幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」
漆黒の鎧を纏い大斧を背負った男と、軽い旅装束に大剣を背負った男。『王の盾』スヴェルと『勇者』ニコル。二人は王都と外界を隔てる門を目指して歩いていた。
王城の堅苦しい空気から解放されたものの、隣の寡黙な男が雰囲気を重くしている、とニコルは思った。質実剛健。その体現のようで好ましい人間性ではあったが、いかんせん、硬すぎる旅は望むところではない。無論、魔王討伐の目的はあったが四六時中神経を張り詰めさせていては疲れてしまう。
ニコルは気まぐれに、スヴェルに言葉を投げかけた。「その鎧、重くないのかい?」
スヴェルは「随分と慣れた口を利くな……鎧は俺の肉体の一部だ。重いも軽いもない」と返す。厳めしい口調である。
「口調が気に入らなかったかい? 王城で『遠慮なく頼む』って言われたから、てっきりフランクに接していいのかと思ったけど」
「好きにしろ」
そして、沈黙。仲間というより本当に護衛だな、とニコルは内心で呟いた。
外壁に備えつけられた巨大な門が見えた。左右に広がる家屋は一律に二階建ての石造り。バルコニーからこちらを見下ろす人がちらほら見える。
「君の鎧、目立ってるよ」
「違う。勇者の出立を目にするためだ」
冗談の通じない男だなあ、とニコルは苦笑した。まあ、いいさ。彼とはゆっくりと信頼関係を築けばいい。
それよりも気がかりなことがあった。
「もうひとりの仲間のこと、スヴェルは聞いているかい?」
王はスヴェルの他にもうひとり同行者をつけると言っていた。門のところで待機させている、と。スヴェルはなんの身振りもせず、ただ「知らん」と答えた。
やがて門に到着すると、見知った顔がいた。
銀の鎧に、黒の短髪。背は高く、腰に下げた二本の剣は柄の部分にそれぞれ鷹の横顔が掘られていた。
「騎士団長さん!」とニコルが驚いて叫ぶと、呼ばれた彼は薄っすらと微笑んだ。
「よく知っているね。ニコルくんとは面識がないはずだが……」
「魔具訓練校で一度擦れ違いましたよ。確か、卒業の日だったと思います」
「ははは」と彼は軽快に笑った。「よく覚えているね。……あれはニコルくんを引き抜きに来たんだよ。しかし、勇者になるとは意外だった……。規格外だな、本当に」
そんな理由だったのか、となんだかニコルは申し訳なく思った。「すみません、好意に背いたみたいで……」
騎士団長は涼しげな表情で首を横に振った。「いや、君らしくて却って清々しいよ」
朗らかに会話する二人を遮るように、鎧の男スヴェルが一歩踏み出した。彼に視線を移し、騎士団長は重々しく呟く。「『王の盾』か。護衛としては随分と豪勢だな」
「ふん」とスヴェルは取り合わず、先を急ぐように切り出した。「同行者というのはお前か? いや、そうではあるまい」
ニコルは二人の雰囲気にただならぬものを感じ、困惑した。過去になにかあったのだろうが、そう険悪なムードになられても困る。
「そうそう、騎士団長さん。僕らに同行してくれるのは誰かな?」
団長は不敵に口角を上げて「出てきていいぞ!」と叫んだ。
すると、民家の影や屋根から次々と人影が飛び出し、総勢九人の男女がニコルの前にずらりと並んだ。
「わあ」と思わず感嘆の声が漏れる。
「よりどりみどりだ。好きな奴を連れて行くといい。騎士団の一桁ナンバーを揃えた」
ニコルはずらりと並んだ猛者の顔を眺めた。凄いなあ、と呆気に取られていたが、彼らが姿を見せた瞬間から既にニコルは決めていた。
怜悧な表情。毛先が外側にハネた銀の髪。蒼の双眸。凍て付いた無表情。
ニコルは名前も知らないその女性に手を差し出した。「一緒に来ていただけますか?」
「あー……」と騎士団長の残念そうな声が聴こえた。「一番の実力者を選ぶなんて、さすがの慧眼だな」
「暗がりから飛び出したとき、彼女が一番良い身のこなしをしてましたから」
騎士団長を見ると、彼は落胆の表情をしていた。手放すのが惜しいのだろう。しかし、顔は一瞬で引き締まり、決然とした口調で返した。
「よし、連れて行くといい」
それを聞いて、自分が選んだ女性のほうを向く。相変わらず手を差し出したまま。「だってさ。どうする?」
彼女は一ミリも表情を変化させず「分かった」とだけ答えた。握手に応じる気配も、それ以上なにか口にする雰囲気もない。
見かねた騎士団長が「握手だ。ほら、握ってやれ」と言うと、彼女はやっとニコルの手を握った。恐ろしいまでの力を込めて。
「あいたたたた」
「こらこら、砕くな砕くな。優しく握るだけだ」
騎士団長の言葉ではじめて、それらしい握手になった。
「気を悪くしないでくれ。恐ろしく不器用な奴なんだ」と詫びるように彼は言う。
ニコルは痛みを堪えて「そのくらいのほうが丁度いいですよ、きっと」と自分でもよく分からない弁護をした。
「僕はニコルです。君の名前は?」
彼女は騎士団長に顔を向ける。あくまでも彼の指示がないとなにもする気がないようだ。
「答えてやれ。そして、これからはニコルくんと協力して旅するんだから、俺の指示じゃなくて自分で考えて行動しろ」
彼女は薄く頷いて「シフォン」とだけ呟いた。
「そっか。シフォン、よろしく」
「……」
困ったように頭を掻く団長をあとにして、ニコルたち三人は門を越えた。
そうだ、と思い出してニコルは振り返る。こちらを見送る騎士団長に、彼は叫んだ。
「今年騎士団に入ったクロエって女の子のこと、よろしくお願いします! 無鉄砲な子だけど、真っ直ぐな性格ですから、良くしてあげて下さい!」
頭が痛んだ。『記憶の水盆』から現実に還るときはいつだって頭に負担がかかる。
ニコルは水盆の傍にある柱を背に、しゃがみ込んだ。王都を発った日のことは良く覚えてはいたが、水盆ほどリアルに追想出来る装置は存在しない。
あの頃は旅の高揚感に酔っていたんだ、とニコルは自嘲的に笑う。その先に待っている物事に呑まれ、砕かれ、引き裂かれ、踏み潰され、貫かれ、そして僕はここにいる。
そして、それが正しいのだと信じていた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『記憶の水盆』→過去を追体験出来る装置。魔王の城の奥にある。初出は『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『王城』~」』
・『スヴェル』→ニコルと共に旅をしたメンバー。近衛兵の指揮官。『王の盾』の異名をとる戦士。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『王城』~」』にて
・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。詳しくは『43.「無感情の面影」』にて




