Side Carl.「本当の作戦」
※カール視点の三人称です。
言葉の真偽を見抜く魔術。真偽師たちはそれを真偽術と呼ぶ。会得方法が一切公開されていない魔術のひとつである。ゆえに、人々の言葉は真偽師によって嘘か真か容易に判定されてしまう。ただ、例外もあった。謁見の場でカールを欺き、先々代の王を射たという前代未聞の例外が。
マオの暴挙も例外であれば、とカールが願ったのも無理はない。
イフェイオンと兵士を捧げるからラガニアへ匿ってくれなどという懇願は、冗談にしてはひどすぎる。それが真実の言葉なのだから、なおのこと悪い。
カールは目を見開き、マオを凝視した。噛んだ唇のどこかが裂けたのだろう、錆の味が口に広がったが、そんなものには欠片も意識が向かない。
マオは作戦があると言った。カールには死んでほしくない、とも。どちらも真実の言葉である。
作戦、とカールは考える。今しも放たれた裏切りの言葉自体が作戦なのかもしれない。真偽術を欺く方法を独自に編み出して、味方である自分にさえ見抜かれないようにした可能性はないだろうか。ユランと名乗る公爵の寝首を掻くために、イフェイオンの全軍を捕縛してみせたのではないか。それこそが真の作戦だとしたら。
そこまで考えて、カールは脱力した。馬鹿馬鹿しい。なぜ、わずかな可能性ばかりを追い求めるのだ。
マオが真偽術の突破法を会得している?
寝首を掻くために味方を拘束した?
ありもしない空想に慰めを求めてなんになるというのか。真実はそこにあるではないか。自分が真偽術で見抜いた通りに。
イフェイオンの部隊を率いる司令官であり、騎士団の八番手という序列を担う男が、敵に拝跪した。つまり、裏切った。
思えば、これまでマオが自分の前にあまり姿を現さなかったのも、そのあたりが理由なのだろう。作戦――つまりはこの裏切り計画を看破されないために。自分に死んでほしくないと言ったのも、血族の言葉の真偽を確かめたうえで行動する算段だったに違いない。
全身赤の衣装をまとった血族の男――ユランも、マオの言葉に目を丸くしているようだった。
「司令官殿……いや、マオ」カールは、自分の声が予想外に弱々しいことに気付き、自嘲と憤りの両方を感じた。「貴様の言葉は真実だ。しかし、なぜ裏切る? 誇りはないのか? 騎士なのだろう!? 戦場に立ったのは覚悟あってのことではないのか!?」
溢れ出る言葉を制御するすべはなかった。疑問は憤怒と手を結び、堰を切って迸る。
「貴様は――」
「うるさいよ、あんた。誇りだのなんだのごちゃごちゃと……」
呟いて、マオはユランへと笑みを向けた。随分と卑屈で、それなのに解放感のある笑みを。
「閣下。しばしお待ちください。鬱陶しい蝿を黙らせます」
マオは立ち上がると、カールに向き直った。そして片手を持ち上げ、見えないなにかを握るように閉じ――。
カールは全身に圧迫を感じた。ミシミシと骨が軋む音がする。マオの操る木の根が、容赦のない力で真偽師の身体を締め上げた。呼吸さえ苦しいほどに。
「覚悟だっけ? ああ、あるよ。僕は最初から裏切る覚悟を持っていた。どの町に配置されようとも、同じことをする覚悟さ。ところで、僕はあんたに少しばかり感謝してる」
白濁した舌が、マオの口内で踊った。
「はじめはあんたを恨んださ。間抜けな間抜けなカール。あんたが謁見で失敗しなけりゃ、騎士が咎められることなんてなかったからね。グレキランスを追放される憂き目にも遭わなかっただろうよ。でも、却って良かったよ。グレキランスが魔物の軍勢に襲撃されたと知って、僕は心底ホッとした」
瞳に薄暗い輝きが宿っている。持ち上がった口角は卑屈そのものだった。
「分かるだろう? 千を越える魔物の大群を相手に戦うなんて、馬鹿みたいじゃないか。実際、グレキランスの受けた被害は大きかった。東西南北、全部の門が破壊されて、壁内の死傷者も数え切れない。もしその場に自分が残っていたらと思うとゾッとする」
マオの言葉に嘘はない。すべて真実。
カールは痛みを堪え、マオを睨んだ。
「魔物が恐いなら、なぜ騎士になった。なぜ襲撃後のグレキランスに戻った」
「騎士になった理由なんてどうでもいいだろ。語りたくもない。吐き気がする。グレキランスに戻った理由なら、さっき言った通り、裏切るためさ。騎士団も近衛兵も深刻な人手不足だったろう? いっぱい死んだからね。そこに僕が戻れば、それなりの戦力として数えてもらえる。多少の我儘も通る。前線基地だとか『煙宿』だとかの大規模な拠点を避けて、町への配属を進言したら、すんなり要望が叶ったよ」
太陽が真上から射している。なのにカールは寒気を感じた。ユランの出現とマオの裏切りに起因する汗が冷えたのもあるだろうが、きっと別の理由だろう。
「グレキランスはたかが千の魔物に落とされるところだった。それくらい脆弱だってハッキリしたじゃないか。なのに今度は血族の侵攻だろう? あんたも含めて、みんなこれが戦争だと思ってるみたいだけど、僕からすれば全然違う。一方的な蹂躙。勝てるわけがない。なのに必死になって兵力をかき集めて……。まるっきり阿呆だ」
確かにマオの言う通り、人間の勝ち目は薄い。それはカールも分かっていた。だが、そんな小癪な計算で白旗を振るのは大馬鹿者だ。
「大切なものを守るために戦うことのなにが阿呆だ! 貴様にだって家族はいるだろう!? 守るべきものはあるだろう!?」
カールの懸命な叫びは、しかし、一笑に付された。
