Side Jaine.「鈍色の系譜」
※ジェイン視点の三人称です。
腰ほどもある真っ直ぐの青白い長髪。男から見ても麗しさを感じさせる整った顔立ち。清潔な白い開襟シャツはボタンがひとつズレている。折り目正しい黒のズボンに茶皮のベルト。手にした薔薇はまだ瑞々しい。
にこにこと笑顔を浮かべるセロを前に、ジェインは作り笑いを返した。彼が背負った大斧をなるべく視界に入れないようにして。
「セロ、元気か?」
「げんき!」
歯を剥いて笑うセロは、まるでなにも知らない子供みたいだった。実際、知識面では五歳児程度だろう。知っているのは人の殺し方だけだったはずだ。つい一ヶ月前まで。
王城の監獄に存在する奈落――不帰の穴。獄吏にも始末に終えない囚人を放り込む場所であり、穴の先がどうなっているかは王族しか知らない。無論、行き着く場所が処刑人の暮らす空間であり、彼が厄介な囚人をひとり残らず始末してきたことも王族だけの秘密だった。
かつて名もなき処刑人だったセロを眺めて、ジェインは一ヶ月前のことを思い出す。血族化した先々代の王が人目を忍んで暮らす邸に、現王とともに訪れた日のことを。本来は現王の側近であるデミアン大臣が付き添うはずだったのだが、生憎彼は手が離せなかった。というより、現王の周辺警備で王城に起居するようになったジェインが、デミアンに代わって現王の付き添いを志願したのである。口論に発展したものの、最終的にデミアンは折れてくれた。
そこまでジェインが強硬な態度を取ったのも、ひとえにデミアンの身を案じてのことである。戦争関連の事務作業に追われ、気が狂う寸前の様相を呈していたから。ほんの一ヶ月前は丸々と太っていたのに、今では頬がこけている。それなのに仕事を放り出さないあたり、狂気的だ。以前は歓楽街で遊女と遊び呆けていた男とは思えない。根が真面目だったのか、はたまた、現王の側近という身分を過剰に意識していたからこその転心なのかは定かではない。他人の心変わりについて、ジェインはどうこう言う資格を持っていなかった。
『おお、ノックスではないか』
『久しぶり、ネモ』
先々代の王――ネモの邸にたどり着き、まるで友人のようにハグする二人を眺めて、ジェインは強いて苦笑を抑えた。新旧かかわらず、王も人だと感じてしまったから。たとえ片方の肌が血族のそれだとしても。
ジェインは今回、お忍びで城を離れた理由は聞かされていなかった。ただ、大事な仕事だと現王とデミアンそれぞれから言い含められたのみである。見聞きしたことは決して外に漏らすな、とも。
『これの使い方を教えて』
挨拶もそこそこに、現王は外套の内ポケットから半透明の灰色の結晶を取り出した。
ネモはしばし黙していたが、小さく頷いた。
『よかろう。しかし、ノックスよ。あやつをどうするつもりだ?』
『一緒に戦ってもらう。でも、その前に――』
友達になる。
現王がそう言うと、さすがにジェインも無意識に顔をしかめてしまった。王たる者が友達を作るとはいかがなものか、という思いに端を発している。このときのジェインは、現王が友達になろうとしている相手が何者であるのか、まったく知らなかった。
ゆえに、ネモが大仰に目を見開き、深く深く息を吐いた理由も、自分と同じであるに違いないとさえ思ったものだ。
『ノックス。あやつに言葉は通じん。鈍色水晶を通じて指示を送れるが、それは洗脳に近いものだ。言語を介したやり取りではない』
『じゃあ、友達になるように指示を送る。そのあとで言葉を勉強させる』
ネモは現王の強情ぶりのせいなのかなんなのか、遠い目をして短く笑った。
『ノックスよ。お前は本当に勇敢だ。しかし、危険極まりない。ゆえに我も同行しよう』それから先々代の王はジェインへ顔を向け、真剣な声で呼びかけた。『ジェインと言ったな。お前にも同行願おう。近衛兵の長としてノックス――現王の盾となるならば、知っておくべきだろう』
かくしてジェインはフードを目深に被った二人の王とともに城へ戻り、人払いののち、不帰の穴を降りたのである。ロープを使うことなく、畏れ多くもネモの背にしがみついて。彼が背から純白の翼を自由に生やすことが出来る事実は少なからずジェインを動揺させたが、現王はというと、平然とネモに抱きかかえられた。
不帰の穴の底に着くと、ジェインは自分が立っている場所が地獄なのではと錯覚したものだ。石造りの真四角の空間、痛ましく破壊された鉄扉、棚の残骸らしきもの、そして数え切れないほどの人骨と、充満する死の臭い。
その一隅で、のちにセロと名付けられる者が眠っていた。積み上げた骨をベッドにして親指をしゃぶって肩を上下させるその姿は、純粋に美しかった。美しい死神。それ以外の表現はジェインの頭に浮かばなかった。
『あやつは』ネモは半透明の結晶――鈍色水晶を握り、静かに語った。『王家の血筋を引いている』
ジェインはもとより、現王も知らなかったのだろう。唖然としていた。
ネモは二人の様子を気に留めることなく、いくらか沈んだ声で続ける。
『あやつは王家の恥を象徴している。と言っても、あやつ自身に罪はない』
それからネモの語った内容は、ジェインにとっても耳を塞ぎたくなるようなものだった。
何代か前の王が暴君であったこと。その暴君が自らの手で妻――王妃を殺めたこと。王妃は暴君の子を身籠っていたこと。王妃の遺体を秘匿するために、本来は監獄の拡張のために作られた空間である不帰の穴に安置されたこと。
