Side Jaine.「王都グレキランスの守護者」
※ジェイン視点の三人称です。
王の居住する中央の尖塔は、四つの尖塔間を結ぶ通路のうちひとつと繋がっている。空中に配された長い廊下を通じて玉座――すなわち中央の尖塔に至る建造。王城の正門から侵入する敵ならば、入り組んだ城内を迷いつつ進み、ようやく玉座への道へとたどり着く。
地下の王墓に潜伏する手立てもあったが、現王――ノックスは良しとしなかった。である以上、玉座が比較的安全と言える。
「セロ、陛下を頼む」
ジェインは、玉座の隣に立つ元処刑人へと呼びかけた。状況を理解しているのかいないのか、薄っすらと笑んでセロが頷く。とりあえずはそれで自分を納得させ、ジェインは現王に跪き、素早く述べた。「なにがあろうと、陛下をお守りいたします」
「ジェイン、気を付けて。もし危なくなったら、逃げてもいい」
現王の言葉にジェインは内心で呆れつつも、どこか得心のいくものを感じてもいた。まだ現王は若い。子供と呼ぶのが相応しい。なにより王位を戴いてから日も浅い。王として、死地に赴く者へかける言葉を理解していないわけではないだろうが、それでも甘さに限りなく近い優しさが勝ってしまうのだ。
勇んで死ぬがよい。
それが近衛兵に向ける最大の餞である。心のなかでは相反する感情を持っていたとしても、口にしなければならないのはそれだ。その点、現王はまだまだ未熟だろう。先々代の王であるネモの信頼を勝ち得たのは、その未熟さゆえではないにせよ、現王が王としての途上にいるのは確かだ。ここで死なせるわけにはいかない。
「ジェインよ。王の剣として、命果てるまで使命をまっとうせよ!」
玉座に侍るデミアンの声が朗々と響く。大臣のほうはきっちり心得ているようだ。しかし、声に多量の震えが含まれているのは情けなくもある。が、これ以上期待するのは酷だろう。誰だってこんな事態に直面してこなかったのだから。なにより、自分は『王の剣』と呼べるほど大層なものではない。
跪いたジェインは心臓に拳を当て、深く頷いた。これで充分。言葉は必要ない。
玉座を離れ、大扉を開ける。中央の尖塔を繋ぐ廊下がジェインの死地と決まっている。そこには既に、幾人かの近衛兵が緊張した面持ちで集っていた。
もし敵が中央塔のバルコニーから侵入するようであれば、セロと、玉座付きの近衛兵の出番だ。無論自分も玉座に乗り込む心算だが、もっとも危険な瞬間を守るのはセロに違いない。
セロの内面は子供だ。それこそ、現王よりずっと幼い精神年齢だろう。子供を戦士にするのに一ヶ月では足りない。この一ヶ月でセロに出来たのは、現王を含めた周囲の人々とのぎこちないコミュニケーションと、いくらかの信頼構築くらいのものだ。使用人の心を奪ったのは副産物だろう。しかし、それで充分だった。セロはもとより戦士だ。人体の壊し方は知っている。それだけをずっと修練してきたと言っても過言ではない。監獄の地下深く、たったひとり罪人の命を絶ち続けてきた日々が、それを証明している。
さて、と心を整え、廊下に集った十数名の近衛兵へと呼びかけた。
「我らは栄光ある近衛兵だ。王城の守護者として、王の守護者として、命ある限り戦わねばならない。我々は王城付きの近衛兵として、多くのものを受け取ったはずだ。我々のなかには、まだ怯えが残っているかもしれない。しかし、平和な時代は終わったのだ。富と名誉を受け取るだけの日々は終わったのだ。我々は然るべき責務を果たさねばならない。王を守り、敵を討ち滅ぼせ! 今日まですべての近衛兵が受け取った多くのものに見合う働きを、今我々が果たすべきときなのだ! 嘆くな! 奮い立て! 剣を取れ!!」
人数に比して、大きな鬨の声が鳴り響く。敵を前にして、この勇姿がいつまで持つだろうか。そんなふうに思わずにはいられない。だが、王を守って死ねるのだ。これ以上の名誉などなかろう。
『敵は東の方角より飛行して王城を目指しているケロ! 砲台の攻撃は回避されてる模様ケロ!』
太陽の最後の光が廊下を染め上げている。
『王城に接近しているケロ! 敵は急降下中ケロ! 中央塔、いや、それを繋ぐ――』
甲高い破砕音で、カエル男の交信は上塗りされた。ジェインの配備された廊下――上部が円形になったガラスを砕き、赤い影が飛び込んで来たのである。影は幅広な廊下のなかほどで転がるようにして立て膝の姿勢を取った。
「包囲陣形!!」
ジェインの声にやや遅れて、近衛兵が赤い影――血族の男を包囲する。
赤い短髪に、金糸をあしらった上等な赤の服。靴まで赤い。血族は精悍な顔付きをしていたものの、口元がやや歪んでいる。そして膝を突いたまま、横腹を押さえていた。押さえる手の隙間から、黒い液体が溢れて床を汚している。
近衛兵は敵を包囲したまま皆が切っ先を向けていた。ジェインはというと、やや下がった位置――玉座への扉を背にするかたちで魔具の柄を握り、敵を見据える。
血族は不意に立ち上がり、横腹から手を離した。横腹の衣服が裂け、とろとろと黒い血液が流れている。男は大きく息を吸うと、声を張り上げた。
「俺の名はユラン! お前らの洗脳を解きに来た! 諸悪の根源――王のもとへ案内してくれれば、お前らを傷付けないと誓う!」
