989.「樹木魔術神髄」
橙色に染まった草原は、阿鼻叫喚の様相だった。地面に倒れたまま起き上がれない兵士たち。頭から樹を生やした真偽師カール。その隣で転がりまわって悲鳴を上げる魔術師の青年――宿木のマオ。彼はつい先ほど、わたしのサーベルによって手足を焼き斬られる痛みを味わったばかりだ。
やがてマオの悲鳴は小さくなり、消えた。荒い呼吸だけが繰り返される。
「斬られて、ない?」
汗をびっしょりとかいて、マオは自分の手足を恐る恐る動かしている。
無理もない疑問だ。痛みだけは本物なのだから。
マオの反応を見るに、痛みに慣れてはいないのだろう。たぶん。拷問の経験もないと思う。彼を見下ろして、サーベルの切っ先を目の前に突きつけた。
「斬られた痛みだけを与えた。あなたがユランの行き先を吐くまで苦しんでもらう」
わたしの言葉をどう捉えたのかは分からない。が、マオは少しばかり口角を上げた。
「やっぱり大甘だ。あんたは僕を殺さないどころか傷ひとつ――」
言葉が悲鳴に変わり、鮮血が散る。先ほどよりは痛みは少ないはずだ。肩口を斬っただけだから。けれど、今度は痛みだけじゃない。生身の刀身で傷を負ってもらった。
「マオ。あなたとやり取りしてる時間がもったいない。さっさとユランの行き先を言いなさい」
早く喋ってほしいのだけれど、マオは絶叫しながら肩口を押さえ、ごろごろと草原を転がった。わたしからも、ほかの兵士からも距離を取るように。
『追ってください。逃さないようにお願いします』
耳元にヨハンの囁きが届く。以前は彼の吐息にうんざりしたものだったが、今はなにも感じなかった。これも交信魔術の一種なのだろうけれど、はっきりしない。そのあたりを明確にするつもりもない。ヨハンの秘密主義は今にはじまったことではないし、それでやきもきするような感情は――厳密には感情すべて――失っている。
ヨハンの指示通り、マオを一歩一歩追う。
兵士たちと数十メートルの距離が空いたところで、マオの動きは止まった。即座に立ち上がって後方へと跳躍し、わたしから距離を取る。彼から立ち昇る魔力は安定していた。
『戦いになったら後ろは気にしなくてかまいません。お嬢さんの思う通りになさって結構です。ただし、殺さないでくださいね』
「お嬢さん、そいつはもう口を割らないようですから、殺していいですよ」
交信の直後に、ヨハンの実体の言葉が後方から響く。交信が本当の指示で、声はフェイクだろう。マオに揺さぶりをかける意図は見え透いている。当のマオには見抜けないだろうけど。
「霊樹操術!」
マオの足元から木の根が伸び、わたしへと迫る。と同時に、自分の両足に蛇が這うような触感を覚えた。木の根でわたしを拘束し、貫くつもりなのだろう。
足元の根を斬り飛ばし、こちらへと迫る鋭い根を木端微塵にした。
「霊樹の連弩!」
生成された樹木製の弩弓から、樹の弾丸が連射される。身に受けてもすぐに治癒されるのは分かっているが、身体に直撃する軌道の弾丸だけすべて斬り落とした。カールの頭に生えた樹を鑑みるに、マオの攻撃を一発でも受けたら面倒なことになるかもしれないと思ったからである。樹木の欠片に身体を侵食されたら、わたしはどうなるだろう。人体実験という意味で興味はあったが、身動き出来ない状態になるのも、治癒のおよばない致命傷も避けるべきだ。
「霊樹の轟砲!」
連射を維持しつつ、新たな魔術が展開される。マオの背後にそびえた大樹は、三つの砲口を持つ砲台をかたどっていた。
あれは少し違うな。ただの樹木の魔術じゃない。別の魔術がブレンドされてる。その程度の違和感なら、わたしにも分かる。
樹木の砲弾が射出された瞬間、わたしは弩弓の弾丸を弾きつつ、別種の斬撃を砲弾の軌道上に放った。
シフォンとの戦闘で会得した視えざる刃。それに切断された砲弾は轟音とともに空中で爆発した。
爆裂魔術か。それも、大した規模じゃない。なにも気付かず生身の刀身で斬ったなら身体が吹き飛ばされただろうけど、おそらくその程度だ。肉を千切り骨を破壊するほど甚大なものではない。ゆえに、脅威でもなんでもなかった。
