Side Etelwerth.「賭けの行方」
※エーテルワース視点の三人称です。
暮れかけた陽射しのなか、エーテルワースは深く呼吸をした。末端といえども、館は湿原地帯にある。自然と空気にも湿気が含まれるが、鬱気は感じない。
ただ、晴れやかな気分には程遠い。それは西方を睨むマーチも同様だろう。
エーテルワースは、館を眺めて佇む二人の血族に視線を向けた。ひとりは長身の中折れ帽の男、レンブラント。もうひとりは大きな目が特徴的な燕尾服の女性、ナターリア。二人はエーテルワースとマーチに聞かれようがかまわないのか、明け透けな会話をしている。
「レンブラント様。なぜイカサマをしたのですか?」
「失敬だねえ。おじちゃんはイカサマなんてしてないよ」
「イカサマコインを使うこと自体、賭けの公平性を欠いています」
「真面目ちゃんだねえ……。賭けなんて不公平なもんだと思うよ、おじちゃんは」
「わたくしは人生で一度もイカサマをしたことはございません。すべて公平な勝負に勝ち続けて、今の立場におります」
「そりゃめでたい。おじちゃんとは真逆の人生だ。羨ましい限り」
「……しかし、ローレンス様はなぜ表を選んだのでしょうか。あれほどレンブラント様が誘導したというのに」
「そのへんの心が分からないあたり、まだまだナターリアちゃんも未熟だねえ。おじちゃんはローレンスくんが表を選ぶと思ったよ。十中八九」
応接室で弾かれた銅貨を思い浮かべ、エーテルワースはあらためて安堵の息を吐いた。
銅貨はテーブルに吸い付くように、まっさらな面――表面を見せたのである。そして約束通り、ローレンスたち館の面々は夜会卿への貢ぎ物という馬鹿げた未来を退けたのだ。
「レンブラント様のお言葉ですと、意図的にローレンス様を見逃したように聴こえますが」
「そうだよ。おじちゃんはわざと見逃した。ちなみに彼が落第ってわけじゃないからね」
「では、ローレンス様がたの過去に同情したのですか?」
「……もう充分、って思っただけさ。もし神様がいるなら、これ以上の試練をローレンスくんには与えないだろうねえ。もちろん、ルイーザちゃんとナーゴちゃんにも」
「神様など信じておられないでしょう、レンブラント様は。でなければ賭けを持ち出すまでもないかと」
「まあ、そうだねえ。信じてない。実際ローレンスくんが裏を選んだら、約束通り貢ぎ物にしたしねえ。ああ、そうそう、同情と言えばナターリアちゃんもひとのことは言えないんじゃないかな? 彼らを解放するだけじゃ済まさなかったんだから」
「それは賭け金が変わったからです。はじめ、レンブラント様はローレンス様の身柄だけを対象にしておりました。しかし、最終的には館の人々全員が賭けの対象になったのです。報酬が解放だけというのはアンフェアです。なので、館の隠蔽を申し出ました」
ナターリアはローレンスの勝利報酬として、戦争が終結するまで館を誰からも見つからない仮想空間に隠すと進言したのだ。願ってもない話である。ただし、魔術であるがゆえ、当然制約はあった。術者であるナターリアが死亡した場合、隠蔽は解除される。そして彼女がグレキランス地方から離れた場合にも、効力がおよばなくなり自然に解除される。
後者は、夜会卿の部隊が実質的にこの地を離れるケースを意味していた。つまりは戦争の終結である。彼らの言によると、人間殲滅の目処が立った時点――すなわちグレキランスおよび近隣の街の制圧が完了次第、戦争に勝利したとして一旦ラガニアへと帰還することになっているらしい。無論、制圧地を維持するための人員は残して。どの貴族の部隊もこの点は承知しているとのことだった。ナターリアたちは、今のところ帰還する予定になっている。
それにしても、とエーテルワースは思う。ナターリアは徹頭徹尾無表情だったのだが、一度だけ、とても素敵な表情をしたものだ、と。
「ナターリアちゃん。館の隠蔽が報酬なら、カジノの優待券はどうなんだい? あれ、すごーく貴重な代物なんだけどねえ。オーナーとしてはちょぉっと見過ごせないくらい」
「ローレンス様がたへの餞別です。血族が勝利したあかつきには、彼らをアスターへお連れすべきかと。カジノの優待券を使えば、安全確保は万全です」
ナターリアは賭けに勝利したローレンスにはもちろんのこと、各人にカジノの優待券なるものを手渡したのだ。なんでも、それを使えばどんな理由があろうとも無償でカジノに入ることが出来、無期限に留まることも可能らしい。優待券を持っていればカジノ内での飲食も無料で、ベッドのある休憩室もタダで借りることが出来る。つまりは、アスターにおいて生活の心配がないという魅力的な代物だった。普通であれば、人間や獣人がアスター内で自由に闊歩するなんて不可能だが、カジノの優待券を見せれば警備兵に身柄を押さえられることもないらしい。ただし、使えるのはカジノへの入場時のみの一回きり。したがって一度外に出てしまったら安全は保証されなくなる。
