Side Carl.「真偽師カールと窪地の司令官」
※カール視点の三人称です。
血族がグレキランスの一帯に足を踏み入れてから五日目の昼。
窪地の縁に座り込み、カールはぼんやりと空を眺めていた。間もなく中天に差し掛かる太陽の下で、綿雲がのんびりと泳いでいる。
平穏。
それがまやかしであることをカールは知っている。ほんの束の間だけ気まぐれに見せる穏やかな表情、と言い換えてもいい。
この数ヶ月を振り返り、人生とは、と考える。まだ中年に足を踏み入れてもいない彼だが、正誤はともかくとして、人生を悟るに足るだけの激動ぶりを味わったのは確かである。
真偽師。嘘と真を見抜く者。先々代の王が射られるまで、その職業はカールにとって栄光を意味していた。王都の小悪党から反感を買うリスクなどあってないようなものだと高慢に考えていた過去の自分を思うと、やりきれない。謁見の場で失態を演じたことで王都中の真偽師が追放の憂き目に遭ったのは、すべて自分の責任だと今でも感じている。
見下していた小悪党から暴行を受けた自分を救った男のことも、よく覚えている。騎士団のナンバー1、紫電のザムザ。彼がオブライエンという邪悪な存在の傀儡であり、イフェイオンの守護者――『毒食の魔女』と相討ったのは記憶に新しい。カールがこの地に留まり続けたのも、それが影響している。たかが数日であれザムザとともに旅をしたのだから。彼を止めるような力など自分になかったというのは、カールには責任逃れに感じてならない。主人を喪い、代わりにイフェイオンの守護者となった使用人――ウィンストンのもとへ、夜間防衛の対価として和音ブドウなどの作物を届ける役目を任じたのは、やはり責任感からだろう。決して贖える罪ではないし、償う立場でもないことは分かっている。それでも目を背けるのは違う。
魔物の大群による王都襲撃と、その後の戴冠式については、カールの耳にも入っている。勇者の裏切り。そして王都の裏切り者とされていたクロエこそ、真に正しかったのだと。驚いたのは、カールにとっては運命の日とも言える、あの謁見の場にいた少年が現王を戴いた点である。そしてもうひとつの驚きもあった。こちらはウィンストンから個人的に教えてもらったことだが、先々代の王を射た血族が今は人間に与している、と聞かされたのだ。
嘘と真。事実と虚構。正しさと誤り。
世界の真実は自分ごときには決して見抜けない場所に隠されているのだと、つくづく思い知った。人生とは暗闇だ。星や月の照らさない、永遠の夜。一歩先も見通せない。かつて己が自負していた『見抜く力』は、人生の闇を照らすにはどれほど心細いものか。
しばし目を瞑ったのち、草原を見渡す。そこかしこに秘密の抜け道があることはカールも知っていた。窪地の内部に侵入した敵の背後を取るための仕掛けだと聞かされている。そのような改造はイフェイオンのあちこちで行われていた。唯一なんの影響も受けていないのは、草原に佇む邸くらいだろう。その場所も、今は誰もいない。ウィンストンはこの戦争における重要な『仕事』のために去ったのだ。ただ、邸だけはそのままにしておいてもらうよう、町長や、イフェイオンに滞在する『司令官』に告げて。
王都から支給された武器の放棄。それを決定したのも司令官である。曰く、作戦を損ねるほど邪悪な洗脳魔術が籠められているらしい。司令官の姿はここしばらく見かけていなかった。少なくとも、カールの前には現れていない。イフェイオンの交信魔術師も彼に付きっきりらしく、目にする機会は一度もなかった。なにかあれば兵士たちが伝令を送ることになっている。
騎士団ナンバー8、宿木のマオ。王都からの兵員を束ねる司令官である。覇気の欠片もない陰気な青年だったが、魔術の腕は確かだと聞いていた。血族の大群に対してどこまで通用するかは甚だ怪しいが、それはどの町に配属された者も変わらないだろう。王都から近いという理由で、騎士団の序列持ちが配属されたのは幸運と言えるのかもしれない。ただ、もはやカールには運などというものを信じる気はないが。
腰に触れ、そこにある短剣を意識する。王都からの支給品ではなく、ウィンストンからの餞別の品だ。いざとなれば、自分もこの刃で戦おう。無力は承知だ。ただし、それは戦わない理由にはならない。
あちこちで靴音や下草のざわめきがしていたせいだろう、カールは隣に誰かが立っていることに不意に気が付いた。いつからそこにいたのか定かではない。
枯れ草色の、ろくに手入れのされていない長髪。その下で生気のない目が遠くを見やっている。身にまとったローブも髪と同じような色合いで、着古されていた。
「司令官殿。どうかしましたか?」
カールは立ち上がり、司令官――マオを見つめた。彼はカールに一瞥も返すことなく、遠い目をしている。が、話す気がないわけではないらしい。
「交信魔術師が言うには」
抑揚がなく、そして唐突な話だった。
「血族はキュラスの方角から入って、北東に進軍したらしいね」
真実だ、と反射的にカールは独白してしまった。真偽師としての癖がどうしても抜けてくれない。言葉の真贋が自然と意識に食い入ってくる。
「そのまま進めば、今頃高原を抜けたあたりかな。西に回り込むつもりなのかもしれない」
頭にグレキランス一帯の地図をイメージする。血族がどのようなルートで進軍しているのかは杳として知れない。マオは把握しているのかもしれないが、隠された情報まで見抜けるものではないのだ、真偽師は。あくまで発された言葉だけしか判定出来ない。だから重要な物事を見落としてしまう。少なくとも、これまでの自分はそのような愚を犯してここにいる。
「前線基地も『煙宿』も避けるつもりなら、イフェイオンは彼らの進軍ルートになるだろうね」
言葉に嘘はない。ただ、卑屈な口調だった。
「そうなれば戦うまででしょう。命を賭して」
カールはマオの横顔にそう返したが、芳しい反応はなかった。マオの口元が皮肉っぽく歪んだだけ。
「彼らがイフェイオンを抜けて王都に向かうつもりなら、今夜あたり、血族に囲まれる。そのときは」言葉を切って、マオはようやくカールを真正面で捉えた。「あんたは前線にはいないでくれ。死んでほしくない」
