Side Jaine.「名誉に相応しい人生を」
※ジェイン視点の三人称です。
近衛兵隊長のジェインは王城のバルコニーから、暮色に染まる都を眺めていた。王の起居する尖塔の頂点にほど近い場所。ここに自分が立っていることに、皮肉めいた運命を感じてならない。血族によるグレキランス侵攻。このような非常時でなければ、決して立ち入ることは許されなかっただろう。そして先代の隊長である『王の盾』スヴェルが討たれなければ自分が隊長の座に君臨することもなかった。
以前の自分ならば、と考える。
隊長の椅子を喜んで引き受けたことだろう。それがどれほど重いものかも自覚せずに。
富豪の家に生まれ、魔具訓練校を首席で卒業し、鳴り物入りで王城付きの近衛兵に就任した時期の自分を思い出す。あの頃の王都は平和だった。魔物の排除は騎士団の役目で、近衛兵にお鉢が回ってくることなどない。王城ならびに周辺の富裕な区域の治安維持が仕事のほとんどで、文字通り命を賭けるような事態など起こり得ないと思っていたのだ。
命懸けの騎士に対し、近衛兵は安全でありながら桁違いの給与と尊崇の眼差しを得る。これを非対称だなんて、かつての自分はこれっぽっちも考えなかった。無能な奴が騎士になる。臆病者が内地の警備兵になる。ひと握りの優秀な者だけが近衛兵となり、そのなかでもごく一部のエリートが王城に配備される。
金も名誉も異性も思いのまま。それはひとえに己の優秀さに由来している。優秀だから、命を支払うことなんてない。毎日高級なレストランに通い、何人もの女を抱き、使用人付きの豪壮な邸宅で寝起きする。すべてが有り余っていた。それが当然だと思っていた。
先々代の王が射られ、次の王に代わり、ジェインの立場は一変した。騎士の無期謹慎。それにより、夜毎の魔物退治は当時近衛兵副隊長だった自分が指揮する羽目になってしまった。はじめこそ憎たらしく感じたものだが、段々とそうは思わなくなったものだ。楽だったのである。ひと晩でグール数体を相手にするだけの仕事だった。騎士団員の死傷者が絶えなかった事実が馬鹿馬鹿しく感じたものだ。騎士は無能。そんな意識がジェインに限らず、どの近衛兵にもあったことだろう。魔物が意図的に減らされていたなんて露知らず。
王都が魔物の大群に襲撃された日のことは、毎日のように思い出す。あの日、自分は北門の守護をしていた。今晩も楽な仕事――そんな具合に弛緩していた矢先、幾体ものハルピュイアが黒雲のごとく空を覆い、魔物の蠢きが大地を満たしたのである。北門の内部へと逃げ帰り、門を固く閉ざしたのだが、かつて目にしたこともない異様な魔物によって破られた瞬間、ジェインは生まれてはじめて死の影を意識した。門から雪崩込んでくる魔物。最前線で戦い、死んでいく近衛兵たち。
ジェインは気がつくと、北門から反対方向に駆けていた。なにも考えずに。こんなはずじゃなかった、という声が頭の奥深くで谺していたように思う。そんなジェインを目覚めさせたのが、王都最大の裏切り者とされていた、勇者の花嫁であり、元騎士のクロエだった。彼女の叱咤は忘れられない。いや、忘れてはならない。
――生かすために戦うのよ。
――その過程に死があったとしても、ひとりでも多くの人々が王都で笑ってくれればいい。
――自分を守って死んだ者がいたことすら、人々は知らないかもしれない。それでも戦うのよ。
――騎士はずっと、虚しい戦いを懸命に続けてきたのよ。
王都襲撃の日までジェインは、自分を『選ばれた』人間だと見做してきた節がある。選ばれたから優秀で、何事にも不自由しない。選ばれたから、殺されることなんてない。絶対に。安全かつ名誉ある人生。
なんて愚かな勘違いだったんだろう。あの日クロエが自分に騎士の背中を見せてくれなければ、愚か者のまま死んでいたか、あるいは運良く生き残っても愚かで卑怯な性根を引きずり続けたろう。
あの日、自分はクロエの導きで北門の守護者――否、王都の守護者であることを自ら『選んだ』。吹っ切れたんだと思う。タガが外れたんだとも思う。しかし、それでいい。勘違いした愚か者のままでいるより、自分の在り方を自分で選び取った末に死ぬほうがよほどいい。虚しいかどうかなど関係ないんだ。
近衛兵。その名誉に相応しい人生を、栄華に付随する絶対的な義務を、あの日ようやく自覚出来たのだと思う。
血族の侵攻は紛れもなく王都の――グレキランス全土の危機だ。王を守る最後の砦として自分が相応しいなんて思い上がりはない。ただ、これまですべての近衛兵が享受してきた栄光に対する義務を果たすべきときが来ただけだ。
あってほしくない想像だが、王都が落とされたなら、王城に血族が侵入するだろう。自分は指揮官として王城の近衛兵を鼓舞し、檄を飛ばす。だが前線の命は散り、やがて自分だけが血族に囲まれる。残酷な死に際になるだろう、きっと。それでも、命が尽き果てる瞬間まで戦おうと決めている。近衛兵の隊長として、潔く。
自分の腰に下げた柄を、なかば無意識に触れていた。
王城で管理している魔具のなかから、自分が選び取った品だ。強いかどうかは分からない。多くの魔具はスペック以上に使い手次第だから。なにより、この品はその傾向が強い。
名は『風見の幻影剣』。柄から先は存在しない武器だ。握った者の意志により、柄から先の形状は変化する。強度や効果もまた、使い手の意志に委ねられる。近衛兵隊長となったジェインがそれをはじめて手にし、試し切りと称して夜間防衛に赴いたときには、柄から先は錆びたノコギリを為した。『王の盾』ならぬ『王のノコギリ』かと自嘲しつつもグール相手であればそれでも戦えはした。血族に通用するかは、どうにも自信が持てない。しかしながら、やらねばならない。
