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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」
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988.「華と宿木」

『不夜城』の頂点。その(ふち)に立って、わたしはその日も同じことをしていた。厚い靄に閉ざされ、ろくに視界の()かない遠く北方を見やる。血族のグレキランス到達から今日で五日目の昼過ぎ。ヨハンが半馬人の隠れ家から帰還して数時間も()っていなかった。


「一難去ってまた一難、ですな」


 隣でヨハンが呟く。


「なにかあったの?」


「イフェイオンが制圧されました」


 淡々と告げると、ヨハンはグレキランスの地図――ヘルメスからの土産物――をわたしに見せた。


 地図上のイフェイオンに旗のマークが出現している。ユラン、という名もセットで。


 赤竜卿(せきりゅうきょう)ユラン。先ほどヨハンから聞いた名前だ。シフォン以上の戦闘力を持つ相手らしい。だから戦うな、と釘を刺されたばかりだ。ユランが出没した場合は、ヨハンが得意の舌で転がすとも。


「それじゃ」と(きびす)を返す。向かうのはスピネルが惰眠(だみん)(むさぼ)っている小屋だ。「早く行くわよ」


「お嬢さんも動いてくれるんですね。それは心強い」


 交渉事だけならヨハンとスピネルに任せてもいいだろう。移動用の翼と口達者な男で充分。ただ、それは上手くいった場合の話だ。ユランの軍勢に囲まれて、ろくに口も利けずに殺される可能性もある。ユランがどのような人格であれ、対面する前に終わってしまったら交渉もなにもない。なにより、ヨハンの口先で(たぶら)かせるとも限らないわけだ。そうなれば実力行使――すなわち戦闘になる。わたしが動くべきだろう。


「お嬢さんが同行してくれるなら、私は二重歩行者(ドッペルゲンガー)だけ送り込みましょう。お嬢さんの身体に忍ばせて」


 それでいい。ヨハンの本体はここを動くべきではない。イフェイオンまでは大した距離ではないものの、どのくらい足止めされるか分からないのだ。ヨハン不在が遠因(えんいん)となって『煙宿(けむりやど)』が落とされる危険性もあるだろう。


 スピネルを叩き起こし、イフェイオンまでの飛行を依頼すると、二つ返事で了承してくれた。ようやく出発、という段になって意想外の事態も起こったが、トラブルというわけではない。


「クロエ氏。優秀な交信魔術師の手助けは()らないかい? もしクロエ氏が良かったら、今回に限らず貴女(あなた)の行く先に同行させてほしい。なに、このナルシスが足手まといになることはないと誓おう」


 是非もない。かくしてわたしとヨハンとナルシスとスピネルで空の旅へ出発したのだ。スピネルが翼となり、右手にわたし、左手にナルシスを掴んで。ヨハンは二重歩行者(ドッペルゲンガー)と化してわたしの体内にいるのでスピネルの負担にはならない。そもそも影ならまだしも、体内にいる、という状況は以前のわたしなら拒絶したことだろうが、無論、今のわたしはなんとも思わない。そもそも身体に違和感もなかった。


 ナルシスがわたしの血族化を知っていることも、空中でヨハンに話しておいた。呆れ笑いが返ったものの、ナルシスに偏見がないと知り、ヨハンは受け入れたようである。


 移動用の翼。そしてどこでも送受信可能な魔術師。両者に戦闘能力がなくとも便利であることに違いはない。


 イフェイオンまで()もなくといったところで、ナルシスが「ッン!」と異音を発した。なにか受信したのだろう。


「イフェイオンより、異常なしの交信あり!」


 異常なし、か。そんなわけがない。交信魔術師の身柄を押さえられたとみるのが自然だろう。制圧されているのだから。


 スピネルが高度を下げて、イフェイオン内の異質な気配を探知出来る圏内(けんない)に入っても、血族のそれは感じなかった。


「ヨハン。ユランは気配の隠蔽(いんぺい)が出来る?」


 呼びかけると、耳元でヨハンの声が返った。


「無理でしょうな。そもそも気配の脱臭が出来る血族なんてほとんどいませんよ。特殊な立場にあるような連中だけです」


 人間相手に取引をするルーカスのような血族のことを言っているのだろう。(すじ)は通っている。


「とりあえず、一旦イフェイオンに降りて状況を確認しましょうか。ユランさんの向かった先を知りたい」


 かくして、わたしたちは窪地の縁――人波の末端に降り立ったのである。スピネルとナルシスも含めて。


 てっきりヨハンはずっとわたしの体内に隠れて様子を伺うつもりなのだと思ったけれど、そうはならなかった。降り立って早々、わたしの腹からにょっきりと不健康そのものな男が飛び出したのである。




「お初にお目にかかります、イフェイオンの司令官殿。私はヨハンと申します。どうぞお見知りおきを。ところで、この状況はいったいなんです?」


 そんな具合にヨハンが口火を切った。


 確かに、異常な状況ではある。虚ろな目をした魔術師がひとり。その周囲にはイフェイオンの兵士が苦悶の表情で頭を押さえて倒れている。魔術師の足元には、頭から小さな樹を()やした男が()していた。