周囲の誰もが気付かぬほど早期の妊娠だったため、胎児は王妃とともに死ぬはずだった。が、産まれたのだ。奇跡なのか、呪いなのか。
死んだ王妃の子を暴君は認知しなかった。世話人を置くことはなく、しかし殺しもしなかったという。定期的に食事を転移させ、生きながらえさせた。それが王妃への愛憎なのかは知る由もない。やがて成長したその子は、或る魔道具により洗脳を施された。それが鈍色水晶である。鈍色水晶からの指令には決して逆らえず、操り人形にされてしまう。暴君はその子に処刑人の立場を与えた。穴に落ちてくる者を殺すよう命じたのだ。そのための武器が大斧である。
『いくら命令とはいえ、斧を扱うことは出来なかったろう。なにしろ、産まれた子は女性だったのだから』
ただ、殺す標的は深い穴から落下した者である。既に死んでいるか、致命的な状態だったろう。殺害のための労力はそうかからなかったはずだ。
暴君はなにを思ったか、処刑人と男の囚人を交わらせ、子を産ませた。そして処刑人の手で囚人を殺させ、処刑人自身には自害を命じたという。そして次代の処刑人にも同様に鈍色水晶の洗脳を施した。
そのようにして、処刑人の系譜が一本道で続いて来たらしい。暴君が早逝してからも、暗にその習わしは続けられた。忌わしい裏の歴史とともに継承されてきた、と言って差し支えない。
『我の先代も、そして我も、処刑人の存在を暴君の恥部だと――王家の恥だと思いながら、やめることをしなかった。王家の歴史のひとつであり、絶やすべきものではないと見做していたのだ。欺瞞だと罵ってくれてかまわん』
『ネモも……先代の処刑人さんに、自分で死ぬように命令したの?』
現王は呟くように訊ねた。ジェインはというと、ただひたすら口を結び、拳を握り続けていた。処刑人の存在理由を肯定出来るものなど、自分には見出せなかったのだ。獄吏が始末出来ないような存在は、この地下空間に放り込んで餓死させればいい。わざわざ処刑人を住まわせるだけのメリットがない。
しかし、メリットやデメリットの問題ではないのだろう。今しも語られた通り、処刑人の血筋は暴君の存在に由来している。贖えない罪がかつての王にあったのなら、罪そのものを継承するほかないのかもしれない。王家の裏の歴史と罪を丸ごと背負う姿勢には、確かに欺瞞めいたものがあるが、ジェインには否定出来なかった。もとより王家の行いを評価する立場ではない。
『我は自害を命じなかった。先代が崩御される前に、出産と自害が為されたのだ』
『ネモは、処刑人さんをどうするつもりだったの?』
『……我の先代と同じことをしただろう。王位を退く前の最後の仕事として』
いつしか俯いていたジェインは、水音を聴いて顔を上げた。
現王の瞳から流れる涙が顎を伝い、一滴二滴と冷たい床に弾ける。現王はじっと処刑人を見つめて、静かに涙していた。
『終わりにする。ネモがどう思おうとも、かまわない』
決然とした声だった。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ジェイン』→近衛兵副隊長だったが、スヴェルの死により隊長に昇格。尊大な性格。王都が魔物に襲撃された日、前線から逃亡しようとしたところをクロエに叱咤され、グレキランスの守護者として再起した。詳しくは『幕間.「王都グレキランス ~曇天の霹靂~」』にて
・『不帰の穴』→王都の地下牢に存在する、幅一メートル程度の深い縦穴。獄吏の手に負えない罪人を放り込むことになっている。底は処刑人の住まう監獄になっており、魔術の行使が一切出来ない。詳しくは『Side Nox.「死の神様」』にて
・『処刑人』→王都の監獄の地下深くに存在する『不帰の穴』の底に住まう人間。獄吏の手に負えないような存在の始末や拷問を担っている。言葉はほとんど喋れない。王の持つ『鈍色水晶』の命令によって行動する。詳しくは『第二章 第八話「騒乱の都~②名も無き王~」のSide Nox.「死の神様」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『ノックス』→クロエとともに『最果て』を旅した少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。王都襲撃ののち、王位を継いだ
・『ネモ』→王都の先代の王。ヨハンに胸を射られ、その影響で『黒の血族』と化した。息子である王子ゼフォンによって地下に幽閉されていたが、ノックスに救出された。詳しくは『第二章 第八話「騒乱の都~②名も無き王~」』にて
・『デミアン』→王都襲撃の日を生き残った小太りな大臣。偏狭な性格だが、献身的な面もある。現在はノックスの側近として働いている。詳しくは『590.「不思議な不思議な食事会」』にて
・『鈍色水晶』→王都の地下に住まう処刑人に命令を下す道具。王が所有。詳しくは『第二章 第八話「騒乱の都~②名も無き王~」のSide Nox.「狂人に論理は介在せず」』にて
・『近衛兵』→グレキランスの王城および王を守護する兵隊
・『魔道具』→魔術を施した道具。魔術師であっても使用出来る。永久魔力灯などがそれにあたる。詳しくは『118.「恋は盲目」』『間章「亡国懺悔録」』にて