『イフェイオンより報告ケロ。本日も異常なし。以上ケロ』
ふざけた語尾の交信が耳に入り、ジェインは苦笑した。遥々ハルキゲニアからやってきた援軍のひとり。正式名称は忘れたが、現王はケロくんと呼んでいた。カエル頭の謎の男である。なぜか現王と知り合いだったらしく、交信魔術の腕を買われ、今は王の起居するフロア内のゲストルームに寝起きしていた。当初はその処遇に方々から反感があったものだが、次第にマスコット的な人気を得たのは不思議である。
無論、それだけで反感は収まるものではない。その男の交信魔術は異例だった。指定した相手にだけ声を届けることが出来る。その数が何百人であろうと苦もなく。通常の交信魔術は、交信魔術師同士で送受信し、そこから先、人々への伝達は声そのものを魔術で拡散するか、口伝えになる。ところがカエル男はそうではない。どこの誰であろうと声を届けられるのだ。距離に応じて人数に制約は生まれるものの、王都内であれば全員に交信内容を伝達可能というわけである。本来王城で役目を負うはずだった交信魔術師はカエル男を絶賛し、自ら敗北宣言をして『煙宿』に向かったとジェインは聞きおよんでいる。
もうひとつ、王のフロアに異変があった。一ヶ月前から、青白い長髪を持つ美男子が住まうようになったのである。言葉は覚えている最中らしく、たどたどしい。そして実に物騒な大斧を背負っている。その男はセロと呼ばれていた。現王がそう名付けたのである。名誉なことに。
セロがどこからやってきたか、知る者はごく少数である。そのなかにはジェインも含まれていた。決して気分のいいものではないが、有事だ。監獄の地下深くで処刑人を任じていた名もなき男を戦力として使うほど、王城の勢力は厳しい。
ジェインが踵を返し、王の起居するフロアに降りると、ちょうど廊下にセロの姿があった。青みがかった白の髪がたなびき、ジェインの前まで一目散に駆けてくる。そして、子供みたいに笑顔を浮かべた。
「こんばんはぁ」
「こんばんは、セロ」
彼の背負った無骨な大斧と、混じり気のない笑顔がアンバランスな対比を生んでいる。
しかも、セロはなぜか一輪の薔薇を持っていた。丁寧に棘を抜かれた真っ赤な薔薇を。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ジェイン』→近衛兵副隊長だったが、スヴェルの死により隊長に昇格。尊大な性格。王都が魔物に襲撃された日、前線から逃亡しようとしたところをクロエに叱咤され、グレキランスの守護者として再起した。詳しくは『幕間.「王都グレキランス ~曇天の霹靂~」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『スヴェル』→ニコルと共に旅をしたメンバー。王の側近であり、近衛兵の指揮官。『王の盾』の異名をとる戦士。魔王討伐に旅立った者のうち、唯一魔王に刃を向けた。その結果死亡し、その後、魂を『映し人形』に詰め込まれた。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『王城』~」』『582.「誰よりも真摯な守護者」』にて
・『近衛兵』→グレキランスの王城および王を守護する兵隊
・『魔具訓練校』→魔術的な才能のない子供を鍛えるための学校。卒業生のほとんどは騎士団や内地の兵士になる。
・『グール』→一般的な魔物。鋭い爪で人を襲う。詳しくは『8.「月夜の丘と魔物討伐」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ハルピュイア』→半人半鳥の魔物。狡猾。詳しくは『43.「無感情の面影」』にて
・『魔具』→魔術を施した武具のこと。体内の魔力が干渉するため魔術師は使用出来ないとされているが、ニコルは例外的に魔術と魔具の両方を使用出来る。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『イフェイオン』→窪地の底に広がる豊かな町。王都に近く、特産品の『和音ブドウ』を交易の材としている。『毒食の魔女』によって魔物の被害から逃れているものの、住民一同、彼女を快く思っていない。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』にて
・『ケロくん』→ハルキゲニアで魔術の講師をしているカエル頭の魔術師。正式名称はケラケルケイン・ケロケイン。本名はアーヴィン。詳細は『第三話「軛を越えて~②カエル男と廃墟の魔女~」』『幕間.「ハルキゲニア~時計塔最上階~」』参照
・『ハルキゲニア』→『最果て』地方の北端に位置する都市。昔から魔術が盛んだった。別名、魔術都市。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア」』にて
・『煙宿』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。ゆえに人探しはご法度。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」「煙宿~②不夜城~」』にて
・『処刑人』→王都の監獄の地下深くに存在する『不帰の穴』の底に住まう人間。獄吏の手に負えないような存在の始末や拷問を担っている。言葉はほとんど喋れない。王の持つ『鈍色水晶』の命令によって行動する。詳しくは『第二章 第八話「騒乱の都~②名も無き王~」のSide Nox.「死の神様」』にて