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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」
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Side Jaine.「誇りある生き方」

※ジェイン視点の三人称です。

 意識を失い落下するユランを横目に、ジェインは深く息を吐いた。自分自身も落下の途上にいるというのに。地面に叩きつけられれば死ぬだろう。たとえ息があったとしても長くは持たない。最高に運が良くても、もう二度と戦場には出られないほどの傷を()うのは目にみえている。それなのに、彼の心は不思議なほど()いでいた。耳を乱暴に揺さぶる風音さえ遠く感じる。


 どこまでも高慢なのに救いがたく臆病だった自分は、()もなくこの世から退場する。王都を(おびや)かす血族と道連れに。


 ユラン相手に(もち)いた戦術が果たして近衛兵隊長として相応(ふさわ)しいものだったかは怪しいものだ。しかし、そもそも長の器じゃないことくらい自覚している。分不相応なりに、そして自分らしいやり方で死ねるのだ。本望だと思う。なにより、最後の最後で逃げなかった自分を、弱さそのものを前進する力に転化した自分を、褒めてやりたい。心の奥底に根を張っていた卑怯者と握手したいくらいの気持ちだった。


 それでも、と思う。隣で落ち行くユランを一瞥(いちべつ)して。


 それでも俺は、堂々と戦える奴らが羨ましかった。ユランがそうだ。セロだって。そしてなにより――。


 王都襲撃の日、逃げ(まど)う俺を地に転がし、叱咤を浴びせたフードの女。夜明けには遠い暗さのなかで、彼女の瞳は燃えていた。魔物を蹴散らすその背中に赫灼(かくしゃく)たる光を見た。


 俺はあんたが羨ましい。決してそうはなれないし、人生が巻き戻ったとしても騎士を選ぶことはないと知っているからこそ、羨ましいのだ。


 今の俺を見たらどう思うだろう。それを聞けないのが唯一の心残りだった。


 やがて背に強烈な衝撃を感じ、ジェインの意識は(ちり)のごとく吹き飛んだ。




「感想? まあ、勇敢だったんじゃないの?」


 王都の歓楽街にある瀟洒(しょうしゃ)なバーで、俺たちはカウンターに隣り合って腰かけていた。クロエはワイングラスを揺らし、中の液体の動きを目で追っている。


 時刻は夜が明けて間もない。俺たちは騎士として夜間防衛を済まし、早々に歓楽街へと足を向けたのだ。半地下のこの場所は昼でも夜のように暗い。夜の名残というより、この場所だけは永遠の夜に閉ざされているような錯覚があった。


「あのな、クロエ」俺はウォッカを(あお)り、クロエの顔を指さす。「俺は突出したあんたを助けるために、隊列を崩してまで飛び出したんだ」


 つい先ほどまでの魔物との戦闘を思い出す。隊列を無視して意気揚々と魔物の群れに突っ込むクロエに呆れながら、俺も彼女に並び立ったのだ。そうこうしているうちに魔物の数が増えてきて、背中を預け合って戦う羽目になった。いつだって俺たちはそんなふうに戦う。というより、クロエのせいでそうなる。


「いつものことじゃない、ジェイン」


 事も()げに言い返して、クロエはワインを呑んだ。


「わざわざ命を捨てるような戦い方に賛同した覚えはねえよ」


「でも、いつだってわたしに付き合ってくれる」


「死にたがりを放っておける性分じゃないんでね」


「そう? あなたって、どう見ても生きたがりだと思うけど」


 クロエは意地悪そうに口角を持ち上げた。首を(かし)げるように俺を覗き込む仕草がいたずらっぽい。まだ酔った様子もないのに、仕事が終わるとクロエはいつもこの調子だ。減らず口は普段通りだが、態度は随分と身軽になる。


「生きたいねえ。そりゃそうだろ。でも、ひとりで死ぬのもつまらない」


「それじゃ、わたしと仲良く討ち死にしたいって?」


「馬鹿言うな。死にたいなんて思わなねえよ。思わねえけど、どうせ死ぬならそっちのほうがマシだ」


 つん、とクロエの指先がジェインの肩を突いた。ひどく愉快そうな目をしている。


「まんざらでもないくせに」


 誤魔化すようにウォッカに手を伸ばすと、あれ、と思った。景色がさっきと違っている。床も壁も板を打ち付けた空間で、あちこちに木箱が積んである。麻袋のいくつかから、備蓄の芋が顔を覗かせていた。


