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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」
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幕間.「王様と私たち」

 長い夜が明けて、ようやく明日が訪れた。窓から注ぐ朝陽を見て、王城内の誰もがそう感じたことだろう。(こと)に、矢面(やおもて)に立った者は。


 クロエが()っても、デミアンとノックスは玉座の()(とど)まっていた。私室に戻って身体を休めることも出来たし、現に使用人やら近衛兵やらが訪れては労をねぎらいつつ、そのように促したのだが、どちらも(がん)として()れなかった。ユランにより負傷――というより気絶した近衛兵が病室へ運ばれて、玉座には王と大臣のみの姿がある。


 ノックスは心ここにあらずといった様子で、玉座と廊下を繋ぐ扉を見つめていた。片や大臣は、沈痛な面持ちで自分の手のひらに目を落とす。やがてデミアンは(ひざまず)くと、深々と(こうべ)を垂れた。


「陛下」


 このときのデミアンには玉座の赤絨毯しか目に入っていない。ほとんど額を付けんばかりに頭を下げていたのだから。


「どうか、私に(しか)るべき罰をお与えください。いかな状況であろうとも、グレキランスの王を(かた)るなど大罪です。大臣を()するのは当然として、牢獄に入れていただいてかまいません。いえ、処刑も――」


「デミアン。顔を上げて」


 デミアンの頭の近くから現王――ノックスの声がする。彼は膝を突いて、デミアンの両の肩に触れた。


「いいえ、お見せする顔などございません。私は顔向け出来ないほど――」


「いいから、目を見て話して」


 デミアンがゆるゆると顔を持ち上げると、八の字に眉を下げた王の顔が視界いっぱいに広がった。その頬は痛ましく()れている。大臣が王を殴るなど、あるまじきことだ。どんな事情があろうとも。そのような腕は切り落とすべきである。デミアンは本気でそう感じた。


 ただ、目の前の人物は国家の頂点であるとともに、少年でもあるのだ。そのような残酷な提案を突きつけるのは(こく)だろう。それに、デミアンはノックスに対して、王様と大臣以上の、なにか親密なものを感じ取ってしまっていた。王位継承の日からともに歩むにつれて、そのなにかは段々と醸成(じょうせい)されていったように思う。


「……痛かったでしょう」


「ううん、ちっとも痛くなかった」


 そんなはずはない。顔の腫れは痛みの証明だ。ただ、ノックスの言葉に嘘はなかった。より大きな痛みを予感すれば、自分の味わった痛みなど過小に思えることは往々にしてある。それこそ、無きも同然に。


「デミアンは代わりに犠牲になろうとしてくれた」


「それは……必要だったからです」


 デミアンの目には、ユランという男が意志を曲げる性格とは映らなかった。近衛兵たちをひとりも殺さず、意識を奪うのみに留めたのも、意志ゆえであろう。意固地なまでの正義感がそこにあると知っていたし、だからこそ不正を――誤った歴史を正そうとする姿勢も至極真っ当だった。


 真の正しさはあちらにあると知りながら、認めるわけにはいかないジレンマ。それを引き受け、決着を与えるには頂点に君臨する者の血が流れるしかない。それでかたちだけでも場が収まってくれれば(おん)の字。そんな想いで、デミアンは自らの首を差し出したのだ。今でもそれを間違いだとは思わない。


 しかし、ノックスとしては違ったらしい。


「もう二度と自分を傷つけようとしないで」


 少年の目尻に()まった涙は、デミアンの胸に痛みを走らせた。そして、ノックスが何度も玉座で自分に呼びかけた叫びが、自然と耳に蘇る。まるで守るように、デミアンの前に立ちはだかった背中も。


 小さな背中だった。しかし決して弱くはない背だった。


「もし同じ事態に(おちい)ったなら、私は同じようにいたします。きっと」


「駄目」


 ノックスの言葉は一直線にデミアンの胸を射た。


「ならば、私を即刻処罰することです」


「ううん。デミアンは悪いことをしてない。デミアンが僕のためにやってくれたことだから。でも、次は駄目」


「ではせめて、私を殴ってください。力の限り。何度でも」


 この自分の願いもまた、不敬にあたるだろうとデミアンは分かっていた。しかし、このままなんのお(とが)めもなしでは気が済まなかったのも事実である。


 ノックスは拳を握り、突き出した。


 一秒、二秒と時間が経過していく。やがて痺れを切らしたのか、ノックスはもう片方の手でデミアンの手を取り、同じように拳を突き出させると、そこに自分の拳を軽く触れさせた。


 ユランがやってみせたものと同じだ。それが親密さの表明であり、友情の(ちぎ)りに近い意味を持っていることは、説明がなくとも分かった。


 ノックスは少し気恥ずかしそうに頬を染め、ぎこちなく()む。デミアンは王の拳を両手で握ると、さめざめ泣いた。


 自分は命懸けでこの子を守るだろう。王と大臣という立場はもちろんある。ただ、それ以上に心が震えて仕方ないのだ。守ることで逆に守られている。この少年にはまだ威厳は備わっていなくとも、(まこと)の光がある。それを守るのは名誉なことだ。




 玉座の扉が開いたのは、デミアンとノックスが立ち上がってすぐのことだった。右手と右足を包帯でぐるぐる巻きにした近衛兵隊長ジェインと、セロの姿がそこにある。彼らを取り巻く救護担当の兵士の姿も。


「セロ! ジェイン!」


 ノックスが思わず名を呼ぶと、セロはにっこり笑った。幸い外傷はないようである。相変わらず無垢(むく)(うるわ)しさを(たた)えていた。


 一方、ジェインは松葉杖に半身を預け、深々と頭を下げた。彼が目覚めたのはつい一時間ほど前である。覚醒して最初に感じたのは、生きてしまった、という感覚である。不殺主義のユランと戦い、死に果てることはある意味勝利を意味している、そんな思いがジェインにあったのだ。卑怯な戦法を選び取り、命懸けで戦って、負けて、挙げ句ユランに命を繋ぎ止められた。名ばかりであることは自覚しながらも、王を守る最高戦力と(うた)われる近衛兵の長がこの有り(さま)である。しかし自嘲はなかった。後悔に似た諦めがある。それとは逆に、克己心(こっきしん)が胸の大部分を占めていた。この戦争が終わるまでなにがあろうと王を守る、と。そのためならどんな卑怯も辞さない。近衛兵の栄光に傷が付くとすれば、それは必要な傷だとさえ感じた。


 ジェインは救護兵の反対を押し切り、玉座へと向かったのだ。道中、事の次第は聞きおよんでいる。すでに危機は去ったと。しかもそれが、かつて王を射た男の手柄であることも。その場にクロエがいたことも。


 彼女ともし再会出来たなら、どんな反応を示してくれるだろう。思い切り背を叩いて、呆れ混じりの、しかし快活な笑みを向けてくれるだろうか。


 ジェインはクロエが感情を喪失したことを知らない。ある意味、それで良いのだろう。甘い空想によって保たれる心の強さはある。傷付いた身を起こし、前へと向かわせる力となる。


「陛下」


 現王に嬉々としてじゃれつくセロに内心で呆れつつも、ジェインは()いて声を張った。


「我々近衛兵の力不足でご負担をおかけしたこと、深く悔悟(かいご)しております。力不足は重々承知しておりますが、この戦争が終わるまで、文字通り陛下の盾となることを誓います。戦後、もし命が残っていたなら――」


 そこでジェインは言葉を切り、あらためて自分に問うた。


 それでいいのか、と。


 答えは出ている。


 戦争が勝利に終われば、きっと自分は勲章を授けられることだろう。近衛兵を代表して。


 そんな資格などない。自分はもう、栄光というまやかしを信じていないのだ。名誉を享受(きょうじゅ)するだけの日々にもうんざりしている。この戦争を生き延びたならば、誰の記憶にも残らないひとりの守護者として生涯を閉じたい。そんな想いがあった。誇りを捨てたわけではない。むしろ、自分にとってその姿はなにより誇らしいものに思えた。


「命が残っていたなら、近衛兵隊長を――」


 言葉になる前に、現王はジェインの手を拳のかたちにすると、そこに現王自身の拳を軽く触れさせた。


 そしてはにかむ王に、ジェインはあろうことか破顔してしまった。目の奥が熱くなり、熱を()びた液体が顔を流れてやまない。


 現王の仕草の意味は分からなかった。ただ、どうしてかそれを最上級の(ねぎら)いだと感じてしまって。涙が言葉を押し流して。


 涙に覆われた不確かな視界のなか、クロエの背を幻視した。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。



・『デミアン』→王都襲撃の日を生き残った小太りな大臣。偏狭な性格だが、献身的な面もある。現在はノックスの側近として働いている。詳しくは『590.「不思議な不思議な食事会」』にて


・『ノックス』→クロエとともに『最果て』を旅した少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食(どくじき)の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。王都襲撃ののち、王位を継いだ


・『近衛兵(このえへい)』→グレキランスの王城および王を守護する兵隊


・『赤竜卿(せきりゅうきょう)ユラン』→黒の血族で、ラガニアの公爵。自称、ウルトラ・ドラゴン卿。情熱的な青年だが、センスは壊滅的。代々、ドラゴンを使役するとされているが実際に目にしたものはおらず、虚言卿や嘘つき公爵と囁かれているが本人は意に介していない。詳しくは『幕間「ウルトラ・ドラゴン卿」』にて


・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて


・『ジェイン』→近衛兵副隊長だったが、スヴェルの死により隊長に昇格。尊大な性格。王都が魔物に襲撃された日、前線から逃亡しようとしたところをクロエに叱咤され、グレキランスの守護者として再起した。詳しくは『幕間.「王都グレキランス ~曇天の霹靂~」』にて

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