ただ、無力な人間相手なら結果は違うだろう。
砲口がわたしの頭上へと標的を移した。
「今すぐ降伏しないと、非力な兵士どもを吹き飛ばすぞ!」
「だから、どうでもいい」
砲弾が兵士たちの場所へと発射されるのと、わたしが疾駆するのは同時だった。弩弓の弾丸を弾きつつ、マオへと迫る。彼に袈裟斬りと逆袈裟を浴びせるのと、轟音が鳴り響くのも同時だった。
マオは傷口を押さえて尻もちを突き、着弾地点を凝視している。
「あんた……本当に血も涙もないのか」
ちらと振り返ると、着弾地点には抉れた大地があるだけで、兵士たちはもちろん、ヨハンもナルシスもスピネルも、もとの場所にいる。どうやらヨハンはマオに別の景色を見せているらしい。欺瞞の鏡面と言ったっけ。ルイーザ戦で使った視界を欺く魔術。それをいつの間にやらマオに施したのだろう。
まあ、どうでもいいことだ。
仰天しているマオを蹴り倒し、傷口を踏みつけ、体重をかけた。そしてサーベルを振り上げる。刀身の反射する西日が、マオの苦悶に歪んだ顔を彩った。
「それじゃ、さよならマオ」
「ま、待ってくれ! 言う! ユラン様が向かったのは王城だ! 王の首が狙いだ! それに、ユラン様はおひとりで戦争に参加した! 軍は率いていない! も、もっと情報をやる。ユラン様はドラゴンを使役していて、背中をドラゴンの翼に変形させて飛んでいった!」
ユラン様か。すっかり敵に拝跪している。ここでなにが起きたのか知らないけれど、敗北を悟ったマオが降伏でもしたのだろう。
それにしても、単騎でイフェイオンに乗り込んだ上に、次の行き先は王城か。このあたりにも白銀猟兵が何体か配置されていたはずだけれど、それをたったひとりで撃破したと推測すると、シフォンより格上かどうかはさておき強者なのは確かだ。
「ナルシス。マオの言葉の真偽は?」
「真実だ! 今すぐ王都へ交信を送る!」
王城か。大将の首を獲って戦争を終結させるつもりだろう。
「さて」真後ろで声がした。いつの間に近付いていたのやら、ヨハンが隣に並び立つ。「マオさんでしたっけ? 貴方にかけた魔術は解除しました。ご覧ください。誰も犠牲になっていません」
ヨハンが指した方角をマオが見やる。彼の顔は悔しそうに歪んだ。
「マオさんに提案です。我々は貴方の命を奪うことに躊躇はありません。明確な離反行為ですからね。ですが、罪のない兵士たちにかけた樹木の魔術を解除していただけたら処遇を考えましょう。もちろん、カールさんも元通りにするんです」
さっさとユランに追いつかなければならないのに、とは思う。ただ、ヨハンの意志は尊重しなければ。同じ目的を共有しているからというのもあるし、この救済行為にも彼なりに計算があってのことかもしれない。
マオは小さく笑った。
「あれは僕にも戻せないよ。樹木の魔術は物体の生成だ。なかったことには出来ない。彼らの脳に埋め込んだ種は発芽したんだ。そのうちカールみたいに頭蓋を突き破って、生きてるのか死んでるのか分からないような状態になる。種のままなら無害だったのにね。僕に逆らうからこうなったんだ。アハ、アハ、アハ」
ヨハン、怒ってるだろうな。たぶん。こういうのは彼の気に入らない物事だろう。
だから助け舟を出す、というわけではない。ナルシスに確かめるまでもない明白な嘘が紛れ込んでいたのを知って、口が自然に動いていた。
「『樹木魔術神髄』。著者、『神童』マオ。第二章、樹木魔術のコツ、操作編。六十五ページ。七行目。樹木魔術は第一章で書いた通り、樹木の生成と制御が基礎となっていることは諸君もご理解のことである。樹木の制御は、操作と言い換えることも可能である。操作とは、成長だけではないのである。木々が自然に成長するのと同じだと思ってもらっては困るのである。時間を巻き戻すように、逆成長(編集注記:退化)させることも出来るのである。それこそ、大樹を種に戻すことも出来るのである」