真実だ。言葉は。しかし、どうしてこの男はこうも憂鬱そうなのだろう。生来のものなら仕方ないが、この表情ではほかの者の士気にかかわる。その程度、戦いの素人であるカールにも容易に察せられた。
不意に、マオが遠くに目をやる。北の方角へと。ちょうど、魔女の邸の先。
カールも同時に、そちらに視線を向け、耳を澄ました。
不揃いな間隔で、破裂音のようなものが聴こえる。
「……町へ避難してくれないかい」とマオが呟く。
「なぜです」
「司令官としての命令だ。早く避難するように」
「だから、なぜ」
「血族だよ、たぶん」
言って、マオは音の方角を指した。断続的な破裂音は、徐々に近付いているように思える。ただ、それがなぜ敵の出現を示しているのか、カールには読み取れなかった。聞いたところでマオがまともに答えないことだけは分かる。真偽師としてではなく、カール自身の直観だ。
カールはマオを無視して、北の方角へ足を向けた。破裂音に気付いたのか、幾人かの兵士もカールに追随する。
「戻れ! 無駄死にするな!」
後方からのマオの叫びに、嘘はない。ただ、従う気はなかった。
託されたのだ、自分は。真摯な使用人から、邸に手を加えないように、と。無論、それは血族から邸を守り切ることを意味していない。だから、意図的な拡大解釈となる。カールにはそれで良かった。
邸の前庭にたどり着く頃、破裂音は爆発音となって耳を打った。そしてその正体らしきものも視認した。
陽光の下、白銀に煌めく物体がまっすぐ上空へ打ち上がり、爆発していたのだ。次々と。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『カール』→クロエたちが王に謁見した際に、同席した真偽師。王都随一の実力者だが、メフィストの嘘を見抜くことが出来なかった。謁見中の事件により、王都追放の処分を下された。詳しくは『263.「玉座と鎧」』『幕間.「王都グレキランス ~追放処分~」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『真偽師』→魔術を用いて虚実を見抜く専門家。王都の自治を担う重要な役職。王への謁見前には必ず真偽師から真偽の判定をもらわねばならない。ある事件により、真偽師の重要度は地に落ちた。詳しくは『6.「魔術師(仮)」』『261.「真偽判定」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『紫電のザムザ』→騎士団ナンバー1の男。銀の髪を持つ魔術師。幼い頃の記憶がない。ときおり頭のなかに響く『声』に従って行動をする。実はオブライエンによって作られた、魔道具に限りなく近い人間。故人。詳しくは『幕間.「王都グレキランス ~啓示~」』『Side Winston.「紫電の組成」』にて
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。外界で活動しているのは彼の分身『二重歩行者』であり、本体は一切の魔術的干渉を受けない檻に閉じ込められている。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『イフェイオン』→窪地の底に広がる豊かな町。王都に近く、特産品の『和音ブドウ』を交易の材としている。『毒食の魔女』によって魔物の被害から逃れているものの、住民一同、彼女を快く思っていない。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』にて
・『毒食の魔女』→窪地の町イフェイオンの守護をする魔術師。『黒の血族』と人間のハーフ。未来を視る力を持つ。本名はカトレア。オブライエンの策謀により逝去。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『Side Winston.「ハナニラの白」』にて
・『ウィンストン』→『毒食の魔女』の邸の執事をしている魔術師。丁寧な口調の壮年男性。ジェニーとは犬猿の仲。昔から魔女の命を狙って暗殺を繰り返している。魔女を殺害したオブライエンへ、並々ならぬ復讐心を持っている。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『279.「物好きな主人」』参照
・『和音ブドウ』→イフェイオンの特産品。皮から果肉を出す際に独特の音が鳴ることから名付けられた。詳しくは『230.「和音ブドウと夜の守護」』にて
・『洗脳魔術』→魔術の分類のひとつ。読んで字のごとく、対象を洗脳するための魔術
・『マオ』→騎士団ナンバー8の青年。樹木の魔術師。神童の異名をほしいままにしていたが、シフォンにかつて敗北したことで自尊心を叩き折られ、今は序列を維持するだけの卑屈な騎士に成り下がっている。そんな彼が『宿木』の蔑称で呼ばれるようになったことに、さして抵抗を感じてすらいない。詳しくは『幕間「或る少女の足跡」』にて
・『キュラス』→山頂の街。牧歌的。魔物に滅ぼされていない末端の街であるがゆえに、『フロントライン』と呼ばれる。勇者一行のひとり、テレジアの故郷。一度魔物に滅ぼされている。詳しくは『第二章 第三話「フロントライン」』にて
・『前線基地』→王都北東の山脈にほど近い場所の山岳地帯に作った、戦争における要衝。血族の侵入経路と王都を直線上に結ぶ位置にあるため、全滅は必至であり、足止めの役割がある。総隊長としてシンクレールが配備されている。簒奪卿シャンティおよびシフォンの襲撃によりほぼ壊滅した。詳しくは『第四章 第二話「幻の森」』『第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」』にて
・『煙宿』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。ゆえに人探しはご法度。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」「煙宿~②不夜城~」』にて




