991.「燃え盛る赤き竜」
「お初にお目にかかります、ユラン公爵。私はメフィストと申しますが――今は訳あってヨハンと名乗っています。ご存知ないでしょうからお伝えしますが、人間と血族のハーフで、この戦争では人間側の味方をしています」
ヨハンは流暢にそんなことを喋った。彼が狼狽したり言葉を濁したりすることは、そもそもあまり無いことだけど。第一、ヨハンの場合は口ごもること自体が計算だったりする。一緒に過ごしてきた経験から、少なくともそのようにわたしには思えた。
玉座への闖入者――ユランはヨハンに振り返ると、露骨に変な顔をしていた。困惑とも不快とも違う。強いて言うなら、大事な考え事を邪魔されて、けれど相手を邪険にも出来ないような、そんな表情。
「おう、よろしく。悪いんだが、俺は王と話してる最中だ。大人しくしててくれると助かる」
王、か。玉座の前に立つデミアンは王位を乗っ取ったわけではないだろう。現王を庇って犠牲になろうとしており、それを現王が良しとしなかったようだが、張り倒してでも演技を続けたというところか。先ほどちょうど聞こえたデミアンの提案もそれを裏付けている。
で、ユランはデミアンが王だと思い込んでいる。ヨハンが『単純な性格』と評していたけれど、その通りだったらしい。正義漢という前情報にも誤りはないと思う。玉座前の割れたガラスから侵入したわけだけれど、廊下に転がった兵士は全員、息があった。そして玉座の兵士も然り。正義のために人殺しになれるような男ではないのだろう。あるいは、殺さないことを正義と信じているかだ。いずれにせよ大した違いはない。
ナルシスとスピネルも玉座に入っているわけだけれど、扉際の壁でじっとしている。スピネルは動揺と臆病さのせいだろう。ナルシスは観察に徹するため、といったあたりか。まあ、なんでもいい。
「大事な話をしているのはお察しします。今後の戦況を占う重要な対話でしょうなあ。しかし、王が殺されるのはこちらとしても看過出来ません。ユランさんには是非冷静になっていただきたい」
「俺は冷静そのものだ」
ユランに取り乱した様子なんてない。誰にだってそれくらい分かるだろう。内面までは見通せないけど。
「お嬢さん」とヨハンに呼ばれた。だから、サーベルを抜く。「ユランさんを排除してください。本気を出してかまいません」
分かった、という返事さえしない。心は静かに高揚していて、わたしはユランへと最初の一歩を踏み出していた。
ユランとの戦闘。それはヨハンが空中であらかじめ出した指示である。そもそも口で説得するなら戦う意味はないと思うのだが、ヨハンは頑として譲らなかった。まあ、敵方の強者を葬る機会を得たと考えれば悪くない。シフォン以上の相手ならば、なおのこと都合がいい。
「排除? 俺は対話を――」
ユランは言葉をとめて、なんとも不思議そうな顔をした。それも当然だろう。わたしと彼との間には四メートルほどの距離がある。サーベルの攻撃圏内ではない。本来なら。
風の刃。シフォンからコピーしたばかりの技だ。
わたしの攻撃が直撃したのは鈍い金属音で把握したけれど、ユランの身には傷ひとつない。彼のまとった衣服も同様だ。もっとも、服になんらかの魔術が籠もっているであろうことは対面した瞬間に分かっていた。上質な魔力のおかげで。おそらくは、ユランの所持する貴品なのだろう。単なる硬質化ではないはずだ。わたしの斬撃は彼の露出した肌――顔も捉えるよう計算していたから。そこにさえ傷がないとなると、彼の肉体自体が硬いと結論付けるのが妥当だ。身体強化を展開したような魔力は視えなかったし、わたしにも見破れないほど巧妙に隠蔽した魔術を使うような手合いでもないだろう。
「お前、もしかして斬撃を飛ばせるのか!? なんだそれ! 超かっけえ! お前、名前は?」
「クロエ」
「そうか、クロエ! お前すげえな!」
そんなふうに目を煌めかせるユランを見て、やっぱり隠蔽魔術を使うような性格じゃないと確信した。まあ、飛ぶ斬撃を格好いいと思うセンスはかつてのわたしには多少なりともあったろう。まさかユランも同じセンスだとは。
どうだっていい。今のわたしには共感もなにもない。
「もっかいやってくれ! もっかい!」なんてはしゃぐ姿にも、呆れさえしない。
ただ、リクエストには応えようと思う。同じではないけど。
「おっ! 痛っ!!」
ユランがあからさまに顔を歪める。今度の刃は視えざる斬撃ではなかった。サーベルの軌跡が真っ赤に燃え盛り、火炎をまとった斬撃がユランの身を通過したのである。痛みのみを与える炎と、風の刃の組み合わせだ。
さすがにユランの硬さは外側だけらしい。それなら、硬度の高い竜人とさして変わりない。硬さゆえにほとんどすべての攻撃に晒されていないぶん、彼らは痛みに対して弱かった。
ユランも同じだったら、簡単に始末出来るだろう。
一瞬で刃の本来のリーチまで距離を詰めるわたしを、ユランが目で追ったのは分かった。ただ、彼は挑戦的な笑みで拳をかまえただけである。
呼吸をひとつして、一気にサーベルを振るう。真っ赤に染まった刃が視界をほとんど埋め尽くした。斬撃速度は尻上がりに上昇し、シフォンとの剣戟に近い速さへと近づいていく。
「痛っ……くねえ! 全、然だ!」
切れ切れの言葉が耳に届く。単なる強がりだ。誰が聞いてもそう思うだろう。しかし、倒れる気配がないのも事実である。ユランは拳をかまえた姿勢のまま、刃を避けようともしない。
飛ぶ斬撃の魅力から覚めたのか、炎の合間に見えるユランの顔は真剣さを取り戻している。でも、なんだろう。ちっとも敵意を感じない。応戦すればいいのに拳を振るわないあたり、意味不明だ。冷静なわたしならなんとも思わなかったろうけど、今はちょっとだけ事情が違う。戦いの高揚が感情を呼び覚ましているのだけど、中途半端だ。じれったい。ユランが本気でわたしの相手をするつもりがないからだろうか。これじゃ生殺しだ。
マオと戦ったときは一ミリも感情が動かなかったのに、戦意を見せないユランに昂りを覚えるのは、やっぱり格の違いというやつだろう。わたしは強者に焦がれている。それも、かなり。
一歩後退し、振り上げた刃を氷で包み込む。それが巨大な槌を形成したのは一瞬で、振り下ろしたのも一瞬だ。
氷槌がユランの脳天で粉々に砕け散る。ただ、相手は拳をかまえたまま顔色ひとつ変えなかった。
「飛ぶ斬撃も、デカいだけの氷も、俺には通用しねえよ。炎の刃は効く。それは認める。だが、そんな痛みで俺は倒れねえ! 今この瞬間も戦場で苦しんでる人々の痛みに比べりゃ、全然大したことねえよ!」
戦地の人々の苦痛と、今この場でユランが感じる痛みとを比較する意味なんてないだろうに。多少気分が昂っても、わたしのなかに冷静さは残ってる。だから、ユランの発する言葉が無駄ばかりだということにも気付く。わざわざ指摘する意味なんてないから、しないけど。
火炎の痛みでは気絶しない。生成した氷は脆すぎて話にならない。風の刃も無意味。
前進し、高速の斬撃を浴びせる。金属音が重奏となって玉座を覆い尽くした。
単なるサーベルの攻撃のほうが、速いし重い。シンプルなのが一番なのかも。でも、少しだけ細工をしてある。わたしの肌を刺激する冷気。それ以上の低温をユランは味わっていることだろう。
サーベルの記憶した氷の魔術は、刃を延長させたり、武器を変形させたり、はたまた氷で覆った対象を軽量化させたり、割とバリエーションがある。冷気をまとわせて敵の行動力を奪うのもそのひとつ。このまま氷漬けにしてしまえばそれで終わり。
――なわけないよね。
「クロエ。悪いが、俺に氷は無意味だ」
そう。ユランの身体には霜ひとつ見当たらない。それどころか、陽炎で後景が歪んでいる。
「俺の使役するドラゴンは、真っ赤に燃える炎の竜だ!」
言って、ユランは拳を引いた。
直後、腹部に強烈な痛みが走る。身体が否応なく折れ曲がる。初動は見えたのに、避けられなかった。
「あは」
開いた扉の先――廊下を転げながら、わたしは自分の笑いを聞いた。
ユラン。ようやく攻撃してくれた。
良かった。このままなにもしないなんて、つまらないもの。
即座に立ち上がって玉座へと疾駆するわたしの姿が、ユランの瞳に映っていた。わたし自身の狂気的な笑み。そして、紫に染まった自分の肌。
ようやくちゃんと戦ってくれる。わたしも死ぬ気でやるから、ユランも殺す気でやってね。そうじゃなきゃ、わたしは気持ちよくなれない。
玉座へ踏み出した瞬間、時間の流れが止まった。否、止まったように感じただけ。
なにをされたのか理解して、急激に心が冷めていく。首から上だけは自由で、身体のほかの箇所は見事にスローになっていた。
こんなふうに邪魔をして、なにが目的なんだろう。知らない。もはや興味もない。
「はいはい、お嬢さん、そこまでです。お疲れ様でした。大仕事でしたね。あのユランさんを多少なりとも感心させたのですから」
遅延魔術にかけられたわたしは、相変わらずなにを考えているのかちっとも分からない男――ヨハンをただただ眺めた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『赤竜卿ユラン』→黒の血族で、ラガニアの公爵。自称、ウルトラ・ドラゴン卿。情熱的な青年だが、センスは壊滅的。代々、ドラゴンを使役するとされているが実際に目にしたものはおらず、虚言卿や嘘つき公爵と囁かれているが本人は意に介していない。詳しくは『幕間「ウルトラ・ドラゴン卿」』にて
・『メフィスト』→ニコルと魔王に協力していた存在。ヨハンの本名。現在はクロエと契約し、魔王討伐に協力している。初出は『幕間.「魔王の城~尖塔~」』
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『デミアン』→王都襲撃の日を生き残った小太りな大臣。偏狭な性格だが、献身的な面もある。現在はノックスの側近として働いている。詳しくは『590.「不思議な不思議な食事会」』にて
・『ノックス』→クロエとともに『最果て』を旅した少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。王都襲撃ののち、王位を継いだ
・『ナルシス』→王都の騎士団に所属している交信魔術師。自信家で演技口調。しかし交信魔術の腕前は送受信ともに優秀。また、元真偽師。観察眼と魔力察知にも長けている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『スピネル』→二度目の『霊山』来訪で出会った、薄黄色の鱗の竜人。臆病で、長いものに巻かれる性格。クロエが無理やり『霊山』に押し入ったことにより、門番をしていた彼も裁きを受ける手はずになっていた。クロエが竜人の族長となったことで無罪放免となり、それから彼女を「至高の星」と呼んで心酔し、自ら下僕関係を望んだ。「至高の星」とは、竜人を含めた世界全部を良くする存在なんだとか。詳しくは『第四章 第二話「幻の森」』にて
・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。戦争において簒奪卿の部隊に配属されたが裏切り、血族も人間も殺戮した。自分の感情も思考も持たず、ニコルに従っている。前線基地にてクロエに敗北し、彼女の命ずるまま、現在はシンクレールに従っている。風の魔術の籠もった貴品『シュトロム』を使用。実は騎士団長ゼールの養子。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』『幕間「或る少女の足跡」』『幕間「前線基地の明くる日に」』にて
・『貴品』→血族たちの作り出した魔具。詳しくは『911.「貴品」』にて
・『竜人』→全身を鱗に覆われた種族。蛇に似た目と、鋭い爪を持つ。王都の遥か西にある山脈に生息している。弱者には決して従わない。鱗の色で階級が二分されており、『純鱗』は気高く、『半鱗』は賤しい存在とされている。詳しくは『626.「血族と獣人」』『幕間.「青年魔術師の日記」』にて
・『マオ』→騎士団ナンバー8の青年。樹木の魔術師。神童の異名をほしいままにしていたが、シフォンにかつて敗北したことで自尊心を叩き折られ、今は序列を維持するだけの卑屈な騎士に成り下がっている。そんな彼が『宿木』の蔑称で呼ばれるようになったことに、さして抵抗を感じてすらいない。詳しくは『幕間「或る少女の足跡」』にて
・『ドラゴン』→巨大な有鱗の魔物。滅多に出現しない。詳しくは『幕間「或る少女の足跡」』にて
・『遅延魔術』→ヨハンの使用する魔術。対象の動きをゆるやかにさせる。ヨハン曰く、生体や魔術には有効だが、無機物には使えないらしい。正式名称は遅延領域。詳しくは『69.「漆黒の小箱と手紙」』にて