マオの顔が一瞬青褪めて、それからはみるみる赤くなっていった。自分が十二歳のときに書いた内容を丸々諳んじられるのはどんな気分だろう。それにしても、口にしてて思う。語尾が全部『である』だなんて、よくもまあこんな文章を発表出来たものだと。出版にあたって編集者が苦労したであろうことは容易に想像出来る。おおかた、マオが文章を一文字たりとも変更させなかったに違いない。
まあ、そんなことはどうでもいい話だ。
「マオ。あなたは樹木を種の状態まで戻すことが出来るでしょ。カールの頭蓋骨まで戻せとは言わない。無害な種の状態まで戻しなさい。殺されたくなければ」
横たわるマオの首に、切っ先を触れさせる。段々と力を籠めて。
「わ、分かった! 戻す! 戻すから――殺さないでくれ」
「早く戻しなさい。遠隔で出来るでしょ? もとに戻したら魔術的な繋がりも断つこと。いい?」
「分かった。分かったよ」
兵士たちに視線を移しても大した変化ない。ただ、何人かは立ち上がった。変化が顕著だったのはカールだ。樹が退化し、頭蓋の一部が欠損した状態になっている。
ヨハンは、ふ、と息を吐いてマオを見下ろした。
「あとひとつ、貴方に要求があります。ここには交信魔術師が配置されてるはずですが、どこにおられますか?」
「三番壕に閉じ込めた」
「よろしい。解放してください。どうせ貴方の魔術で拘束しているのでしょう?」
「い、今解除した! 壕を出て、こっちまで来るように伝えた! 相互に交信魔術を繋いでるんだ」
マオの言った通り、やがて窪地の縁に痩せこけた男が姿を見せた。随分疲弊した顔で。
「マオさん」とヨハンは続ける。「相互の交信を解除してください。もう不要ですから」
「分かった……今解除した! どうだ! 僕の言葉に偽りはないだろう!? そこの真偽師!」
ナルシスのことだろう。嘆きを含んだ「イエス」という返事が、カールのそばから流れてきた。
「兵士の皆さんのなかに、医者はおられますか? カールさんの手当てをお願いします」
ヨハンの言葉に兵士のひとりが手を挙げて、頷きを返す。頭蓋骨の修繕まで出来るのか疑問だが、早急に手当てすべき状態なのは確かだ。
「さてさて、もうイフェイオンに貴方の魔術や、魔術以外の仕掛けはありませんね?」
「ない! ないから殺さないでくれ!」
わたしの靴裏でマオが身をよじる。なんでこんなに生きたがるんだろう。不思議だ。彼の執着は、生存本能以上のなにかがあるように思えるが、真相は分からないし興味もない。
「お嬢さん」
「なに?」
「殺していいですよ」
返事は必要ない。マオが絶望的な表情でなにかを言いかける前に、わたしは彼を滅多切りにした。意識が消えるまで。
気絶したマオから足を離す。その身には傷ひとつない。痛みだけを与えたわけだけど、たぶんマオ自身は死んだと思ったことだろう。
以前の甘いわたしが表出したわけではない。これはヨハンの指示した通りの行動だ。殺していい、の言葉と重なるように、外傷なく気絶させるよう囁かれたから。
「それでは、行きましょうか」
ヨハンの言葉に頷く。沈みゆく太陽の方角を見据えて。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『マオ』→騎士団ナンバー8の青年。樹木の魔術師。神童の異名をほしいままにしていたが、シフォンにかつて敗北したことで自尊心を叩き折られ、今は序列を維持するだけの卑屈な騎士に成り下がっている。そんな彼が『宿木』の蔑称で呼ばれるようになったことに、さして抵抗を感じてすらいない。詳しくは『幕間「或る少女の足跡」』にて
・『真偽師』→魔術を用いて虚実を見抜く専門家。王都の自治を担う重要な役職。王への謁見前には必ず真偽師から真偽の判定をもらわねばならない。ある事件により、真偽師の重要度は地に落ちた。詳しくは『6.「魔術師(仮)」』『261.「真偽判定」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『カール』→クロエたちが王に謁見した際に、同席した真偽師。王都随一の実力者だが、メフィストの嘘を見抜くことが出来なかった。謁見中の事件により、王都追放の処分を下された。詳しくは『263.「玉座と鎧」』『幕間.「王都グレキランス ~追放処分~」』にて