「ジェイン」


 呼ばれて振り返ると、すっかり白髪になった母が揺り椅子に腰かけていた。(しわ)の目立つ顔には気品が漂っていて、上等なブルーのワンピースを身に着けている。装身具も庶民の手に届かないものばかりだ。


「どうしたの、ママ」


 俺は母に向き直って、床に座り直した。近衛兵の鎧が重たい音を立てる。頭上ではくぐもった悲鳴が断続的に続いていた。誰か助けて、という声もある。


「貴方が生きていて、本当に良かった」


 母の涙は本物だ。彼女はいつだって俺を大事に想ってる。同じくらい、自分自信も大切に扱っている。だから、邸の地下壕には自分たちだけしかいないのだ。父の遺影さえ、ここにはない。


 今、王都は魔物の大群に蹂躙(じゅうりん)されている。民の多くは死ぬだろう。


 ジェインは門が破られたのをこの目で見て、脱兎(だっと)のごとく逃げ出したのだ。そして脇目も振らず生家(せいか)へ帰り、この地下壕に(かくま)ってもらっている。逃げた()い目はない。それよりも生き残った事実に安堵していた。


「ママ。これからどうしよう」


「どうにでもなるわ。生きてさえいれば、どうにでも」


 もう近衛兵には戻れないだろう。逃げ出した俺の姿を見た奴は、きっといる。近衛兵副隊長としての(せき)を問われ、当然解雇になるはずだ。悪ければ牢獄に入れられるかもしれない。後ろ指をさされる人生なんて最低だ。でも、死ぬよりはずっとマシ。


「俺、しばらくここにいていいかな?」


「いつまでいてもいいのよ。だって、ここは貴方の生まれ育った家なんだもの」


 母はずっと微笑している。ひとり息子の不名誉な顛末(てんまつ)なんて些細なことなのかもしれない。生きていてくれるだけで満足なのだろう。


「ありがとう、ママ」


 地上の悲鳴が間遠(まどお)くなる。堅牢な地下壕を持たない人々が犠牲になるのは仕方ないことだ。いざというときに生き残る手段を持っていないのが悪い。


 どん、と地下壕の跳ね戸が叩かれる。俺はぼんやりと、(かんぬき)のかかった鉄製の戸を見上げた。


 二度、三度と叩かれても戸はびくともしない。


 戸を叩いているのが魔物じゃないことくらい分かっていた。逃げてきた人間だろう。安全な場所を求めて、地下への入り口を見つけ出したらしい。


 何度も何度も、叩かれる。きっと拳は血が(にじ)んでいるだろう。それでも、俺も母も身じろぎひとつしなかった。


 それなのにどうしてか胸が痛む。叩かれるたびに強烈な痛みが駆けめぐる。罪悪感ではなかった。そもそも感情はちっとも動いていない。哀れな民を助けようなんて気はこれっぽっちもない。それなのに痛みは激しくなった。


 きつく目を閉じる。瞼の裏の闇に、白い閃光が断続的に(はじ)けた。これはなにかの罰なのだろうか。


「ジェイン」


 母の声が遠く聴こえる。母とは別の、荒い呼吸もそこに混ざっていた。


「誇りある生き方を選びなさい」


 母の声は(げん)としていた。


 そうだ。


 母はそういう人(・・・・・)だった。威厳を持って生きた人だ。王都襲撃の日、地下壕を開放して逃げ惑う多くの人々を匿い、逃げ遅れた子供を壕に入れて、閂を閉めるよう命じたと聞いている。邸のなかには既に何体ものハルピュイアがいて、母は入り口の戸を守るようにして死んだのだ。母に救われて生き延びた者から、そう伝え聞いている。




 酸素が一気に喉を通過し、胸が破裂するように痛んだ。否応(いやおう)なく呼吸が(あふ)れる。手足の感覚はない。


 目を開けると、紫の肌が見えた。膝を突き、ジェインを見下ろすその顔には汗が(したた)っている。自分ほどではないが、相手の呼吸も随分と荒かった。


「死んだかと思った……。本当に。生きてて良かった」


 黒の天蓋(てんがい)を背景に、血族の男――ユランが涙を浮かべる。


 一度は心停止し、呼吸も失ったジェインを、この男が必死に蘇生させたのだということは、心臓の圧迫感で理解出来た。肋骨も何本か折れていることだろう。手足の感覚がないのは落下の衝撃のせいなのかどうか、定かではない。


 なんで助けた。


 そう言おうと口を開いたが、声にはなってくれなかった。だが、目で伝わったらしい。


「俺は誰ひとり殺すつもりなんてねえんだ。それに、お前は勇敢だ。戦い方は好きじゃねえけど、命懸けで俺を倒そうとしたんだ。そういう戦士を、俺は尊敬する」


 どうやら、せっかく飲ませた猛毒はユランの意識を(つか)()奪ったに過ぎなかったらしい。冷静になってみると当然だ。血族は人間よりも丈夫。当たり前の常識。


「セロも勇敢だ」


 言って、ユランはジェインから視線を()らす。目を動かすと、ジェインのそばでセロが倒れていた。死んではいないようで、胸が上下している。傷らしい傷も見当たらない。


「セロはお前を追って――というより、俺を倒すために飛び降りたんだ。意識を取り戻すのが遅れていたら、セロを受け止めることは出来なかっただろうな」


 気分の良い思い出話をするかのように、ユランは笑みを見せた。その額には黒い血――血族特有の血がこびりついている。よく見ると、額際(ひたいぎわ)にささやかな傷があった。


 窓外へ飛び出したセロが、ユランの脳天に例の斧を叩きつけたのだろう。相手が自分を助けようとしていることなどおかまいなしに。途轍(とてつ)もない戦意だと、ジェインは羨望を(いだ)く。自分には真似出来ない。


 やがてユランは、ジェインとセロを(かか)えて飛び上がった。その背には翼が生えている。いつの間にやらジェインの腰に魔具が収まっていたが、ユランが回収してわざわざ返したのだろう。律儀を通り越して、奇特な男だと思う。


 廊下に帰り着くと、そこには何人かの近衛兵がいた。彼らはユランを見た瞬間に剣を抜いたが、切っ先が震えている。


「今お前らの相手をしてもいいが、ジェインを手当てしてやってくれないか? セロは気絶してるだけだが、ジェインの容態は良くない」


 それが事実だということくらい、ジェインも自覚していた。落下の際に頭を打ったらしく、側頭部が痛みを訴えている。感覚はないものの、右手と右足は血塗(ちまみ)れだった。


 近衛兵はおずおずとジェインの身体を受け取り、即座に(きびす)を返そうとしたが――。


「待ってくれ。ジェインに聞きたいことがある」


 ユランの声で、近衛兵が立ち止まる。


「王の居場所を教えてくれ。大体の場所を目で示してくれるだけでいい」


 ユランは敵だ。しかし、誠実で真摯(しんし)だということも事実だった。ジェインは身を持ってそれを知っている。


 玉座の反対側を示せば簡単に信じ込むであろうことも、察しがついた。


 誇りある生き方とはなんだろう。ジェインは自問する。


「そうか……。うん、そうだな。よし、もう行っていいぞ。早くジェインを手当てしてやるんだ」


 そう言って、ユランが足を向けたのが玉座の方角だったのは、単なる偶然だろう。


 ジェインはユランの問いに対し、目を閉じたのだ。王を裏切る真似はしない。しかし、自分を救った男を騙す真似もしない。見つけたいなら自分で探せ。そのようなメッセージだった。ほかの近衛兵に王の居所を問いただそうとしなかったのは意図的なものだろう。もはやユランの意志を確かめるすべはないが。


 誇りある生き方を選べた(・・・)だろうか。そんな内心の問いを最後に、ジェインの意識はふっつりと闇に呑まれた。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。



・『ジェイン』→近衛兵副隊長だったが、スヴェルの死により隊長に昇格。尊大な性格。王都が魔物に襲撃された日、前線から逃亡しようとしたところをクロエに叱咤され、グレキランスの守護者として再起した。詳しくは『幕間.「王都グレキランス ~曇天の霹靂~」』にて


・『赤竜卿(せきりゅうきょう)ユラン』→黒の血族で、ラガニアの公爵。自称、ウルトラ・ドラゴン卿。情熱的な青年だが、センスは壊滅的。代々、ドラゴンを使役するとされているが実際に目にしたものはおらず、虚言卿や嘘つき公爵と囁かれているが本人は意に介していない。詳しくは『幕間「ウルトラ・ドラゴン卿」』にて


・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『近衛兵(このえへい)』→グレキランスの王城および王を守護する兵隊


・『ハルピュイア』→半人半鳥の魔物。狡猾。詳しくは『43.「無感情の面影」』にて


・『魔具』→魔術を施した武具のこと。体内の魔力が干渉するため魔術師は使用出来ないとされているが、ニコルは例外的に魔術と魔具の両方を使用出来る。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて

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