Side Alice.「転生と口約束」
※アリス視点の三人称です。
死んでも死なない。その意味が、アリスには――というよりヘルメスとガーミール以外には分からなかったろう。
疑問を直接口に出したのはアリスだった。
「具体的にはどういうことだい? 死んでも死なないってのは」
「ボクは千年以上前、ラガニア悲劇の日から血族として生き続けているわけではない。ボクが死ねば、ほかの誰かがボクの記憶と身体と魔力を引き継いで、ボクに成る。無論、ほかの誰かというのは、事前に契約を交わした相手だが。ボクにとっては些細なことだが、引き継ぎの際は、相手の所有する魔力もボクの魔力に上乗せされる。死ねば死ぬほど魔力が強くなるとでも言おうか。もちろん、これは魔術ではない。もし魔術で実現しようとするなら、何百人分の魔力が必要になるか分かったものではないからな。血族固有の異能だ。メフィストの契約の力と同じく」
ヘルメスは平素のごとく、ねっとりした口振りで言った。簡単に信じられる話ではない。理由をつけて契約を逃れようとしているのではないかとさえ疑ってしまう。
疑念はあったものの、アリスは黙っていた。ハックもヨハンも口を開かない。
口火を切ったのはガーミールだった。
「ヘルメスよ。証明して見せればいい」
すると、ヘルメスがはじめて狼狽した顔を見せた。
「いや、それは断る。命の時間は有限だ。それを無闇に縮めるのは冒涜だぞ。それに、第一のケースなら誰も犠牲にならない」
ヘルメスへと向けるガーミールの目付きが、すっと細くなった。
「ヘルメス。きみは我のことを想って、今の今までオブライエンと初代ガーミールの関係性を話さなかったのだろう? きみが誰よりも倫理を重んじている男だということは、我も心得ている。確かに、オブライエンについて知った我は、正直に打ち明けると――恥じたのだ。初代のこともそうだが、初代の歴史書を過信してきた我自身をも恥じた」
ガーミールはしばし目を瞑り、息を継いだ。
「オブライエンに関する真相を知ったからには、このままラガニアに帰還するつもりはない。本心では我がオブライエン討伐に乗り出したいところだが……きみがそれを許さないことは察している。ゆえに、我は賭けるのだ。オブライエンが必ずや討ち果たされると」
それからどれだけの沈黙が流れたろう。
やがて、ヘルメスが口を開いた。
「ガーミール。ボクはキミの間抜けなところが好きだった」
「ま、間抜けとはなんだ!」
「キミは不注意だから、よく壁に頭をぶつけて気絶したろう?」
「まあ、そんなこともあったかもしれんな」
「なにもないところで躓いたこともしょっちゅうあった。忘れ物を取りに帰ったのに、なにを忘れたのかも忘れてしまったこともあったね」
「ああ」
「でも、間抜けなだけじゃない。誰よりも真剣だった。ボクの研究に対しては特に」
「未来にかかわることだからな。子々孫々、憂いなく生きてほしいと願うのは自然だ」
「……そうだね。でも、今はどう思ってる? ボクが本当は全部を元通りに――もとの人間に戻したいと考えてること」
「人々が憂いなく生きられるのなら、それでいい」
それから二人は、どちらともなく握手した。
犠牲になろうとしている人間の顔は、アリスも目にしたことがある。そこにはしばしば、恐怖や後悔が滲むものだ。それが普通だと思っていた節もある。誰しも死は恐ろしいだろうから。ただ、このときの二人の表情には、潔さ以外の何物も感じ取れなかった。
触れ合った手を離すと、ヘルメスは即座に自分の心臓に手のひらを押し当て――。
ささやかな爆音とともに、彼の心臓は体外へと吹き飛び、散った。
柔らかな癖毛が項垂れる。
誰の目にもヘルメスが死んだことは明らかだった。
次の瞬間、ガーミールの身体がびくりと蠕動し、ぐにゃぐにゃとかたちを変えていく。やがてそれは、ヘルメスそのものの姿となった。衣服も靴も鞄もすべて。代わりに、かつてヘルメスだった身が、装身具とともに塵へと還っていく。
地図上の旗は髑髏に変わってはいない。つまり、ヘルメスはガーミールであると同時にヘルメスに成ったのだろう。