「家族ね。グレキランス襲撃の日に死んだよ。でも、ちっとも哀しくない。とっくに勘当されてたからね」
「なら、この地を守るという意志は――」
「ないよ、そんな馬鹿馬鹿しい意志。でも、僕にだって大切なものはある」
どろり、と溶けるようにマオの口元が弛緩した。
「自分の命だ。命だけは、なによりも大事なんだよ。自分さえ生き残れば、あとはどうなろうと知ったことじゃない。死にたきゃあんたらだけで勝手に死ねばいい」
「……生き延びたいなら裏切りなどせず、どこかの僻地に籠もっていれば良かっただろうが!」
「僻地? 人里離れた山奥で暮らせって? 生憎、僕はそこまで落ちぶれちゃいない。文化的に、健康に、生きていたい。これのどこがおかしい? 普通じゃないか。普通の考え方。そうだろう?」
マオの言葉はすべて真実だった。吐瀉物に良く似た真実。
歯ぎしりが耳元で鳴っている。獰猛な呼吸音が絶え間ない。そんなふうに怒りを表面化することしか出来ない自分が悔しくてならなかった。
「閣下」とマオはユランに跪く。とても滑らかな動きで。「閣下の持つ土地では、人間も健康的で文化的な生活をおくれますか? 最低限でいいのです。最低限で。多くは望みません」
呼びかけられたユランは、やけに真剣な表情をしているように見えた。腕組みし、マオを見下ろしている。
「俺の領地は安全だ。食うに困ることもねえ。文化の程度も、まあ、悪くないほうだと思う」
ユランの声には、現れたときの快活さはなかった。ただただ冷静な口調である。
「嗚呼、良かった。閣下。ぜひ、僕を受け入れてください。この町も、人間も、すべて捧げます。お望みならなんでもいたします。あの――」と、マオは後方にそびえる球状の巨樹を指す。「木の球の内部にいる人間を一気に潰してご覧に入れることも、造作ありません」
ぞわり、とカールは皮膚に走る怖気を感じた。マオの言葉は真であり、つまり、そんな残虐非道な行為も可能だと示している。
真実がここまで貶められたことなど、カールの経験上なかった。おおむね嘘の言葉は汚く、真実の言葉は輝きを放っている。それは誤解だったのかもしれない。
ユランは腕組みをしたまま返した。朗々とした声で。
「生きたい感情は否定しねえ。ひとの弱さも、俺は分かってるつもりだ」
ただし、と彼は一段と声を張り上げた。
「下衆は好きじゃねえ。望みならなんでもすると言ったな? なら、俺と戦え。今すぐだ! 正々堂々、一対一で。お前の腐った性根を叩き直してやる!!」
さっと青褪めたマオを横目に、カールはユランの目に宿った光を確かに見た。
ユランの言葉もまた、真だ。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『カール』→クロエたちが王に謁見した際に、同席した真偽師。王都随一の実力者だが、メフィストの嘘を見抜くことが出来なかった。謁見中の事件により、王都追放の処分を下された。詳しくは『263.「玉座と鎧」』『幕間.「王都グレキランス ~追放処分~」』にて
・『真偽師』→魔術を用いて虚実を見抜く専門家。王都の自治を担う重要な役職。王への謁見前には必ず真偽師から真偽の判定をもらわねばならない。ある事件により、真偽師の重要度は地に落ちた。詳しくは『6.「魔術師(仮)」』『261.「真偽判定」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『マオ』→騎士団ナンバー8の青年。樹木の魔術師。神童の異名をほしいままにしていたが、シフォンにかつて敗北したことで自尊心を叩き折られ、今は序列を維持するだけの卑屈な騎士に成り下がっている。そんな彼が『宿木』の蔑称で呼ばれるようになったことに、さして抵抗を感じてすらいない。詳しくは『幕間「或る少女の足跡」』にて
・『イフェイオン』→窪地の底に広がる豊かな町。王都に近く、特産品の『和音ブドウ』を交易の材としている。『毒食の魔女』によって魔物の被害から逃れているものの、住民一同、彼女を快く思っていない。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より
・『赤竜卿ユラン』→黒の血族で、ラガニアの公爵。自称、ウルトラ・ドラゴン卿。情熱的な青年だが、センスは壊滅的。代々、ドラゴンを使役するとされているが実際に目にしたものはおらず、虚言卿や嘘つき公爵と囁かれているが本人は意に介していない。詳しくは『幕間「ウルトラ・ドラゴン卿」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『前線基地』→王都北東の山脈にほど近い場所の山岳地帯に作った、戦争における要衝。血族の侵入経路と王都を直線上に結ぶ位置にあるため、全滅は必至であり、足止めの役割がある。総隊長としてシンクレールが配備されている。簒奪卿シャンティおよびシフォンの襲撃によりほぼ壊滅した。詳しくは『第四章 第二話「幻の森」』『第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」』にて
・『煙宿』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。ゆえに人探しはご法度。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」「煙宿~②不夜城~」』にて