Side Carl.「赫灼たる真実」
※カール視点の三人称です。
血族は人間を滅ぼすためにグレキランス一帯に侵攻した。それが人々の共通認識だったろう。マオの悪辣な策謀も、それを前提にしていたはずだ。でなければ、ほかの人間を供物にして自分だけ助けを乞うなどという選択が生まれるはずもない。
また、黒の血族に対する偏見も大いに手伝っていたことだろう。冷酷無比で残虐。人よりもずっと魔物に近い存在。そのように認知されていた。ゆえに、マオは自分に放たれた『下衆』という評価と『戦え』という命令とで顔面蒼白になっている。
「……ご冗談でしょう、閣下。僕は、僕は、この町と人間たちを捧げると申し上げているのですよ? 閣下は人間を殲滅するために、この地を訪れたのではないのですか? であるなら僕の意志を汲んで――」
「その意志が問題だって言ってんだよ、俺は」
ユランがやや前傾になったかと思うと、彼とマオとの距離は数センチに縮まっていた。たった一足で十数メートルの距離を無化してしまう身体能力に、傍観者であるカールは生唾を呑む。大量の白銀猟兵を破壊したことで既にユランの力のほどは証明されているようなものだったが、それでも目を見張るものがある。
マオは慌てて身を起こし、何事かを口にしようとしたようだったが、無駄だった。
晴天の下、肌を打つ痛快な音が響き渡る。
頬を張られたマオは大袈裟に地を転げた。
「マオって言ったっけか……立て。立って俺と戦え」
びくりと身を起こし、マオはなにがなにやら分からないといった顔で立ち上がった。
「なぜ閣下と戦わねばならないのですか!? 僕は閣下の味方なのですよ!?」
「立ったな、よし。もう一発だ」
今度は逆の頬を張られたが、マオは先ほどのように転げて見せることはしなかった。彼の瞳には相変わらず生気がない。そこにあるのが失意なのか諦念なのか、はたまた怒りなのか、カールには見通せなかった。
「閣下は僕を殺す気なのですか!? こんなにも献身的なのに!」
「黙って俺と戦え」
掌底がマオの腹にめり込むまでの動作に乱れはなく、数メートル先へと吹き飛ぶ放物線も見事なものだった。
二度ほど地面で跳ねたマオは、即座に地に手を突いてユランを見やる。
危機感。それが青年魔術師を駆ったに違いない。
「霊樹の連弩!」
マオの両隣に、弩弓を模した樹木が形成され、樹木の弾丸が連射された。量も速度も尋常ではない。開き直ったのだろう。
「マオ! それでいい! 本気でやれ!」
ユランは弾丸を浴びながらも、直立して声を張り上げた。直撃しているはずなのだが、ダメージなど一切ないかのように。顔にさえ激突しているというのに傷ひとつない。それどころか、服にもまったく損傷は見られなかった。弾丸を受けた衝撃で布に相応の波紋が広がるものの、それだけである。
「どうだ! 跪くよりも清々しい気分にならねえか?」
「霊樹巨槌!」
弾丸を維持したまま、マオの背後に巨大な木の根が伸び、槌のかたちに変形する。風を切り裂いてユランの脳天へと振り下ろされたそれは、相手に命中する前に砕け散った。ユランが拳で破壊したのである。
「マオ! 生きるってのはこういうことだ! 誰かに跪いて仲間を生贄にするくらいなら、自分の力で勝ち取れ! それではじめて生きる価値が生まれるんだ!」
ユランの言葉には、ことごとく嘘がなかった。マオの口にした卑劣な真実ではなく、今もイフェイオンに降り注ぐ陽光のような真の言葉。
血族の口にする、赫灼たる真実。
人間の口にする、穢れた真実。
カールの胸に当惑がないわけではなかった。敵の言葉に光を感じるなどとは思ってもみなかったから。ただ、それ以上に心が昂ってやまない。
だからだろう。いつの間にかカールは叫んでいた。「負けるな! イフェイオンを任された司令官として――いや、ひとりの人間として、全力を尽くして勝ってくれ!」
声は、マオの意識まで届いただろうか。それは分からない。彼が改心したのかも不明だ。それでも、カールはマオへと送った声援に自嘲など感じなかった。
「霊樹の轟砲!!」
槌の代わりとばかりに、今度は地中から伸びた根が三つの大砲をかたどる。数メートル上空から見下ろす砲口は、いずれもユランを向いていた。
砲弾が一斉に放たれる。それらはユランに直撃した瞬間、爆発した。
騎士の実力がどれほどのものか、カールは正確には知らないが、着弾地点を覆う煙を見つめて、率直に強いと感じた。これで騎士団の八番手なのか、とも。ザムザとは雲泥の差があれど、マオが確かな実力を持っているのは明白に思えた。
そもそも、樹木の魔術自体が高度とされている。それをここまで見事な攻撃魔術として練り上げるのは一朝一夕では不可能だ。長い研鑽と才能が要る。
さすがのユランも無事ではないだろうと思ったが――。
「いい攻撃だ! マオ! その調子でどんどん撃ってこい!」
晴れた煙の先にいたのは、無傷のユランである。しかも、服に焦げ跡ひとつない。顔には爽快な笑みが浮かんでいた。
防御魔術の類だろうか、とカールが訝ったのも無理はない。魔力の察知に関して、それほど高い能力を有していないのだ。ゆえに、ユランがなんの魔術も使用していないことも、衣服それ自体が特殊な魔具――血族風に言うなら貴品――であることも、知り得ない。
ふ、と身体の拘束が消え、カールはその場に崩れ落ちてしまった。マオの後ろで兵士たちを監禁していた大樹も消えている。
魔力が枯渇したのではない。
「霊樹換装」
マオの身体が樹木に覆われていく。やがて、それは鎧のかたちに定着した。
ユランへと疾駆するマオが、片手を伸ばす。すると手先から針のような木の根が突き出し、またたく間にユランへと迫った。
串刺し。
本来ならそうなるはずだったろう。しかしユランは直撃間際で根を掴み、へし折るという早業を見せた。が、マオはそれを意に介すことなく、次々と針を放ちつつ、ユランから二メートルほど距離をおいて、その周囲をめぐる。
木の根による刺突だけではなく、彼の鎧から伸びる根はあらゆる武器を模した。双斧。大剣。あるいは弓矢。サイズも様々で、意表を突くような小さなものから、太陽を覆うほど巨大なものまである。
ユランはしばし攻撃を受け続けていたが、興が乗ったのか、マオへ接近し、拳を振るってみせた。
「いいぞ! 俺はこういう戦いが好きだ! 漢は拳で語る生き物だからな!」
マオの風体にも態度にも、近接戦闘のイメージは一切ない。が、鎧のおかげなのか、身のこなしは鮮やかだった。ユランの拳をギリギリ回避し、武器化した木を振るう。
ただ、カールにはどうにも違和感があった。この鎧の魔術を作り出すためだけに兵士たちの拘束を解除したのだろうか、と。魔術による武装は、魔力の繊細な制御が必要であることくらいはカールも知識として把握している。しかし、これならば先ほどの大砲のほうがよほど強力に思える。現に、ユランは相変わらず無傷のままだ。
カールは不意に、視えざる圧力を感じた。それが魔力の奔流であることを直感する。
「天球神樹!!」
叫びとともに、マオは一気に後方へ跳んだ。彼のまとっていた鎧が解け、繊維となり、ユランの周囲を覆う。先ほどまで攻撃に使用していた樹木製の武器も繊維へと分解された。それらが縒り合わさって、巨大な樹木の球体へと姿を替えるのに、ほんの一秒もかからない。高密度の球体。その内部にユランは閉じ込められた。
単に対象を閉じ込めるだけの魔術――ではない。
カールは、球体が瞬時に収縮するのを目にした。魔術製の樹木とはいえ、これほど密度の高い物体が収縮したなら、内部は壊滅的な状態になる。
勝った、と思った。これならば、と。
が、球体は人体のかたちまで収縮した時点で破裂した。魔術の瓦解ではない。ユラン自身の強靭な身体が、破壊的な収縮さえも打ち破ったのだ。
「あ……」
呟きが漏れ、マオはストンと膝を突いた。
負けたと思ったのだろう。これ以上、魔術を行使出来ないほど消耗したのかもしれない。あるいは、心が折れたのか。
無傷のユランがマオへと歩み寄る。顔には満面の笑み。
「どうか……どうか……殺さないでください。……お願いします。……死にたくない」
ぼそぼそとした声は、ユランに向けていると言うより、願望がそのまま流れ出した具合だった。
膝を突いたマオの前までやってくると、ユランは膝を折り、爽快に笑った。マオの周囲に漂う憂鬱など消し飛ばしてしまうように。
「俺はお前を殺したりなんかしない。というか、この町の誰ひとり殺すつもりなんてねえよ。……マオ。お前、ちゃんと強いじゃねえか。胸を張れよ」
マオは顔を上げ、呆然とした様子でカールへと顔を向けた。
なにを求められているのか、ちゃんと分かっている。自分がここにいる意味は、自分が一番よく分かっているつもりだ。
「彼の言葉は真実だ」
誰も殺さない。ユランの言葉に偽りはないと、カールは判定した。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『カール』→クロエたちが王に謁見した際に、同席した真偽師。王都随一の実力者だが、メフィストの嘘を見抜くことが出来なかった。謁見中の事件により、王都追放の処分を下された。詳しくは『263.「玉座と鎧」』『幕間.「王都グレキランス ~追放処分~」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『マオ』→騎士団ナンバー8の青年。樹木の魔術師。神童の異名をほしいままにしていたが、シフォンにかつて敗北したことで自尊心を叩き折られ、今は序列を維持するだけの卑屈な騎士に成り下がっている。そんな彼が『宿木』の蔑称で呼ばれるようになったことに、さして抵抗を感じてすらいない。詳しくは『幕間「或る少女の足跡」』にて
・『赤竜卿ユラン』→黒の血族で、ラガニアの公爵。自称、ウルトラ・ドラゴン卿。情熱的な青年だが、センスは壊滅的。代々、ドラゴンを使役するとされているが実際に目にしたものはおらず、虚言卿や嘘つき公爵と囁かれているが本人は意に介していない。詳しくは『幕間「ウルトラ・ドラゴン卿」』にて
・『白銀猟兵』→人を模した、ずんぐりとした物体。オブライエンの量産している兵器。指令を送ればその通りに行動をすることが出来る。動きは機敏で、硬度は高い。破壊時に自爆する。詳細は『幕間.「白銀空間~潜入~」』『幕間.「白銀空間~白銀猟兵と一問一答~」』『幕間.「白銀空間~魔具制御局~」』にて
・『霊樹の連弩』→樹木製の矢を連射する魔術。詳しくは『幕間「或る少女の足跡」』にて
・『霊樹巨槌』→樹木製の巨大な槌を振り下ろす魔術。詳しくは『幕間「或る少女の足跡」』にて
・『イフェイオン』→窪地の底に広がる豊かな町。王都に近く、特産品の『和音ブドウ』を交易の材としている。『毒食の魔女』によって魔物の被害から逃れているものの、住民一同、彼女を快く思っていない。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』にて
・『紫電のザムザ』→騎士団ナンバー1の男。銀の髪を持つ魔術師。幼い頃の記憶がない。ときおり頭のなかに響く『声』に従って行動をする。実はオブライエンによって作られた、魔道具に限りなく近い人間。故人。詳しくは『幕間.「王都グレキランス ~啓示~」』『Side Winston.「紫電の組成」』にて
・『魔具』→魔術を施した武具のこと。体内の魔力が干渉するため魔術師は使用出来ないとされているが、ニコルは例外的に魔術と魔具の両方を使用出来る。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『貴品』→血族たちの作り出した魔具。詳しくは『911.「貴品」』にて