Side Carol.「哀れな異常者たち」
※キャロル視点の三人称です。
マグオートの遙か先で蠢いていた影は、誰の目にも血族の大群だと分かる程度には接近していた。各々武器を身に帯びているものの、いずれも瀟洒な装いである。隊列と呼べるような秩序はなく、無駄話に花を咲かせながら歩む一行は、敵地を制圧しようとする者のありうべき態度とはかけ離れていた。
とはいえ、彼らが特別不真面目だったわけではない。いざとなれば戦うだけの実力はある。にもかかわらず緊張感の欠片も持たなかったのは、ひとえにイアゼルの力を買っていたからだ。依存していたと言ってもいい。
至福充溢。対象を多幸感で支配する洗脳魔術。それがいかに強固なものであるかを知っているのだ。イアゼルの領地のいくつかがその魔術により骨抜きにされ、魔物に襲われて全滅した逸話は血族の間では有名である。食い殺されるその瞬間まで恍惚を顔いっぱいに浮かべていた、なんて尾ひれが付いた噂話だ。
そんな異質な洗脳であれど、魔術には相違ない。それなりの魔術的な手続きを踏む必要があり、なおかつ対象範囲も狭い。本来ならば。
イアゼルの所有する貴品『多幸の喇叭』により広範囲に洗脳を拡散出来たのである。『多幸の喇叭』自体は大した性能を持っていない。物質を生成しない種類の魔術を拡散するだけだ。その限定的な能力ゆえ、魔術師であるイアゼルにも暴発なく扱える。ただし、洗脳魔術固有の手続きを省略することは基本的には出来ない。支配魔術がそうであるように、然るべき段取りを踏んではじめて実現する。イアゼルは特殊な方法により、一切のフローを省くすべを身に着けていたのだ。文字通り。
それらすべては、キャロルの預かり知らぬ事柄である。今も至福に心を蕩けさせているマグオートの人々も同じだ。イアゼルが宙に浮いているのが飛行魔術によるものであることすら把握出来ていない。皆、自分の幸福に夢中なのだ。たったひとりの例外を除いて。
マグオートの敷地外に集った戦士たちを見下ろし、イアゼルはやがてひとりの人物に視線を固定した。なんて優雅な表情なんだろう、とキャロルは思う。細くなった瞼の先で瞳が妖しく輝いている。唇と、それを舐める赤い舌。鼻翼が膨らみ、口角が持ち上がっていた。
イアゼルは組んだ足をほどくと、見えない階段でも降りるかのように、一歩一歩地上へと近付いた。やがて降り立った彼の前には、手を伸ばせば届くほど近くに彼女がいる。
イアゼルを見据える彼女の顔を視認し、キャロルは不思議に思った。なんであんなに平然としているのだろう、と。不機嫌そうですらある。
二人はしばし互いを牽制するように視線を交わしていた。
先に口を開いたのはイアゼルである。
「なぜ攻撃しないのかな? きみは魔術にかかっていないようだけど」
相変わらず優雅な声。小鳥の囀りに似ている。キャロルはそれを耳にするだけで、幸せがいや増していくように感じた。それに比して、相手の返事はなんと醜い声だろう。
「アタシは無闇に攻撃したりしない。アンタが誰も傷付けないなら、アタシもそうするわ。イアゼルだったかしら? アタシはマドレーヌ。アンタと話がしたい」
男なのに女性の口調を真似て、所作も真似て、でもどうしようもなく差異が際立つ。それに、とキャロルは思う。イアゼル様を『アンタ』だなんて! 信じられない!