 魔術師も、樹を生やした男も記憶にある。


 魔術師のほうは宿木(やどりぎ)のマオ。騎士団のナンバー8だ。わたしが騎士団に入ったときにも、順調に結果を残して序列の四番手にのぼり詰めたときにも、ずっとナンバー8だった男。彼の扱う樹木の魔術は稀有(けう)だったし、彼自身が十二歳の頃に執筆した『樹木魔術神髄(しんずい)』なる書物も読んだことがあるけれど、高慢な筆致(ひっち)()して、口数の少ない卑屈な奴という印象だ。イフェイオンに配備されているとは。


 樹を生やした男は真偽師(トラスター)のカールで間違いない。わたしと同じく、ヨハンの被害者のひとりだ。


 とまあ、そんなことはどうでもいい。どこに誰がいようとわたしの知ったことではない。


「カール! カールじゃないか! 嗚呼(ああ)! なんて姿に……」


 わたしの斜め後ろでナルシスの声がした。そういえばナルシスは真偽師(トラスター)をクビになったんだっけ。年齢も近そうだし、交流があってもおかしくない。


「これは貴方の仕業だろう!?」


 ナルシスが一歩、マオに詰め寄る。


「いや、僕はなにもしてない」


「いいや、嘘だね。第一に、これは樹木の魔術によるものと見受けられる。第二に、貴方とカール――そして倒れている兵士の面々と魔術の連関が()える。つまりカールをこんな姿にしたのも、兵士が倒れているのも、全部貴方の仕業だ」


 よかった、ナルシスを連れてきて。カールの頭の樹は樹木魔術によるものだとは思ったけど、マオとの魔術的な繋がりまではわたしには視えない。つまり、魔力察知においてナルシスはわたしよりも優秀ということだ。


 だから、というわけではないが、ナルシスの肩を引いて下がらせた。


 面倒なことは早めに済ませてしまおう。


 マオの顔が困ったような、怯えたような具合に歪んだけど、知ったことではない。サーベルを抜いただけでそんな反応をされても特に気にもならない。「華のクロエ……」というマオの呟きも、風の音と同じくらい無意味だ。


「マオ。ユランはどこに行ったの?」


「さあね。知らない」


 直後、ナルシスが割って入った。「嘘だ! 彼は行方を知っている!」


 ナルシスが言うなら、確かなんだろう。


「彼」と後ろのナルシスを指さす。「真偽師(トラスター)なの。だから嘘は通用しない」


 クビなったけど、とまでは言わない。言う必要がない。


 マオは明らかにたじろいだ様子だった。真偽師(トラスター)に嘘を見抜かれて動揺するだなんて、お粗末な精神だ。


 が、狼狽(ろうばい)は長続きしなかった。マオは得意気に口角を上げる。


「華のクロエ。あんたの性格は知ってる。味方を見殺しにするなんて出来ないだろう? もし僕に危害を加えようとしたら、カール含め、ここにいる兵士全員を殺す。脳に樹木の魔術を埋め込んであるからね、命を奪うなんて簡単さ」


 振り返ってナルシスを見やると、彼にしては珍しい『屈辱』といった具合の表情を浮かべて、はっきりと頷いた。


 なるほど。マオの言葉は真実というわけだ。


 ヨハンはあれきり黙っている。なにか計算しているのか、わたしに(こと)の次第を(ゆだ)ねるつもりなのか。どちらでもいい。


「兵士の命もカールの命も、どうでもいい。わたしが知りたいのはユランの行き先だけ」


「それ以上近寄るな! 本気で全員殺すぞ!」


 マオの口から唾が飛ぶ。もうサーベルの攻撃圏内だ。


「どうでもいい」


 サーベルの軌道はマオに見えただろうか。自分の両手足が斬られたと自覚しただろうか。


 痛みだけを与える炎の魔術。それを剣にまとわせて斬ったのは、別に温情ではない。失血死されたら情報を聞き出せなくなる。倒れている兵士たちがユランに関してどこまで把握しているのか(さだ)かではないが、マオなら知っているはずだから。


 茜色の空の下に響き渡った苦悶の絶叫は、わたしの心になんの波紋も起こさなかった。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。



・『不夜城(ふやじょう)』→『煙宿』の中心にそびえる塔のこと。富裕層や要人が住まう。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『半馬人』→上半身が人、下半身が馬の種族。山々を転々として暮らしている。ほかの種族同様、人間を忌避しているが『命知らずのトム』だけは例外で、『半馬人の友』とまで呼ばれている。察知能力に長け、人間に出会う前に逃げることがほとんど。生まれ変わりを信仰しており、気高き死は清い肉体へ転生するとされている。逆に生への執着は魂を穢す行いとして忌避される。詳しくは『436.「邸の半馬人」』『620.「半馬人の友」』にて


・『イフェイオン』→窪地の底に広がる豊かな町。王都に近く、特産品の『和音(わおん)ブドウ』を交易の材としている。『毒食(どくじき)の魔女』によって魔物の被害から逃れているものの、住民一同、彼女を快く思っていない。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』にて


・『ヘルメス』→かつてのラガニアでトップクラスに優秀だった魔術師。ねちっこい性格で、人付き合いの苦手な男。もともと魔術学校で講師をしていたがクビになり、一時期ガーミール公爵に雇用されていたが、彼が零落したことでドラクル公爵に鞍替えした。オブライエンの犯罪的魔術を看破し、彼の右腕と左足を木端微塵にした過去を持つ。血族化して以降は夜会卿に仕えていたが、ニコルによる襲撃以降、四代目となるガーミールに鞍替えした。死を契機に、事前に契約を交わした相手に成り変わることで不老不死を実現する異能を持つ。対象者はヘルメスの記憶と肉体と魔力をコピーした、ヘルメスそのものとなる。その際、相手の持つ魔力も上乗せされる。夜会卿の支配地であるアスターに訪れたルイーザの精神を叩き折って泣かせた過去を持つ。ヨハンの提案により、オブライエン討伐ならびに戦争での人間側の勝利後には、四代目ガーミールの部下とともにグレキランスに残り、アルテゴのワクチン研究をすることに合意。オブライエン討伐を見届けるべく、アリスの片目を介してウィンストンと視覚共有をしている。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて


・『赤竜卿(せきりゅうきょう)ユラン』→黒の血族で、ラガニアの公爵。自称、ウルトラ・ドラゴン卿。情熱的な青年だが、センスは壊滅的。代々、ドラゴンを使役するとされているが実際に目にしたものはおらず、虚言卿や嘘つき公爵と囁かれているが本人は意に介していない。詳しくは『幕間「ウルトラ・ドラゴン卿」』にて


・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。戦争において簒奪卿の部隊に配属されたが裏切り、血族も人間も殺戮した。自分の感情も思考も持たず、ニコルに従っている。前線基地にてクロエに敗北し、彼女の命ずるまま、現在はシンクレールに従っている。風の魔術の籠もった貴品(ギフト)『シュトロム』を使用。実は騎士団長ゼールの養子。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』『幕間「或る少女の足跡」』『幕間「前線基地の明くる日に」』にて


・『スピネル』→二度目の『霊山』来訪で出会った、薄黄色の鱗の竜人。臆病で、長いものに巻かれる性格。クロエが無理やり『霊山』に押し入ったことにより、門番をしていた彼も裁きを受ける手はずになっていた。クロエが竜人の族長となったことで無罪放免となり、それから彼女を「至高の星」と呼んで心酔し、自ら下僕関係を望んだ。「至高の星」とは、竜人を含めた世界全部を良くする存在なんだとか。詳しくは『第四章 第二話「幻の森」』にて


・『二重歩行者(ドッペルゲンガー)』→ヨハンの得意とする分身の魔術。影に入り込んで移動することが可能。詳しくは『12.「二重歩行者」』にて


・『煙宿(けむりやど)』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。ゆえに人探しはご法度。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」「煙宿~②不夜城~」』にて


・『ナルシス』→王都の騎士団に所属している交信魔術師。自信家で演技口調。しかし交信魔術の腕前は送受信ともに優秀。また、元真偽師。観察眼と魔力察知にも長けている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて


・『ルーカス』→『魔女の湿原』の北に広がる高原に住む『黒の血族』。銀色の梟面を身に着けた小太りの男。父である『巌窟王』と一緒に暮らしている。同じ血族であるマダムに攫った人間を提供していた。血族のみ参加出来るオークションで司会をしていたが、クビになった過去を持つ。クロエをオークションに出品する優先権を持っている。ハルピュイアを使役する権能を有し、特殊な個体である赤髪のハルピュイアとは独自な契約関係にある。マゾヒスト。詳しくは『472.「ほんの少し先に」』『609.「垂涎の商品」』にて


・『マオ』→騎士団ナンバー8の青年。樹木の魔術師。神童の異名をほしいままにしていたが、シフォンにかつて敗北したことで自尊心を叩き折られ、今は序列を維持するだけの卑屈な騎士に成り下がっている。そんな彼が『宿木』の蔑称で呼ばれるようになったことに、さして抵抗を感じてすらいない。詳しくは『幕間「或る少女の足跡」』にて


・『真偽師(トラスター)』→魔術を用いて虚実を見抜く専門家。王都の自治を担う重要な役職。王への謁見前には必ず真偽師から真偽の判定をもらわねばならない。ある事件により、真偽師の重要度は地に落ちた。詳しくは『6.「魔術師(仮)」』『261.「真偽判定」』『第九話「王都グレキランス」』にて


・『カール』→クロエたちが王に謁見した際に、同席した真偽師(トラスター)。王都随一の実力者だが、メフィストの嘘を見抜くことが出来なかった。謁見中の事件により、王都追放の処分を下された。詳しくは『263.「玉座と鎧」』『幕間.「王都グレキランス ~追放処分~」』にて

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