「ボクはね」と転生したヘルメスは呟いた。「ボクのストックは老人だけにするって決めてるんだ。それも孤独でひとで、なおかつボクに成ってしまうことに完全に合意したうえで、ね。魔力の多寡も関係ない。まだ未来のあるひとや、消えて哀しむ相手のいるひとを選びたくない。それでもガーミールは、ボクのストックに志願したんだ。戦争に参加する前だったかな。奥さんや子供には内緒で。もとより戦争は名目で、もっぱら金稼ぎのための参戦だったけど、彼なりに覚悟を持っていた。ここにいるキミらがどう思ってくれてもかまわないけど、ガーミールは誠実な男だよ」
この地図が髑髏のマークに変わるとき、かつてガーミールだったヘルメスは死に、そしてもうひとりの覚悟ある血族は、新たなヘルメスに成るのだろう。それだけははっきりと理解した。アリスも、そしてこの場の誰もが。
「というわけで」とヘルメスは気を取り直すようにヨハンに目をやった。「契約は無意味だ。だからキミも賭けるといい。ガーミールと同じように。ボクが口約束を守るって」
それから間もなく半馬人の拘束は解除された。ヨハンの二重歩行者も役目を終えたので消失している。アリスから透過帽を回収し、ヘルメスの所有していた地図のスペアをちゃっかり貰って。そもそも地図も制圧旗も、ヘルメスの作成した魔道具らしい。
ヘルメスは終戦まで隠れ家に留まるつもりとのことである。第一のケースを考えてのことだ。一旦は自由の身になった半馬人ではあるが、ヘルメスは平然と『いつでも捕まえられる』と言い、半馬人は半馬人でなにかしら思うところがあったのか、逃げるような素振りはなかった。とはいえ、地上の監視役は復帰することになったが。
アリスはというと、今、王都内の路地裏を歩いている。ヨハンから教えられた住処へ向かって。意識するのは左目だ。今、片方の視界はヘルメスと共有している。それをさらに共有しなければならない相手がいた。オブライエンの討伐の確実な証拠を得るための重要なピース。
昼下がりの薄暗い石畳を歩みながら、アリスはポケットの紙片を意識する。ヘルメス曰く、強制転移紙片。ふたつでひとつの魔道具であり、片方の紙片を持つ者を強制的に自分のもとへ転移させるという代物である。より魔力の強い側に転移される仕組みになっているので、実質もう一枚を持つヘルメスがアリスを自由に呼び戻せるわけだ。身勝手極まりない、とまでは思わない。王都まではヘルメスの転移魔術で移動したものの、そもそも隠れ家への速やかな帰還を望んだのはアリスのほうである。それも、頭を下げてまで。
血族の貴族とも戦えるように、自分を鍛えてほしい。そのように乞うたのだ。既に血族がグレキランス地方に入り込んでいる以上、そうのんびりするつもりはないが、数日なら割ける。ヘルメスの見立てでは、王都が本格的に襲撃されるのは五日後か六日後あたりとのことだ。正確な読みではないらしいが。『煙宿』が標的になるとしたら、その二日か三日前あたりになるだろう。それまでに帰還出来れば上々。なによりヘルメスの手には例の地図がある。敵の進行具合――正確には制圧区域は把握可能だ。
アリスの弟子入りに関して、ヘルメスは心底嫌そうにしていたが、ひとつだけ条件を付けた。
『先生』と呼ぶこと。
たったそれだけ。
ヘルメスが在りし日のラガニアで魔術学校の講師をしており、優秀だったのに人望のなさのせいでクビになった過去を知っていたので、アリスはなんとか笑いを堪えたものだ。他人にとっては馬鹿馬鹿しいくらい些細な事柄でも、当人にとってはとんでもなく重かったりする。往々にして。
やがてアリスは目的の家屋にたどり着いた。路地の奥まった場所にある細長い家だ。家と家の間にあるものだから、うっかりしていれば見落としてしまうだろう。
三度の大きなノックと、四度の小さなノック。そして二秒置いて、二度の小さなノック。
やがて扉が開き、懐かしい顔と対面した。
黒の燕尾服に、同系色のネクタイ。白手袋。後ろに撫でつけた灰色の髪。口回りを覆う整った髭。引き締まった顔立ちの、壮年の執事。
「お久しぶりです、アリスさん」
「ごきげんよう、ウィンストン。突然で悪いけど、アンタの目を借りに来たよ」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。実は防御魔術のエキスパート。王都の歓楽街取締役のルカーニアと永続的な雇用関係を結んだ。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』『Side Alice.「ならず者と負け戦」』にて
