Side Carol.「王立騎士団ナンバー6」
※キャロル視点の三人称です。
陽光を反射するまばゆい剣の軌跡と、回避に徹するイアゼルの金の髪。キャロルの目には、天使が光の川で踊っているように映った。ローランの剣はイアゼルに掠る気配もない。長い頭髪の一部さえ、刃の接触を許さなかった。
目覚めたローランに比して、マドレーヌは静かなものである。腕組みして成り行きを窺っていた。もしイアゼルが彼女との対話に応じ、胸襟を開いていたならば、むしろローランを制止したことだろう。幸福を断ち切った勇敢な騎士に加勢しなかったのも同じ理由である。相手を組み伏せたうえで語りかけるのは教え諭す態度とはいえない。
むろん、そのような内実はキャロルの知るところではない。彼女は目の前の光景に至福を感じているだけだ。とはいえ、少しの曇りもなかったかというと嘘になる。
「皆さん、目を覚ましてください! 今マグオートは危機にあるのです! 立ち上がり、剣を取って、勇敢さを示すべき機会を失ってはなりません! さあ、剣を振るうのです!」
自ら敵の大将に斬りかかるローランの言葉は、平生ならばそれなりの士気向上に役立ったろう。彼の率いる騎士たちにはなおのこと。
誰に対しても、どんな場面でも敬語で物を言うローランのことを、町の人々――主に戦士たちは奇妙に思っていた。騎士が援軍に駆けつけたと知った人々が、その頭目たるローランの痩身痩躯に落胆を抱いたのも無理はない。筋骨隆々、容貌魁偉な人物を誰もがイメージしていたから。騎士たちは及第点の体躯を持つ者がほとんどだったことも、失意を加速させた要因だろう。このローランという三十歳そこそこの男は後方で指揮に徹するだけだと悟った者は多い。が、そんな印象は彼が駐屯して最初の晩に拭い去られた。誰よりも前線で刃を振るい、騎士はもちろん、町の戦士にも隔てなく的確な指示を送る。それでいて一切の油断がないのだから、王立騎士団の六番手への偏見は払拭されたと言っていい。はじめは飾りとしか映らなかった赤のマントも、背にあしらわれた剣と盾の意匠も、かくあるべき物として人々の意識に浸透した。負傷者は出ても死者を数えずに夜を越えることが出来たのは、ローランあってのものだろう。紳士的な口調を乱すことなく下される指示の数々に、いつしかマグオートの戦士たちが鼓舞されるようになったのも自然なことである。
それが今は、皮肉なほど誰の意識にも届かない。静寂が彼を嘲っているかのようだった。
「イアゼル様。我々が始末いたしましょうか?」
すぐそばまで寄っていた血族のひとりが声をかける。イアゼルほどの長身ではないが、ニメートルに迫る身の丈の男だ。
「いや、必要ないよ」
ローランの剣が閃き、イアゼルの右手の付け根を裂いた。といっても、ほんの少し血が滲む程度の傷である。
「無駄話をしている暇はありませんよ、イアゼルさん」
ローランの言葉に得意気な調子がなかったのは、彼の性格だけが影響しているわけではないだろう。ささやかながら、あえて傷を負ったのだということは、ほかならぬローランにはよく理解出来ていたに違いない。そしてそれは、キャロルをはじめとするその場の騎士や戦士たちには共感出来ないものだった。
「ようやく目覚めましたか、皆さん。ともに戦いましょう! まず、円陣を敷いてイアゼルさんを討ち取ります」
先ほどまで呆然と膝を突いていた騎士や戦士が一斉に立ち上がったのを目にしたからこそのローランの言葉だ。しかし、見誤っている。
イアゼルが斬られた瞬間、多幸感はいささかも減退することなく、ある感情がキャロルの胸で沸騰した。
怒り。
なぜイアゼル様に刃を向けるのか。なぜそのような不届きな行為が出来るのか。なにより、どうして幸せの使者に傷を負わせたのか。
魔術であれなんであれ、洗脳に浸った者にとって、その源泉たる存在は崇拝の対象である。心より崇める者が痛めつけられて黙っているほど、狂信者は甘くない。
騎士の抜いた刃の最初のひと振りが、迷いない軌跡を描いた。その対象はもちろんイアゼルではない。
「なにをしているんですか!?」
ローランが咄嗟に構えた盾に、容赦ない一撃が振り下ろされる。腹心の騎士からの攻撃は想定していなかったのだろう。
「俺の幸せを邪魔するな!」
先陣を切った男が怒声を放った。それに呼応するかのように、次々と騎士たちが剣を抜く。マグオートの戦士たちも、武器を手にローランへと駆け出した。
「ローラン。きみは哀れだ。幸せになれないばかりか、仲間に殺される運命にあるんだから。異常者に似合いの最期だよ。……おや、マドレーヌはローランの味方をするんだね。ぼくには手出ししなかったのに」
襲いくる味方の刃に対し、ローランは対処しきれていなかった。だからこそ肩口を切り裂かれそうになったのを、マドレーヌが防いだのである。瞬時に生成した炎の槍で。
