欲かもしれない。より幸せになりたいという気持ちは、しばしば欲望に結びつく。欲望を満たす方法は分かっているのに、なかなかそれを口に出せないもどかしさがあった。不敬で、しかも高望みな気がしたのだ。彼の左手の小指が気になって仕方ない。


 そんな煩悶(はんもん)(かか)えつつ歩んでいた矢先。ラクロー邸の敷地を出てすぐのことである。


「あれは……?」


 ぼんやりとイアゼルが呟いた。


 北の方角――異常者たちのいる方角から、巨大な火柱が立っていたのである。イアゼルとともに駆け出して数分後には消えたものの、空気には焦げ臭いものが混じっている。彼が飛行魔術を使わなかったのは、キャロルを想ってのことではなく、単に動揺していたからだろう。


 不吉。幸福とは遠いなにかの予感をキャロルは覚えた。


 やがて門前にたどり着いた彼女が目にしたのは、焦げた死体だった。百メートル以上先に、黒焦げになった死体がいくつも倒れている。


「ルシール!!」


 隣でイアゼルの声が(はじ)けた。その名が最前同様、連呼される。ただ、先ほどと違ったのは、名前の(ぬし)がすぐに現れた点である。厳しい顔付きの女性はイアゼルに近寄ると、呆然と死体を見つめる彼の手を取り、もう片方の手で背中をさすった。


「ルシールはここにおりますよ、イアゼル様。大丈夫です。大丈夫。部隊の三分の一を(うしな)いましたが、なんの問題もありません。大丈夫です」


 キャロルは必死で災禍(さいか)の元凶を見つけようと目を走らせた。しかし、目に映るのはマグオートの群衆と、彼らから逃げながらの防戦を()いられているローランばかり。


 桃色の髪の魔術師の姿は、どこにもなかった。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。



・『キャロル』→マグオートの戦士。気だるげな女性。運河を越えるために砂漠の廃墟の掘削事業に従事していた。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて


・『ヘイズ』→ラガニアの辺境に存在する地下都市。夜会卿の町を追放されたバーンズが先頭に立って開拓した、流刑者たちの町。地下を貫く巨樹から恵みを得ている。夜間防衛のために『守護隊』と呼ばれる自警団がある。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて


・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より


・『マグオート』→文化的、経済的に成熟した街。王都から流れてきた富豪が多く住む。トムとマーチの故郷。別名『銀嶺膝下(ぎんりょうしっか)』。ラガニアの辺境である地下都市ヘイズと、転送の魔道具によって接続されている。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて


・『悦楽卿イアゼル』→黒の血族で、ラガニアの侯爵。洗脳魔術の使い手。詳しくは『幕間「落人の賭け」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて


・『ベアトリス』→ラガニアの地下都市ヘイズの長であり、バーンズの子孫。黒の血族で、ラガニアの男爵。誠実な男。祖先の恨みを晴らすべく、夜会卿への宣戦布告を目論んでいる。鎧をかたどった貴品『虚喰』により、無形の靄を自在に操ることが可能。ただし、力を使えば使うほど鎧の内部は空洞化する。戦争にて竜人と組んで人間側につくことを誓った。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて


・『ラクロー』→マグオートの現町長。邸の地下にヘイズと接続した転送魔道具がある。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて


・『竜人』→全身を鱗に覆われた種族。蛇に似た目と、鋭い爪を持つ。王都の遥か西にある山脈に生息している。弱者には決して従わない。鱗の色で階級が二分されており、『純鱗』は気高く、『半鱗』は賤しい存在とされている。詳しくは『626.「血族と獣人」』『幕間.「青年魔術師の日記」』にて


・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。不死の力を持つ。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』にて


・『転移道具』→ヘイズの『層間転移』や、ヘイズとマグオートとの行き来を可能とする魔道具。詳しくは『922.「技術の源」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『飛行魔術』→肉体に浮力と推進力を与える魔術。制御には高度な技術を要する。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて


・『不滅のローラン』→紫の長髪の優男。騎士団ナンバー6。剣と盾で戦うスタイル。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』にて

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