幕間.「ハルキゲニア~時計塔最上階~」
「アリス……心配ケロ」
「心配したってしょうがありませんよ。私たちは私たちで本丸を襲う必要がありますから」
「最上階に敵がいたらどうするケロ?」
「なに、私が蹴散らします。カエルくんは安心していて下さい」
「けど、どうして僕が時計塔襲撃メンバーのひとりケロ?」
「分かり切った質問はやめて下さい。さあ、じき最上階ですよ」
「……」
ヨハンとケイン――ケラケルケイン・ケロケイン、通称ケロくん、カエルくん、ケイン――は最上階に辿り着いた。
ハルキゲニア時計塔の最上階は、巨大な文字盤の上に突き出た尖塔部に位置していた。文字盤の方角が吹き抜けになっており、その箇所に等質転送器が設置されている。見た目は喇叭を巨大にしたような具合だ。
幸いにも警備兵はいない。
ケインは階段を登り切ってすぐの場所で立ち尽くしていた。ヨハンひとりが等質転送器の設置された台へと歩き、やがてそれに手を触れた。
「見事な物ですな。……声を等しく届ける。おまけを添えて」
ケインはヨハンの姿を見つめて黙っていた。
ヨハンの視線が外へと注がれる。「雨はやんだようですね」
「ヨハン」とケインは呼びかける。声が上ずった。「早く壊すケロ」
ヨハンは軽快に笑い、ケインへと目を移した。そこには、どこか同情するような憂いの色が沈殿していた。
「こんなに素敵な装置を、どうして壊すんです?」
「……そのために来たんじゃないケロ? 洗脳を解くために――」
ケインの言葉を遮るようにヨハンは首を横に振った。
「やめましょうよ。いつまで演技を続けているんですか? どうせ二人きりなんです。素直になりましょう」
彼の言葉に、ケインはぶるりと身体を震わせた。――ヨハンは自分の過去を知っている。廃墟である名前を囁かれたときから、それは明らかだった。
ケインは等質転送器へと一歩近寄る。
「……こんな物、もう二度と目にしたくない」
そう口にしたケインに、ヨハンは柔らかく笑いかけた。「分かりますよ。これはあなたの罪の結晶ですからね……アーヴィン」
「その名で呼ばないでくれ。頼むから」
「誰も聴いていません。それに、ハルキゲニアの崩壊がここから始まった以上、私は演技を続けるつもりはありませんよ。ドレンテを敗北に追いやり、アリスに恋した盲目な青年議員、アーヴィン。……罪を自覚しろ、だなんて高尚なことを口にするつもりはありません。ただ、この場に偽りや遠慮を持ち込む気にならないだけですよ」
ケイン――否、アーヴィンは項垂れて膝を突いた。
「脅されただけなんだ。女王は、自分に協力しなければアリスを殺すと言った。たとえハッタリだったとして、どうしてその判断が俺に出来る? ハルキゲニアが悲劇に包まれると知っていても、守りたかったんだ、アリスを……」
ヨハンは彼の肩に手を置いた。
「分かりますよ。あなたの判断の正誤を、私がどうこう言うつもりはありません。……アリスと再会したのは、あなたの計算ですか?」
アーヴィンはこくりと頷いた。
「反響する小部屋でルフを洗脳した。『最果て』中を飛び回らせて、彼女を見つけ次第、安全に廃墟まで呼び込むため……」
「そして、成功したんですね」
「ああ。ルフを仕留めちまうくらい強くなってたのは意外だった。女王の銃も使いこなしてたな」
ヨハンはピクリと眉を動かした。「なるほど。あの弐丁の魔銃はあなたが女王の城から盗んだものだったんですね? どうりで品がいいわけだ……」
「それで、廃墟でアリスを看病してたのさ。たかがルフとはいえ雛も含めれば面倒な相手だしな」
「あなたたちは廃墟で暮らしていくつもりだったんですか?」
「いや。恩人として崇めて、後を付けるつもりだったのさ。アリスがどう生きていくのかは知らなかったが、彼女の人生に介入したかった」
「……なるほど。それで、彼女は行き先を告げましたか? 我々が現れるより前に」
アーヴィンは大きなため息をひとつついて、額に手を当てた。
「素直に答えてくれたさ。……彼女の目的地は、ドレンテの手紙を受け取るずっと前から――ハルキゲニアだった。多分、俺が『監禁馬車』を雇って無理やり『最果て』の南端まで飛ばした日からずっと、アリスはハルキゲニアを目指してたんだろうよ。用心棒やらなんやらやりながら、しっかり腕を磨いて……」
『監禁馬車』について、アーヴィンは若干苦々しく思った。主に流刑用として『最果て』をうろついている馬車である。雇い主は馭者に応分の金銭を支払い、人を目的の場所まで強制的に運ばせる。動く檻――そんなふうに揶揄されていた。
指定した土地まで生きたまま必ず運ぶというビジネスである以上、アリスを安全にハルキゲニアから遠ざけるという目的には合致していた。しかし、彼女を無理やり檻に閉じ込めた事実はいつまでもアーヴィンに重くのしかかっていた。ハルキゲニア崩壊の原因となった住民投票と同様に。
「なるほど。……アリスは戦闘能力を自分で上げながら、北を目指して旅していた。じっくりと、確実に実力がついていったのでしょうね。全てはハルキゲニアを、そして父親を救うため……ですかね」
「そうだ」
間髪入れずに答えたアーヴィンを、ヨハンは凝視した。「アーヴィン。あなたに助けられた結果、ハルキゲニアが危機に陥ったことに対してアリスは責任を感じているかもしれませんね」
アーヴィンは全身の力が脱けていくのを感じた。……全部が裏目だ。どうしたって上手くいかない。
そんな彼に、ヨハンは柔らかく投げかけた。
「アーヴィン、もしあなたに出来ることがあるとするなら、乗りますか? 悲劇の渦中にいるドレンテやレオネル、いや、この街の全員に対して、あなたは貢献出来るんですよ」
アーヴィンは心持ち顔を上げて答える。「等質転送器を俺が自分の手で壊すことによって、か? 残念ながら拡散された洗脳魔術は住民の感情に浸透しきっている……。悪いが、そいつを破壊したところでなにひとつ変わりゃしないんだ」
ヨハンは立ち上がり、吹き抜けへと身体を向けた。アーヴィンは跪いたまま、彼の背と等質転送器の両方を視野に収める。
「アーヴィン。逃げるのはもうやめだ。顔を変えて、口調を変えて、名前を捨てて、感情までも偽って、あらゆるものにビクビクしながら生きるのは金輪際やめにしましょう。本当はあなたも気付いているんでしょう? 一番冴えたやり方がなんなのか……」
さっぱり分からない、と答えるべく開きかけた口は、途中で止まった。
そしてアーヴィンはレオネルとの再会について思い出す。地下に幽閉されていた自分を助け出し、不服そうではあったがレジスタンスへ誘ってくれたのだ。自分は是非もなく、その申し出に飛びついた。しかし、時間が経過するたびに自分の立場の危うさが重く感じられたのだ。全てが終わったあかつきには、裏切り者として処分される。そんなビジョンが脳裏にちらついて離れない。地下の休憩所でレオネルが寝入ったのを確認し、こっそり抜け出した――つもりだった。しかしレオネルは後を追いかけてきて、なにか叫んでいたな。待て、とかなんとか。……立ち止まることなんて出来なかった。ハルキゲニアを取り巻く一切から解放されたかったのだ。
「アーヴィン。あなたはハルキゲニアから逃れることは出来ません。あなたを駆り立てているのは罪の意識ではないんですか? たとえこの地を離れたって、ハルキゲニアに関する物事はあなた自身の意識に付き纏い続けます。それこそ、死ぬまで。……そこから解放されたいなら、対峙すべきです」
さあ、とヨハンは手を差し伸べた。アーヴィンは彼の手を恐る恐る握って立ち上がった。
「罪のはじまりがこの場所なら、終わらせるのも同じ場所です。――お誂え向きだと思いませんか?」
「……そうかもしれないな」
「ひとつ事前に教えてください。等質転送器を通してあなたが広めた魔術は、一体どういう性質のものですか?」
もうアーヴィンは、物事を隠すつもりはなかった。「反響する小部屋だよ。住民の頭の中に言葉を反響させただけだ」
「その言葉は?」
ためらいを断ち切って、アーヴィンは答えた。「『女王』だ」
ヨハンは満足気に頷く。
「投票用紙に女王の名を書かせるだけならそれでいいでしょうね。すると、あなたは女王を全肯定させるような洗脳はかけていなかったわけですね?」
「ああ。住民がそのあと、女王に支配されたのは奴の恐怖政治のためだろうよ」
「それでは」と言って、ヨハンは街並みを見下ろした。
アーヴィンも彼に倣う。
遥か遠くまでハルキゲニアの街が続いていた。壁に覆われたその姿は、昔のハルキゲニアと随分異なっている。なにもかも女王が変えてしまった。そして自分は、それを手助けした。
「それでは、はじめましょう」
「なにを? 一度かけた反響する小部屋は浸透しきっていると言ったろう? もはや解除することなんて出来ないんだ」
ヨハンは振り向いて、長く息を吐く。彼の横顔に満ちたものを見て、アーヴィンは戦慄した。なんて邪悪な笑い方をするんだ、こいつは。
「解除するつもりなんてないですよ。せっかくアーヴィンが数年かけて温めてくれた伏線を使わないわけにはいかないでしょう?」
もしかすると、こいつはなにもかも知っていて俺をここまで連れてきたのかもしれない、とアーヴィンは思わずにいられなかった。悪魔じみている。
「ハルキゲニアの魔術は解けません。その意味が反転するだけです。アーヴィン――」呼びかけるヨハンの瞳は恍惚の色を帯びていた。「もう一度反響する小部屋を使うんです。はじめにかけた魔術が消えないとすれば、新たな意味を付け加えればいい。『女王』――『に抵抗せよ』。こんなところでいかがでしょうか?」
是非もない。ヨハンの口調はこちらの回答を求めていなかった。アーヴィンはそれを充分に知り、等質転送器へ向かった。
ハルキゲニアの呪いは解けない。その意味が変わるだけだ。
それで罪の意識が少しでも消えるのなら、それでハルキゲニアが正常な方向に進むのなら、それでアリスが故郷の呪縛から解放されるのなら、なんだってする。
それは声にならない声だった。音はなく、ただ魔術の波紋が広がっていく。それは街の隅々まで浸透し、長らく頭にこびりついていた『声』の答えを与える。
数年来『女王』と反響し続けていただけの言葉に、意味が付与される。『女王』――『に抵抗せよ』。
「アーヴィン」
「なんだ」
「反響する小部屋ではなく、通常の交信魔術を使えますか?」
「ああ」
「……あなたの優秀な魔術を買って、ひとつ頼みがあります。伝達していただきたい言葉があるんです」
「どこのどいつまでだ?」
ヨハンは吹き抜けの外を真っ直ぐ指さした。遥か先、切り立った岩山が夕陽を受けて煌めいていた。
最後の仕上げにヨハンは等質転送器を蹴落とした。地上で粉々に砕けるのは明らかである。
空には光の柱が射していた。それは祝福のように装いながら、どこか皮肉っているようにアーヴィンは感じた。
「さあ」と告げて、ヨハン踵を返した。「行きましょう、カエルくん」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場
・『ケイン』→カエル頭の魔術師。正式名称はケラケルケイン・ケロケイン。詳細は『第三話「軛を越えて~②カエル男と廃墟の魔女~」』参照
・『アーヴィン』→ハルキゲニアが女王に支配されるきっかけを作ったとされる人物。詳しくは『118.「恋は盲目」』にて
・『反響する小部屋』→ケロくんもとい、アーヴィンの使う洗脳魔術。詳しくは『65.「反響する小部屋」』にて
・『廃墟での囁き』→『64.「他の誰かは騙せても」』参照。
・『ルフ』→鳥型の大型魔物。詳しくは『37.「暁の怪鳥」』にて
・『弐丁の魔銃』→アリスの所有する魔具。元々女王が持っていた。初出は『33.「狂弾のアリス」』
・『住民投票』→ハルキゲニアが女王に支配された決定的出来事。詳しくは『104.「ハルキゲニア今昔物語」』『118.「恋は盲目」』参照