「イアゼル」味方からの攻撃を捌きつつ、マドレーヌは怒りを抑えた声色で言った。「ローランがアンタに牙を剥くのは止めないわ。そのためにマグオートに派兵されたんだから、道理でしょ。でもアタシは違う。アンタとは対話の余地があると思ってたの。今でもそう思ってる」
「マドレーヌ。聞き分けの悪い子だね。ぼくは幸せじゃないひとと話す気なんてないんだよ。異常者だからね」
「なんとでも言えばいいわ。とにかく、味方同士で殺し合うなんて間違ってる。早く彼らの洗脳を解除しなさいよ」
今や、ともに夜を防いだ仲間のほとんどすべてがローランへと飛びかかっている。それをなんとか、彼とマドレーヌとで凌いでいる状況だった。二人とも味方を傷付けまいと防戦一方になっているのはやむを得ないことだろう。しかし、襲撃者は一切の遠慮を持たない。趨勢は見えている。
二人の不幸な人間へと刃を向ける者のなかに、キャロルはアグロとセグロの姿を見出した。その瞬間、吐息が漏れる。アグロもセグロも、幸せのために戦ってる。言葉で言い表せないくらい立派だ。
「さて」味方に囲まれて身動きの出来ないローランとマドレーヌを横目に、イアゼルは指を鳴らした。「ルシール。いるかい?」
「はい、ここに」
イアゼルへと進み出たのは、使用人風の身なりの女性だった。顔に刻まれた皺は、人間で換算すると五十代といったところだろう。目付きの鋭さと背筋をピンと張った立ち姿からは厳然とした印象を受けるものの、イアゼルに返した声はまろやかな丸みを帯びていた。長らくイアゼルの側仕えをしていたことは想像に難くない。
「ルシール。異常者は様子見でいい。このまま潰し合うのを眺めるのも一興だけど、ぼくには目的があるからね。もし異常者が攻撃してくるようなら、防御に徹すること。いいね?」
「仰せのままに」
ルシールなる血族は深々とお辞儀をした。イアゼルはというと、そんな彼女の様子には目もくれず、さっさと歩を進める。彼の歩みの先にはキャロルがいた。
自分へと近付く天使に、ある種の錯覚を感じたのは無理からぬことである。幸福の使者に選ばれたと勘違いするのも仕方ない。
実情は違う。イアゼルはマグオートの入り口を目指したに過ぎないのだ。ひとりの部下も連れず。
「おや」
数メートル先で、ようやくイアゼルはキャロルの存在に気付いたようだった。彼にとっては路傍の小石同然だったのだろう。ただ、興味を惹くだけの理由はあった。
「きみは戦わないのかい? ぼくを傷付けたローランは憎いだろう? 幸せの邪魔をするなんて、信じられないだろう?」
イアゼルはこれみよがしに傷跡を掲げた。
キャロルは頷く。あの男は憎い。許せない。
でも、それ以上に――。
「戦いたくないんです。怖くて」
一瞬、イアゼルは目を丸くした。次には、天を向き、高笑いが弾ける。
「きみ、とっても臆病なんだね。でも、ちゃんと幸せになってる。いいね。きみくらい牙の抜けたひとは珍しい」
「はい。ありがとうございます」
不意に差し伸べられた手を、キャロルは畏れ多く、しかしながら名状しがたい幸福の高まりを抱えて触れた。
キャロルの手が細指に絡め取られ、上に引かれる。自然と彼女は立ち上がっていた。
「気に入ったよ。一緒に行こう。この町の中心に」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『キャロル』→マグオートの戦士。気だるげな女性。運河を越えるために砂漠の廃墟の掘削事業に従事していた。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて
・『悦楽卿イアゼル』→黒の血族で、ラガニアの侯爵。洗脳魔術の使い手。詳しくは『幕間「落人の賭け」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『不滅のローラン』→紫の長髪の優男。騎士団ナンバー6。剣と盾で戦うスタイル。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』にて
・『マドレーヌ』→炎の魔術を得意とする、『救世隊』の魔術師。性別は男性だが、女性の格好をし、女性の言葉を使う。シンクレールに惚れていたが、彼に敗北。テレジアの死によって、彼女の教義を伝える旅に出た。現在はマグオートに滞在。詳しくは『317.「マドレーヌ」』にて
・『マグオート』→文化的、経済的に成熟した街。王都から流れてきた富豪が多く住む。トムとマーチの故郷。別名『銀嶺膝下』。ラガニアの辺境である地下都市ヘイズと、転送の魔道具によって接続されている。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて




