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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」
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Side Carol.「幸福の使者」

※キャロル視点の三人称です。

 王都から移住した富豪たちが多く暮らす、文化的に発展した町。町行く人々の装いは瀟洒(しょうしゃ)で、石造りの家々が建ち並ぶ。冒険家として名高い『命知らずのトム』を輩出し、彼の著書を行き渡らせた源流もこの地にある。流通こそ王都を経由して()されるものの、編集から印刷まで(まかな)うだけの施設が整っていた。各地を周るサーカスの拠点もある。グレキランス随一の銀山を(よう)するがゆえ、衣食住はもちろんのこと、娯楽面まで経済が行き届いている町。


 多種多様な職能を(ゆう)する人材も揃っている。医者や鍛冶師、大工に庭師に料理人。町の守護者たる戦士も例外ではないものの、その多くは移住者や一時的な雇用者ではなく、マグオートで生まれ育った者が大半を占めていた。特別な能力を持たずとも、町を守り抜く意志さえあれば稼ぎになる。なによりマグオートは戦士を(ほま)れとする風潮があった。戦士の子孫が次代の戦士となるのも、それが影響している。


 キャロルの父は戦士だった。それも大型魔物と相討ちし、英雄として(まつ)られた人物である。英雄の一人娘であるキャロルが戦士を目指し、実際に夜の守護者として振る舞うようになったのも自然な成り行きだったし、彼女自身の望みでもあった。決して勇敢な(たち)ではなかったが、父の誇りを(けが)すまいと肩肘を張るあまり、対外的には高圧的で無愛想に育ったきらいがある。魔物との戦闘で剣を振るうことが出来たのも、そうした表面的な態度を崩すまいとする一心からだ。


 血族の侵攻から七日目の朝を迎えたキャロルは、騎士団ナンバー6のローランと、マドレーヌなる宗教家の背を眺めて、自分の腰元に触れた。きっちりと鞘に収まった剣。その柄を指先で無意識に(もてあそ)ぶ。マグオートを囲む石壁にもたれて、砂混じりの風に目を細めた。剣を抜かなかった夜は、これで何度目だろう。少なくとも騎士団が援軍として駆けつけてからは一度も戦っていない。夜の(あいだ)ずっと壁際に立っているだけ。魔物と戦う機会がなかったわけではない。その気になれば騎士団の面々と歩調を合わせて、敵へと剣を振るうことも出来たろう。


 でも、しなかった。それがすべてだ。朝の訪れと同時に強烈な安堵と、少しばかりの後悔に襲われ、夜が近付くにつれ怯えに(さいな)まれる日々。いっそのこと家に()もっていればいいのに、と思わないでもない。実際、家から出られない夜もあった。


「今夜も何事もなかったですね、姉さん」


 キャロルの右隣に(たたず)む屈強な男が言う。彼女の従弟だ。名はアグロ。見た目に反して心根(こころね)の優しい男である。彼女の左隣で沈黙しているのはアグロの兄、セグロ。キャロルの従兄にあたる。アグロより線は細いが、戦士に()る体躯をしていた。セグロは無口であるものの、アグロと同じようにキャロルをそばで支えてくれる存在である。マグオートに竜人が襲来した際、キャロルを両隣で文字通り支えていたのもこの二人だった。この兄弟は両親を亡くしており、今ではキャロルと同居している。町長から与えられた広い邸宅で。今は亡き英雄の住まいだ。


「何事もなかった」


 とキャロルは言葉を繰り返す。本当に、なにもない。なにもしていない。


「帰って休みましょう」


 言って、アグロが柔和に笑う。セグロが頷く。


 二人が言うなら仕方ない。そうしよう。


 アーチ状の石門をくぐる手前で、キャロルの耳を鋭い声が貫いた。


「敵襲!!」


 咄嗟(とっさ)に振り返る。キャロルの視界は不安定に揺らぎつつも、宙の一点に焦点を絞っていた。


 東から昇った太陽を背に、なにかが近づいてくる。空を行くそれが、飛行する人型のなにか(・・・)だと認識した頃には、騎士たちが矢や魔術での遠距離攻撃を開始していた。敵影は悠々と攻撃を()け、みるみるマグオートに接近してくる。


 先行する飛行者の肌が紫――血族だと気付いたときには、地上の異変もキャロルの目に入った。(うごめ)く影が遥か先の大地を(りょう)している。それらが血族の軍勢であり、いずれも悠長なほど緩慢な歩みで接近していることまでは見通せなかった。


 心臓が滅茶苦茶なリズムで鳴っている。足が震え、無自覚に自分で自分を抱きしめていた。なんで、という非難が心で(こだま)する。夜は終わったのに、なんで。今夜も乗り越えたのに、生き残れたのに、なんで。


 飛行する血族が片腕をこちらへと、つまりマグオートへと差し向ける。生まれたての太陽が、血族の手にした金色の物体に反射した。それが喇叭(らっぱ)に似た形状の魔具――血族(いわ)貴品(ギフト)であることも、敵が喇叭の根本に左の小指を挿し込んだのも、キャロルには分からなかった。ただ、小さな呟きが耳に届いたのは不思議なことである。まだ数百メートルも離れた距離にいるのに。歌うような旋律で、耳心地の良い高さの声。「至福充溢(ユーフォリア)」。そう聴こえた。


 直後、音の一切が消え失せた。人々の声も、悲鳴も、草木のざわめきも、風に乗った砂が地面を(こす)る微音さえ果てる。聴力を失ったのは、ほんの一秒にも満たない時間だった。そののち、自然音が耳で(たわむ)れる。先ほどまで響いていた悲鳴や怒声(どせい)はひとつもない。地上からひとが消えたかのように、自然の奏でる音たちだけがそこにあった。


 キャロルの足はもう震えていない。身を守るように抱きしめていた腕も、ゆるゆると脱力していく。心臓も今は一定の鼓動で打っている。


 恐怖はない。不安の影すら見出せない。


 幸せだった。途方もなく。


 気が付くと地べたに座り込んでいたけれど、情けなさなんて感じない。幸福感だけがあった。


 キャロルは天を(はす)に見上げる。いつしか血族は騎士たちの頭上十メートルの位置に浮かんでいた。まるで見えない椅子に腰かけているように、空中で足を組んで。緩くウェーブのかかった、きらびやかな金髪が胸まで伸びている。細い下がり眉も長い睫毛も金色。翡翠色の瞳は宝石のようで、目付きには敵意の欠片もなかった。飾りの多い、薄い白の開襟シャツを襟首までキッチリとボタンで留め、皺ひとつない(つや)やかな黒のズボンを()し、磨き抜かれた短靴を履いている。どれも仕立てのいい品だとひと目で分かった。容姿こそ中性的なものの、手指や顔の線、あるいは胸で男性だと見受けられる。右手の小ぶりな喇叭さえ、彼の気品に華を添えているように思えた。


「ごきげんよう、マグオートのみんな。ぼくはイアゼル。爵位は侯爵。二つ名は悦楽卿(えつらくきょう)。よろしく」


 優美な声だった。口調も柔らかい。


 イアゼルと名乗った血族を見上げ、キャロルは恍惚(こうこつ)とした想いに満たされていた。なんて幸せなんだろう。なぜ幸せなのかは分からないけれど、分かる必要もないんだと思う。幸せならそれでいいじゃないか。


「ぼくはマグオートのみんなを傷付けたりしない。幸せを届けに来たと思ってくれていいよ」


 イアゼルは、イアゼル様は、にこやかに笑んだ。


 キャロルの頬を涙が伝う。嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。イアゼル様の言葉に嘘なんてない。人々を幸せにするためにやってきた天使。血族だなんて呼び方は失礼だ。


 嗚呼(ああ)、と息が漏れる。


 晴れ晴れとした心で、幸福の天使を見上げる。


 死なずに済むんだ。悩んだり苦しんだりする必要なんてどこにもなくて、責任さえもないんだ。誇りも()らない。


 だって、こんなにも幸せなんだもの。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。



・『キャロル』→マグオートの戦士。気だるげな女性。運河を越えるために砂漠の廃墟の掘削事業に従事していた。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて


・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて


・『命知らずのトム』→他種族の生態を記した数多くの書物を残した冒険家。獣人に片足を切られ、それが原因で亡くなった。エーテルワースの友人。詳しくは『436.「邸の半馬人」』にて


・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて


・『マグオート』→文化的、経済的に成熟した街。王都から流れてきた富豪が多く住む。トムとマーチの故郷。別名『銀嶺膝下(ぎんりょうしっか)』。ラガニアの辺境である地下都市ヘイズと、転送の魔道具によって接続されている。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『不滅のローラン』→紫の長髪の優男。騎士団ナンバー6。剣と盾で戦うスタイル。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』にて


・『マドレーヌ』→炎の魔術を得意とする、『救世隊』の魔術師。性別は男性だが、女性の格好をし、女性の言葉を使う。シンクレールに惚れていたが、彼に敗北。テレジアの死によって、彼女の教義を伝える旅に出た。現在はマグオートに滞在。詳しくは『317.「マドレーヌ」』にて


・『竜人』→全身を鱗に覆われた種族。蛇に似た目と、鋭い爪を持つ。王都の遥か西にある山脈に生息している。弱者には決して従わない。鱗の色で階級が二分されており、『純鱗』は気高く、『半鱗』は賤しい存在とされている。詳しくは『626.「血族と獣人」』『幕間.「青年魔術師の日記」』にて


・『魔具』→魔術を施した武具のこと。体内の魔力が干渉するため魔術師は使用出来ないとされているが、ニコルは例外的に魔術と魔具の両方を使用出来る。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて


・『貴品(ギフト)』→血族たちの作り出した魔具。詳しくは『911.「貴品」』にて


・『悦楽卿イアゼル』→黒の血族で、ラガニアの侯爵。洗脳魔術の使い手。詳しくは『幕間「落人の賭け」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて

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