威厳という意味なら、ジェインよりも血族の男の声や姿のほうがよほど上等だったろう。ジェイン自身も、ひと目見たときから、自虐を含むそんな印象を覚えていた。
ユランと名乗った血族は近衛兵をぐるりと見やると、破顔した。そして横腹を押さえ、ほんのり眉間に皺を寄せる。「にしても、なんだあの砲台。掠っただけでコレかよ。傷を負ったのなんて何年ぶりか分かんねえ」
砲台というのは、壁上の兵器のことを指しているのだろう。ある晩、一斉に出現した謎の兵器だ。それがオブライエンによるものであることは、騎士団長のゼールから聞きおよんでいる。大型魔物さえ消し炭にする紫の光を射出する、とも。掠っただけにせよ、そんな攻撃を浴びて無事でいるユランという男は、警戒して然るべき猛者と言えよう。
「総員、攻撃!!」
ジェインの怒声とともに剣が振るわれる。ユランはそれらを避ける素振りさえ見せなかった。
否、避ける必要などなかったのだと、ジェインは知った。
横腹を庇った状態で、ユランは猛攻撃を受けている。顔に、胸に、手足に、膝に。次々と繰り出される剣は、しかし金属音を響かせるだけでユランに傷ひとつ与えていない。まとった服にさえ、なんの損傷も見られなかった。
「聞いてくれ」
ユランは近衛兵の決死の攻撃をものともせずに言う。先ほど砲台について漏らした独白とは打って変わって、真剣な口調だった。
「お前らは王に洗脳されてんだ。グレキランスは国じゃない。ラガニアの領地だ。お前らはずっとその嘘を信じ続けてきただけなんだ。お前らを責めるつもりなんて俺にはない。殺すなんて、絶対にしない。お前らは被害者なんだからな。俺はお前らに正しい歴史を知ってほしくて、ここまでひとりで来たんだ。ほかの貴族連中はグレキランスを支配するつもりかもしれねえけど、俺は違う! 支配なんてしない! お前らは好きに生きていいんだ! ただ、歪んだ歴史を正してくれればそれでいい!」
金属音が止まる。近衛兵は困惑の表情を隠さなかった。ユランの言っている意味が分からなかったのもあるだろう。それ以上に、この男の敵意のなさに当惑したに違いない。
ジェインは無言で柄――風見の幻影剣を抜いた。その先に、錆びたノコギリが出現する。
グレキランスは国ではない。この男はそう言った。ならば王はいないだろう。王のための近衛兵も存在意義を失う。これまで享受してきた甘い栄光の決着は、国家を捨てることにあるのか?
違う。それは逃避だ。責務の放棄だ。王都襲撃の日の自分に戻ることだ。
「近衛兵隊長のジェインだ」名乗り、武器をかまえる。「王都グレキランスの守護者として、貴様を滅する!」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ジェイン』→近衛兵副隊長だったが、スヴェルの死により隊長に昇格。尊大な性格。王都が魔物に襲撃された日、前線から逃亡しようとしたところをクロエに叱咤され、グレキランスの守護者として再起した。詳しくは『幕間.「王都グレキランス ~曇天の霹靂~」』にて
・『ノックス』→クロエとともに『最果て』を旅した少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。王都襲撃ののち、王位を継いだ
・『処刑人』→王都の監獄の地下深くに存在する『不帰の穴』の底に住まう人間。獄吏の手に負えないような存在の始末や拷問を担っている。言葉はほとんど喋れない。王の持つ『鈍色水晶』の命令によって行動する。詳しくは『第二章 第八話「騒乱の都~②名も無き王~」のSide Nox.「死の神様」』にて
・『近衛兵』→グレキランスの王城および王を守護する兵隊
・『ネモ』→王都の先代の王。ヨハンに胸を射られ、その影響で『黒の血族』と化した。息子である王子ゼフォンによって地下に幽閉されていたが、ノックスに救出された。詳しくは『第二章 第八話「騒乱の都~②名も無き王~」』にて
・『デミアン』→王都襲撃の日を生き残った小太りな大臣。偏狭な性格だが、献身的な面もある。現在はノックスの側近として働いている。詳しくは『590.「不思議な不思議な食事会」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『赤竜卿ユラン』→黒の血族で、ラガニアの公爵。自称、ウルトラ・ドラゴン卿。情熱的な青年だが、センスは壊滅的。代々、ドラゴンを使役するとされているが実際に目にしたものはおらず、虚言卿や嘘つき公爵と囁かれているが本人は意に介していない。詳しくは『幕間「ウルトラ・ドラゴン卿」』にて
・『ゼール』→騎士団長。王都の騎士を統括する存在。双剣の魔具使い。実はシフォンの養父。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』『第九話「王都グレキランス」』『幕間.「王都グレキランス~騎士の役割~」』にて
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。外界で活動しているのは彼の分身『二重歩行者』であり、本体は一切の魔術的干渉を受けない檻に閉じ込められている。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて