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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」
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992.「託し託され、踊る手指」

 ヨハンの狙いが見えないのはいつものことだ。ユランを冷静にさせるためだなんてのは嘘だろう。もとより彼が取り乱している様子はなかったし。


 となると、これ(・・)だろうか。


「ひぃっ! な、貴様、血族だったのか!」


 玉座の上でデミアンが大袈裟に身を引く。引きつったその表情がなにを意味しているのか、今のわたしには分からない。恐怖なのか、困惑なのか、嫌悪なのか。憤慨(ふんがい)もあるかもしれない。騙されたと感じて当然だろう。人間に(くみ)するという立場そのものに疑念を(いだ)いたって不思議ではない。まあ、なんだっていいのだけれど。


「ヨハン」と別の声がする。やや高い、落ち着いた声色。わたしは声のほうを、あえて見ないようにした。「クロエを血族にしたの?」


 ネモみたいに。たぶん、そんなことを言いたいのだろう。


 ヨハンは肩を(すく)め、首を横に振った。


「いいえ。クロエお嬢さんはもともと血族だったのですよ。私と同じく、人間の血も引いています。……つい最近まで私も知りませんでした。お嬢さん自らが故郷に足を運んで、自分の出自を知った結果、彼女に変化が起きたのです。肌の色はそのひとつ。なに、ニコルさんと魔王を打倒するという目的はちゃんと持ってますし、この戦争でも徹頭徹尾(てっとうてつび)人間の味方でさあ。私と同じくね」


 必要以上に喋ってるな、ヨハン。デミアンにも聞かせる意味だろうか。それとも、もっと()の理由があるのか。


「……クロエ」


 呼びかけられた。ヨハンによる遅延はとっくに解除されていて、わたしは納刀している。だから身体の自由が()かないなんて言い訳は通用しない。今のわたしは、かつてのわたしに回帰することを望んでいないからこそ、玉座に足を踏み入れてから一度も()の姿を見ようとしなかったのだ。『最果て』からグレキランスまで、遥々(はるばる)一緒に旅した少年。以前のわたしは、彼に随分と思い入れがあった。親――というより過保護な姉みたいな感じだったろう。もし彼の姿を見て、言葉を()わし、以前のわたしに戻ってしまったら悲惨だ。感情がないからこそ、徹底的に冷静な判断が出来る。わたしは、以前の弱いわたしを捨て去りたい。身体のどこかに居残っているそいつを駆逐(くちく)したい。


 細い腕が胴に絡みつき、頭が腹部に押し付けられる。彼にこうして抱きしめられても感情が動かないのは幸いだった。


「クロエが血族だとしても、僕はかまわない」


 その言葉を耳にしても、わたしの心は()いでいる。デミアンがなにやら慌てた声を上げかけたものの、尻すぼみにまってまともな言葉にはならなかった。


 ヨハンがまばたきをひとつして、口を開く。


「今のクロエお嬢さんは、心に傷を()っています。血族であると知ってから、感情が消えてしまったと自称してますね。……なんとか取り戻せるようにします。以前のお嬢さんのように、なんでもないことで笑ったり泣いたり出来るように」


 わたしを抱きしめる腕が一瞬震え、それから抱擁(ほうよう)が強くなった。


 なんでわざわざそれを伝える必要があるんだろう。感情があるように演技するのは可能なのに。まあ、たぶんぎこちなくて、この少年にはすぐ看破(かんぱ)されてしまうだろうけど。


「ヨハン」わたしのお腹のあたりで、涙混じりの声がした。「クロエを……お願い」


 なんのお願いなのやら、さっぱりだ。感情のことを()しているのか、それともまさか身の安全とか。自分じゃどうにも出来ない事柄(ことがら)全部を示しているのかもしれない。いずれにせよ、意味のない願いだ。託したり、託されたり。それでなにかが決定的に変わることはない。それで意識が大幅に変わるような相手ならまだしも、ヨハンはその(たぐい)の人格ではないだろう。


 だから「承りました。私は私の出来る限り、全力でお嬢さんをどうにかしますよ」というヨハンの返事も、意味のあるものには聞こえなかった。今も耳に入る、家鳴りや風の音と同じ。


 わたしの背中で結び合わされた手が(ほど)け、小さな体温が離れていく。最前までわたしを抱きしめていた彼は、数歩下がった。顔が、首が、肩が、視界の端に入る。わたしはそれらを意識の外側に追いやろうとした。木々や大地といった自然の造形物だと見做(みな)して。でも、どうやら上手くいかなかったようだ。


 自分の腕が持ち上がる。彼の、少年の、現王の、ノックスの、()れた頬に触れていた。


「誰に殴られたの? ユラン?」


 なんでこんなことを聞いてるんだろう。意味なんてないのに。


「ううん、転んだだけ。大丈夫」


 見え透いた嘘。けれど追求せずに頬から手を離したのは、今のわたし(・・・・・)の自覚的な行為だった。排除しようとしていた無駄な自分を見つけて、意図的にそれと反する行動を取っただけ。それに成功したのは、今のわたしに主導権があるからだろうか。それとも、無駄なわたしがあえて抵抗しなかったのかもしれない。正体不明の物事を考えるのもまた、無駄だった。


「さて」とヨハンは柏手(かしわで)を打った。自然とわたしの視線もそちらへと向く。ヨハンはいつの()にやらユランと向かい合わせに立っており、その奥でデミアンが渋い顔をしていた。


「ユランさん。貴方としてはグレキランスが国家ではなく、ラガニアの領地だと認定させたい。片や王様(・・)は、それに(いな)を突きつけている」


「盗み聞きしてたのか?」


「いいえ。貴方の声が大きすぎるだけですよ。廊下に響いてました」


「そうか。全然意識してなかったな……まあ、それはいい。ヨハンだっけか。俺は王と話してるんだ。人間の味方をしてるっていっても、王より偉いわけじゃねえだろ? なら、お前と話しても仕方ない」


 ユランはデミアンへと身体を向けかけたが、ヨハンの言葉で動きを止めた。


「それが問題なんですよ。王様は身を(てい)して貴方に提案を持ちかけているときた。ユランさんのご意志はともかくとして、私は王都グレキランスに(くみ)する者として破滅的な交渉を成立させるわけにはいかないのです。そこで是非、我々(・・)の言葉も聞いていただきたい」


 言って、ヨハンは素早く手を動かした。ユランはというと怪訝(けげん)そうな顔をしていたが、やがて憮然(ぶぜん)とした表情で、ヨハンと似たような動作を返す。


 しばらくそうやって互いに手を動かしてしていると、やがてヨハンがわたしを横目に(とら)え、手招きした。


 ああ、なるほど、と思い出す。ここに来るまでの(あいだ)にヨハンに要求されたことを。


 彼らへと歩み寄り、ヨハンの動きを真似て、手を動かす。ときどきは身体も動かしてみた。


 王城でユランと対面した場合、オブライエンには気取(けど)られぬ特殊な方法で彼と対話するとヨハンは言っていたのだ。


 王都が丸ごと奴の手中にあったとしても、未知の言語をすぐに()き明かすのは不可能だろう。


 手話。ユランがそれを会得(えとく)していることは、少し前に『煙宿(けむりやど)』で耳にしたばかりだ。なんのことやら分からなかったが、これが手話というものなのだろう。王立図書館の全蔵書を読破したわたしの知る限り、手振りでの会話方法について語った書物は一冊もない。無論、これまでの人生で実際に手振りでの話者を見聞きしたこともなかった。崩壊前のラガニアで手話を論じた書物が存在したかどうかは未知だが、仮にあったとして、オブライエンがそれを記憶しているはずはない。彼の興味はもっぱら魔術にあったのだから。


 わたしの役割はノイズといったところだろう。表面上三人で手話を使って会話しているようでいて、実際の話者はヨハンとユランだけという構図。グレキランス地方で育ったわたしの手話がフェイクであることはすぐに看破されるだろうが、それでもやらないよりはマシ、といった具合か。




 夜が白む頃、二人の手話は唐突に終わった。そしてユランは現王――厳密には王になりすましたデミアンへ向けて、こう宣言したのである。いかにも真剣で、けれどどこか爽快さのある声だった。


「俺は、グレキランスが国家であることを認める。この戦争で人間側に寝返って戦うと誓おう」

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。



・『赤竜卿(せきりゅうきょう)ユラン』→黒の血族で、ラガニアの公爵。自称、ウルトラ・ドラゴン卿。情熱的な青年だが、センスは壊滅的。代々、ドラゴンを使役するとされているが実際に目にしたものはおらず、虚言卿や嘘つき公爵と囁かれているが本人は意に介していない。詳しくは『幕間「ウルトラ・ドラゴン卿」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『デミアン』→王都襲撃の日を生き残った小太りな大臣。偏狭な性格だが、献身的な面もある。現在はノックスの側近として働いている。詳しくは『590.「不思議な不思議な食事会」』にて


・『ネモ』→王都の先代の王。ヨハンに胸を射られ、その影響で『黒の血族』と化した。息子である王子ゼフォンによって地下に幽閉されていたが、ノックスに救出された。詳しくは『第二章 第八話「騒乱の都~②名も無き王~」』にて


・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者だが、実は魔王と手を組んでいる。黒の血族だけの世界を作り上げることが目的。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。詳しくは『875.「勇者の描く世界」』にて


・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて


・『最果て』→グレキランスの南方に広がる巨大な岩山の先に広がる土地。正式名称はハルキゲニア地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて


・『ノックス』→クロエとともに『最果て』を旅した少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食(どくじき)の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。王都襲撃ののち、王位を継いだ


・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より


・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。外界で活動しているのは彼の分身『二重歩行者』であり、本体は一切の魔術的干渉を受けない檻に閉じ込められている。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて


・『煙宿(けむりやど)』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。ゆえに人探しはご法度。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」「煙宿~②不夜城~」』にて


・『王立図書館』→王都グレキランスにある図書館。クロエが好んで通っていた場所。詳しくは『203.「王立図書館」』にて

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