・『ヘルメス』→かつてのラガニアでトップクラスに優秀だった魔術師。ねちっこい性格で、人付き合いの苦手な男。もともと魔術学校で講師をしていたがクビになり、一時期ガーミール公爵に雇用されていたが、彼が零落したことでドラクル公爵に鞍替えした。オブライエンの犯罪的魔術を看破し、彼の右腕と左足を木端微塵にした。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『メフィスト』→ニコルと魔王に協力していた存在。ヨハンの本名。現在はクロエと契約し、魔王討伐に協力している。初出は『幕間.「魔王の城~尖塔~」』
・『ハック』→マダムに捕らわれていた少年。他種族混合の組織『灰銀の太陽』のリーダー。中性的な顔立ちで、紅と蒼のオッドアイを持つ。現在は『灰銀の太陽』のリーダーの役目を終え、半馬人の集落で暮らしている。詳しくは『438.「『A』の喧騒」』『453.「去る者、残る者」』『623.「わたしは檻を開けただけ」』にて
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。外界で活動しているのは彼の分身『二重歩行者』であり、本体は一切の魔術的干渉を受けない檻に閉じ込められている。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より
・『制圧旗』→旗状の魔道具。血族に配されたグレキランスの地図と連動しており、旗が刺された地点が地図にマークされる。制圧旗は通常の手段では破壊出来ず、各軍の指揮官が死亡した場合に消滅する。その際、地図のマークは髑髏に変化する。諸侯同士による獲物の横取りを防ぐために開発された。血族の部隊長クラスがそれぞれ所有しており、旗を突き立てる仕草を行うことで出現し、効力を発揮する。詳しくは『幕間「落人の賭け」』にて
・『半馬人』→上半身が人、下半身が馬の種族。山々を転々として暮らしている。ほかの種族同様、人間を忌避しているが『命知らずのトム』だけは例外で、『半馬人の友』とまで呼ばれている。察知能力に長け、人間に出会う前に逃げることがほとんど。生まれ変わりを信仰しており、気高き死は清い肉体へ転生するとされている。逆に生への執着は魂を穢す行いとして忌避される。詳しくは『436.「邸の半馬人」』『620.「半馬人の友」』にて
・『二重歩行者』→ヨハンの得意とする分身の魔術。影に入り込んで移動することが可能。詳しくは『12.「二重歩行者」』にて
・『透過帽』→かぶっている間は姿を消せる角帽。魔道具。魔力も気配も消すが、物音までは消えない。詳しくは『597.「小人の頼み」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『魔道具』→魔術を施した道具。魔術師であっても使用出来る。永久魔力灯などがそれにあたる。詳しくは『118.「恋は盲目」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『転移魔術』→物体を一定距離、移動させる魔術。術者の能力によって距離や精度は変化するものの、おおむね数メートルから数百メートル程度。人間を移動させるのは困難だが、不可能ではない。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『煙宿』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。ゆえに人探しはご法度。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」「煙宿~②不夜城~」』にて
・『ウィンストン』→『毒食の魔女』の邸の執事をしている魔術師。丁寧な口調の壮年男性。ジェニーとは犬猿の仲。昔から魔女の命を狙って暗殺を繰り返している。魔女を殺害したオブライエンへ、並々ならぬ復讐心を持っている。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『279.「物好きな主人」』参照