Side Demian.「洗脳解除」
※デミアン視点の三人称です。
玉座の扉。その先から聞こえる音は、ときに高まり、ときに静まった。扉の先の廊下で今まさに血族と近衛兵――そしてセロが戦闘を繰り広げていることは、カエル男の交信で判明している。もし全滅したならば、玉座に待機した二十名の近衛兵でも討ち取るのは困難だろうとデミアンは読んでいた。
玉座の近衛兵たちは等しく、青白い光を湛えた剣を帯びている。オブライエンの秘書を名乗るジュリアから支給された特別品と伝え聞いていた。ぼんやりとした均質な光を眺めやり、デミアンは胸中で渦巻く不安と不快とを押し殺す。
オブライエンは非道な男だ。だとしても、戦争において王都を勝利に導く要とも言える。各地に配備された白銀猟兵や、壁上の砲台がその証拠だ。玉座付きの近衛兵の剣もまた、敵を討つための強力な武器に違いない。どうしても胸騒ぎがしてしまうのは、クロエが語ったラルフの記憶が頭に根付いているからだろう。
勝利のためならば、オブライエンはどんな選択も厭わない。ラガニアから人間を消滅させたように。
『近衛兵隊長とセロが敗北したケロ。間もなく玉座は戦場になるケロ』
『援護部隊からの交信ケロ! 騎士団ナンバー8、宿木のマオがイフェイオンにて裏切りを実行。その咎で王都への護送中、壁内で逃走。見つけ次第、王城の獄吏に引き渡すように。以上ケロ!』
交信が続けて二度、語尾が重なるようにしてデミアンの脳内で響いた。そのことに違和感の覚えつつも、玉座で薔薇――セロが畏れ多さの欠片もなく預けていった薔薇――を握りしめる現王に視線を落とす。軽く唇を噛んではいたが、悔しさも恐れもその顔にはない。立派だ。しかし、まだ少年でもある。
「陛下。なにがあろうとお守りします」
現王は視線を扉に固定したまま、浅く頷いた。
本来なら、とデミアンは考える。本来なら、とっくに現王を玉座から移動させているはずだった。敵が単独であり、玉座前の廊下にいると判明した段階で中央塔の地下へと向かおうとしたのだが、玉座裏の扉は外側から固く施錠されていたのだ。怯えた使用人の仕業だろう。憤慨が爆発しそうになったが、すぐに収まったのは、腹をくくっただけではない。現王当人が、大丈夫、と言ったのだ。
とてもではないが大丈夫な状況ではない。安心出来る確証もない。ただ、年若いとはいえ、ほかならぬ王がこの場に留まると決断したのだ。最高大臣といえども意見出来るものではない。なにより、その言葉でデミアンの覚悟が決まった。
自分には王を守れるだけの力がない。ならばせめて、決定的な場面で盾となろう。命を捧げよう、と。
カエル男の交信から間もなく、玉座の扉が開き、肌の色を除いて全身が赤い服飾で覆われた精悍な血族が姿を見せた。敵は一同を見るや否や――。
「俺の名はユラン! 公爵だ! お前らグレキランスの人々を救いに来た! 王がどこにいるか教えてくれ!」
なんの遠慮もない、けれども堂々たる声だった。威圧感がないのは、ユランの表情が晴れ晴れとしたものだったからだろう。
グレキランスの人々を救いに来た。その意味がまったくもって不明である。デミアンが生唾を呑んで言葉を返そうと口を開く前に、事が起きた。
玉座付きの近衛兵がユランへと斬りかかったのである。敏捷と呼ぶのが過小なほどの速さで。金属音が俄雨のように鳴り響き、空間を埋め尽くす。異常なほどの剣戟速度である。が、ユランは一歩も動かない。傷のひとつ、血の一滴さえ迸ることはなかった。額際の傷と、ささやかに抉れた脇腹は、玉座に足を踏み入れる前のものである。
「俺は誰も殺さねえ。だから教えてくれ。王は、いや、王を名乗る奴はどこにいるんだ?」
疑問へ答える者はいなかった。近衛兵は剣を振るい続け、デミアンも現王も沈黙している。ユランの不殺宣言はデミアンにとって不気味でしかなかった。
「そうか。教えてくれねえか」
目を落として呟いた矢先、ユランに動きがあった。速すぎて正確な動作は分からないが、攻撃だったのだろう。近衛兵数人が宙を舞う。
が、ほかの近衛兵は意に介さず攻撃を続けていた。まるでなにもなかったかのように。吹き飛ばされた近衛兵もまた、着地と同時にユランへ駆けていく。
次々と吹き飛ばされては再び向かっていくその様子は、勇敢さ以上に異様さが勝っていた。
「なんだ、お前ら」とユランが眉間に皺を寄せる。「なんで――」
続く言葉は金属音に掻き消された。しかし、なにを言おうとしていたのかはデミアンも気が付いた。吹き飛ばされ、再びユランへと突撃する近衛兵の顔が見えたのだ。目を瞑り、口元を弛緩させた顔が。
なぜ気を失っているのに戦っているのか。
その答えは明白だ。オブライエンの製造した武器。それが原因に違いない。
意志に依らず、意識の有無さえ問題にしない兵士。いかにもオブライエンの考えそうな悪辣な人形劇だ。それを良しとするつもりはデミアンにもない。しかし、呑み込んだのも事実である。この瞬間、デミアンはどんな手段であっても敵を討ち取るべきだと自分を納得させたのだ。
しかし、そうではない人間もいる。この場に。
「ユラン! 剣を壊して! 洗脳されてる!」
そう叫んだのは現王――ノックスである。玉座から立ち上がり、決死の形相をしていた。自分が一番危険だというのに。その双肩に王都の未来がかかっているというのに。
いや、とデミアンは思い直す。現王は、この子は、不正を許さない。非道を見なかったことにはしない。
この潔さが仇になるようなことはあってはならない。が、自分になにが出来るというのか。その答えは未だに出ていなかった。
ユランは「おう! 教えてくれてありがとうな、少年!」と笑みを向け、それから近衛兵の剣を次々と破壊していった。兵士は全員気絶していたのだろう、剣が折れるや否や、糸の切れた人形のようにその場に倒れ込んだ。
「正直、助かった。あのまま戦ってたんじゃ気分が悪いからな」ユランは悠々とノックスに歩みを進めながら言う。「ところで少年。王を名乗る奴はどこにいるんだ? 俺はそいつと話があるんだ」
現王が息を吸う音を耳にし、デミアンは急いで割って入った。
「ユランと言ったな。なんの話があるのか説明してもらおう」
「お前が王か?」
「質問を質問で返すな。話があるならここで言え。あと、それ以上近寄るな」
ユランはデミアンたちの数メートル前で立ち止まり、軽く肩を竦めた。フランクな態度はそこまでで、一転して表情が真剣なものに変わる。
「俺は何時間か前までイフェイオンにいたんだが、たぶん全員、グレキランスを国だと思い込んでる。ほかの町のひとだってきっと同じだ。俺は、それを正しに来た。グレキランスは一度だって国だった事実なんてない。今も昔もラガニアの領地だ。それを認めさせるために俺は来たんだ」
デミアンは一瞬呆気に取られ、それからすぐに拳を握った。
「グレキランスをラガニアの――血族の支配下に置くのが目的か?」
「いや、そうじゃない。人々は今のまま暮らしてほしい。首都ラガニアへの貢ぎ物なんかも不要だ。俺はただ、人々が歪んだ歴史を信じ込んでるのが許せねえんだよ。間違ってるものは正さなくちゃならねえ。それが道理だろ? 王様を名乗る奴が正式に認めりゃ、人々の洗脳もきっと解ける」
ユランの声も態度も、真剣そのものだ。ただひたすらまっすぐに正しさを説こうとしているのだろう。
デミアンは歯噛みし、最前よりも強く拳を握った。
ユランの言葉が真実であるのは、ラルフの記憶によって証明されている。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『デミアン』→王都襲撃の日を生き残った小太りな大臣。偏狭な性格だが、献身的な面もある。現在はノックスの側近として働いている。詳しくは『590.「不思議な不思議な食事会」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『近衛兵』→グレキランスの王城および王を守護する兵隊
・『ケロくん』→ハルキゲニアで魔術の講師をしているカエル頭の魔術師。正式名称はケラケルケイン・ケロケイン。本名はアーヴィン。詳細は『第三話「軛を越えて~②カエル男と廃墟の魔女~」』『幕間.「ハルキゲニア~時計塔最上階~」』参照
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。外界で活動しているのは彼の分身『二重歩行者』であり、本体は一切の魔術的干渉を受けない檻に閉じ込められている。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『ジュリア』→魔具制御局のメンバー。オブライエンの部下。オブライエンの実験による最初の不死者。彼を心の底から愛している。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築されている。詳しくは『第二章 第八話「騒乱の都」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『白銀猟兵』→人を模した、ずんぐりとした物体。オブライエンの量産している兵器。指令を送ればその通りに行動をすることが出来る。動きは機敏で、硬度は高い。破壊時に自爆する。詳細は『幕間.「白銀空間~潜入~」』『幕間.「白銀空間~白銀猟兵と一問一答~」』『幕間.「白銀空間~魔具制御局~」』にて
・『ラルフ』→かつてオブライエンの家庭教師をした男。ラガニアで起きた悲劇の一部始終を『追体験可能な懺悔録』というかたちで遺した。『気化アルテゴ』の影響で小人となり、『岩蜘蛛の巣』にコミュニティを形成するに至った。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より
・『イフェイオン』→窪地の底に広がる豊かな町。王都に近く、特産品の『和音ブドウ』を交易の材としている。『毒食の魔女』によって魔物の被害から逃れているものの、住民一同、彼女を快く思っていない。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』にて
・『マオ』→騎士団ナンバー8の青年。樹木の魔術師。神童の異名をほしいままにしていたが、シフォンにかつて敗北したことで自尊心を叩き折られ、今は序列を維持するだけの卑屈な騎士に成り下がっている。そんな彼が『宿木』の蔑称で呼ばれるようになったことに、さして抵抗を感じてすらいない。詳しくは『幕間「或る少女の足跡」』にて
・『赤竜卿ユラン』→黒の血族で、ラガニアの公爵。自称、ウルトラ・ドラゴン卿。情熱的な青年だが、センスは壊滅的。代々、ドラゴンを使役するとされているが実際に目にしたものはおらず、虚言卿や嘘つき公爵と囁かれているが本人は意に介していない。詳しくは『幕間「ウルトラ・ドラゴン卿」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ノックス』→クロエとともに『最果て』を旅した少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。王都襲撃ののち、王位を継いだ