Side Laurence.「査定結果」
※ローレンス視点の三人称です。
レンブラントが消えてから、口火を切ったのはマーチだった。
「まったく意味が分からん。私たちに危害を加えないと言ったが、先ほど裏手で戦闘したではないか。それに、貴様は何者だ」
マーチはナターリアを見やる。裏手で戦っていた二人は彼女の存在すら知らなかったことだろう。
ナターリアは立ち上がって深くお辞儀をすると、マーチとエーテルワースの二人を交互に見やった。
「わたくしはヴラド様の領地であるアスターのカジノで支配人をしております、ナターリアと申します。此度の戦争ではレンブラント様の付き人といった立場でしょうか。レンブラント様はカジノのオーナーでもありますから」
それから矢継ぎ早にヴラドとは何者か、カジノとはなにか、支配人とオーナーとはなんだ、といったマーチの質問に、ナターリアは淀みなく答えていった。隠し立てすることなどなにもない、といった具合に。
「それで、私たちをどうしようと言うのだ。なにか目的があって館に来たのだろう?」
「ローレンス様がたには既にお伝えしておりますが、マーチ様やエーテルワース様も含め、皆様がたの査定に参ったのです」
「査定……」
マーチが首を傾げたので、エーテルワースがすぐさま補足した。「吾輩たちのなかからひとり選んで、ヴラドとかいう奴への貢ぎ物にするらしい。無論、吾輩が立候補する」
「そんなことは――」
言いかけたマーチを遮ったのはナターリアである。「失礼ながら、決めるのはレンブラント様でございます。少々強い物言いになってしまいますが、どうかお許しを。皆様がたに決定権はないのです」
そこにちょうど、レンブラントが戻ってきた。コートもスーツも新品同様で、しかし品は同じようである。既製品なのだろう。
「説明ありがとう、ナターリアちゃん。ついでにトランクも――ありがとうねえ」
ナターリアはトランクを受け取ると、先ほど同様、見えない空間にトランクごと腕を押し込み、腕を引いたときにはトランクは消えていた。ローレンスの知らない魔術である。収納魔術と隠蔽魔術を組み合わせたものか、あるいは転移魔術もブレンドされているのかもしれない、なんて考えた。
「さて」レンブラントが席に着き、一同を見渡した。「さっきナターリアちゃんの説明した通り、おじちゃんはひとりだけ選んでヴラドに捧げなきゃならない。それも、とびきり上等の人材。ただし、ルイーザちゃんは例外だ」
それを聞いてローレンスはホッとした。誰が欠けるのも嫌だし、大事なひとに順番なんて付けていないけれど、ルイーザが選ばれてしまうのだけは嫌だったのだ。
しかし、彼女は納得していないらしい。「なんで。意味分かんない」
「ルイーザちゃんには手出ししないように、って言われてるからだよ。ヴラドからじゃない。ニコルくんがそう決めたんだ。詳しい経緯はおじちゃんも知らないけどね、記憶も魔術も失ったルイーザちゃんに不幸は似合わないって思ったんじゃないかな」
「なら、この館の誰ひとり手出し禁止よ。誰が欠けてもあたしは嫌」
普段のルイーザなら他人を慮るような言葉は口にしないが、このときばかりは違った。頬を上気させ、挑みかかるようにレンブラントを睨んでいる。
「ルイーザちゃんの考え方は嫌いじゃないけどねえ、大人は嫌なこともしなくちゃならないんだよ。残念なことに。それで、査定結果を教えてくれるかい、ナターリアちゃん」
薄いオレンジ色の永久魔力灯の下、レンブラントは音を立てて下品に紅茶を飲んだ。ローレンスの目には、そうした行為が意図的なものに思えた。このひとは悪人ぶっているだけなんじゃないかと。
「わたくしの目から見ますと、もっとも希少な人物は」ナターリアはスッと手のひらをローレンスの方向に向ける。「ナーゴ様です」
てっきり自分が指名されると思ったからこそ、ローレンスは目を剥いた。そんな彼の様子を意に介さず、ナターリアは淡々と話す。
「ナーゴ様は人でも血族でも他種族でも、もっと言えば、生者でも死者でもありません。詳しいことはわたくしにも見抜けませんが、魔術によって生まれ、なおかつ術者から完全に独立しています。このような存在は、ほかに例がございません」
「なるほどねえ。確かに不思議だ。おじちゃんには一般人にしか見えないけど」
ローレンスの肩から首にかけて、ローブに包まれた細い腕が抱きついた。少し震えている。
ややあって、細腕が離れる。
「ナーゴでいい。ナーゴを連れてけ!」
頭上でナーゴの声がする。少し涙に濡れた声音だったが、決然とした口振りだった。
「そんなの……ボクが許さない」
「許さなくっていい。……ローリー。今までありがとう。また会えて、嬉しかった。本当に、嬉しかった」
仰向いたローレンスの顔に、ナーゴの涙が一滴、二滴と落ちる。
「ナーゴ様。まだなにも決まっておりません。涙をお拭きになってください」とナターリアはハンカチを差し出したが、ナーゴは無視した。
「うるさい! ナーゴを選べ!」
「レンブラント様。わたしくの意見を申し上げますと、ナーゴ様は客観的に見て価値が高いわけではございません。身体能力がやや高い程度で、魔術は使えません。ヴラド様の期待する人物ではないかと」
「ナーゴを選べ!!」
「そうだねえ、ナターリアちゃん。おじちゃんも同意見だよ。どんなに稀有な宝石でも、価値が分からなければ石ころと同じだからねえ」
それからもナーゴは叫び続けたが、二人の血族は一向に相手にしなかった。
「次に価値があるのは、エーテルワース様でしょう。戦争に参加せず人間の土地にいる獣人、という一点でヴラド様にとっては都合の良い人材と言えます」
「あー、それなんだけどねえ、無し。エーテルワースくんに限らず、獣人は捕まえない」
異を唱えたのは当のエーテルワースである。「なぜだ。吾輩はナターリア殿から見て都合が良いのだろう? なら、吾輩を選べばいい」
「エーテルワースくん。これはポリシーの問題でねえ。ヴラドの領地で他種族が家畜同然の扱いを受けてるのは知ってるかな?」
「……詳しくは、知らん。しかし、吾輩はどのような扱いを受けようとも甘んじて受け入れる」
「きみの覚悟は好ましいよ。でもねえ、結構複雑なのよ、実際問題。エーテルワースくんがひどい扱いを受けるだけじゃ済まなくなるんだよねえ」
レンブラントは中折れ帽を取り、テーブルに置いた。そして指先でテーブルをコツコツと叩く。
「この戦争で、まず間違いなく人間は壊滅する。で、報酬として貴族たちはグレキランスの土地を分割して所有することになる。ところで、獣人たちも戦争に参加しているってのはエーテルワースくんも知っているだろう? なんでも、グレキランスの地下勢力と戦ってるんだとか……まあ、真偽のほどは分からないけどねえ。ちなみに、血族が勝利した場合には獣人たちも土地を得ることになってる。といっても、もともと彼らの住んでいた樹海が正式に土地として認められるだけ。まあ、正式に、っていうのが大事なのさ。そんななか、ひとりの獣人が戦争中に人間側の土地にいたとなれば、どうなると思う? 血族の味方として戦うでもなく。……端的に言うと、裏切り者ってことになるねえ。それも、獣人のなかの裏切り者ってだけじゃ済まされない。ヴラドはエーテルワースくんの存在を口実に、血族に反旗を翻した獣人がいたと主張するわけさ。すると、どうなる? ヴラドにとって、樹海を侵略する絶好の機会になるってこと。おじちゃんはそんな未来は望んでいない。せっかく獣人たちが手に入れた聖域が破壊されるきっかけを作るなんて、ごめんだねえ」
レンブラントの言葉の途中から、エーテルワースはがっくりと項垂れてしまった。自分だけの犠牲であれば喜んで身を捧げるつもりだったのだろう。しかし、事が獣人全体におよぶのであれば、軽率な行動は慎まねばならない。
「あの」と、レンブラントの言葉の切れ目に発したのはエリザベートだった。「あたくしはいかがかしら?」
ローレンスは反射的に疑問を浮かべた。彼女がナターリアたちに慇懃な態度を取っていたのは、自分が選ばれたくないからだと、なんとなく解釈していたからだ。しかし、事実は違ったらしい。
「エリザベート様。支配魔術はありふれております。ヴラド様の気に入る人材ではございません」
「ええ、ナターリアさん。あたくしも魔術に関しては自覚しております。ただ、礼節の点ではいかがでしょう? ここにいる誰よりも気品があるのではないでしょうか? ヴラド様でしたか。そのお方がなにを期待しておられるのかは、あたくしには分かりかねます。ですが、品位ある者を側仕えにしたいとお思いになる可能性はあるのではないでしょうか?」
ルイーザが小さく「ママ?」と呼んでも、エリザベートは耳に入らなかったかのように、じっとナターリアを見つめている。テーブルの下で拳を握ったり解いたりするのが、ローレンスの位置からは見えた。
「エリザベート様の犠牲精神は見抜いておりました。ご用意いただいた紅茶もその一環であると存じております。失礼ながら、下心のある行為を気品とは呼びません。ただ、その精神性は一定の価値があると判断いたします」
「なら――」
「エリザベート様。どうか悪しからず、お聞きください。エリザベート様の査定は下の下。ヴラド様に捧げようものなら、あえて機嫌を損ねる結果になるでしょう」
エリザベートは祈るような瞳でレンブラントを見やったが、彼が首を横に振ったのを確認すると、がっくりと肩を落とした。
「おじちゃん的にはねえ、マーチちゃんも落第なんだよねえ。魔道具で補助しているとはいえ、足が悪いのはマイナス評価だ。ごめんねえ、意地悪言ってるわけじゃないから、許しておくれ。……となると、ローレンスくんになるかな」
レンブラントに、ナターリアが頷きを返す。
「わたくしとしても妥当と判断いたします。彼の魔術はユニークです。ヴラド様もお気に召すでしょう」
お別れか、とローレンスは寂しく思った。けれど仕方ない。これでみんなが無事なら、それで。
「いいよぉ……そうしよう」
ローレンスが言った瞬間、テーブルを平手で叩く音が鳴り響いた。それも、ひとつやふたつではない。
「ローリーは渡さない」
その言葉が誰のものか、ローレンスには判然としなかった。誰のものであっても不思議ではないし、それに、いくつも声が重なっているようにも聴こえた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ローレンス』→ルイーザの幼馴染。水魔術や変装魔術、果ては魔道具の作製など、魔術的な才能に溢れた青年。能天気な性格。愛称はローリー。詳しくは『第二章 第六話「魔女の館~①流星の夜に~」』にて
・『エリザベート』→ハルキゲニアの元女王。高慢で華美な人間。ルイーザの母。支配魔術の使い手。詳しくは『174.「ハルキゲニアの女王」』にて
・『ナーゴ』→ローレンスの飼い猫。ペルシカムの領主であるアレグリアに殺されたが、ローレンスとルイーザの作り上げた仮想世界『魔女っ娘ルゥ』で、人型の生命を得た。詳しくは『492.「ナーゴさん」』『515.「幸福のために」』『幕間.「流星の翌日に」』にて
・『エーテルワース』→『魔女っ娘ルゥ』に閉じ込められたキツネ顔の男。口調や格好は貴族風だが、人の匂いをすぐに嗅ぐ程度には無遠慮。剣術を得意としており、強烈な居合抜きを使う。冒険家である『命知らずのトム』とともに各地をめぐった過去を持つ。詳しくは『494.「キツネの刃」』『Side. Etelwerth「記憶は火花に映えて」』にて
・『マーチ』→ローレンスの館の使用人。彼に作ってもらった車椅子型の魔道具『偉大且つ華麗なる有翼輪』に乗って家事全般をこなす。度を越えて生真面目かつ不器用なので、よく空回りする。ローレンスにはマーちゃんと呼ばれているが、当のマーチは認めていない。もともとは王都の西方に位置する町、マグオートで戦士をしていたが、足を負傷したことにより追放の憂き目にあった。詳しくは『485.「マーちゃん」』にて
・『ルイーザ』→ニコルと共に旅をしたメンバー。最強と目される魔術師。高飛車な性格。エリザベートの娘。『針姐』の墨の魔術により全身に縮小した魔紋を刻んでいたが、クロエの持ち込んだ『墨虫』により無力化された。現在は魔力の大部分と記憶を失い、平凡なひとりの少女としてローレンスの館に住んでいる。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『魔女の湿原』~」』『第二章 第六話「魔女の館」』より
・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の拠点が存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。不死の力を持つ。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』にて
・『転移魔術』→物体を一定距離、移動させる魔術。術者の能力によって距離や精度は変化するものの、おおむね数メートルから数百メートル程度。人間を移動させるのは困難だが、不可能ではない。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『隠蔽魔術』→魔力を包み込むようにして隠す術。術者の能力次第で、隠蔽度合いに変化が出る。相手の察知能力次第で見破られることもある。
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者だが、実は魔王と手を組んでいる。黒の血族だけの世界を作り上げることが目的。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。詳しくは『875.「勇者の描く世界」』にて
・『永久魔力灯』→魔力を施した灯り。光度や色調は籠められた魔力に依存する。魔道具。詳しくは『38.「隠し部屋と親爺」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『支配魔術』→使用の禁止された魔術。他者の自由意思に介入する魔術。他者に施された『支配魔術』を、同じ魔術で上書きすることは出来ない。解除後も、一度変形された自由意思は完全に元通りにはならない。詳しくは『117.「支配魔術」』『Side Johann.「ドミネート・ロジック」』にて
・『魔道具』→魔術を施した道具。魔術師であっても使用出来る。永久魔力灯などがそれにあたる。詳しくは『118.「恋は盲目」』『間章「亡国懺悔録」』にて