「ぼくは幸せなひととしか会話したくないんだ。――至福充溢」
イアゼルの小指がマドレーヌの額に触れるまで、一瞬だった。それでも抵抗は出来たろう。しかし、彼女はその素振りすら見せなかった。
イアゼルの左の小指から迸った洗脳魔術は、確実にマドレーヌの脳に達していたはずである。しかし、彼女は最前と変わらぬ険しい表情でイアゼルを睨むばかりだった。
「きみ、幸せになれないんだね」
皮肉っぽく肩を竦めるイアゼルに対し、マドレーヌは淡々と返した。
「アタシには懺悔してもしきれない罪が山ほどあるの。それを無視して幸せになんてなれるわけないでしょ」
「可哀想に。異常者だ」
「なんでもいいわ。アタシは話を――」
「空望成就」
イアゼルの薬指が、先ほどと同じくマドレーヌの額を捉える。
が、これにも彼女の態度は変わらなかった。
「虚空領域」
人差し指が接し、イアゼルがそう呟いたとき、少しだけマドレーヌの足元が不確かによろめいたように見えたが、すぐに持ち直した。
次に、中指が彼女に触れる。
「追想自鳴琴」
すると、マドレーヌは目を見開き、脱力したようにぽかんと口を開けた。
イアゼルはようやく満足したのだろう。柔和な笑みを浮かべる。ただ、その状態も一分と続かず、マドレーヌは自分自身に回帰したようだった。
「少しだけ」マドレーヌは浸るようにゆっくりと目を閉じ、すぐに開いた。「感謝するわ。もう会えないひとに会えたから。でも、寂しいものね」
キャロルにはマドレーヌの言葉の意味なんて分からない。でも、彼女が本当に寂しげな笑みを口元に浮かべたのは目にしていた。なんて哀れで、不幸なひとなんだろう。幸せになれないだなんて。
マドレーヌは深く息を吸うと、気丈な声色で言い放った。
「それぞれの指に別の洗脳魔術を彫り込むなんて、器用なのね。まだ使ってないみたいだけど、親指も同じようなものでしょ? 右手は彫ってないみたいだけど」
魔術を彫り込む。その技術を魔紋と呼ぶことは、マドレーヌの知識にはなかった。当然、それを肉体に施す方法も知り得ない。ただ、彼女の把握出来る範疇のことを口に出してみたまで。
むろん、マドレーヌの内情や言葉の意味なんてキャロルには捉えられなかった。多幸感に包まれていない、比較的冷静な状態だったとしても同じだろう。マグオートの人々は魔術に疎いのだ。ずっとそれを敬遠してきたから。
「どうやらきみは、どうしても幸せにはなれないようだ。残念な生き物だよ」
「アンタがどう思おうと勝手よ。幸せは自分で得るものじゃない? 少なくとも、こんなふうに他人から押し付けられる幸福は、幸福とは呼べないわ。早く全員の洗脳を解きなさい」
イアゼルはすっかりマドレーヌから興味が失せたのか、こちらへと迫る血族の軍勢に呼びかけた。
「ここにいるひとたちを傷付ける必要はないからね。ひとりだけ異常者がいるけれど、戦意はないようだし、放っておこう。もし襲ってきたら容赦しなくていい」
それを聞いて、キャロルはふつふつと笑いが込み上げてきた。イアゼル様を襲うなんて、とんでもない。許しがたい暴挙だ。こんなにもたくさんの幸せを与えてくれたひとに刃を向けるなんて。
マドレーヌは口でイアゼルを説得しようとしていたが、まったく相手にされていない。それでも攻撃しないあたり、彼女は本当に対話でなんとかしようと思っていたのだろう。ゆえに、この場においてイアゼルに仇なす存在はいなかった。つい先ほどまでは。
剣が閃き、イアゼルが身を翻す。切っ先は侯爵の肌を裂くことはなかったものの、意思表明として充分だったろう。
躱したイアゼルの金の髪が踊り、襲撃者の紫の髪が朝陽に煌めく。
「きみはマドレーヌと違って、ちゃんと幸せになっていたはずだけど……自力で抜け出したんだね。そうか。哀れな異常者が二人に増えてしまったね」
呆れ混じりに言うイアゼルへ、剣の先が向けられる。
「私は騎士団ナンバー6、不滅のローラン。貴方を討つ者の名です。しっかり心に刻みなさい」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『キャロル』→マグオートの戦士。気だるげな女性。運河を越えるために砂漠の廃墟の掘削事業に従事していた。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて
・『マグオート』→文化的、経済的に成熟した街。王都から流れてきた富豪が多く住む。トムとマーチの故郷。別名『銀嶺膝下』。ラガニアの辺境である地下都市ヘイズと、転送の魔道具によって接続されている。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『悦楽卿イアゼル』→黒の血族で、ラガニアの侯爵。洗脳魔術の使い手。詳しくは『幕間「落人の賭け」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『洗脳魔術』→魔術の分類のひとつ。読んで字のごとく、対象を洗脳するための魔術
・『貴品』→血族たちの作り出した魔具。詳しくは『911.「貴品」』にて
・『支配魔術』→使用の禁止された魔術。他者の自由意思に介入する魔術。他者に施された『支配魔術』を、同じ魔術で上書きすることは出来ない。解除後も、一度変形された自由意思は完全に元通りにはならない。詳しくは『117.「支配魔術」』『Side Johann.「ドミネート・ロジック」』にて
・『飛行魔術』→肉体に浮力と推進力を与える魔術。制御には高度な技術を要する。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『マドレーヌ』→炎の魔術を得意とする、『救世隊』の魔術師。性別は男性だが、女性の格好をし、女性の言葉を使う。シンクレールに惚れていたが、彼に敗北。テレジアの死によって、彼女の教義を伝える旅に出た。現在はマグオートに滞在。詳しくは『317.「マドレーヌ」』にて
・『魔紋』→魔術の応用技術のひとつ。壁や地面に紋を描き、そこを介して魔術を使用する方法。高度とされている。消費魔力は術者本人か、紋を描いた者の持つ魔力に依存する。詳しくは『186.「夜明け前の魔女」』にて
・『不滅のローラン』→紫の長髪の優男。騎士団ナンバー6。剣と盾で戦うスタイル。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』にて