ナターリア曰く、優待券を持っていればカジノ側からカジノコイン千枚分をプレゼントされるとのことだが、エーテルワースには興味のない話だった。血族の街のカジノに行く予定はない。貴重品であることは確からしく、裏で取引した際には莫大な額になるとレンブラントは言っていたが、それにも関心はなかった。そもそも、エーテルワースとマーチの優待券はローレンスに預けてある。
ローレンスに優待券を渡すとき、ナターリアが口を鋭角にして――たぶんそれが彼女の笑顔なのだろう――パチンと音の出そうなくらい素敵なウインクをして見せたのがエーテルワースの印象に残っている。
彼女がローレンスによる痛覚の共有という常軌を逸した魔術に敬意を表したのだということは、エーテルワースの知り得ぬ事柄だった。
「さて、それでは館を保護します。エーテルワース様、マーチ様。ここからは後戻り出来ませんが――よろしいのですね?」
何度か繰り返された問いである。エーテルワースははっきりと頷いてみせた。隣にいるマーチも同じ動きをする。
「では、館を閉じます。――夜霧の庭園」
ナターリアが宙を撫でると、すぐそこにあった館が跡形もなく消え去った。触れようとしても、なんの感触もない。魔術による現実の仮想化は『魔女っ娘ルゥ』で経験済みだったが、こうもあっさりと消えてしまうものなのかと感心してしまう。
が、そうも浸っていられる状況ではなかった。
「マーチさんもエーテルワースくんも、ナターリアちゃんの言ったことは覚えてるよねえ?」
「無論だ。真っ白の物体――白銀猟兵だったか。そいつの半径百メートル以内には近寄らん」とマーチは敢然と返す。
グレキランス一帯に配置された兵器、白銀猟兵。ナターリアの調べによると、それが起動するのは百メートル圏内に血族などが入った場合であり、圏外まで逃れれば停止するらしい。マーチひとりなら心配は無用だが、それがエーテルワースにも作用してしまう可能性がある。そんなふうにナターリアは話したが、間違いなく起動するだろうとエーテルワースは読んでいた。樹海でラルフの記憶を追体験した以上、あの兵器がなにに反応するのかは明白だ。体内のアルテゴが心なき兵器を目覚めさせる。
「しっかし」とレンブラントは指先で頬を掻いた。「館に留まれば安全なのにねえ」
ローレンスたちからも止めるよう言われたが、マーチもエーテルワースも退かなかった。
昨夜、マグオートに向けて貴族の部隊が一直線に進行したという情報を口にしたのは、当のレンブラントである。ローレンスの語った追想で何度か名前の出た土地だからうっかり喋ってしまった様子ではあったものの、真意は不明だ。
『イアゼル侯爵。なにを嗅ぎつけたのか知らないけどねえ、連中が昨晩、一直線にマグオート目指して発ったんだよねえ。おじちゃんたちは魔物の軍勢を連れてるから夜にしか動けないけど、連中は別。血族の部隊がおよそ千くらいかな。魔物は一体も率いてないから、夜も昼も関係なしに移動出来るんだよねえ。白銀猟兵だっけ? それで多少足止めされたとしても、二日あれば着くんじゃないかな。おじちゃんはイアゼルくんのことは好きじゃない。随分と悪質な洗脳魔術を使うからねえ』
マグオートの無事を祈っていればいい。そんなふうにレンブラントは語ったが、いても立ってもいられなくなってしまった。館に留まると決めたのに、こうも容易く翻意してしまう自分に少しばかり嫌気が差したが、それでも衝動には抗えない。
マグオートがいずれ落とされることになるかもしれないとは思っていた。ただ、それより先に王都――そしてこの館が終わりを迎えると考えていたのである。館の生存が確保された以上、エーテルワースには動くだけの理由が出来た。
そしてそれは、マーチも同じだったらしい。
「マーチ様。エーテルワース様。どうか、お気を付けて」
「救ったと思った矢先にコレだもんねえ。きみたちの潔さは認めるけど。まあ、死なないように。それじゃ」
レンブラントとナターリアはそんなふうに見送りの言葉を述べ、消えた。転移魔術である。
「覚悟はいいか、エーテルワース」
湿原の風に吹かれ、マーチの髪が靡く。
「いつでも出来てる」
ここから二日間、寝ずの全力疾走。それでようやく、マグオートにたどり着けるかどうかだ。
「かつて愛した故郷を守るために」
「友の愛した故郷を守るために」
小さく言葉を交わし、二人は暮れゆく太陽へと駆けた。片や獣の疾駆で。片や魔道具の車輪で。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『エーテルワース』→『魔女っ娘ルゥ』に閉じ込められたキツネ顔の男。口調や格好は貴族風だが、人の匂いをすぐに嗅ぐ程度には無遠慮。剣術を得意としており、強烈な居合抜きを使う。冒険家である『命知らずのトム』とともに各地をめぐった過去を持つ。詳しくは『494.「キツネの刃」』『Side. Etelwerth「記憶は火花に映えて」』にて
・『ローレンス』→ルイーザの幼馴染。水魔術や変装魔術、果ては魔道具の作製など、魔術的な才能に溢れた青年。能天気な性格。愛称はローリー。詳しくは『第二章 第六話「魔女の館~①流星の夜に~」』にて
・『エリザベート』→ハルキゲニアの元女王。高慢で華美な人間。ルイーザの母。支配魔術の使い手。詳しくは『174.「ハルキゲニアの女王」』にて
・『ナーゴ』→ローレンスの飼い猫。ペルシカムの領主であるアレグリアに殺されたが、ローレンスとルイーザの作り上げた仮想世界『魔女っ娘ルゥ』で、人型の生命を得た。詳しくは『492.「ナーゴさん」』『515.「幸福のために」』『幕間.「流星の翌日に」』にて
・『マーチ』→ローレンスの館の使用人。彼に作ってもらった車椅子型の魔道具『偉大且つ華麗なる有翼輪』に乗って家事全般をこなす。度を越えて生真面目かつ不器用なので、よく空回りする。ローレンスにはマーちゃんと呼ばれているが、当のマーチは認めていない。もともとは王都の西方に位置する町、マグオートで戦士をしていたが、足を負傷したことにより追放の憂き目にあった。詳しくは『485.「マーちゃん」』にて
・『ルイーザ』→ニコルと共に旅をしたメンバー。最強と目される魔術師。高飛車な性格。エリザベートの娘。『針姐』の墨の魔術により全身に縮小した魔紋を刻んでいたが、クロエの持ち込んだ『墨虫』により無力化された。現在は魔力の大部分と記憶を失い、平凡なひとりの少女としてローレンスの館に住んでいる。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『魔女の湿原』~」』『第二章 第六話「魔女の館」』より
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の拠点が存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。不死の力を持つ。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より
・『魔女っ娘ルゥ』→ローレンスとルイーザの魔術によって作り出された仮想世界。崩壊したはずのペルシカムをベースとしており、そこで生きる人々は崩壊の日を繰り返している。詳しくは『第二章 第六話「魔女の館~①流星の夜に~」』にて
・『白銀猟兵』→人を模した、ずんぐりとした物体。オブライエンの量産している兵器。指令を送ればその通りに行動をすることが出来る。動きは機敏で、硬度は高い。破壊時に自爆する。詳細は『幕間.「白銀空間~潜入~」』『幕間.「白銀空間~白銀猟兵と一問一答~」』『幕間.「白銀空間~魔具制御局~」』にて
・『ラルフ』→かつてオブライエンの家庭教師をした男。ラガニアで起きた悲劇の一部始終を『追体験可能な懺悔録』というかたちで遺した。『気化アルテゴ』の影響で小人となり、『岩蜘蛛の巣』にコミュニティを形成するに至った。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『アルテゴ』→オブライエンの発明した兵器。『固形アルテゴ』『液化アルテゴ』『気化アルテゴ』がある。詳しくは『間章「亡国懺悔録」 幕間37.「アルテゴ」』にて
・『マグオート』→文化的、経済的に成熟した街。王都から流れてきた富豪が多く住む。トムとマーチの故郷。別名『銀嶺膝下』。ラガニアの辺境である地下都市ヘイズと、転送の魔道具によって接続されている。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて
・『悦楽卿イアゼル』→黒の血族で、ラガニアの侯爵。詳しくは『幕間「落人の賭け」』にて
・『洗脳魔術』→魔術の分類のひとつ。読んで字のごとく、対象を洗脳するための魔術
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『転移魔術』→物体を一定距離、移動させる魔術。術者の能力によって距離や精度は変化するものの、おおむね数メートルから数百メートル程度。人間を移動させるのは困難だが、不可能ではない。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『魔道具』→魔術を施した道具。魔術師であっても使用出来る。永久魔力灯などがそれにあたる。詳しくは『118.「恋は盲目」』『間章「亡国懺悔録」』にて