・『赤竜卿ユラン』→黒の血族で、ラガニアの公爵。自称、ウルトラ・ドラゴン卿。情熱的な青年だが、センスは壊滅的。代々、ドラゴンを使役するとされているが実際に目にしたものはおらず、虚言卿や嘘つき公爵と囁かれているが本人は意に介していない。詳しくは『幕間「ウルトラ・ドラゴン卿」』にて
・『霊樹操術』→大地に張り巡らした根を操作する樹木の魔術。詳しくは『幕間「或る少女の足跡」』にて
・『霊樹の連弩』→樹木製の矢を連射する魔術。詳しくは『幕間「或る少女の足跡」』にて
・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。戦争において簒奪卿の部隊に配属されたが裏切り、血族も人間も殺戮した。自分の感情も思考も持たず、ニコルに従っている。前線基地にてクロエに敗北し、彼女の命ずるまま、現在はシンクレールに従っている。風の魔術の籠もった貴品『シュトロム』を使用。実は騎士団長ゼールの養子。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』『幕間「或る少女の足跡」』『幕間「前線基地の明くる日に」』にて
・『爆裂魔術』→対象に魔力を注ぎ込み、爆発させる魔術。詳しくは『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて
・『ナルシス』→王都の騎士団に所属している交信魔術師。自信家で演技口調。しかし交信魔術の腕前は送受信ともに優秀。また、元真偽師。観察眼と魔力察知にも長けている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『スピネル』→二度目の『霊山』来訪で出会った、薄黄色の鱗の竜人。臆病で、長いものに巻かれる性格。クロエが無理やり『霊山』に押し入ったことにより、門番をしていた彼も裁きを受ける手はずになっていた。クロエが竜人の族長となったことで無罪放免となり、それから彼女を「至高の星」と呼んで心酔し、自ら下僕関係を望んだ。「至高の星」とは、竜人を含めた世界全部を良くする存在なんだとか。詳しくは『第四章 第二話「幻の森」』にて
・『欺瞞の鏡面』→対象の視界を欺く魔術。詳しくは『533.「欺瞞の鏡面」』にて
・『ルイーザ』→ニコルと共に旅をしたメンバー。最強と目される魔術師。高飛車な性格。エリザベートの娘。『針姐』の墨の魔術により全身に縮小した魔紋を刻んでいたが、クロエの持ち込んだ『墨虫』により無力化された。現在は魔力の大部分と記憶を失い、平凡なひとりの少女としてローレンスの館に住んでいる。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『魔女の湿原』~」』『第二章 第六話「魔女の館」』より
・『ドラゴン』→巨大な有鱗の魔物。滅多に出現しない。詳しくは『幕間「或る少女の足跡」』にて
・『白銀猟兵』→人を模した、ずんぐりとした物体。オブライエンの量産している兵器。指令を送ればその通りに行動をすることが出来る。動きは機敏で、硬度は高い。破壊時に自爆する。詳細は『幕間.「白銀空間~潜入~」』『幕間.「白銀空間~白銀猟兵と一問一答~」』『幕間.「白銀空間~魔具制御局~」』にて
・『イフェイオン』→窪地の底に広がる豊かな町。王都に近く、特産品の『和音ブドウ』を交易の材としている。『毒食の魔女』によって魔物の被害から逃れているものの、住民一同、彼女を快く思っていない。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて